高校の単位不足問題(未履修問題)2

     

2006.11.2  

掲示板より

今日の新聞より

『政府は学校への監視強化をいうが、それは解決にならない。問題の根にある大学入試改革に本腰を入れてこそ責任を果たすといえる。』
(毎日新聞 11月2日 社説)

『学習指導要領をどう見直すか。受験偏重の今の高校教育をどう改善するか。行政と現場に突きつけられた課題だ。』
(読売新聞 11月2日 社説)

『文科省は、教育委員会や学校を責めるばかりではなく、これを機に、高校での必修科目や入試のあり方にまで踏み込んだ議論を行わなくてはならない。』
(読売新聞 11月2日)

多くの新聞が文科省の学習指導要領が、いかに高校の教育現場とかけ離れたものか、気づきつつある。
今の学習指導要領は現場の実態を反映していない。それは現実味のない絵に描いた餅である。
そのことへの批判がわき起こることは当然のことだと思える。



しかし、この学習指導要領批判が、どのような方向にいくかというと、どうも『受験勉強』批判にいきそうな勢いである。
どうかすると『学力向上』路線に対する批判へと向かいそうである。

しかし、それはちょっと違うのではないか。
この問題派の発端の中心となった『学校週5日制』や『総合学習』は、『ゆとり教育』ラインから生まれたものである。そこにこそ問題の元凶がある。
『ゆとり教育』という言い方が正確でないとするならば、『個性化・自由化・グローバル化』を推進した『新しい学力観』ラインそのものに間違いがあるのである。

高校の受験体制にも問題があることは否定しないが、それは最近になって出てきた問題ではなく、大正から昭和にかけてすでに発生していた問題である。それはもっと大きな問題であり、未履修問題から出てきた問題ではない。

今回の問題の根は、『新しい学力観』を主張する一部の学者の言説に乗っかり、さらにそれを『ゆとり教育』などといういい加減な言い回しで推進してきた、過去の文部省時代の方針そのものに間違いがあるのである。

そこを読み間違うと、『受験勉強』が悪くて、『ゆとり教育』が正しいとする、諸悪の根元にまた舞い戻ってしまうことになり、何の前進もみられないことになってしまう。

文科省の責任追及は置いておくとしても、学習指導要領の見直しは急務であり、現行の『総合学習』や、いまだにそれに乗っかって小学校のカリキュラムに入り込もうとしている『小学校英語教育』の見直しは、早急な問題である。



その点、一番そこを読み間違っている典型的な例が、10月31日の朝日新聞である。

『学習指導要領は受験科目とズレがあり、それを埋めようとした学校側の「苦肉の策」が問題を生んだ。
02年度から始まった公立学校の完全週5日制など「ゆとり教育」が進み、受験に必要ない科目を履修しない学校現場が増えたと見られている。
このため、自民党内に根強い「ゆとり教育」批判派が、指導要領の抜本見直しに向け勢いを増す可能性がある。』

一見『ゆとり教育』を非難しているように見えるが、よく読むと、
逆に『ゆとり教育』を推進している現行の学習指導要領の擁護を訴えているのは明らかである。

この期に及んで『ゆとり教育』擁護を訴えているのは朝日新聞だけだが、うっかりすると他の新聞もそれに乗せられてしまう危険性をはらんでいる。

学習指導要領の見直しこそが急務である。




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