リトルリーグも後4ヶ月を切った。中々思ったと通りにはならない。だけど、一つ一つの積み重ねは、いつかきっと推力となり、君を高いところまで押上げてくれるよ。おごるなかれ、踏みとどまるなかれ。自分で考え、一歩一歩前進すれば良いんだ。迷ったときは、父さんは喜んで手を貸すよ。頑張れ息子!

  • 2003年6月10日
    昼飯をサーガルというインド料理屋で食った。以前から気になっていた店だ。潤がレプトンで中古のゲームソフトを買ったり、CDを買ったりするが、その店は、レプトンの向かいにある。雑務が多くて、家を出たのが、10時、客先に11時にお伺いしますね〜、等と、のん気にリップサービス。実際に客先に行ったのは12時前ではあるが・・・。まっそんな事どうでもよろし。広島の中心部にナーナックっていうインド料理屋があって、インド人もビックリ!美味いのである。近くにインド料理店ないかなぁって探していて、偶々、五日市コイン通りからちょっと入った横の筋のレプトンの前に発見した。店内はインドの方と思われる方が2名、じろりと睨まれちゃった。ありゃ?わし、悪いことした?時計を見るとフライング10時56分、11時openだった。睨まれたのは気のせいみたい。あの人たち眼光鋭いから(汗)。暫くして、日本女性が現われて、あっ、よかったぁ同じ種類。結局インドのおっさんが普通に注文取りに来て普通に対応。辛さなどもちゃんと聞いてくれた。チキンカレーとサラダとコーヒーで800円、さてどんなのがでてくるかにゃぁ。ワクワク!店先でナンを焼いているおっさんも時々私の様子を伺う。視線が痛いのよねぇ。ここは、インドみたい。(インドに行ったことありません。)多分、ナンで食べてもらいたかったんだろうなぁ、反省。待つこと5分、サラダに続いて、チキンカレーが登場。サラダは、見慣れない野菜が1品のっている以外は極々普通のサラダ。ゴマのドレッシングで食べちゃった。ここら辺は、日本人用にアレンジされているのかなぁ、やや残念。そして、チキンカレー、これっ、これ、これだよーー。わしが探していた味は・・・。辛さはベリーホットにしてもらった。赤唐辛子で辛さを増していたのがチョビッと淋しかった。それでも、お味は90点だなぁ。ランチのチキンカレーだったので、日替わりで少しづつ味が違うらしい。本日は、大き目のオニオンが入っていた。あの、何とも言えない、エスニックな香りはどうやって出すのでしょうねぇ。しばし、仕事に行くのも忘れて堪能した。ごちそうさまー!コーヒーを持って来てくれた、お姉さんに、美味かったよと報告した。美味いものを食ったら、潤にも報告しなければ・・。夜また、来ようっと。仕事をしていて、カレーのことが頭から離れず、客先の食堂で午後2時にまた、カレーを食った。いやーまったくこれは、別の食べ物だなぁと確信した。仕事を終えて、潤を家に迎えに行った。バッティングセンターに行った。潤がすたこら、ケージに入ったが、し、し、しまった!財布をお家に忘れて来た。プンプンの潤を宥めて、一度家に帰って、再び戻ろうかと思ったが、腹が減ったとのこと。よっしゃー!カレー食いに行こうぜ!レプトンの前に、インド料理やあるじゃん、そこ、ぶち美味だぞ!昼飯をそこで食ったことを告げて、練習の前に腹ごしらえにした。夜のメニューは、バラバラに注文した。チキンカレーのなんとか、かんとか?分からんから30番って注文した。わしは、白飯で潤はナン。ナンにも種類があって、ナッツを甘いたれでナンに塗り込んでいるやつにした。それと板状の挽肉をロールに巻いたやつ、これは、香辛料が利いていて美味かった。野菜サラダもまた注文した。出てきたのは、やっぱり、普通のサラダ、しかし、嬉しかったのは、大き目のボールに、テンコ盛、見た目など関係ないって感じ。わし、昼飯食った時、飯が多いのでビックリして、多いねっていったせいかな?