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『NECO流 正統派エルゴノミクス講』
皆様ご機嫌よう。 お馴染みのNECOである。 皆様の毎度のご来場と主催者のご厚意に、心から感謝の意を表したい。 今回は道具としてのカメラに求められる『使い心地』について述べさせていただこうと思う。 いつもながら独断に満ちているが、ご勘弁を願いたい。 また偏見を排するため、私が所有または使用したことのある機種の範囲内でまとめるので、その世界はまことに狭いことを予め申し上げるとともに、数十年間基本的なフォルムを変えていないM型ライカは、このテーマから外させていただく。 因みに今回の主役は、京セラ製MF一眼レフの『コンタックス RX2』というカメラである 『エルゴノミクス(またはアーゴノミクス): 人間工学。人間の身体的・精神的機能や性質を研究し、それに適した機械や環境を設計し、開発する学問や考え方。(インターネット辞典より引用)』 このエルゴノミクスという言葉が独り歩きを始めたのは、そう古い話ではないと思う。 道具というものはその歴史と変遷の中で、その形の秀逸さが自然と備わってゆくものである。 たとえそれが新たに造り出される物であっても、他の何かにヒントを得ているはずなのだ。 毎度変わらないで出しで恥ずかしいが、ニコンユーザーの立場から申し上げてみたい。 私は現在フルオート機のF100と、マニュアル機のFM3Aを気分とシテュエイションで使い分けている。 以前にも書かせていただいたが、F100を持っていた私がわざわざFM3Aを購入したのは、第1期カメラ人生の頃から引きずっている郷愁によるところが大きい。 また同時発売された45mmのパンケーキレンズが、地味ながら新鮮であったことも影響は少なくない。 これを正当化するために『神のお告げ』と公言しているが、『本能』と言い換えても良い。 『手巻き式』といのは、やはり楽しいのだ。 絵に描いたようなアマチュアである私は『失敗も楽しみのうち』であるので、気分に合わせてボディーを選び、そのボディーに合わせてレンズを選び、冷蔵庫から出したフィルムはシャツの胸ポケットかなんかに入れて冷気を取る。 実にマイペースで、およそ計画性というものが無い。 そのような私が、予期せぬ出先での撮影状況で『このデザインポリシーは正しい』と感じたのが、『コンタックス RX2』である。 ちょっとした私的事情によりツアイスのレンズともども手放してしまったが、いずれ再会したいと思っている。 私がニコンF100に見出しているもっとも大きな功績は、F5からの流れでデザインされたボディースタイルが、その後に発売されたF80やuシリーズ、そして最新型のD70にまで踏襲されているという『事実』である。 それはボタンやダイヤルなどの『操作系』にまで至っており、多少の足し引きを除けば、基本的な使い勝手はほとんど変わらない。 この特徴は、ニコン同様にフラッグシップ機から普及機までをラインアップしている他社には見られない。 この点でニコンはここ10年程度は通用する、高性能カメラの正統なデザインを手に入れたのであろう。 また基本性能もほぼ頂点に達していると思っている。 測距点の数とファインダーの視認性のバランスもサチレーションしている(つまり測距点の数を無駄に増やすべきではない)と思うし、これ以上欲しいと思う仕掛けが思い付かないのである。 だから今の私にとってはニコンFM3Aこそが『必要かつ充分』なカメラであるとも言え、普段から持ち歩いてシャッターを切る頻度は、F100のそれを凌ぐようになってくるのである。 余談だが、Fマウントレンズを購入するときにGタイプを敬遠してしまうのは、このあたりにも原因があるように思う。 ニコンF100はしかし、やはり非常に良く出来たカメラである。 本や雑誌などの下馬評や、実際に使っている知人たちの意見を聞き及ぶにつけ、ニコンの現行AF機の測光性能やスピードライトの調光性能やズーム機構、あるいはコンティニュアスAFの被写体追尾性能などは、その昔から現代にワープしてきた私が評するに驚きの一言であり、時代が時代なら兵器である。 戦前は国策企業であった日本光学らしい『良い意味での真面目さ』がこのカメラのチューニングに現れているように感じられる。 私自身がこの2機種に共通して感心しているのは先にも述べた、『彼ら』のその極めて無駄の少ないデザインである。 F100もFM3Aも、その登場は華々しいものであったことは記憶に新しい。 F100は時代のトレンドの真っ只中に、最高のタイミングでデヴューしたのであり、他社の同格機を圧倒していた。 少なくとも金の匂いのする当時のカメラ批評を見れば、苦言を呈しながらも、実に上手く肯定で締めくくっている。 一方のFM3Aは、21世紀に登場した新設計のMF機であるのだから、それだけでも『金看板』を背負っていたのであるが、ニコンFMあるいはFE以降のデザインをほとんど変えなかったことが、特にある年齢層の購買欲を刺激したことは間違いなかろう。 