2.本地垂迹説とホンネ

2003.2.16

目に見えるものだけを信じてはいけないという発想は、日本の思想史の中で、「本地垂迹説」によって初めて現れたものである。
われわれの目に見えるのは、「垂迹」すなわち仮の姿のものであり、その背後には、「本地」すなわち本物の世界が広がっているということである。
その本物の世界をとらえうるかどうかが、大切なことであるとされた。

ここでは現象の裏にあるものを見つめようとする態度そのものが尊重されている。

「神仏習合」という思想はこのようにして形成された。それは単に無秩序に「神」と「仏」を並べるものではなく、また機械的に神と仏を並置するものでもなく、どちらが現象で、どちらがが真の姿であるかということを見届け、そして突きつめようとする態度と結び付いていたのである。
このような神を2つ並べて拝むという態度は、一神教の世界では考えられないことである。
しかしそれを機械的に、違った神をいくつか拝むことというふうに平坦に理解してはならない。そこには神と仏との構造とでもいうべきものがある。

能の大成者である世阿弥は、「風姿花伝」の中で「秘さざれば美なるべからず」と言っている。
隠していなければ美しいものを表現することはできないという意味である。
逆にいうと、美しいものは隠れているんだ、ということでもある。この美を真実という言葉に置き換えるとわかりやすい。
真実はいつも隠れていて、その真実の表面には絶えずそれとは異なった現象がついて回っているということである。
その現象に目をくらまされていてはいけない。
そんなことをしていてはいつまでも、美しいものを表現することはできないんだ、ということを世阿弥は見抜いたのであった。

本当の悲しみは顔の表情に現れないものである。
能面のような微動だにせぬ、表情を変えない表情の中に、深い悲しみや怒りや喜びが無尽蔵に表現されている。
そこにこそ本質があるのであって、そこにある本質こそが一番美しいものであるんだということを、世阿弥は簡潔に「秘さざれば美なるべからず」という言葉で表現した。

明治に入ると「和魂洋才」という言い方をするようになった。
(和魂の魂は、たましいとよむ。たましいの右半分は鬼と書いてある。魂には鬼と関係するものがある。それはさておき、)

和魂洋才とは、「和魂」と「洋才」を同時に2つ並列して並べたものかというと、その現象にあたるものが洋才であった。
それに対して和魂というのは、その洋才の表面から隠れたところにある日本人の本質的な心のあり方をさすものである。
しかもそれは2つ別々のものではなく、本質と現象は絶えず連動しているという本地垂迹説以来の考え方が流れている。
和魂を通して、洋才を学ぶことはできるんだという明治の人たちの意気込みがこの言葉にはある。
最も大事なものは洋才ではない。そのことを片時も忘れないことが大切だとされた。

「文武両道」ということにしても似たようなところがある。
「文」は「文」で一生懸命やり(勉強)、「武」は「武」で一生懸命やること(スポーツ)、これを文武両道だと分けて考える人がいるが、私はそうではないと思う。

荒々しい戦国時代を戦ってきたが戦国武将たちにとって、武は人が生きていく上での最も重要な手段であった。
だから命をかけて、一生懸命に武芸の技を磨いたのだと思う。
しかし平和な時代になって武はもはや不必要になった。武に代わって文というものが重要になってくる。
彼らはその必要に応じて、文を習い始めた。
しかし決して従来の武の精神を、つまり戦いの精神を忘れたわけではない。
文と武は基本的なところで一つのものだ。
文と武は基本的なところで通じている1つのものだ、という発想がこの文武両道なのだと思う。

仮に文だけで独り立ちをした人がいるとする。
あるいは武だけで独り立ちをした人がいるとする。他の教養は全くなしに。
そういう人は私はどこか危ないと思う。
なにが危ないからうまく言えないが、バランスがとりづらいと思うのだ。

人間の体には、多くのものが対になっている。目も2つあれば、耳も2つある。
それはなぜかというと、1つの目がつぶれても、もうひとつの目がそれを補ってくれるからだ。
右耳がつぶれても左耳でものを聞くことができるからだ。
しかし対になっているもののうち、足はそうではない。
足は右足がきかなくなったからといってそのまま、左足だけで歩くことができるかというと歩けなくなる。
足は両方があって初めて歩くことができる。


現象だけを見ずに物の本質を見極めようとするこの本地垂迹説の発想は、日本人の持つ人間関係にも至る所に姿を現している。
どうしようもないような人間であっても、どこかに必ず良いところがあるはずだ。
どんなに極悪人でもそれは現象面のことであって、どこかに本質としてもっと良いものが隠れているはずだ。
そのような人間観を形成させていったのである。

昔、織田信長の時代に、日本に来たキリスト教宣教師たちが言っている。
「日本の農民たちは、宗教に関して、無知どころか、とてもわれわれの手には負えないような、宗教観を持っている。私はこれを切り崩すことができない。」
そう言って、ローマ法王庁にどう教えればいいか、という質問を投げかけている。
それはどういったことかというと、

「日本の農民は、イエスキリストの教えを理解することができる。
その理解力は非常に素晴らしい。
しかし彼らは言う。
仮に私がキリスト教徒になって、そのキリストの御心によって、私が救われるとすれば、それはとてもありがたいことだ。だから私はキリスト教徒になることはできる。
しかし私の祖父や父はキリスト教徒ではなかった。
そしてもう死んでしまっている。
キリスト教徒にとって、異教徒は地獄に落ちる存在ではないのか。
だとすれば私をかわいがってくれた祖父や父は、いまだ異教徒として地獄の底で苦しんでいることになる。
たとえ私は、自分がキリスト教徒になって一人救われることができるとしても、そんなキリスト教の神を絶対に信じることはできない。」