白飯の量がやや上品になった。でも、大盛りに近い。そして、ナン、これ100点満点!!下の籠から溢れんばかりの大きさ!こりゃビックリ!そしてクソ美味い!食べ物にクソ付けちゃいけません。潤も御満悦、わしも大満足の鱈腹状態。結局ナンとサラダは食べきれんかった。残ったナンはお持ち帰りOK!これまた、嬉しい。お会計は4000円ちょっとでやや高め。2人で、寿司いってもこんなもんだから、OKOK!ただ、日本の認知度的にいったら、カレーにこの値段は高いのかなぁやっぱり。あそうそう。グアヴァジュースを忘れっとった。これもカレーに合ってうまかったよ。この後バッティングセンターに行って練習した。潤は筋肉痛でコイン7枚で終わり。さっさと撤収、お家では、ハラペコのメイが待っていた。残ったB5サイズのナンをあっという間に完食。ワンコはパン系の食べ物が大好きナンだぁ。
2003年06月11日 13時21分01秒

  • 2003年6月9日
    午前0時を過ぎて、未だ中国道から山陽道に入り西に走っていた。眠たくって、途中、小さなパーキングエリアで休憩した。40分仮眠した。エスティマは、後部座席がフルフラットになるので、潤と2人でお寝んねした。わしはどうでも良いけど、潤は朝起きたら、学校だからなぁ。ちょっと寝たら楽になったが、ピンぼけ状態。150キロでぶっ飛んで帰った。考えてみれば、この速度の球を投げられる人間は限りなく少ないんだなあ等と思いながら、センターラインが10Mだから、センターラインと途切れている所を合わせて20M。バッテリー間にちかいなぁ。ぴゅーズバン!と独り言言いながら、馬鹿見たい!わし。途中160キロオーバー、ハハハ、ライアンと同じじゃ、おっかねぇ!かっ飛ばしたが、家に着いたのは朝の4時だった。ツバメって早起きなんだなぁ。うるせーったらありゃしない。2時間ねむって、起床。潤も頭が痛いと。家の片付けしてたら、10時出勤になっちまった。今日は個室でお仕事。おやすみなさい。会議を終えると殆ど個室でお寝んね。いいのかなぁ、こんなんでぇ。帰りの車の中で、潤から電話、頭が痛いだと。わしは良く寝たから、頭スッキリしていた。おぅ、バッティングセンター行こうぜ!って電話口でそそのかした。家に帰ると、潤は76cmOMAHAを引っ張り出してきて行く気満々。わしゃ、一休みしたいよ。暫く椅子に腰掛け、考えた。やっぱ、カブレラうちかなぁ。潤に急かされ、バッティングセンターに行った。おじさんがびっくりして言った。「いつやったんだ?」「スライディングでやったんか?」「う、ぅ、、は、はい。(汗)」「ウソウソ、学校でちょっと、ぶつかって・・・(照笑)」無理しない様に、注意されて、コイン5枚購入した。いつもの140のケージに入った。フォームはいつもと同じで変えない。右腕は、バットを持てないので、軽く腰の当りに曲げておく。ヒッチも行う。後ろからみたら、両手でバットを持っているみたいに。勝負は、トップからミート、この範囲で良い。だから、ミートまで振り下ろしたら、後は慣性に任せる。そうしないと、フォームが崩れる。当たり前のように、確実にミートする。周りの大人が、片手で打っているとひそひそ。そして、ほんなら、わしもって、良いとこ見せようと、大学生風が隣りの150に入っちゃった。じぇんじぇん当たりましぇん。ケージから出てくる時、ありんこくらい小さくなって出てきた。プッー!(笑)潤は左腕の上腕筋が張って辛いと言った。そうだよなぁ、エキセントリック、エキセントリック!エキセントリック少年ボーイ!運動だからにゃ!(分かる人には分かる、変なギャグ)何故、いきなり片手で、綺麗にミートできるか?これは、今までの積み重ねだと思うなぁ。フォームが崩れていないんだ。近日公開!この後、結局コインを追加。全然休養にならない、爆走中。
