1998 | 11 | 4 | 外来。血液検査、検尿、ガンマグロブリンの点滴。問題ナシ。
そろそろ移植後300日が経とうとしているので定例の骨髄液検査(マルク)を来週11日の午後に予定する。
肺の調子は相変わらずだが悪化してはいないようだ。 来週9日に行う肺血流シンチグラフィという検査で何か分かればいいのだが。 次の外来は11/9。 |
9 | 外来。肺血流シンチグラフィ検査。
肺の血管にに集まる成分という注射をしてから検査台に横になる。
胸の正面、右横、背中、左横と検査は続く。全て終えるのに20分程度。
3月頃行った安静時心筋シンチグラフィの検査とそっくり。
結果はあさって11日の外来で。 次の外来は11/11。 |
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11 | 外来。 まず呼吸器科の先生の診察を受る。9日に行った肺血流シンチグラフィの結果について説明を受ける。 左の肺は正常だが、右の肺に血流の悪いところが見られる。 これは循環器科の専門だそうでその専門医を紹介され、 その診察を受ける前に心臓のエコー検査と心電図の検査を行う。 そして診察結果だが、肺塞栓または肺梗塞という疾患だそうだ。 これは体内のどこかで凝固した静脈血が肺の血管に詰まり、肺の血流を悪くしているというもの。 治療としては抗凝固剤のワーファリンという薬を服用するのが良いそうだが、 本来血液に含まれている血を流れ易くする成分(プロテインCやプロテインSというもの) が十分造られているかどうか検査する必要があるとのこと。 まれにこの成分を造る機能を失っていることが見られるそうで、その場合また治療法が異なるそうだ。 ということで再度採血し、その結果を18日に待つことになる。 要するに本格的な治療は下調べを終えた来週からということ。 エコーや心電図の検査を行った理由は、 肺の血流が悪くなるとそれだけ心臓に負担がかかる(特に右心室・右心房) のでその様子を見るためだそうだ。 幸い心臓に異常は見られなかった。 心臓の検査や診察の合間にいつも通り、血液検査、検尿、ガンマグロブリンの点滴を終え、結果異常なし。 午後3時から予定していた骨髄穿刺(マルク)を行う。 移植後300日目を目安に行われた定期的な検査で結果異常なし。 今日は一日中検査や診察で少々疲れた。しかし、換気障害の根本的な原因がつかめたし、 来週からはその治療が始まる。 それに本来の病気、白血病に関わる検査(マルク)でも異常がなかったわけだし、 少々遅れたが着実にいい方向に向かっている感触を感じた。 次の外来は11/18。 |
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16 Day300 |
移植後300日目。 | ||
18 | 外来。血液検査、検尿、ガンマグロブリンの点滴。問題ナシ。
今日も循環器科の先生の診察を受ける。 先週行った下調べの結果(プロテインCやSが活性かどうか)がまだ届いていないそうで、 予定していたワーファリンによる治療に踏み切れない。 さらに肺梗塞であるかどうか確定するために造影剤(レントゲンに写る薬品) 投与後のCTスキャンを行うことになる。 これで以前行ったCTより明確に血液の詰まり具合が分かるそうな。 ワーファリンによる治療はこの検査結果を見てからとのこと。 しかぁし、このCTを行うのがなんと12月1日予定 !?。 これまで何度となく検査しては中途半端な答えばかりで、私も憤慨する。 処置が遅すぎる、以前のCTの時なぜ造影剤を使わなかったのかなどとゴネるが、 その時は肺梗塞だとは思わなかった、予測出来なかった、 肺血流シンチグラフィを行って初めてその疑いに気付いたという答え。 病状が悪化していないからいいようなものの、下調べに時間をとりすぎ。 ちょっと先生達の診断に不信感が湧く。 次の外来は11/25。 |
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20 | おとといの診断が不満で別の国立病院に行く。
循環器専門医にこれまでの経過を話し今後について相談する。
白血病のことと肺梗塞のことを別々の病院で並行するのは、
医者同士のコミュニケーションがとりにくく、お薦めできないとのこと。
造影剤を用いたCTだけでも国立病院の方で早く行えないかと相談したが、
こちらの病院でも12月に入ってからになると言われ断念。 結局、何も進展しなかったが、専門の第三者の意見が聞けて良かったように思う。 おとなしく12月のCTの結果を待つことにする。 |
