13.『平家物語』はなぜ美しいのか  

2003.7.12
 

 『平家物語』は滅亡した平氏に対する『鎮魂歌』である。鎮魂歌というのは日本だけではなくヨーロッパにもある。『レクイエム』である。

 古来より、不幸にして死んだ人間の霊魂は『怨霊』として恐れられた。その怨霊を鎮魂することによって人々は災厄から逃れようとした。しかも日本の『怨霊』は、死んだ後も非常に人間味あふれる『怨霊』で、人々が誠意を込めて本気でその霊をなだめれば鎮めることができた。そのようにして鎮まった『怨霊』は『御霊』とよばれた。平安時代の『御霊会』というのはそういう信仰であった。

 滅び行くものは美しい、そう日本人が感じるのは、このような信仰の伝統がある。

 『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・・』、平家物語の美しさは日本人の宗教観念と分かちがたく結びついている。

我々はそのような無常観に自分の人生を重ね合わせることができる。美の根源はここでも死と結びついている。生への執着を捨てることと、美の意識とはどこかで結びついている。それは人生の意味を根底から覆すような価値観の衝突を感じさせるものがある。その葛藤の美しさなのかも知れない。日本人は古来からこのような精神的緊張の中で生じる美しさを日常の中で維持し続けてきた。

 砂上の楼閣は滅びるときが美しいのだ。それが砂上の楼閣だったということがわかる瞬間が、美しいのである。それはニヒリズムの一歩手前の美しさである。日本社会はニヒリズムに陥ることをそのほんの一歩手前で防ぐことを知っていた。

 しかもそれは仏教的外観を取りながらも実は純粋に仏教的な宗教観念ではない。『御霊会』の信仰は、それが発生するのと同時代に都で流行しだした浄土教とは別系統の土俗信仰である。

 死んだ人間を悪く言わないのは日本人の基本的な死者に対する作法であった。『死んで仏になる』という言葉は『死んだ人間はすべて仏になる』という意味で使われるのであって、特別な人間だけが『死んで仏になる』わけではないのである。

 平家が怨霊であったことは小泉八雲が採取した『耳なし芳一』の話を読めばすぐわかることだし、そのような怨霊の系譜は古代最大の怨霊として人々を畏怖させた菅原道真の物語に代表される。また応天門の変の犠牲者である伴善男のことが都の人々の記憶に永く残ったであろうことは、それから約200年後に『伴大納言絵巻』として絵巻物がつくられたことからも伺える。

 人々はすべての人間を仏にするための努力を惜しまなかったのである。

 ところが最近、死者に対する悪口をよく耳にするようになった。それは私の近辺だけのことであろうか。

 私は滅び行くものの美しさを描いた文学作品として最後のものは、太宰治の『斜陽』ではないかと思っている。それ以後、戦後文学の中でそのような文学作品があるかどうか、私は寡聞にして知らない。もしそうだとすれば、それは我々の世代からはもう出てこないのではなかろうか。そしてもっと残念なことには今の高校生の世代からもそのような作品は生まれてこないような気がする。

 戦後世代はそのような作品を描く心性を失ってしまったのではなかろうか。そしてそのことはたんに文学の変化だけにとどまるものではない。もっと根深いものを抱えているように思うのだ。それはいろいろな芸術作品を生み出すための源泉である宗教観の喪失であると思う。



(市場原理というのは弱肉強食のことである。教育も例外ではない。そのような中で誰が敗者に美しさを見いだし得るだろうか。)



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