2003年06月10日 14時47分14秒

  • 2003年6月8日
    投球練習をみて改めて考えさせられた。言葉って恐ろしい。小さなじぶんに習ったことを、そのまま取り入れている。ヒップファースト、ターゲッティング、「ため」等が彼らの動作にそれらは誇張されている。それはね、野球を覚えたての少年の投げ方なの。自分でイメージしている選手がそのような投げ方をしているかい?これらの言葉の呪縛から開放してやらなければならない。それには、プレートを踏む前からの動作を自然に戻すことから必要であった。私を見下ろす少年は、「うぉー」とか、「これや」「ほんまや」等など驚嘆の声を上げて、取り組んで、その目が輝いていた。こんな事はリトルでは、起きないし、起きる次元でもない。少々、フィールディングのコツも伝授した。午後からは、ケージを使って、実際に、打撃練習、昨日の練習の成果が試された。堅さは残るが効果テキメンであった。笑ってしまう、子供って、瞬時で変わる。そして、また、瞬時に元に戻る。これの繰り返し、しかし、切っ掛けを掴みつつある。私に出来ることは、これかなぁ、切っ掛けを作ること。これを知って奥が深いことに驚き、そしてどん欲に食らい付く。そうしていれば、君らは、自然に、リフトアップされ、いつのまにか、過去の自分を遥か下に見下ろしている自分に気が着くと思うよ。でもね、まだまだ、止まっていては駄目だよ。天空は無限に広がるの。何か、分からない時は、切っ掛けを探すと良いよ。頑張って下さいね。スポーツは綺麗事いっても勝負事であるゆえ、これ以上詳しく書け無い所が辛いなぁ。ま、いっか。
2003年06月09日 18時22分14秒

  • 2003年6月7日
    大阪に行った。久しぶりに高校野球を見た。やっぱ、高校野球は良いなぁ。高校野球に比べ、やっぱ、シニアは物足りない。そりゃそーだよねぇ。同じダイヤモンドで、身体が違うもん。スピード感も当然違う。あったり前田のクラッカー。スピーディーって言う意味じゃ、未だリトルの方が、シニアより速いからなぁ。これも当たり前、ダイヤモンドちっこいもんね。しかし、こうやってみていると、リトルって、おままごと。だけどだよ、だけどだよ、エッセンスはスッゴーく多い。この時期多くの事を知ることが大切だと思う。そういった選手がシニアに上がって即レギュラー。だって、彼は、如何動けば良いか身体が知っている。やっぱ、地元と比べちゃう。そして、自分が子供らにおせーて来たことを重ねてチャックする。なんじゃこらぁ、細かい指導がされていないなぁ。子供をキャンパスに例えると、未だ、白い所が沢山残っている。そして、そこを描き残したまま夏をむかえるのかなぁ、こいつら。なんとなく可哀相。しかしだよ、私が言えば、何も取りこぼさないぞと言った表情で、取り組む姿勢が、伝わる。これだよ!これが大事!わし、今までくすぶっていたものが、ぱぁっと明るくなった。素直に取り入れ、即実戦。当然、最初っから上手く行くわけが無い。出来ちまったら、明日から、プロにでも行きんさい。大事な事は、事実を知るという事。そして、それが分かれば、それに向かって工夫すれば良い。今まで、何も意識していなかった動作、行き詰まった袋小路をぐるぐる回る。そこに、小さな穴を開けただけ。そこを押し広げて、飛び出して行けば良い。どう押し広げるかは、君たちで工夫しなさい。本日は、打撃にヒントを与えた。
2003年06月09日 17時33分10秒

  • 2003年6月6日