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25 | 外来。血液検査、検尿、ガンマグロブリンの点滴。問題ナシ。
明日から血液抗凝固剤ワーファリンの服用が始まる。服用する薬をまとめると以下の通り。
次の外来は12/1。 |
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12 | 1 | 午後3時より外来。造影剤投与を伴うCTスキャンを行う。15分程度で終了。
造影剤の副作用(発疹、発熱、気分不良など)もないようだ。 次の外来は12/2。 |
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2 | 外来。まず循環器科の先生の診察を受ける。昨日行った造影剤投与後のCTスキャンの結果、
肺の血管を詰まらせている様子はないそうだ。
それでも症状は以前と変わらないことを訴え、その場で血液ガス検査を行う。
結果は以下の通り。矢印左側が以前10/21に行った結果で右側が今回のもの。
( )内は正常とされる値。
相変わらず酸素圧が低く症状が変わっていないことが分かる。 二酸化炭素圧が上昇しているのでむしろ悪くなっているのかもしれないとのこと。 これらの検査の結果、消去法で考えると肺梗塞の疑いが高いが、病名は確定出来ないそうな。 今後原因を追究するのであれば大学病院に頼むしかなく、長期入院は覚悟した方がいいと言われる。 その後主治医の診察を受けたが、循環器科の先生とは見解が異なり、 移植後にまれにみられる後遺症状だろうとのことで、 引き続きワーファリンを服用して様子をみてはどうかとのこと。 詳しく言うと、移植後血管の内壁にダメージを受け、臓器の血流が悪くなることがあるそうだ。 それも肝臓の血流が悪くなる例はまれに見られるものの、肺にその症状が出るのは極々まれ。 (本当に珍しいらしいんだそうで) その確認として来週、血管内壁にダメージが出ているかどうか調べる血液検査を行う予定となる。 病院外部の検査機関に出すため結果は来々週くらいになる。 また大学病院への精密検査はお薦めできないとのこと。 大学病院ということろはそのメンツのため原因追究を徹底的に行うそうで、 間違いなく予想以上の長期入院になるだろうというのがその理由。 なお毎週行われる血液検査、検尿、ヴェノグロブリンの点滴は無事終了し異常なし。 次の外来は12/9。 |
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5 | 以前から進めていた社会復帰の予定が現実味を増してきた。 上司からの連絡では来年1月5日から出勤予定。 ただし、11日に行う会社の産業医との面談でOKをもらわなければならない。 | ||
9 | 外来。血液検査、検尿、ガンマグロブリンの点滴。問題なし。
血液抗凝固剤ワーファリンが効いているかどうかを示すトロンボテスト値は19%。
この値が低ければ低いほどワーファリンが効いていて血液が固まりにくい状態。
普通この治療では10〜20%に保つそうだ。
肺の調子は相変わらずだが悪化してはいないようだ。引き続きワーファリンを服用し様子をみる。
次の外来は12/16。 |
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11 | 久しぶりに出社。会社の人達に挨拶してまわる。午後からは産業医との面接。
残業や宿直勤務など幾つかの禁止項目を踏まえた上で、机上の仕事に限り復職が認められた。
正式には1月5日からの出勤となる。 これで長かった療養生活は終わる。しかし闘病生活は続くのじゃ。安心はならぬ。 |
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16 | 外来。血液検査、検尿、ガンマグロブリンの点滴。問題なし。
血液抗凝固剤ワーファリンが効いているかどうかを示すトロンボテスト値は25%。
服用する量が少なかったそうで今週から(月)(水)(金)は3錠、(日)(火)(木)(土)は3.5錠の服用に変わる。
また血管内壁にダメージが出ているかどうか調べる血液検査の結果が出る。
トロンボモジュリンという値で私は2.5で基準値は4.0以下。
ということで血管内壁にも異常がないだろうとのこと。
