神々の戦い 7 魔界・魔女・奴隷制・カースト

     

2006.5.3  

以下は掲示板より

ヨーロッパでは、キリスト教という一神教によって失ったものが何であるのかということに対して、非常に自覚的であると思うのだ。

一神教的世界観は日本でこそ、その時代遅れ性に気づかれず、ますます流行しているが、本場ヨーロッパやアメリカでは、すでにさまざまなひずみが出ている。

地域は崩壊し、家族もバラバラである。
家族崩壊の裏には離婚率の高さがある。
『ハリー・ポッター』を書いたJ・K・ローリングも離婚の経験がある。そして生活保護を受けながら貧しいシングルマザーとして『ハリー・ポッター』を書いた。
そういう生活のなかで書かれた『ハリー・ポッター』には、自らの価値観に対する深い疑念が込められている。
それがキリスト教によって抑圧された魔法の世界へと、彼女をいざなったのであろう。

多神教の世界では一つの宗教によって他の宗教が魔界に封じ込められるということは起こらない。
共存の方法を編み出す努力をするからである。

しかし一神教はそうではない。
一つの教えに従わないものは、目に見えないところに押し込められてしまう。
それが魔界である。

だからヨーロッパ世界には必ず魔法の世界がついてくるし、そこからすぐに魔女などが吹き出してくる。

フランケン・シュタインという名前もドイツではありふれたものであり、フランクさんも、シュタインさんもそこら中にそういう名前の人はころがっている。
そのようなありふれた名前の人がフランケン・シュタインという怪物となって現れるというところが、ヨーロッパの魔界のすごさをかいま見させてくれる。

一つの教えを拒んだものは人間としてすら生きていけない世界がある。一神教の世界はそういうことを教えてくれる。



もちろんこれには前段があって、ヨーロッパ世界は基本的に奴隷制社会である。

ギリシアでソクラテスがなぜ哲学にふけることができたのかというと、彼は奴隷を所有して彼らに労働を任せていたからであるし、ギリシア市民というのは大半がそうであった。
さらにローマでは征服した領土からつれてきた人々を奴隷として使うことに何のためらいももたない社会で、古代ローマで奴隷制は最も発展した。

そしてそれは古代社会のみではない。アメリカでは19世紀のリンカーン登場まで農場でアフリカ人奴隷が当然のごとく使われていた。

民族の接触は今では国際理解の名前でばかりいわれているが、歴史が教える民族接触はそんなきれい事では済まないことを教えている。
良い悪いは別として、民族と民族が接触するということは、支配者と被支配者(つまり奴隷)が生まれるということなのである。

さきにふれたインドのカースト制度のうちのシュードラ(奴隷)は、アーリア人というヨーロッパ語族によって住む土地を奪われ、奴隷に落とされた先住民の末裔なのである。

しかし彼らシュードラには家族と所有権が与えられており、そういう意味ではヨーロッパの奴隷が家族も営めず所有権も認められていなかったことと比べると、本当の奴隷とはいいきれないところがある。
そういう意味でインドのカースト制はヨーロッパの影響をうけながらもかなり東洋的である。

さらに彼らが東洋的なのは、司祭階級を歴史上抹殺しなかったということである




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