実際このカメラの使用感は(シャッター音を除いて)完成の域に達していると思うし、正真正銘のハイブリッドシャッターを実現した真面目さには、感謝さえしている。 実に便利なのだ。 この思想をかつてのF3クラスのカメラに応用し、往年の横走りシャッターとスムースな感触の分割巻上げ式高級機にして発売して欲しい、と願う人は多いのではないだろうか。 さて、ここまでは現行のニコンカメラを例に取って、たわいのことをつらつらと書いてしまったが、ここで申し上げたいのは『性能』と『機能』とは、違うものであるという事なのだ。 私はその実、ニコンF100の『性能』をどこまで使っているのか、という疑問も持ち続けている。 高性能を使い切る『腕』の話ではない。 性能を活用するに足る機能性に欠けるのではないか、と言いたいのである。 もっと具体的に言えば、『モードダイヤル』とか『マルチファンクション』といったものに馴染めないのである。 『1機能1操作』は、カメラに限らずすべての利器の性能を左右する重要なファクターである。 カメラを始め、私が苦手とする携帯電話あるいはPDAなどは、操作を間違えたからと言って命に関わる事は先ず有るまいが、自動車に付いているスイッチ類が『マルチファンクション機構』だったら、気を取られたドライヴァーの寿命は保証されなくなってしまうのである。 例えが極端だが、つまるところ私のような者には『憶えられる機能の数』には限りがあり、それゆえ多機能カメラで旅行などに出かけるときには、『あんちょこ(カンペ)』が欠かせないのだ。 ニコンF4を愛用するする人が、未だ多い所以でも有ろう。 さて前置きが長くなってしまったが、私自身が最近『機能性が高く、使い心地の良いカメラ』に触れる機会があり、『こういう選択肢もある』と考えさせられたことを改めてご紹介したい。 冒頭で申し上げた『コンタックス RX2』というカメラである。 1972年以降のカールツアイス財団が『CONTAXブランド』の復活を日本で遂げようと、当時のヤシカにボディーの開発を依頼した話しは、良く知られるところである。 ヤシカは当時の仲間うちでも知らぬもの居ない有名メーカーであり、自社ブランドのレンズも沢山出していた。 そこへ持ってきてボディーのブランドはコンタックス、付けるレンズのブランドはカールツアイスとなるわけだから、ヤシカも大変であったろう。 私自身も外国人と商談をする時に、欧米諸国の特に技術者が会議に混じってくると、その商習慣の違いには驚かされる。 現在の様々な工業製品の『中身』をみても明らかなように、エレクトロニクスディヴァイスの分野での信頼性の高さは、日本が他国に一歩先んじている。 技術的一面では劣勢にあったカールツアイス財団が、日本の電子制御技術をもってカメラ分野での復活を目指したわけだが、その時ドイツ人は『お願いですから、日本の技術で何とかしてください』と言っただろうか。 私は『言わなかった』と思う。 財団側は、『ツアイスブランドをもってすれば、必ず成功するはずだ!』とプレゼンテーションで先制攻撃をしかけ、その後速やかに無理難題を挙げ連ね始めたのではないか。 果たして1975年に驚異的なスピードで開発された新生コンタックスボディー『RTS』は、しかし、ポルシェデザインチームによる美しいボディーラインとは裏腹に、トップカバーをはずすと『醜い配線の塊』だったらしい。 ヤシカの苦労を物語るに足る逸話である。 その後ヤシカは京セラの光学事業部として活動を続けることになるわけだが、OEM供給を受けたメカニカルシャッター機『S2およびS2b』を除いて、すべてが電子シャッター(呼称:電磁レリーズ)機である。 デヴュー作である『RTS』以降のスタイルやコンセプトの変遷は、数ある出版物をご覧いただきたいが、ツアイス側の『頑固さ』に泣かされ続けたことは想像に難くない。 初期の機種では『電磁レリーズの暴発』、すなわちレリーズボタンに微かに触っただけでシャッターが作動してしまう癖があったらしいが、最近の機種では『暴発癖』のことは耳にしなくなったので、ある時期に改善されたのであろう。 『シャッター鳴き』といわれる現象も有名だが、これも故障ではなく、専門家のメンテナンスを受けさせれば良いのである。 付け加えれば、他社のシャッターでも同様のことは起こっているのであろうが、それらはフィルム巻上げの音にかき消されてシャッターのみの音に気づかないのではないだろうか。 MFコンタックス一眼レフカメラの良き伝統ともいえるミラー跳ね上げ機構の発する音は、とても上品で響きが良い。 巻き上げのモーター音も静かで好ましく、人に迷惑をかけない配慮が感じられる。 ニコンuのシャッター音も静かだが、その音質はコンタックスを手本にした嫌がある。 キャノンEOS7の静音性も着眼点は好ましいが、音の品格ではコンタックスに道を譲る。 しかしこれは個人的な好みの域を出ない。 我が子の卒業式、友人の結婚式あるいは誰かの習い事の発表会などで一眼レフカメラを使いたいとき、使える機種は限られてくる。 最近の私の知る範囲では、礼儀を知るプロカメラマンはキャノンEOS5を使っていた。 私はニコンF100を自作の本皮製『減音袋』に入れて使う。 