大学の推薦入試枠の拡大

     

2006.11.7  

ブログより


『国立大の推薦・AO枠、2008年入学から5割に拡大』

 国立大学協会(国大協)は6日、定員に対する3割を上限としてきた国立大の推薦入試枠を見直し、
AO(アドミッション・オフィス)入試での募集も含めて上限を5割まで認めることを決めた。

 2008年春に入学する学生を選抜する入試から適用する。
少子化の影響で国立大でも地方の工学部などを中心に一般入試の志願者が減少していることを受けた措置で、
学生確保のため、協会内部からも上限の緩和を求める声が出ていた。

 推薦入試は、高校の推薦に基づき、内申書や面接などで選考。
AO入試は書類審査や面接、集団討論などで、意欲や個性も含めて評価する。

 旧文部省は1995年度入試で国公私立大に対し、
それまで明確でなかった推薦入試の枠を学部や学科などの募集単位ごとに3割と通知。
国大協も96年度から推薦枠を3割までと決めたが、
同省が上限を5割まで引き上げた00年度以降も、上限3割を維持してきた。

 しかし、ここ数年、地方国立大では工学系学部などで一般入試の志願者数の減少が続き、志願倍率が2倍を切るケースが続出。受験人口の減少に加え、04年度以降、多くの国立大がセンター試験で5教科7科目以上を課し受験生の負担が増えたこともあってか、今春の入試では7大学で欠員が生じ、2次募集を行う事態となっていた。

 文部科学省の調査では、今春の国公私立大入学者のうち推薦・AO入試による入学は41・6%だったが、国立大は13・5%。私大の中には推薦・AO入試で6割以上を選抜する学部もある。
(2006年11月7日3時2分 読売新聞)




国立大学協会が、大学入学定員の5割まで推薦枠を拡大することにした。
従来3割だったものが一気に5割にまで拡大された。
これで受験生の大半は推薦を勝ち取ろうと浮き足立つだろう。

どうも話ができすぎている。
高校の単位不足問題が起こって、高校の受験体制が批判の目にさらされたと思ったら、
『まってました』とばかりに、大学の推薦枠が拡大された。
どうも話ができすぎている。

『ゆとり教育』や『新学力観』の立場に立つ人は、もともと大学関係者が多かった。
その『ゆとり教育』の結果、学校教育はとんでもないことになり始めて、
文科省は慌てて『学力向上』に方針を切り替えた。(体面上、認めてはいないが)

そこへ今度の単位不足問題である。
今回のことは、どうも文科省内の『ゆとり教育』一派が関係しているのではないか。
この単位不足問題は、『現場の高校』批判と『受験競争』批判を同時に含んでいる。

推薦入試の拡大は、『受験競争』批判から生まれたものである。
そしてそれは『ゆとり教育』や『新学力観』と結びついている。

しかし『ゆとり教育』の失敗は誰が見てもはっきりしている。
今回の単位不足問題の結果、高校での履修科目と大学入試科目をリンクさせようという意見があり、
それはそれで危険をはらんでいるが、
それとは別に推薦入試は大学入試の客観性そのものを突き崩す危険性をもっている。

『誰を推薦するか』、教育現場の教師たちの恣意性がぬぐい去れないのである。
悪意があるなしにかかわらず、推薦という行為そのものに、それは必ずつきまとうのである。
そういうものを大学入試の基準にして良いのか。
推薦枠が5割になるということは、多くの受験生は競争試験を逃れたいという心理が働くから、
推薦が大学入試の基準になるということである。

そしてそれは、高校現場が『ゆとり教育』に舞い戻ることを意味する。
今さら『ゆとり教育』に舞い戻れば、学校現場は今度こそズタズタになるであろう。



しかし、この問題の背景には、文科省がすでに2000年に推薦枠の上限を5割まで引き上げていたことがある。
当時は『ゆとり教育』真っ最中である。
それにまっ先に飛びついたのは私立大学である。私立大学ではすでに推薦入試が主流になりつつある。
それは、他大学よりも早く、入学定員を確保したいからである。
これは受験生獲得競争の一環で、いわば『青田刈り』である。

2000年に、文科省は推薦枠の上限を5割まで引き上げることで、この『青田刈り』を禁止するどころか、逆に自ら率先してそのことに手を貸していたのである。

今回のことは、私立大学に優秀な学生が『青田刈り』されたため、
国立大学の志願者が減少し、窮地に追い込まれたためにおこったことである。
その結果、国立大学が仕方なく私立大学と同じ土俵に立たざるをえなくなったものである。

そういう意味では、今回の原因も文科省にある。

『推薦入試』の流行をまねいたのも、文科省が『新学力観』や『ゆとり教育』を言い出してからである。
『新学力観』や『ゆとり教育』は、『推薦入試』という『青田刈り』の格好の隠れ蓑になったのである。

逆にいえば、『新学力観』や『ゆとり教育』は、『推薦入試』の拡大という形で実質的に生き残っているのである。




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