肺の調子は相変わらずで引き続きワーファリンを服用し様子を見る。
次の外来は23日(水)が休日なので12/21。 |
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17 | パンパカパーン!今日は忘れもしない12月17日。2年前の今日、白血病の告知を受ける。 告知2周年を祝って?乾杯! | ||
21 | 外来。血液検査、ガンマグロブリンの点滴。問題なし。
次の外来は12/22。 |
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22 | 外来。循環器の先生の診察を受ける。トロンボテストの結果21%でちょっと高めとでるが
このままの処方でいくそうだ。とりあえず転院するので一ヶ月分のワーファリンを処方してもらう。
来年からは名古屋の病院にお世話になるのでこれで循環器の先生とはお別れだ。 肺が悪い原因がつかめなかった頃不信感を抱いたが、今考えると、 医者のようにプライドを要する人が分からないことを素直に分からないと言えるのは素晴らしいと思う。 主治医や呼吸器の先生を含めこの人達は正しい医者だと実感した。 次の外来は12/28。 |
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28 | 外来。血液検査のみ、結果問題なし。
これで主治医の先生ともお別れだ。再発し絶望感に打ちひしがれて転院してきた時、
この先生の楽天さは大いに救いとなった。ひょっとして助かるのかも?って思えた。
医者はその仕事上シリアスになりがちだが、明るさも大事だと思う。
私はこの人に命を救われたことを一生忘れない。 |
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1999 | 1 | 5 | 今日からめでたく復職!久しぶりの職場で緊張の連続。 巨人の桑田ではないが自分のデスクに手を置き帰ってきた喜びを噛みしめる。 とりあえず無事一日が終わった。千里の道も一歩からじゃ。 |
8 | 今年初めての外来。当然病院も職場のある中部地方に変わる。
まず血液内科の先生に診察を受ける。以前の主治医の紹介状について幾つも質問を受ける。
血液検査、検尿、胸のレントゲン検査を行うが結果は次の外来1/22で。
次に循環器の先生の診察を受ける。 今まで原因不明の肺塞栓だったがこの病院では移植患者の後遺症として珍しくないそうだ。 とはいっても年に2、3人の発症頻度だが。 今日はワーファリンが効いているかどうかトロンボテストのみで終わるが、 1/22には心臓のエコー検査、心臓シンチ、1/27には胸部CTを行う予定となる。 循環器の診察は全ての結果が出た後の2/5。 紹介状があるとはいえ、全くの初診だったので待ち時間が長く丸1日かかってしまった。 ちょっとお疲れ。 |
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11 | 出社するが午後から体が怠く咳こむ。体温を測ったところ38.2度。 自宅で療養するもあまり良くならない。 | ||
12 | 通院。血液検査、胸のレントゲン検査を行い、血液内科の主治医に診察を受ける。
レントゲン検査の結果、肺炎や髄膜炎の心配はないとのことで安心する。
ただの風邪だそうだが、私は免疫力が低下しているので気をつけるようにとのこと。
以下の薬を処方される。
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14 | 夜中から右胸が呼吸と共に刺されるように痛む。咳をするとなおさらで眠れない。
朝になると咳もひどく、痛みで動けなくなる。
一番近い市民病院へ通院。
血液検査、胸のレントゲン検査、CTスキャン、心電図検査を行い、内科医に診察を受ける。
レントゲン検査、CTスキャンの結果、肺炎や胸膜炎の心配はないとのこと。
胸の痛みは肋間神経痛と診断される。
頓服としてボルタレン座薬を処方される。 全身に発疹が見られたため皮膚科医の診察も受ける。 12日に別の病院で処方された風邪薬が合っていないだろうとのことで風邪薬を改めて処方される。
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19 | 通院。血液内科の主治医の診察を受ける。市民病院での診察結果、処方を続けるように言われる。 | ||
21 |
グフフフフフ。今日は記念日、大切な日!移植後一周年じゃ〜。