日本の農民たちは、こういうことを投げかけて、ポルトガルの宣教師たちを、ほとほと困らせている。ここでもしキリスト教宣教師たちが、

「あなた方の祖父や父は仏教徒や神道を信じた異教徒ではあったが、それは現象面(垂迹)のことで、本当は日本の神や仏の本体(本地)というのは、キリスト教の神様なんだ」

というふうに、本地垂迹説を援用すれば、その疑問はすんなりと受け入れられたはずなのである。
しかし一神教というもの自体が、そういう本地垂迹説の考え方を受け入れることができない異質のものである。
そこが決定的に違っていたのだ。
だから違うものは違う、嫌いなものは嫌いだ、とはっきり白黒つけていく、自己主張型の文化がヨーロッパでは形成されていく。

しかし日本では、現象面で一見違っても、本当の心の奥底では、もっと良いものがあるのではないかと、絶えず探りを入れていく。
その探りの中に、かすかな明かりでも見れば、彼らを同胞として受け入れていく。
日本人が見知らぬ人には非常に排他的だが、いったん仲間になるととても家族的な雰囲気で交際を行うと言われるのは、こうしたことと関係している。
表面に惑わされない心、表現の奥に隠されているものを見いだそうとする姿勢、見えないところに大切なものが隠されているという視点、そういうものが日本人の多くの人間関係にとって、とても大切にされてきたのである。
人の心が曇っているのは現象である。どんなに心の曇った人間でも、その内側には非常に大切で、純粋なものが隠されている。
また逆にどんなに良さそうな人間でも、一皮むけば、腹の中では何を考えているか分からない。

こういった2つのことを同時に見続けてきた。
ハラの探り合いというものも決して表面だけの付き合いでわかるものではない。
表面から1歩も2歩も踏み込んだところに、本当のものが隠れている。そういう意識を日本人は、多分千年以上かけて、育んできたのだと思う。

われわれは、そのような物を見る目の確かさを今、徐々に失っているのではないか。
表面だけに惑わされているのではないか。結果だけに惑わされているのではないか。
1本の足だけで立とうとしているのではないか。

そんなことからは人間は成長しないのである。
人と人との付き合いは、そんな狭い了見から出てくるものではない。
しっかりと二本の足で立つバランスのよさを保ちながら、じっくりと相手の本質を見ていく。
そのような姿勢が、いま最も必要とされているのではなかろうか。

現象だけを見て、それを信じるものものはバカだと思うように、人間の表面だけを見てそれを信じる人もバカである。
人間の表面に現れているものはタテマエであって、その人間のホンネはそのタテマエのずっと奥に隠されている。
このような発想も、本地垂迹説の発想と非常に似ている。
目の前に写っているものは、実は仮の姿であって、本物はその奥に隠されているという発想は、日本人の人間を見る目を養ってきた。
「本地」「垂迹」説というのは、「本物」と「仮の物」という意味であるが、それはホンネ(本地)とタテマエ(垂迹)というふうにも受け取ることができる。
仮の姿の裏に隠されている本物の姿を感じ取る者だけが、ホンネで話し合える仲になるのである。
それが本物の人間付き合いであるとされてきた。

「ハラを割って話す」という表現にも、ホンネでものを語りあってこそ、人の心が通じ合うという意味が含まれている。決して仮の姿のものにだまされてはいけない。

このように日本人の理想とする人間関係の原型には、宗教観念が強く影響している。
その宗教観念とは、仏教そのものというよりも、仏教と日本古来の神道とを結び付けてきた日本独特の本地垂迹説の考え方に見てとることができる。

「色即是空」という言葉でも、「色」というものは現象を表すものであり、その背後には「空」という本質が隠されている。
本質は隠されたものであって「空」としか表現できないものであるとされた。
私は日本で密教や禅宗が受け入れられたのは、日本にもともと本地垂迹説という考え方があったことと関係しているのではないかと思う。

神は仮の姿であって、仏が本物の姿であるというのが本地垂迹説であるが、それは逆であってもよい。
神が本物の姿であって、仏は仮の姿であるとしても発想的には何も変わらない。
どちらが本物であるかということは、ここではさして重要ではない。
どちらが本物だとしても、その論理構造は同じである。

大切なことは、「現象の裏に隠されている本質を見いだそう」という人間としての基本的な姿勢なのである。
その論理構造こそが最も大切な基本的な構造だと思う。

表面だけを見てだまされるやつはバカだ。本物を見極める力を持たなければならない。
それは商売においてもそうだし、人間関係においてもそうである。
人間は常日頃、仮面をかぶって世の中に出ている。
その仮面の奥に何が潜んでいるかということを、見極める力が必要だということを、日本人は古来から知っていたのである。

そしてこのことは、たんに日本人の考え方や対人関係だけではなく、日本の基本的な政治構造にまで及んでいる。
摂関政治の時代の「藤原」氏と「天皇」の関係にもあてはまるし、院政時代の「天皇」と「上皇」の関係にも当てはまる。
さらに武家社会になっても、「将軍」と「天皇」の関係に当てはまる。
江戸時代の「将軍」と「大御所」にもあてはまる。
あるいは明治期の「内閣総理大臣」と「元老」の関係にもあてはまる。
それぞれ、前者が仮の姿(垂迹)で、後者が本物(本地)である。
もっとも大切でバランスのとれたもの(本地)は、表面的な権力(垂迹)の奥に隠れているという構造が政治的な安定をもたらしたのである。

昭和になって西園寺公望を最後に、元老の存在が消滅するのとほぼ時を同じくして、日本の政治的バランスは崩れ、危険な道をひた走るようになったことは、そのことを象徴的に物語っている。

現在の日本とどこか似ていないだろうか。



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