    会社で打ち合わせが長引き5時には出ようと思ったのに6時半になっちまった。会議の最中に潤から2度電話があった。プレゼンやっている最中に、困ったが事情を話して電話に出た。病院に行って5時の塾の時間に間に合わないから先生に電話してという内容だった。塾への連絡は保護者が行うようになっていたのでしょうがない。会議中にまた電話するわけにも行かず。結局潤が塾についた後に電話を入れた。今日は会社にエスティマで出勤していた。野球道具を全部積んでいた。明日の岡山遠征には行かないために、全部リーグのクラブハウスに戻すためだ。硬球200球、ティーネット、救急箱、アイシングセット、キャッチャー道具一式、ノックバット、シャトル、ボール籠3つ、IDカード、ポール、ハンマー等などを、潤個人の物と分けて、リーグの倉庫にしまった。そして、事務局長に休部届けを出した。中の良い友達に電話で全日本選抜、頑張って来るように話をした。帰りの車は、空っぽ、潤のミットとマスコットバット他3本のバットが、荷台でカーブに合わせてガラガラと転がった。すっきりした気分だ。今は、自分たちだけのことを考えようと思う。なんたって、うちのリーグのスタッフは優秀だから、きっと上手くやってくれるに違いない。完全復活までは、リーグに戻らないつもり。いや、嫌われているようだから、戻って来るな!が正しいかも。まあ、何れにせよ、これからは、自分たちで好きなように、リハビリが行えるのが、煩わしさが無くてよいな。ちょびっとだけ嬉しい。やったるぜぃ!!
2003年06月07日 00時38分49秒

  • 2003年6月5日
    潤から電話が3時頃あった。「父さん、今日練習できない。」「どしたん?」「友達とぶつかって、なんか右手が痛い。力が入らん。」携帯の電波状態が悪かったので、電話を切った。仕事を5時に早終いした。家に帰ると、潤はソファーで寝ていた。「どっちの手じゃ、見せてみい。」左右の小指を触ってみると、右手側の骨がでこぼこしている。こりゃー折れているかも知れないと思った。潤は大丈夫だよといって、握ってみせるが、無理はありあり。潤を和光整形外科に連れて行った。一度、問診を終え、レントゲン、そして再び潤は診察室へ、暫くして、私が呼ばれた。「右手小指の付け根にひびが入っています。」レントゲンを見ると、その骨は、明らかに他の指と違っていた。明後日か全日本選抜がはじまるってのに・・・。悪いことは重なるなぁ。ま、考え方を変えれば、暫く休んで自分らのことを考えろとの、天のお告げかもしれない。これで、理由はできた。監督と副事務局に病院から、電話を入れ岡山には行くことが出来ない旨伝えた。暫くして潤が、しゅんとうなだれて、右手にギブスを巻いて出てきた。一発食らわせてやりたかったが、まぁ、しょうがない。自分が一番辛いだろう。この処、病院続きだ。皮膚科、眼科、整形外科いい加減にして欲しい。リーグも上手く行っていない。仕事も上手く行っていない。いったい全体どうなっちまったんだろう。全日本選抜、岡山リーグ大会は絶望的だ。TSS卒団大会には間に合うかもしれない。思い起こせば、昨年度もキャプテンが全日本選手権の前に小指にひびが入った。ジンクスだろうか?毎年キャプテンがこの時期けがをする。昨年は、結局復帰まで1ヶ月半かかった。もう良いだろうと焦って、かえって長引かせてしまった。卒団大会にまにあうかなぁ。病院帰りに、ビック(スーパー)でお買物、潤は、車の中で反省。そうめんが食べたいというので、きゅうり、ネギ、カニかま、玉子、揖保の糸を買った。運転しながら、これからどうすれば良いか考えた。先ず自分達のことを考えるようにした。今までは、リーグの中に潤を置いた場合、どんな事ができて、どう役に立てるか、どうすれば良いかを考えていた。もう、そんな悠長な考え方は出来ない。今は、自分の子供の事を第一に考え、他の保護者の方やボランティアの方にお願いしようと考える。これまでやってきた事、つぎ込んだ時間やお金、会得した技術を、途絶えさせない様にするにはどうすれば良いか?頭の中がぼんやりして、具体的にならない。