17.「高瀬舟」 森鴎外

2002.6

 森鴎外の「高瀬舟」は以前読んだことはあったが、しかしそれはだいぶ昔のことである。多分私が高校生の頃だったと思う。それから20数年経ってあらためて「高瀬舟」を読み返してみた。私の記憶では、「高瀬舟」は安楽死を扱う小説だとばかり思っていた。しかし読み始めてみると、私の記憶からは抜け落ちていた文章に出くわしたのである。それは弟を殺した罪人の話ではなく、その罪人を護送する京都町奉行所の同心の話である。
 その同心は庄兵衛というが、次のような心情が吐露される。

 「庄兵衛は心の内に思った。
これまでこの高瀬舟の宰領をしたことは幾たびだかしれない。
しかし、載せていく罪人は、いつもほとんど同じように、目も当てられぬ気の毒な様子をしていた。 それに、この男はどうしたのだろう。遊山船にでも乗ったような顔をしている。
罪は弟を殺したのだそうだが、よしやその弟が悪い奴で、それをどんな行きがかりになって殺したにせよ、人の情としていい心持ちはせぬはずである。
この色の蒼い痩せ男が、その人の情というものが全く欠けている程の、世にも稀な悪人であろうか。どうもそうは思われない。ひょっとして気でも狂っているのではあるまいか。
いやいや。それにしては何ひとつ辻褄の合わぬ言葉や挙動がない。この男はどうしたのだろう。
庄兵衛がためには、喜助(罪人の名)の態度が考えれば考えるほど分からなくなるのである。」

 そう思って護送役の庄兵衛は、罪人の喜助に次のような質問をするのである。

 「実はな、おれはさっきからお前の島へ往く心持ちが聞いてみたかったのだ。
おれは、これまでこの舟で大勢の人を島へ送った。それは随分いろいろな身の上の人だったが、どれもどれも島へ往くのを悲しがって、見送りに来て、一緒に舟に乗る親類のものと、夜どおし泣くに極まっていた。
それにお前の様子を見れば、どうも島へ往くのを苦にしてはいないようだ。一体、お前はどう思っているのだい。」

 この問いかけに対して罪人の喜助は、次のように答える。

 「ご親切におっしゃって下すって、ありがとうございます。
なるほど島へ往くということは外の人には悲しい事でございましょう。その心持ちはわたくしにも思い遣って見ることができます。しかしそれは世間で楽をしていた人だからでございます。
京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしのいたして参ったような苦しみは、どこへ参ってもなかろうと存じます。
お上の御慈悲で、命を助けて島へ遣って下さいます。島はよしやつらい所でも、鬼のすむ所ではございますまい。わたくしはこれまでどこといって自分のいてよい所というものがございませんでした。
こん度お上で島にいろと仰って下さいます。そのいろと仰る所に落ちついていることができますのが、まず何よりも有り難い事でございます。
それに私はこんなにかよわい体ではございますが、ついぞ病気をしたことはございませんから、島へ往ってから、どんなつらい仕事をしたって、体を痛めるようなことはあるまいと存じます。
それからこん度島へおやり下さるにつきまして、二百文の鳥目をいただきました。それをここに持っております。
お恥ずかしいことを申し上げなくてはなりませんが、私は今日まで、二百文というお足を、こうして懐に入れて持っていたことはございませぬ。
どこかで、仕事に取り付きたいと思って、仕事を尋ねて歩きまして、それが見つかり次第、骨を惜しまずに働きました。そして貰った銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませんなんだ。それも現金で物が買って食べられる時は、私の工面のいいときで、大抵は借りたものを返して、またあとを借りたのでございます。
それがお牢に入ってからは、仕事をせずに食べさせていただきます。私はそればかりでも、お上に対して済まない事をいたしているようでなりませぬ。それにお牢を出るときに、この二百文を戴きましたのでございます。
こうして相変わらずお上のものを食べていて見ますれば、この二百文は私が使わずに持っていることができます。
お足を自分のものにして持っているということは、私にとってはこれが始めでございます。
島へ往ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の本手にしようと楽んでおります」

 こういって罪人の喜助は口を噤むのである。
 この話の後に、体の弱さを苦にして自殺を図った弟が、死にきれずに苦しんでいるのを見てそれを手伝ってやった話が続くのである。

私には安楽死を扱う後半部よりも、この前半部分が非常におもしろく思われた。喜助は誰も怨んでいないのである。病弱だった弟を怨んではいないし、その弟が自殺しようとして死にきれなかったことを怨んでもいない。自分を罪人として牢屋に入れた「お上」を怨んでもいない。逆に自分のような罪人に飯をちゃんと運んでくれた「お上」に感謝さえしている。そして遠島の際の仕来りとして貰った二百文という銭を「有り難い」として大事に懐に入れている。
 自分の被った不幸を怨む人は多い。しかし人から受けたほんのわずかな恵みを感謝する人は少ない。このような心のあり方に、私はあらためて興味惹かれた。
 欲望だけが肥大していく近代文明の途上で、このような心のあり方が過去に存在したということを、鴎外は言い残しておきたかったのではなかろうか。



Click Here!教育の崩壊