このページは、メル友のNECOさんのご協力によって作成されたページです。

『年の初めの願い事』
私の名は『NECO』である。
『NEOさんち(家)』の居候だ。
途中からのお目見えであったが、昨年は色々な方にお読みいただき幸せであった。
この章を借りて、心からお礼を申し上げたい。

思えば家主のNEOさんにも教えられることが多かった。
ニコンF100の章で書かせていただいた、手ぶれ補正レンズのごとき『未知なるモノ』についての、氏の経験談やアドバイスが役に立ったことは申し上げるまでもない。
その膨大なバックナンバーについても同様である。
しかし言外に、いや具体的に言えば氏とのメールのやり取りを通して考えさせられ、またそれを実行してみて我が身を振り返る事こそが、私にとっての『発見』であった。
思えばカメラにまつわる何かを探して『サーフィン』をしていた時、偶然『カメラが趣味だ〜!!』に出会い、読み進むうちにメールをお送りしていた。
すぐに返事をいただけるので、事あるごとに何かを相談させていただいていた。
付け加えるなら、これほどストレートなWebの表題は見た事が無い。

私は仕事の都合上、小論文を書く事がある。
偉そうにするつもりは全く無いが、実は他の人に読んでいただくための文章を作成するには、それ相応の勉強をしなくてはならない。
ここで言う勉強とは、必ずしも苦しいものではない。
むしろ楽しいことだったりもする。
しかし、最小限の努力すら怠って嘘を書けば、必ずそれが嘘であることが不思議なことに書いているそばから、その文章に現れてしまうのだ。
オリジナリティーを感じさせないものも、私に言わせれば嘘つきである。
そのことは、刊行物やインターネット上に氾濫する幾つかの表現物を『拾い読み』するだけでも、顕著に見えてくる。
読んでいるこちらが恥ずかしくなってくるのだ。
だから私は、多少大袈裟に表現をすることはあっても、誓って嘘は書かない。

お陰さまで、私はこの信条を、『NECOさんの読み物』においても貫くことが出来ている。

話は変わるが、パーソナルな場で私が『ライカを特別視する内容』のメールをNEOさんにお送りしたことが何度かある。
いただいた返事には『ライカはそういう物ではない』旨が書かれていた。
『写真をとる道具に普通も特別も無い』事を伝えたかったのだと、私は信じている。
あるいは『良いものは良いのだ』なのかも知れない。
事実私の知識や経験はこの件について、非常に偏っていたのだ。
要らぬ勉強のし過ぎだったかもしれない。
ひとつ賢くなったような気がする。

『我流 中古論 1』では拙くも実体験に基づく『バックナンバー集め』を、散文的に書かせていただいた。
私の部屋は改めて見回すと、夢中で集めた『古本』でいっぱいになっている。
これによって、如何に私が『新参者』であるかが、ばれてしまった。
そのことがまた、楽しいのである。

続編においては、諸先輩方を差し置いて『中古カメラ店』についてタイプアップ中で、また読んでいただきたいと思っている。
このテーマにおいて『勉強』とは、すなわち『中古カメラ店巡り』となる。
とてもではないが私の住む『せまい東京』においてですら、そのすべてを調べ尽くすことは不可能である。
だから非常に『主観』が混じってしまう。
まして全国などをや、である。
だがそれでも出来る限り思い込みを捨て、『主観』を『客観』に近づけたいと思っている。

年末にかけての『中古屋通い』ではそれまでの探索活動に加え、未だ冷やかしではあるが、『あそこにあるM6、ちょっと見せてもらえませんか?』とお店の人にお願いをしていた。
先日あるお店でこの手の『おねだり』をしたら、『どれにします?』と逆に聞かれ、思わず『そこの黒いやつ』と答えたら、少しだけ苦笑いをされてしまった。
どうやらファインダーの倍率や、覗いてみたいレンズの名前を伝えるべきだったようだ。
レンズのついていないM6TTLは、それでもキレの良いシャッター音を聞かせてくれた。
握り心地はFM3Aに似ていた。

先達て、Webを開設しそれを維持する事の面白さと、それに並行して発生するある種の『被害』について学ぶ機会があった。
不可抗力的に流れ出してしまう『情報』を悪用するけしからぬ者達も、多く居ると言う。
継続とはやはり、大変なことなのだ。
堪え性のない私には、居候が気楽で良い。
こんな私に表現の場を与えてくれるNEOさんと、これを読んでくださる皆様の『楽しいカメラ人生』が、いつまでも続きますように。

  2004年 正月   筆者:NECOさん