そんな事を考えているうちに家に到着した。潤のギブスにビニールを被せて輪ゴムでとめた。風呂に入るという。まぁ、あまり、焦て堅苦しく考えないで、のんびりすれば良いと思った。潤が風呂に入っている間に薄焼き玉子を作って、キュウリを刻んで、ハムを刻んで、ソウメンを茹でて、そして野菜サラダを作った。左利きなので箸を持つには不自由しなかった。食べ終えて、これから1ヶ月、潤が何が出来るか考えた。右手の親指と人差し指は動かせる。軽いダンベルは持つことが出来る。走ることも出来る。左手1本でバットを振ることも出来る。チューブやストレッチも出来る。等など考えたら、リハビリメニューを考え、復帰に燃えてきた。まあ、今は、休むのが一番であるが。
2003年06月06日 10時59分43秒

  • 2003年6月4日
    会社に妹から電話。今、山陽道五日市インターに着いた。この電話を受け、半ドンで帰宅。富田林から、3年ぶりに妹がやって来た。家中っ掃除をしてくれるという。私が家に着くと、玄関に既に着いていて、石段に腰掛けて待っていた。ありゃ?あいつもエスティマだったのに、真っ白なおニューな車。どうしたん?2台目よだと。あっそう、景気がいいねぇー。広島にはお掃除に来て切れた。大助かりである。コーヒー一杯、飲むわけでもなく、玄関を入るなり、臨戦態勢突入。全部窓を開けて、カーテンを外して、洗濯機を3回、回して、二階から下までぜーん部お掃除した。なんたって、洗剤を持参で来てくれた。サイクロン式の掃除機も10回くらい、ゴミを捨てたかなぁ。ばばっちい。普段住んでいると、麻痺しちゃって、汚れている所がわからない。妹は拭き掃除もしてくれて、レンジ周りや水周り、トイレもお掃除してくれた。ここでやっとコーヒーを一杯。唖りゃ、コーヒーを切らしている。最後の2杯が何とかとれた。そうこうするうちに潤から電話、疲れたから、ファミリーマートまで迎えに来て。ふざけんな!とは言わないで、よし待ってろと言って電話を切った。妹の新車でファミリーマートへ行った。車を駐車場に入れたが、全然気づかない。そりゃそうだ、車が違うもの。ずーっと遠くの方をまだか、まだかと眺めつづけていたので、妹は、窓を開けて潤と呼んだ。ニッコリ笑って、挨拶して、車に乗って帰宅した。家に入って、いつものようにほこりっぽさが無いので、キレーと感激していた。やっと一服して、世間話、潤はお疲れで二階の寝室で一休み。夕方になり、妹が大阪に帰る時間になった。潤を起こして、野球の話しをした。妹の次男もこの春から高校球児だ。ある高校に野球で引っ張ってもらったそうだ。今度、西武のスカウトを紹介されるらしい。何とも頼もしい。(とは言っても、未だピカピカの1年生)今は身長が180cmもあるT君。野球を潤が野球をやる切っ掛けは、この従兄弟が軟式のグラブを潤にくれたのが切っ掛けである。今もそのグラブは玄関にいつでも使用できる状態で置いてある。打撃の話しになり、潤は、こうやって振るんだよとスイングを見せた。奇麗な無駄の無い速いスイング。今度、Tを連れて来るわと言った。それに気をよくして、潤が駄々を捏ねた。ねぇー塾を休んでいーい?練習行くけー!塾の先生に電話した。今日は休みが多いので、金曜日の5時からに振替えできるという。それなら、それでお願いしますということになった。妹が大阪に帰った後、直ぐにバッティングセンターに出かけた。隣りで高校生が、松井選手張りのスイング。凄い音がする。バキーン!と球を打ち潰す。隣りの150キロのケージで行っている。こういう子が隣りにいると断然潤は燃える。わしが、おい、お前負けてんじゃんよーというと、リトルのバットを大人用のバットに持ち替えた。そして、隣りのケージに一瞥すると、同じく、バキーンと打ち返した。ありゃ?遜色ないなぁ。