なんでも移植後一年経てば再発の可能性もグッと低くなるそうな。 マイナートラブルは相変わらず抱え込んだままなのが気になるけど、 とりあえず本来の病気は押さえ込んでるというのがうれしいな。 このまま二周年いきますぜ! |
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22 | 通院。血液検査、心臓エコー検査、心臓シンチ検査。
血液内科の主治医の診察を受ける。血液検査の結果、 CRP(炎症所見)も0.5と下がっており、 風邪も治ったかと思われるそうな。しかし、咳や痰がまだあるのでフスコデ錠を、 肋間神経痛も相変わらずの痛みなので頓服としてボルタレン座薬を処方してもらう。 次の外来は1/26。 |
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26 | 通院。肺血流シンチ検査。胸部CT。
肋骨周りが痛むので形成外科の診察を受ける。レントゲンを何枚か撮る。
冷シップを処方してもらう。 次の外来は2/5。 |
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2 | 5 | 通院。 血液内科の主治医の診察を受ける。血液検査の結果、 CRP(炎症所見)が3.5と上がって風邪をひきなおした様子。 また風邪薬一般と肋間神経痛の痛み対策に頓服としてボルタレン座薬を処方してもらう。 次に形成外科の診断を受ける。相変わらず冷シップを処方されるのみ。 最後に循環器内科の診察を受ける。血液ガス検査の結果、PO2(酸素圧)…59.5mmHg(91±17)、 Sat(酸素飽和度)…89.5%(94±2)で風邪をひいていることもあって、入院が決定する。 診断名は確定診断ではないが、肺塞栓。 ここ何ヶ月か続いている換気障害の原因を探る目的も含めて2週間の検査入院となる。 検査予定項目としてはまだまだ未定。 抗生剤の点滴ユーナーシンの投与が夕方から始まる。 |
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6〜7 | 土日のため検査はナシ。呼吸器科の先生から今後の治療計画について話を聞く。
移植を行った患者の中に肺機能に障害を持つ人は僅かだがいるらしい。
これは一概には言えないが不可逆性の病気、平たく言うと「治らない」らしい。
血液ガスの結果から私は1級もしくは3級の障害者にあたり、
日常生活においても酸素ボンベを背負って酸素吸入をしなければならないそうだ。
これには結構ショック。 発疹してかゆみが出たので抗生剤をセフメタゾンに変える。 |
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8 | 血液ガス検査。トロンボテスト。胸部レントゲン。
トロンボテストの結果18%。ワーファリンがかなり効いているらしい。今後は朝2錠の服用となる。
呼吸器科の先生の診察。今後も循環器科と血液内科の先生と話し合いながら検査を進めるとのこと。
全てはこれからの検査結果次第で今は何も言えないらしい。 夜中発疹し、かゆみ止め注射。 |
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9 | 酸素吸入時(2リットル/分)の血液ガス検査。
PO2(酸素圧)…92mmHg(91±17)、Sat(酸素飽和度)…97%(94±2)と正常。
肺機能の検査。肺活量は同体格、同年齢の男子の半分くらいしかないそうだ。
皮膚科の先生に診察を受ける。薬疹らしいがどの薬からのものなのか特定できない。
塗り薬ジフラールと飲み薬アゼプチンを処方される。 熱も下がり、夕方の抗生剤で点滴終了。カテーテルも外れて自由の身に。 |
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10 | 偶然空いてた個室にいたのが私より個室を必要とする人がいるということで大部屋にお引っ越し。 血液内科の病棟ということでそれらしい患者さんでいっぱい。 大部屋でのお隣さんは建築士のKさん、私のオヤジくらいの歳らしいがパソコン歴は長く、話があう。 仕事でもインターネットをフルに活用しているらしくいろいろと勉強になる話をしてくれる。 お向かいさんは国立G大学教育学部のOくん、 22才だが病気休学のために退院しても2回生からのやり直しになるらしい。 クルマが大好きでサーキットで走るほど。 隣のお向かいさんは32才のYさん。化学療法中らしいけどやたらタフそうな兄ちゃん。 看護婦とえらい仲がいい。どうもこの部屋のヌシらしい。 Oくんともあまりに仲がいいので最初はオホモダチかと思っちゃった。 | ||
