2.「教育改革」

(藤田英典著 岩波新書 1997年 630円)

2002

  この本の第1章で著者は、今の教育改革の動向が「教育の自由化」「個性重視」にあることを指摘している。
 そしてさらにその背景にあるものが、「市場原理」の導入であることに触れている。

 そしてこの「市場原理」の導入は、もともと「経済改革」の発想からもたらされたものであり、経済を論じることはできても、教育を論じることはできないのではないかという疑問を発している。
 教育という営みと経済活動とを同じ土俵で論じてよいのかという、至極もっともな良識的な疑問であるように思える。

 このような論議にはどこかにイデオロギー的な臭いを感じることが多いのだが、著者の藤田英典氏の場合には、そのイデオロギー的な臭いが感じられない。それが、教育に最も必要な良識的なバランス感覚を感じさせる。

 我々日本人は「個性重視」というと、日本は欧米に比べて個性教育が遅れていると思いがちである。
 しかし欧米諸国が取った1980年代以降の教育は、それとは反対に「いかにして国民の教育水準を高めるか」という点に集中していた。その点で日本の教育改革は欧米の教育改革と逆行している。今ではよく指摘されることであるが、そのことを指摘した本としては早い方ではないかと思う。

 最近、自由化の流れのなかで、「学校教育がカバーする範囲を縮小すれば、教育は良くなる」とする論理が横行しているが、よく考えてみればこれは実に「奇妙なロジック」である。
 市場原理や競争原理を導入すれば、小さな政府論と同じように小さな学校論が論じられるのは当然のことかもしれない。

この論理のどこがおかしいかといえば、責任能力のある大人の論理を、責任能力のない子供の論理に当てはめてしまうから、このような変な論理になってしまうように思える。
 このように子供から「保護される対象」という視点を奪い取ってしまえば、「学校」自体が意味を無くしてしまうし、そもそも「教育」の意味自体が失われてしまうのではなかろうか。

 また筆者は、「個性」教育を可能にするような「制度」が本当にありうるのだろうか、という疑問も発している。
 私は学校教育の本質は集団教育のなかにあると思っている。集団教育が崩壊しつつある今の日本の学校教育のなかで、本当に「個性」教育をする余地があるのだろうか。

 今の教育改革を推進する人々のなかに無限大の安心感があるのではないかと、私はそのことに身震いするほどの恐ろしさを感じる。

子供に甘えるなというまえに、大人自身が世の中を維持しているものに対する本当の恐れを、自覚するべきなのではないか。
 今の社会の中核(エリート層)を占める人たちのバランス感覚の危うさを感じる。

 (著者は1944年生まれ、東京大学教授 教育社会学専攻)



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