先生の講演「源氏物語にみる子育て」

 3月29日、関内で講演会があった。もう1ヶ月も経つが、記憶を辿って書いてみることにする。

 その日わたしは携帯を忘れていた。
 そして、わたしは某○応義塾大学にサークルのため行かなければならなかった。○応義塾大学は日吉にある。幸い、東横線で桜木町まで行けば関内は隣の駅だ。わたしはたかをくくっていた。間に合う。
 しかし甘かった。サークルを甘く見ていた。いや、わたしの見通しが一番甘かった。
 その日、○応義塾では「たまりとり」という行事が開催されていた。サークルの場所=たまり場を確保する、それが「たまりとり」である。それは○応義塾側二年生が中心となって行うもので、女子でしかも3年になったわたしは行かなくてもいい行事だ。そう外部の人は思うだろう。だが、期待されているのだ。
 差し入れを。
 そういうわけでわたしはその日神田精養軒のクレームパフを大量に日吉に持っていった。そして、大貧民に参加してしまったのである。誰もが知っているトランプゲーム、大貧民。わがサークルは毎年この時期大貧民をやっている。一旦参加すると抜けるのが至難の業であるというのが特徴だ。

 おかげさまで、日吉の駅に着いたときには既に遅刻確定だった。しかも、関内では会場に行くまでに迷った。駅の目の前にあったにもかかわらず。

 やっとのことで席につくことができた。開演20分前。意外と余裕だった。そこで、後ろのほうに座っていた和服姿のお姉さまに声をかけることにした。彼女はわたしの源氏友達(よくわからない呼称だと我ながら思う)で、お名前を「みのり」さんという。ここからリンクも貼っているので、もしよかったら見に行ってほしい。この講演会の感想もアップしてある。多分わたしより詳しい。建設会社の方で、個人的に論文でもお世話になりそうな予感。

 ここまで書いて、やっと先生のお話の内容に辿り着いた。しかし、困ったことに随分前なのでディテールを忘れてしまった。なので、わたしのノートを抜き書きする、ということで許してほしい。
 先生のお話は大きく分けて5つのパートに分かれる。レジュメは2枚。すべて本文の抜粋である。本が何かは書いていないのでわからないが、見た感じは前半3パートが「源氏物語の解釈と鑑賞の研究」で、後半2パートは「新潮古典文学集成」じゃないかと思う。

 ☆受験勉強と大学入学
・平安時代の大学→大学寮一つ 二条城東南にある碑から南側に広がっていた
・文章道400人、算道30人。貧乏でパッとしないため読者にとっては意外性がある。
・五位からが殿上人となる。いきなり四位にすることもできるが、源氏は躊躇する。役人になるのは控えさせることにした。
・源氏は幼い頃から何かと政略的なことにかかわってきた。聖徳太子の伝記になぞらえられている。
・源氏が大宮に教育観を述べるところがあるが、そこでの自己評価は謙遜が入っている。
・頼りない育ちをしたものがおちぶれる例は『栄華物語』などにある 例外に藤原伊周がいる。
・「曹司」のもともとは、子弟が家を構える前に親の家を間借りしている、その部屋のこと。身分が高いと「御」がつく。そこから「御曹司」という言葉が発生
・大江匡房は四〜五月で史記を読み終えた。夕霧も同じようなもので、あながち荒唐無稽なスピードではないが、やはり天才的
・夕霧が大学寮で学ぶことはなかったろうが、学閥的な人脈が構成されるという点でやはり「大学」に入ることは有利に働く

 ☆后がね教育 成功と失敗
・女の子を明石で産ませたことは失敗だった→五畿内ではないから
・明石の君は二条東の院に入らなかった→二條院に比べて格の違いがあるからと考えられる
・源氏は桐壺院の関係から乳母を見つけるが、それは源氏のもつ人脈はやはり桐壺院関係が信頼できるものだったのだろう
・明石の姫君の乳母は桐壺院の宣旨の娘。殿上人ランクと結婚したのだろう。損得勘定があまりない人と考えられる
・夕顔の乳母など(玉鬘にずっと仕えてきた)に見られるように、良い家の乳母は本当に忠義である
・玉鬘の乳母をつけなければならなかったのは頭中将だが、夕顔の父が選んだ→頭中将は父としての責任が欠落していた
・いかがわしい育ちをした子どもを高貴な人々は受け入れない。近江の君を受け入れたのは軽率
・玉鬘を見つけて、源氏は実子が見つかったように言っている→紫の上も勘違いしていたのでは?

 ☆養女合格判定
・玉鬘は養女として合格なのか確かめるのに手紙を送る→教養の程度は手紙で分かる。末摘花の経験で源氏はこりている
・右近が九条へ赴く。九条は今の東寺のあたり。そういえば旅行で九条を通ったとき玉鬘の話をした
・玉鬘は唐の紙で返事をしたためる。どこで手に入れた?→大宰府辺りからずっと持ってきたのか、あるいは右近が持ってきたのか
・手は末摘花と反対?で上品ではあった。うまくはない
・手が上手くないのはあまり瑕にならない→かすれがちなのがよかったから。
・養女の引き取り方・扱い方ともに頭中将側は多少そそっかしい
・玉鬘は源氏にセクハラはされるが、社会的に恥はかかさない

 ☆特訓の成果
・女三の宮に琴の琴の指導をするところ
・幼いときからやってきたものくらいはうまくなっているだろう→朱雀院のそういう思惑とは裏腹だった
・女三の宮も特訓すればそれなりにモノになる。あながち愚かなばかりではない
・「対」にいる紫の上。それは必ずしも紫の上の格をおとすこととはいえない
・琴は季節によって違ってくるものなので、教育手腕が問われる

 ☆親 三態
 明石の姫君が子どもを生んだとき、東宮は「早くもどれ」としきりに催促をする。それに対して
・紫の上→もっともなことだ、東宮は待ち遠しく思っているだろう たてまえが先に立つ
・明石の御方→大変だったのだからもう少し養生してから 姫君の体を思いやる
・源氏→やつれたままお目通りするのがいいのだ 親というよりもむしろ男の目
・明石の御方は社会的には表に出てこない。紫の上はそれを心得て入内の折に女房の頭として明石を出した

 ノートからは分かりにくいと思うが、本文に即してお話が進んでいったので非常にわかりやすかった。一時間半という時間だったのだが、とても短いような気がした。

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