12 | 血液検査。トロンボテストの結果15%でワーファリンの効きすぎ。今日から服用を中止する。 | ||
14 | これまで胸の痛みは座薬で抑えてきたが、今日からロキソニンを毎食後服用する。 | ||
16 | 血液検査。結果異常ナシ。 骨(こつ)シンチグラムという検査。胸の痛みが骨から来るものなのか調べるために行った。 午前中に放射性でかつ骨のリン成分に集まる薬品を投与する。 午後3時に骨に集まった放射性の薬品を感知して骨の様子を診るといったもの。結果は後日。 |
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17 | 血液検査。トロンボテスト。異常ナシ。
先日の骨シンチの結果、やはり肋骨が数カ所折れていることが判明。
咳やくしゃみに伴う胸痛はこのせいだったのね。 痛み止めロキソニンの中止。ロキソニンは胃の負担が大きいらしい。 明日の検査のため下半身の剃毛。 酸素吸入器のメーカー(帝人(株))の方から在宅酸素療法の具体的内容の説明を受ける。 自宅に持ち込む酸素濃縮装置と携帯用酸素ボンベの取扱説明や保険適用について。 身体障害者として認定が得られると金銭的にはタダに近くなるそうだ。 なんだか今後の制限された生活が見えてきてイヤになった。 |
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18 | 今回の入院のメイン検査、心臓カテーテルによる冠動脈、肺動脈造影。
太股、足の付け根の太い動脈又は静脈からカテーテルを心臓まで差し込んで、
心臓から造影剤を投与し、その造影剤が流れる様子をレントゲンで観測するといったもの。
冠動脈、肺動脈共に詰まりはなく、正常と判明。 今日の結果循環器系には何ら異常なく、肺塞栓という診断は間違っていたということになる。 換気障害の原因は他にあるようだ。今後呼吸器系に検査対象は移る。 とりあえず3月11日に気管支ファイバースコープ検査を予約する。 これは口から気管支ファイバースコープを挿入し、気管支内を観察し、 必要に応じて写真を撮ったり、組織検査をするもの。 胃カメラならぬ、肺カメラだ。胃カメラですら結構苦痛なのに、それが肺となると更にヒドイらしい。 経験した患者さんのお話ではマルク(骨髄穿刺)の10倍は辛いそうだ。 今から検査の日まで憂鬱になるような話。 |
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19 | 足の付け根の止血を確認して退院決定。午後2時頃退院する。
今回の入院で更に痩せたらしく、2週間ぶりに着たジーパンがガバガバ。 久しぶりのシャバの空気は旨いがまだまだ冷たいのぅ。 そのまま名古屋市内のビジネスホテルに1泊。 夕食は地鶏名古屋コーチン三昧。焼き鳥に鍋、酒の肴に鶏わさは最高! |
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22 | 午前中、出勤前に市役所に身体障害者申請をする。 早ければ3月中には障害者手帳が交付されるはず。 | ||
3 | 3 | 桃の節句だというのに朝から体調が悪い。37度5分の微熱に止まらない咳。 | |
4 | 相変わらずの熱と咳に加えて痰や鼻水がひどい。近くの市民病院で外来診察。
以下の薬の処方を受ける。
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5 | 外来。循環器科、血液内科の診察を受ける。循環器科ではもう調べることはないらしく今日が最後。 今後は11日の気管支鏡検査以降、呼吸器科の診察となるそうな。 | ||
11 | 外来。気管支鏡検査。 しかぁし、ここでトラブル発生! 肺の細胞を採取する際に肺に穴があく。というよりも医者が下手クソで肺に穴をあけられる。 いわゆる気胸という状態。呼吸が出来なくなり、まな板の鯉状態。マジで死ぬかと思った。 やむなく入院…肺の穴が塞がるまで2〜3週間の入院となる。 しばらくは起きあがる事すら出来ない。ベットに寝たきりでトイレもオマルでベットの上でだ。 胸に刺さった気圧調整のチューブも痛々しく、呼吸が漏れているのがよく分かる。 怒り噴騰、悔しくて仕方がない。 医療ミスで訴えてやりたいところだが、検査前に同意書を書かされているので文句言えない…。 会社も休まざるをえず、調子よく仕事していたリズムが壊れ、また一からやり直しだ。 |