しかし、あちらさんは、如何にもダイナミックなトップからダイナミックなフォロースルー。ステップから考えると、かなり、無駄な打ち方をしているようでならない。体重45キロの潤が、同じ打球を右中間最後部のネットに直線的に高々と打っている。むっとした表情が可笑しいけど、しょうがない。彼は、かなりの肉体の持ち主だと思う。そして柔らかい。如何にも日本的なスイングだ。それなりに完成度が高いスイングだ。私から見て無だが多いのであって、普通の人が見たら、力強いスイングに圧倒されるだろう。それは、鍛えた肉体が打っているから。潤は、鍛えてないよ。でもね、その子と、潤では、加速の原理が違うの。ただそれだけのこと。
2003年06月05日 14時21分33秒

  • 2003年6月3日
    会社に電話があった。父さん、まあ君ち、から、荷物が届いているよ。開けていい。あぁ、返って気をつかわせちゃったなぁ。家に帰ったら、実用品が入っていた。そして、メイにもお土産があった。私らが必要としていたものだったので大助かりである。潤とおそろいのシャツまで入っていた。私は、もう、ずいぶんシャツなど買っていないからなぁ。この世界、自分を中心にしか物を見ることができない人ばかりかと思っていた。未だ捨てたものではないなぁ。潤を午後8時まで寝かせて、それから練習に行った。潤は、1月13日のスイングに戻した。今のスイングは、どうもしっくり来ない。61mは飛ぶが、90mは飛ばないスイングだ。つまり、シニアに行ってから困るのである。そして、さらに1月より進化させた。以前のこのフォームは、オープンスタンスで構えて、ヒッチしてフォームを崩しており、一度挫折したというか、暫く封印していたフォームだ。しかし、まあ君親子に会ったおかげで、以前のフォームに取り組むきっかけとなった。ヒッチしたとき、バットヘッドがホームベースを挟んで反対側のバッターボックス側に倒れるのはなぜか?この壁にぶち当たり、改善策が見当たらなかったのである。しかし、最近になって、ノリヒロを見ていて気がついた。なぜ潤はヒッチするのだろう?そしてこうすると、スイングが速いのだろう。ヒッチして、バットを反対側バッターボックスに倒して、腕を巻き込んでしまう。一見最悪のトップを作る。しかし、この反対側バッターボックスに倒したバットヘッドを上手く後頭部に引き戻せたら、鞭のような軌道を描き、腕は渦巻きに加速されると考えた。そこで、潤に、ヒッチしたとき、これまで、上手く行ってなかったときと同じように、バットヘッドを反対側バッターボックスに倒し、その後、とりあえず、強引に左手で後頭部に、バットヘッドを持って行き、そこからスイングするように矯正した。いやぁーたまげた!ドンぴしゃりである。ヒッチ後の後頭部を意識することで、潤のスイングは、蘇った。今まで力を入れて飛ばしていたのが、うそのように、ぽんぽん、右中間に良い当たりを放つようになった。1月以降フォームを崩していたときは、スライスしたような左中間の当たりが多かった。ドライブの掛かった打球が復活した。これには、本人が一番うれしかったようだ。今まではヒッチを諸悪の根源にしていた。調子を崩してからは、監督にも、ヒッチをやめて、長い直線的なトップを作るように言われていた。まあ、これは、これで効果があった。しかし、私にしてみれば、このフォームでのHRは満足のいくものではなかった。それどころか、三振が増えてしまった。週末が楽しみである。残念だったのは、まあ君にこのスイングを見せてあげられなかったこと。近日公開しますね。家に帰って、早速東京から送られてきた、パンツを履いて潤は寝ましたよ。ありがとね。
2003年06月05日 00時45分37秒

  • 2003年6月2日
