03.10.14 枕草子序説

 『枕草子』が清少納言の作品であることは間違いない。また、日本における三大随筆として中学、高校などでよく扱われる作品でもある。
 しかし、じっさいの読みが「まくらのそうし」ではなく「まくらそうし」であるということはあまり知られていない。古写本を見る限り「の」を入れる必要はないという。ちなみに「枕」というタイトルは跋文に清少納言が、何を書くかと問われて「枕にこそは侍らめ」と述べていることによる。この「枕」には諸説あるが、現在のところもっとも蓋然性が高いと考えられているのは「歌まくら」の「まくら」であるという考え方である。当時宮廷では歌論議が男性官人の中で流行しており、『古今和歌六帖』や『能因歌枕』など、さまざまなマニュアル本というような位置づけの本が作られていた。そういうものを見た清少納言が試みた作品だということである。いわゆる「もの・は」章段から書き始め、その叙述の中で自らの考えを述べていこうとする「随想的章段」が派生したと考えられる。すると「日記的章段」はまた別の観点から書かれたものと考えていいだろう。日記的章段を書くにあたって女流日記が意識の内にあったことは間違いなく、中宮定子の周辺を礼讃しようという意図が明らかであるといえる。
 「もの・は章段」というのは〜は、〜もの、という書き出しで始まっている章段のことをさしている。これらの章段で清少納言が意図しているのは、一つの題材のなかでこういうものが「をかし」だということであろう。ひとつの題材に関してはこれがいい、あれがいい、と述べていくところに特色があり、歌まくらの構成に似ているが、一方で歌の題材にはならないような題材まで取り上げていて、随想的章段と繋がっている。
 「日記的章段」というのは基本的に清少納言の実体験に基づいての章段である。基本的にはその体験などは中宮定子に出仕してからのことにかかわっていて、清少納言は事実を書き残そうと考えたわけではなく、中宮定子の周辺を讃える意図を見出せる。
 「随想的章段」は前に挙げた二つの章段には収まりきらない章段ということができる。「もの・は」章段との違いは、一つの題材に対してじっくりと自らの意見を述べようとするか否かであると考えられる。

《研究課題》
 清少納言の『枕草子』には以上のような三つの章段の区別がある。これを踏まえて勉強をを進めることができよう。
「もの・は章段」において考えられるのは、清少納言が取り上げる素材について、他の歌まくらと比べるという方法である。その題材についてどんなものがあるのかを調べ進んでいくことは興味深い。
「日記的章段」からは事実と『枕草子』の記述の違いを調べていく方法が考えられる。また、最終的にはその積み重ねによる清少納言の「中関白家」への感情をさぐることもできるだろう。