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15 | 気圧調整のチューブを専用の吸引機(トロッカという)につなぐ。 このトロッカを使った方が早く肺の穴が塞がるそうな。 息を吐く毎にボコボコと気体が水をくぐる音が聞こえて、まだまだガバガバに穴が空いてる事を再確認。 | ||
16 | 隣のベットのオジサンのいびきがうるさくて入院以来睡眠不足。
これまで入院のキャリアバリバリの私が経験したことのないうるささ。
たぶん、大阪新御堂筋の騒音に匹敵。騒音計で計測したいくらいだ。
それにましてこの病棟の看護婦の質の悪さ!患者の私にイヤミを言ってきたりする。
詳しくは「日記にはない秘話」コーナーで。 このままでは精神衛生上よくないので個室を申請して病棟も変わる。 |
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19 | 夜中に右胸に激痛が走る。呼吸も浅くなり苦しい。 原因は肺が元の大きさに膨らむ際に胸膜を刺激するためらしい。というわけでいい傾向らしい。 しかし痛い。ナイフで刺されているようだ。刺されたことないけどそんな感じ。 痛み止め座薬ボルタレンでなんとかその場しのぎ。 | ||
20 | 今日も右胸に激痛が走る。座薬ボルタレンで痛み止め。 しかしボコボコと音を立てて漏れていた気体が減ったのか吸引機から音がしなくなった。 ようやく肺の穴も塞がってきたのか? | ||
25 | レントゲン撮影の結果、横っ腹に刺さったチューブがようやく外される。これでやっと自由じゃ。 かつてカテーテルで長期にわたりつながれた事があるが、歩き回れない分、 今回のつながれ方はフラストレーションが溜まるものだった。 | ||
26 | ようやく退院。しかし体力ガタ落ち。足の筋肉はすっかりなくなっている。 呼吸も苦しく、どう考えても検査前の状態には戻っていない。 会社はもう1週間休ませてもらうことにした。九州の実家に帰ってリハビリじゃ。 | ||
31 | 移植を受けた北九州の病院で当時主治医の先生にお話しに行く。 ここ3ヶ月の状況を説明するが、私のような症状は初めてらしく今後のことは何とも言えないようだ。 しかし、久しぶりに親身になってくれる先生に会ってホッとした。 | ||
4 | 2 | 外来。胸部レントゲン、血液検査、血液内科で診察。相変わらず医者はいいことを言ってくれない。
会社に出るのはムリじゃないかと言われるが、出勤するかしないかは私が決める!
次の外来は4/16。 |
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15 | 夕食後、痰をはらおうとして咳き込んだ拍子に気胸(肺に穴が空いた状態)になる。
呼吸困難になり救急車を呼び近くの市民病院へ意識不明で担ぎ込まれる。
チアノーゼで全身真っ青だったらしい。今回はマジでヤバかった。死んでしまったかと思った。
実際、臨死体験みたいなものもしたし…。 そしてまたしても入院… |
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16 | とりあえずサルグツワは外れる。無意識のうちに噛み切ろうとしたせいだろう、前歯が欠けていたり、 歯並びが変わってしまっていたりする。 | ||
23 | 気胸だけでなく、元の病気の経過観測もあるということで、かかりつけの名古屋の病院に転院。 市民病院の救急車にはAC100V電源が取れないということで、消防局の救急車で運んでもらう。 (トロッカという肺の気圧調整用の吸引機を動かしたまま運ばなければならなかった為。) お昼過ぎに無事到着。今後、定期的に採血や胸部レントゲン撮影をする。 | ||
29 | なぜか発熱、38.4度。朝夕、抗生剤マキシピームの点滴が始まる。 夕方には熱は下がり事無きを得る。 しかし、世の中はゴールデンウィークだというのに私は病院の一室に閉じ込められたまま。 まだ部屋の外に出れるのなら気も晴れるが、つながれたままというのはあまりにも辛い。 まして、この天気の良さ!長期天気予報でも今年のGWは五月晴れの連続だ。 | ||
5 | 6 | 抗生剤マキシピームの点滴終了。一度熱を出すと1週間は抗生剤を続けるようだ。 熱は出さないようにせねば。 | |
