このページは、メル友のNECOさんのご協力によって作成されたページです。

『我流・中古論 Ⅰ』
—情報収集の手段 古本に学ぶカメラ—


 私の名はNECOである。
『NEOさんち(家)』の居候だ。
同氏のWEBに私のコーナーを作ってもらったのをいいことに、好き勝手を書かせていただいているその上に、誤字の修正まで面倒を見ていただいている。
そんな私の拙い文章にも、大変有り難いことに興味を示してくださる方がいらっしゃると聞くに及び、調子に乗って第3弾を起草した。
懲りずにお付き合いのうえ、出来ればまたご意見ご感想などをお聞かせいただけないものだろうか。


突然だが『中古』という言葉で、皆さんは何を連想されるだろう。
このページをご覧になっている方々に、野暮は申し上げるまい。
ここで著すべきは、数多あるジャンルの中でもやはり『カメラ』についてであるべきだ、と思う。
ただ私の場合、もうひとつ欠かせないものがあるのだ。
中古の本、つまり『古本』である。


私は愛車(自転車)を駆り、私の住む街の『古本屋巡り』をするのが好きで、小一時間のつもりが半日になる事もある。

いきなり話しが逸れるようで恐縮だが、
二昔ほど前までの古本屋には、無口で偏屈ではあるけれど、実はインテリで気のいい親父(つまり店主)が店の奥に座っているのがお決まりであった。
親父は大概、鼻の先に引っ掛けた眼鏡の、レンズではなくその少し上の『隙間』から客の様子を見て『値踏み』をしている。
そして目と目が合う正に直前に視線を逸らし、それまで読んでいた小説かなんかの世界に戻っていくのだ。
店内は一件整理整頓されているように見えるが、親父の座っている帳場の奥には棚に並ぶのを待っている本が山積になっていて、それでもこちらが、探している本のタイトルや著者を伝えるだけで、『あんたが見ているその上の棚の、一寸左の方』などと教えてくれるし、気が向くと(おそらく客の発する『買いのオーラ』が見えた時)、帳場から腰を上げ品物を引っ張り出してきてくれる。
そして親父はその本の在り処だけでなく、自らがつけたその値段をもおおよそ記憶しているのだ。
一見商売っ気などなさそうな親父だが、本の世界のことは実に何でも良く知っていて、珍品や絶版本などにはちゃんと高い値を付けている。
この辺りが『街の中古カメラ屋』にそっくりである。
また、そういう『値打ちモノ』を目当てにやってくる者もあり、多くの場合この手の客が、親父の数少ない話し相手であったりする。
我が家の近くにあるこの手の古本屋が、近々店を閉めるらしい。
とても残念である。

話を本題に戻そう。
皆さんは、私が古本屋に行く目的は何だと思われるだろうか。
答える義理は無い、などとつれない事をおっしゃらないでいただきたい。
実は図書館で借り続けてなお諦めきれない本の『出物』や、カメラ雑誌のバックナンバーを探しにいっているのだ。
好きな写真家の写真集や著書が数百円で手に入った時などは、特にうれしい。
当時も今も『金策には苦労している』ことがうまく伝わるだろうか。

雑誌のバックナンバーは、というと、
こいつは『教科書としてべらぼうに安価』であると同時に、時として『かつての』もしくは『現在の』我が愛機の知られざる姿やエピソードを教えてくれる。
例えばこうだ。
1996年に出版された本(著者はカメラの世界では相当な有名人)の中で、ある一眼レフカメラの紹介のくだりを引用させていただくと、
『—前段略—(このカメラの)シャッターは最高速度1/6000秒のユニットが採用されているが、シャッターダイヤルは1/4000秒までしかない。—中段略— 普通だと1/8000秒という嘘つき表示をする事が多いが、シャッターダイヤルを1/4000秒でとめているところが(このメーカーの)「良心」なのだ。』
とある。

良否の判断は賢明な皆さんにお任せするが、当時のカメラ雑誌(即ち5〜7年前辺りのバックナンバー)の『テストレポート』を探し求めてみると、これが真実である事が判明する。
ここで言う『このメーカー』はヨーロッパにその端を発しており、一方1/8000と書いてしまったのは代表的な日本のメーカーだ。
そして恐らくシャッターユニットは同一メーカーの物だろう。

少しくどくなるが、私にとっておよそ通常の撮影では、シャッター速度は1/2000秒もあれば事足りてしまう。
そういった観点で自分のカメラの表示性能を見ると、1/8000秒などは見栄と気休めになってしまう訳で、言い方を変えれば『数千分のなんぼ』に何の意味があるのか、と聞かれれば『さあ?・・・』と答えるしかない。


しかし、である。
高額な対価を支払ってまで、自分の気に入ったカメラやレンズを手に入れるということは、それらをこしらえた人達の精神に感動し、そしてそれに感謝する事だって含まれているのだ。
ライカの繁栄は何を物語るのか。
かのオスカー・バルナックですら、エンジニアというより『職人さん』だったそうである。
ヨーロッパの歴史に培われてきた『マイスターのプライド』と『クラフトマンシップ』が、古本を通して見えてくるのだ。

『こじつけ』が過ぎただろうか。
私は今のところ舶来モノを持っていないが、こういった『歴然』が『現在の私の購買計画』に影響を及ぼしている事は、我ながら面白い現象だと思う。


『撮影技術』だとか季節ごとの『被写体の選び方』、時には『ポートレイトの極意』などという雑誌のサブタイトルをよく目にするが、これは(当たり前の事だが)『毎年の使い回し』なのだから、1年前だろうが10年前だろうが書いてあることは概ね同じである。
主体性の無い私は、毎月20日辺りになるといわゆる普通の本屋に行ってから、場当たりでその月に読む雑誌を決める。
だから私にとってせっかく買った最新号が、中古カメラの相場表に終わってしまう事が多い。
でもなんとなく『どれか』を買ってしまう。
ただ古本には古本の『味』がある。
100円か200円で買った5年前の同誌の方が、はるかに面白かったりする。
結果として散財は増えているわけで、どちらか一方にすればいいのだが。
カメラ同様、本も奥が深いのである。

この様にして、結局は次なる『お宝』に思いを馳せる。
このことに尽きるのである。

  2003年 年の瀬   筆者:NECOさん