特権と責任の付加

     

2006.3.1  

以下は掲示板より


国会議員には我々国民とは違った特権があります。
しかし特権の裏側には責任の付加があるわけで、それによってバランスが取れるようになっています。

個人資産公開なども我々国民には関係のないことですが、国会議員になるとそういうことが要求されるのも、
特権と責任の付加という点から、その時々の状況によって要求されても仕方のないものだと考えられます。

いつかも書きましたが、我々教師は、飲酒運転をすればすぐに新聞沙汰になり、場合によってはクビになります。
しかし一般の人が飲酒運転をしただけで新聞沙汰になることはありません。

それも、我々教師が一般の人と違った権利を与えられているからと、一般には考えられているからであり、そこに論理的な整合性があります。



『我々教師が一般の人と違った権利を与えられているから』と書きましたが、誤解のないように言いますと、
人と人との関係で与えられる特別な権利ではなく、
人の中でも子どもに行使する権利、もっと厳密に言えば生徒に行使する権利において、一般の人とは違った権利を与えられています。

当たり前のことを言っているようですが、国際的に見ると、このことは決して当たり前のことではありません。

日本の教師の社会的地位は、ヨーロッパ諸国の教師の地位と比べると高いようです。
ただそこには教師の仕事内容のお国柄の違いがあります。

ヨーロッパの教師の仕事の中心は知識の伝達であって、生徒個人の生活には干渉しません。

それに対して日本の教師の仕事は、知識の伝達は当たり前のことであって、そのことだけで事足りるわけではありません。
登下校の指導から、給食指導、通学中の乗車マナー、服装指導、非行等への生徒指導など、
いわば生活全般に渡る指導が要求されています。
他の職業の人で、ここまで他人の個人生活の内部にまで影響を及ぼすことが要求されている人はいません。
そこが我々教師に与えられ、要求されている、特別な権利だと思います。

そして従来の社会では、そのようなことまで含めた指導をちゃんとできる教師が良い教師だと見なされ、また尊敬も受けたのです。

我々教師はそのような特殊日本的権利にもとづいて、学校教育を行っていると考えられます。



今学校では、個人情報保護の点から、必要な仕事道具の持ち帰りができなくなりつつあります。

例えば、試験問題や生徒の答案。
私自身のことを言えば、定期試験の作成や、生徒の答案の採点を、勤務時間内に終わらせたことなどありません。
やろうとしてもできないのです。
私だけがそうなのかというと、私の同僚も大半はそうです。
それに要する時間の三分の一も勤務時間内に終わらせたことはありません。
残りはすべてふろしき残業です。多くの教師がそうではないでしょうか。

それは良いとして、個人情報の持ち出しがすべて禁止された場合、すべての業務は学校に残ってしなければならなくなります。つまり強制残業になります。
とすれば当然残業手当が必要になりますが、教師に残業手当なるものはありません。

別に残業手当が欲しくて言っているのではないですが、今まで自分のふろしき残業を成り立たせていたものがなんだったかのというと、それは教師としての責任感だとしかいいようがありません。

もっと端的に言えば、部活動の指導も土曜・日曜を使って、それに見合った報酬もなしに指導に出かけているのは、なぜなのかと自分に問いかけてみた場合に、それも、教師としての責任感だとしかいいようがありません。

本音をいえばやはり休みたい気持ちはあります。

その責任を成り立たせているものは、それだけの権限が自分には『生徒』に対して与えられているという、一般認識があるからにほかなりません。

もし責任に対して、それに見合うような報酬を要求するというごく当たり前のサラリーマン的発想に教師がなれば、今の学校教育は成り立ちませんから、
給与体系や課外活動すべてを含めて教育関係の法律の見直しが必要だと思います。

本当にそれができるのならやってもらいたいし、それで良いのならそれで文句はありませんが、
ホントにそれができるのかというと、私には到底不可能に思えてなりません。

サービス残業はどの会社にもあるものですが、それを正当化することはとんでもない社会になることなのです。
日本のあいまいさには良いところもあり、悪いところもあるわけですが、
あいまいさをすべて否定すれば、とんでもない社会がやってきそうです。




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