    土曜日のことが時間が経つとともに、鮮明によみがえる。このままじゃいかんし、指示を出しているのは、監督であるから、相談した。一杯飲もうということになり、仕事を終えて、居酒屋で一杯やった。今日は、練習しなくて良いから潤も連れて来いとのことだったので、普段食べない魚を沢山食べさせた。後3ヶ月足らずである。何が一番大切なことか考えよと言われた。視点を変えれば、些細なことである。厳流杯以来だなぁ、こんなつまらない思いをするのは。疲れちまったぜ!代わりが居れば、喜んで代わるのだがなぁ。
2003年06月04日 23時22分57秒

  • 2003年6月1日
    朝の練習は9時からだが、グランドが確保できないため、普通のお家は8時まで自宅待機である。私と潤は6時前に起きて、免許書センター近くの流通センターのグランド確保に向かった。以前は7時頃に行って確保できたので、安全を見て、6時半なら大丈夫だろうと踏んだ。ところが、6時半、グランドに行って見ると、既に車が3台止まっていた。大人の草野球チームに先を越されてしまった。困った、グランドが無い。こんなことはじめてだ。仕方なく、他のグランドを探した。免許書センター下の公園が空いていた。公園の看板を見ると、予約制らしきことが書いていない。事務局に電話連絡しグランドが確保できたと告げた。エスティマから、コートブラシやトンボ、ベース、バックネットを降ろして設営した。8時ころ、大人の草野球チームがやってきた。あぁ、やっぱり駄目かぁ。すると代表者らしき人が、反対側使ってよいですかぁ?ほっとした。長方形のグランドで、反対側まで80mちょっとある。まあ、お互い様ですから宜しくお願いしますと挨拶をした。その後徐々に選手が集まり、いつも通りに練習開始。今日も監督は用事があり、午前中は不在。選手を一箇所に集めて、ショートノック、サードノック、セカンドゲーツー、バックホーム等、基礎練習を集中して行った。ここは、公共の公園であり、ホームランネットも、ケージもない。硬球は200球以上は持ってきてあるが、ティーボールは持ってこなかった。考えて見れば、軟式の頃は、このようなグランドでよくやっていたなぁと思い出した。気がつけば、今はすばらしい環境で野球をしていると思う。知らず知らずに贅沢になっていたのかなぁ。全て整った環境でそれが当たり前では、工夫など生まれない。指導者にやらされているだけになっていたのかもしれない。練習をしてさえいれば何時かは上手くなるとでも思っているのだろうか?工夫なくしてあり得ないそんなこと。子供たちを集めて話をした。今日、このグランドを使って、忘れかけていたことを自分なりに子供たちに伝えることができたのかなぁ。やっぱ、無理かなぁ、わし、不機嫌だなと見られただけだろうな。昼食中に、やっと監督が登場した。よかった、これで、後はお任せ。しかし、午後練習が始まると、今度は軟式シニアチームがやってきて、結局、このグランドは予約制ということで、追い出されてしまった。いやみをたっぷり込めてグランド挨拶せいと潤に言った。かまわず練習を始めたシニアにこれでもかと、ありったけの声を出させて、グランド挨拶を終えた。誰に怒ったわけでもなく、練習できないもどかしさがそうさせたと思う。再び放浪、しかしグランドが無い。そこで、学校行事が終わった頃の時間帯になった。もう4時だ。後1時間練習ができる。自分たちのグランドに戻った。使えなければ、解散。グランドが使えれば、練習再開である。有料道路を使って急いでグランドに帰った。マイナーグランドが使えたのでゲームを行って一日の練習が終わった。帰りの車の中、ついに潤にぶちまけた。潤が涙を流しながら父さん、今までありがとう。これが救いの言葉だった。
2003年06月03日 00時44分46秒

  • 2003年5月31日
