神々の戦い 10 瀕死の多神教、古代ローマ

     

2006.5.3  

以下は掲示板より

そうなると神官の権威はだんだんと落ちていく。
戦闘とはその成功度合いがはっきりと目に見えるものである。
そして実力がものをいう。
強い部族でも全戦全勝ということはありえない。
10勝5敗なら大関格で、8勝7敗で勝ち越しすればいい方である。
負ければ神官は責任をとらされる。
そのようなことがかなり長い年月続いていくと、神官の権威は低下していくようになる。

そして勝つ者があれば必ず負けるものがある。非常にはっきりしている。そこに呪術の入り込む余地はない。
勝ったり負けたりしているうちに、神官たちの権威を誰も信じないようになるのである。
それよりも体を鍛え、弓や矢槍の稽古に精を出すほうがよほど効果があることが分かってくる。

前8世紀に登場した古代ギリシアのポリス社会というのは、そのようなかたちで神官の持つ呪術性がそぎ落とされた社会である。
その最も先鋭化した形が軍事国家スパルタであった。
そこでは女性までもが軍事訓練にいそしんだ。
また王が二人いて、それぞれ二つの部族から選出されたというのも、王が宗教的権威をまとった王ではなく、たんに軍事指導者としての王に変質していることを物語っている。

アテネにおいては王さえおらず、集会(民会)において重要事項が決定されるスタイルがより強化された。

このように古代ギリシアの王は宗教的権威を必要としない王であった。王権に宗教性が付着していないのである。
つまり政治と宗教が切り離されたのである。

これに対し日本では今でも、政治を『政りごと』(まつりごと)という。政治と宗教は一つのものであった。

西洋で政治という場合、その政治とはどういうものなのか、それが日本の政治と同じものを指しているのかどうか、もう一度疑ってみる必要がある。

このようにしてヨーロッパでは政治と宗教が切り離され、宗教とは無縁な政治世界が形成された。
しかしギリシアではまだオリンポス12神は健在であり、ギリシア人の心に宗教的安定を与えていた。



宗教との無縁さがより徹底するのは古代ローマ社会である。
そこにはギリシアのオリンポス12神に相当するものが無く、宗教的にはぽっかりと穴が空いた状態で、貴族政治が行われていた。王制もすでに滅んでいた。

だから古代ローマ社会では、先進地帯のオリエント地方から異教の神々をどんどん取り入れていった。
またエジプトの神々の影響もあったし、当然ギリシアの神々の影響もあった。だから古代ローマはどうしようもないくらいの多神教である。
しかし彼らローマ人はギリシア人のように神々を体系化して整理し、この世に神々の世界の安定をもたらす能力に欠けていた。

そのような宗教的混乱のなかで、ローマ市民に対し『パンとサーカス』が演出されていったのである。
しかし実は宗教はそのような社会にこそ、抜き差しならないくらい深く入り込んでいくのである。

それがキリスト教である。




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