7 | これまで個室で耐え忍んできたが、私より重病の方がいるということで個室を譲る。 ところが、移った3人部屋では24時間介護のおじいさんが患者で、その介護のためうるさくて眠れない。 介護人は耳の遠いじいさんに夜中でもかまわず大声で介護する。 朝早くても、作業はするは、テレビもイヤホンなしでつけたりする。全く非常識にも程がある。 看護婦に訴えるが、私の方がやむなく倉庫で寝る。それにしてもこんなのアリ??? | ||
8 | 昨日に引き続いてじいさんと介護人は相変わらず。キレた私は介護人に罵声を浴びせ注意するが、 介護人はじいさんのことしか頭にないらしい。 看護婦に訴えても今は空いているベットがないとの一点張り。 うるさい介護人をどうこうしようとする気がない。ダメだこりゃって感じ…。 | ||
9 | ようやく別の大部屋に移る。ここはみなさん静かで常識のある方たちばかりのようだ。 | ||
11 | 肺から漏れる量も減ってきたのかトロッカ(吸引機)を外しても大丈夫なようだ。 今日は試験的に4時間ほどトロッカを外してみた。 カテーテルでもそうだが、やはり体に何かをつながれている時はストレスを感じるようだ。 何もないことが当たり前なのだが、かなり晴れ晴れした気分になれる。 | ||
13 | 血液内科の主治医と今後のことを話し合う。主治医曰く、
移植患者にまれに見られる肺の障害。しいて病名をつけるなら閉塞性の細気管支炎。 慢性GVHDの可能性もある。肺自体の弾力性・柔軟性が失われる他、 肺の機能であるガス交換が正常に行われない。この喚起障害は今後も続き、また改善する傾向はない。 突発的に気胸を起こすと命を落とす危険性がある。 とのことで要するに仕事は辞めて田舎に帰り静かに余生を送れとのこと。 納得のいかない私は肺移植が可能かどうか提案する。 今年の初め岡山大で生体肺移植が行われたのが記憶に残っていたからだ。 なんせ主治医も専門外で分からないことだらけらしく、岡山大に問い合わせるということで終了。 |
||
17 | 岡山大からの返事はまだこない。肺も相変わらずふさがらない。
再度、血液内科の主治医と今後のことを話し合う。
私の症状を持つ人はみな静かに余生を送っているらしい。
そしてはっきり言われてしまった。細々と暮らしても今後10年はもたないそうだ。
なおさら肺移植をせねばという気になったが、
受け入れる病院の倫理委員会は果たして私を移植対象患者としてくれるだろうか?
返事が待たれる。 身体障害者3級に認定され障害者手帳を手にする。 これでいろいろな補助が受けられるが、実際手帳を手にしていい気はしない。複雑な気持ち。 |
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18 | 岡山大からの返答を以下に。
これで国内での肺移植の望みは絶たれた。私が生き残る道はアメリカでの移植しかないのか? それと、とりあえず気胸はどう処置するのか説明を受けた。方法としては2つ。
とりあえず検討してみる。 |
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21 | CTスキャン。何かより詳しい情報が得られるといいが。
夜中になって胸に激痛が走る。吸引のチューブが胸膜にあたっているのだろう。 痛み止めロキソニンを処方してもらい、なんとかその場しのぎ。 |
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24 | 毎週月曜日は検査の日。採血、検尿、胸部レントゲン。 | ||
29 | 朝7時前に起きるとしばらくして呼吸が取れなくなる。看護婦さんを呼んで大騒ぎ。 結局、4月15日からつけている気胸用の一方向排気弁が胸水で詰まり、排気できなくなっていた。 散々苦しんだ挙句、意識を失う。排気弁を取り去り、直接トロッカで吸引することで処置。 個室に移り、ゆっくり休養。 | ||
30 | 昨日排気弁不全があって処置してもらったものの、まだ呼吸が安定しない。 深呼吸が出来ないような状態だ。主治医に訴えるも処置なし。 不安なので大阪から彼女を呼び、泊り込みで付き添いをしてもらう。 | ||
31 | 昨晩から呼吸が深く取れない。今朝息苦しさで起きて肩で息をしている状態。どう考えてもおかしい。
主治医に訴えるもレントゲンで症状が確認できるまで処置できないと言われる。
