神々の戦い 3 ジャンヌダルクと魔女

     

2006.5.3  

以下は掲示板より

一神教を当たり前として受け入れ、その一神教を正当化するため多くの労力をつぎ込んできたヨーロッパ人さえ、実のところキリスト教布教以前の多神教の世界になにがしかの郷愁を抱いている。そこに忘れられた大切なものがあることに気づいている。

自らの文化のなかに、自分が自覚しえない隠されたものがあることに、ヨーロッパ人は常に自覚的であろうと努めた。そしてそれはときとして人間としての情熱をかき立ててきた。

英仏百年戦争(14世紀)のときのジャンヌ・ダルクの登場がそうである。しかしフランスの救世主として登場した少女は、戦争が終わると異端審問にかけられ、魔女として殺されてしまう。
つまりキリスト教という一神教は、国家の救世主として登場した人間までも、異教徒または魔女として殺していくのである。
ここでは国家の救世主よりも、宗教上の異端性がより優先されている。

なんびとも宗教性を犯すことはできない。信じることは一つしかありえない。それが一神教の宿命なのである。

ジャンヌ・ダルクのほかにも中世ヨーロッパには多くの魔女が現れたことは周知の事実である。そしてその魔女たちは本物か偽物かにかかわりなく、魔女裁判にかけられ、殺されていった。

戦前に非国民といわれれば、何も言い返すことができなかったことと似ている。言論が封印されるのである。言論どころか、誰かが誰かをチクリあい、チクリに負ければ命まで奪われてしまう。
そのような傾向は実は日本固有のものではなく、一神教特有のものである。

このような傾向はナチスドイツによるユダヤ人迫害だけではなく、それと全く違った体制を採ったソビエト連邦においてさえそうであった。
誰かが誰かを監視し、あやしいと通報されただけである日突然警官がやってきて、シベリア送りになってしまい、二度と家族と会うことはない。ソルジェニーツンの『収容所群島』の世界である。

そんなことは一神教を採ったヨーロッパの出来事ではないかと人はいうかも知れない。日本はなんだかんだいっても、義理と人情、多神教の世界だ、そういうかも知れない。

本当にそうだろうか。
日本はその近代化のはじめから、ある意味、宗教心と国家とを結びつけることに失敗してきた国である。
私はそのことによって明治の元勲たちを非難したいのではない。明治の元勲たちの能力の高さは今の我々や今の政治家と比べものにならないくらい高かったと思う。
しかしそのような有能な人物たちを結集しても、国民の宗教と国家と結びつけ、本当の意味での国民国家をつくることには失敗していったのである。
日本のナショナリズムは一神教的傾向を帯びたとたんにダメになる。

私はそう思っているし、そのことが戦後の教訓として生かされているのかというと、戦後50年をすぎて平成になったころから急速におかしくなり始めたと思う。




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