戦前 運動会の種目の一環として仮装行列があった
昭和21 物資不足のなか仮装行列復活
学生・教授もくわわり、広小路、須田町、日本橋、高島屋、八重洲口を練り歩いた
昭和30 仮装行列のなかの御輿が注目され始める。このころはスポンサーつきでいまより凝っていて規模が大きかった
昭和未明 3人の仮装して踊っていた学生にたいまつの非が燃え移ってオオヤケドになる。以後パレードでの火気厳禁になった。
パレードの前にマラソン大会があった
パレードの主なイベントが喧嘩御輿になった
ピアノ科の学生が喧嘩御輿の最中に指を破損し、音楽化生命をたたれる。以来喧嘩御輿はとりやめになる。各御輿が制限時間内にパフォーマンスをすることになる。
1978 パレード中のイベントに力を注ぎ、体育館での事前練習などがあった
1980s 仮装パレードの意識がうすれ、仮装は自由となる。以来見越しパレードとなる。当時は大きさなど、警察からうるさくいわれなかった
1985 パレード前のマラソン大会はとりやめになり、見越しパレードがオープニングイベント的存在に。喧嘩沙汰が平凡パンチにのる。大きさの規定が厳しく、違反のものは切り落とされた。
1986 この年の御輿は派手に暴れ、問題に。
1987 ↑のせいで警察の反応が厳しく。
1988 パレード中にイベント中止になる。警察で、非常に暴力的なイベントとして問題に。来年のパレードの許可はできない、と自粛勧告がだされる。
1989 警察との話し合いで学生らによるパネルディスカッションもまじえ、パレードは私達の自覚に負かされる事で許可されることのなる。喧嘩もなくパレードも無事おこなわれた。
1990 喧嘩は起きなかったが御輿をまわす、上に乗る、飲酒、等の危険な行為がみられ、問題に。警察の反応が依然厳しく、なかなか信用を取り戻せなかった
1991 台風でパレード中止
1992 問題なかったので警察の信用も少しだが取り戻せた。
1997 上野公園での学生のマナーの悪さにより規模縮小される。
1998 上野商店街の要請で御輿を商店街で飾る事に。
1998 御輿が好評。東京都現代美術館にお買い上げとなる!(デザ、日)
2002 神田祭に御輿4基が参加。(工芸、デザ、日、建)
御輿の歴史