レントゲン撮影が終わり、結果待ちの時になって完全に呼吸できなくなり、気を失う。
これまで気胸のために挿していたチューブが詰まっていたようだ。
新しく横っ腹にチューブを挿すことで処置が終わる。 炎症反応が高くなっているらしい。抗生剤マキシピームを1日2回投与し始める。 気管支を広げる吸入(アレベール0.5ml、ベネトリン1.0ml)も始まる。 |
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6 | 7 | いつもの月曜日の検査。血液検査、検尿、胸部レントゲン、血液ガス検査。 やはり血液ガス検査ではPCO2(二酸化炭素分圧)が65mmHgと高く、肺でのガス交換の悪さが見られる。 今日で気管支を広げる吸入(アレベール0.5ml、ベネトリン1.0ml)が終了。 その代わり、アルデシンというステロイド剤が処方される。 これは気管支喘息やアレルギー性鼻炎の人が処方されているのをよく見かけるものだ。 スプレー式でシュッシュと鼻やのどに吹きかけ吸うものだ。 | |
8 | CRP(炎症所見)も下がりようやく点滴が外される。 | ||
10 | 夕方になって突然、血尿がでる。一晩続くが何も処置できないまま。水分補給だけしっかり行う。 | ||
11 | 血液検査、尿検査。血尿は止まったようだが、水分補給の点滴が始まる。 | ||
14 | 血液検査、尿検査、胸部レントゲン。水分補給の点滴終了。 | ||
15 | 肺からの空気の漏れもだいぶ少なくなってきたらしい。 逆止弁を付け昼間に限りトロッカ(吸引機)を外す。 | ||
18 | 気胸による空気の漏れはようやく止まりそうで、穴が完全に塞がりつつある。 主治医、母、彼女、私の4人が集まり今後の生活について話し合う。 主治医からは病状についてかなり厳しいことを言われ、復職は不可能だと言われる。 それでも私はしばらく養生して体調を整え、それなりの職場環境があれば働けると信じている! | ||
19 | 他の患者さんの都合もありこれまでの個室から4人部屋に移動。 5月30日以来、泊り込みで看病してくれていた彼女も一旦実家へ帰る。 | ||
21 | 血液、尿検査。 肺からの空気漏れはほとんどない。 トロッカ(吸引機)を外し、胸に挿しているチューブを一時的に塞いでみる。 この状態で明日まで呼吸に異常がなければ気胸は治癒したことになるのだが…。 |
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23 | 胸に挿したチューブを抜き、傷口を一針縫う。これで体には何もついていない状態。 久しぶりに自由に寝返りのうてる体になった。晴々した気分。 今後傷口の抜糸までの一週間リハビリを行う。 | ||
23 | 血液検査、胸部レントゲン検査。リハビリ担当医から呼吸方法とリハビリ運動を教わる。 | ||
28 | 血液、尿、胸部レントゲン検査。酸素吸入をしていない状態での血液ガス検査。 | ||
29 | 岡山大学付属病院第二外科の伊達洋至先生が直接診断に来てくれた。
先生は98年末に行われた国内初の生体肺移植の執刀医だ。
以前に名古屋の呼吸器科の先生づてに私の肺移植の件について検討して頂いていたが、
その後、私が伊達先生宛に直接メールしていたこともあり、今回直接会って説明をしてくれることになったようだ。
岐阜で学会があり名古屋入りしたついでということもあるみたいだが、病院まで足を運んでくれるとは感激だ。
本題の説明の内容は長くなるので『日記にはない秘話』コーナーで。 |
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30 | 腰骨からのマルク。胸骨からは何度も数え切れないくらいやってきたが、腰骨からは初めてだ。 胸骨からの採取よりも痛いような気がする。思わす唸り声をあげてしまった。 | ||
7 | 1 | 外出許可が出たので自動車免許の更新に行く。 三重県津市の運転免許試験場までのドライブ。 久しぶりのシャバなのに特にいいものも食べられなかったのが残念。 | |
2 | ようやく退院。お昼を取ってから退院する。 たかが気胸で入院から退院まで78日間を要してしまった。 改めて肺の異常さを痛感する。 とりあえず父親と会社の寮に戻り一泊。 | ||
3 | 大阪で彼女の両親と私の両親、あわせて6人で昼食。 今後の2人について話し合った結果、北九州での彼女との同居を認めて頂く。(嬉!) 午後から実家の北九州へ向かう。 |