周囲のカメラマンや一般の人たちに、何が何でも『パチキ』(注)をかましたいとおっしゃる方の場合、ニコンF3やキャノンNewF−1など、往年のプロ機に高速型のモータードライヴを装着しておもむろに『唸らせる』ことに敵う方法はあるまいが、敢えてお勧めはしない。 (注)『パチキ』をかます: 関西地方南部で主に使われる俗語。 いきなり相手の鼻を目掛けて頭突きを仕掛け、予想外の強烈な痛さをもって一瞬にして敵の戦意を喪失させる喧嘩殺法。 ただしこの方法で喧嘩に勝利しても卑怯者呼ばわりされるのがおちなので、使用に際しては自尊心を捨てる覚悟を要する。 私はこれを奈良のひとに教わった。 静かにさり気なく写真を撮り、しかもある程度ファッショナブルに決めたい時には、MFコンタックスをお使いになってみてはいかがだろうか。 紆余曲折、試行錯誤を繰り返した歴代ボディーはどれも個性的である。 特に件の『RX2』を含む中級モデルは、まるで鎧を纏っているように外装が頑丈である。 上下のカヴァーは真鍮(しんちゅう)なので、仮に何かにぶつけたとしても、自らが潰れてくれることでショックが吸収されるし、メインシャーシーは信頼性の高い鋳造アルミニウムなので軽い上にねじれが少ない。 これぞ日本を始めとする工業先進国のお家芸である。 破戒を承知で申し上げれば、この『設計思想』は正しくM型ライカのそれであり、ニコンFM3Aもまたそのように造られている。 金属の加工技術がここまで進んだ今、ニコンF100やキャノンEOS1に代表される『マグネシウム成型ボディー』に異論は唱えないが、重くてよければやはり真鍮を使うべきだし、軽さと信頼性を真に求めるならチタンに敵うものは、今のところ存在しないのである。 このように、見えない部分に息づくポリシーが『エルゴノミクスのあるべき姿』を、人の五感を通して訴えてくることもあるのである。 MFコンタックスの中古価格は、状態や機種などに贅沢を言わなければ、レンズ共々非常にリーズナブルである。 ただし京セラは販売台数が他社ほど多くないので、あまり古い機種は故障時に部品が入手できないというリスクが高いらしい。 『ここ10年以内に発売されたモデルを選ぶのがコツだよ』と某中古カメラ店の賢人がこっそり教えてくれた。 後日発表予定の回でも触れる予定だが、どうしてもカールツアイスレンズを使ってみたかった私は、前記のようなアドヴァイスも受けていたので、京セラのMF機では最も新しい『コンタックス RX2』を新品で購入した。 現行品には最高級機の『RTS3』もあるのだが、高価である上に重過ぎてスナップ向きでない。 『Aria』も検討したが、私のイメージからするとボディー重量が足りなかった。 『RX2』はちょうどこれらの中間に位置する機種である。 『コンタックス RX2』は2002年の暮れに発売された、京セラとしては久しぶりの新製品だったのだが、写真関連各誌の取り上げ方は、あまりにも閑散としたものであった。 その筈である。 取り立てて書くべき特徴というものが、ものの見事に何も無いのだ。 性能面だけ見ると、前身にあたる『コンタクス RX』というモデルは『高性能フォーカスエイド(DFI)』を搭載し話題にもなったが、このRX2は先輩のRXからこのメカニズムを取り去っただけなのである。 しかし私はこのカメラに『正統派エルゴノミクス』をみたのだ。 最高シャッター速度4000分の1、ストロボシンクロ125分の1以下、連写最高速度2.5枚/秒、 縦位置レリーズなどのアクセサリーは無い。 この『表面的性能』の割に、価格は決して安くない。 電池を入れたボディー重量は約900グラム。 レンズをつければ確実に1キログラムを超える。 だがしかし。 嘘偽り無く手抜きの無い『大型ペンタプリズム』は明るい上に透明感に富み、これこそマニュアルフォーカシングの楽しさであった事を思い出させてくれる。 一瞬頼りなさを感ずる右手でのホールディング感は、実は縦位置に構えた時に脇が締まるように出来ている。 この結果、ストロボ禁止の博物館の薄暗いライトの元でもツアイスを楽しむ事ができるのだ。 この画像は、原版のスキャニングとその後のデジタル処理で、かなり明度を高めて見やすくしたものであるが、オリジナル(ISO100のポジ)は『黄昏時』のような暗褐色調である。 その暗さの中においても、ピントを正確に合わせることが出来、ご覧になってお判りだろうが被写界深度を稼いだ結果としてシャッタースピードがスポイルされても、良好なホールディング感と少ない振動のお陰で手ブレが極めて少ないことが見て取れる。 レンズシステムとのバランスを考慮した一眼レフボディーとしては、『秀逸』である。 『良き道具の在り方』や『正しい機能美』を再考するチャンスは、この先そう多くは訪れないような気がする。 しかし一方で『履き違いによる行き過ぎたエルゴノミクス』が淘汰されるのは、その『歴史的変遷』と、『自らの作品の出来』が証明してくれるのだ。 締めくくりとして、ルートヴィッヒ・ベルテレに敬意を表し、ツアイスのゾナーで撮影した『NECOの肖像』をご覧いただきたい。 ではまた次回お会いいたしましょう。 2004年6月上旬 |