    結局潤は夕べから、一回も目を覚まさずに8時半に目を覚ました。げげーっ!こいつ、14時間も寝てやがった。しかも、学生服を着たままである。開口一発、「父さん腹減った。」そりゃ、夕べ夕飯、食わずに寝たから、当たり前。炒飯を作っていると、事務局から電話、台風の空模様で、今日の練習をどうするかの、問い合せだった。わしゃ当然、決行とはなっから決めていた。雲が薄くなって、霧雨状態だった。来週は岡山遠征だし、ここで一気に子供らのやる気を掻き立てにゃならんと思っていた。雨でも体育館で練習するチームがある。うちはそれができんでも、工夫して何とかなると思っていた。潤と炒飯を腹いっぱい食べて、さてと、天気、良くならんかなーと思いながら、メイとお散歩。霧雨で次第にメイはビチャビチャ、そして、川に入っておおはしゃぎ、せせらぎ公園の小川をじゃぶじゃぶ走って、すっかり水も滴るメスワンコになっちまった。やばっ!風呂に入れなきゃ、家に入れんなこりゃー。練習に行く時間が迫っていた。メイを抱っこして2人、いや、わしとメイで風呂に入った。メリットシャンプーとリンスがいいんだよな。抜け毛が少なくって。肌にも優しい。ワンコもシャンプーが会わないと、ふけが出るが、メリットシャンプーは、ばっちり相性が良い。メイを先に上がらせて、わしがその後、風呂から上がって、びっくらこいた。ヤッバー!練習時間まで40分しかない。車をぶっ飛ばしても30分、しかし、今日は、天気が悪く、渋滞もある。私と潤は、珍しく遅刻した。こういう日に限って、監督はおらんのよねー。止むと踏んだ雨が引き続き降り出して、私が、少々遅れると電話を入れた後に、苛立った事務局が、全員を解散させちまった。参った。遅れた私が悪い。でもね。帰さないで、待っててねというのに、一方的に無視された。これにはびっくら仰天。練習は、監督コーチが決めるのに。雨で練習が出来なければ、クラブハウスの2階で子供達と話しをしたかった。ストレッチも出来るし、スイングのチェックも出来る。来週のために、いつも細かくチェックできない所を、チェックすることも出来る。全く遅れてきた私を責め、制裁するかのような、無視のされかただった。私は、リトルに関わってから、雪で山から降りてこれない時以外、一度も休んだことはない。(過去2回)指導者たるもの、みんなより早くきて様々なチェックをしなければならない。出来る限りの協力をしてきた。(わしがそう思っているだけで、周りは、歯がゆかったのねーきっと。)みなが帰った後に、クラブハウス二階で、詰め寄られた。全部、私の責任だと。2人の子供がリーグに顔を出さなくなった。私(コーチ)のやり方に付いていけないという。選手を干している、注意の仕方が悪い等など、躾は、お家でしてきてねといいたい。わしは、その子らに、全く蟠りなどこれっぽちもなかった。私は、グランドや遠征先では自分の子と同じように、扱ってきたつもり。(うそ、ヒイキして、目の敵にしやがってって写っていたんだろうなぁ。きっと。)なんたって、親にしてみれば、自分の子供は、家の代表であり、主役である。これは、私も分かる。良い悪いは別にして、そんな親御さんたちを傷つけていたのかも知れないなぁ。わしは、指導者として、間違った事をした、認識は、さらさらない。しかし、現実、2人の子供が、リーグに来なくなり、私とその親御さんの関係がどうなるか、色眼鏡で興味本位に見られ、自分達がイニシアティブをとらんと虎視耽々とする勢力に抵抗する元気などない。よって、私は不在の監督に電話連絡を入れ、事務局の言い分を全部聞きなさいとの指示通りに動いた。そうこうするうちに、在席していない事務局長から電話連絡が入った。明日は、グランドが使えないと。ほれ、みたことか、等とは言わなかった。悪いことは重なるものだ。話しを現実に戻して、明日のグランド確保の対策を行った。結局私が早起きして、近くの先着順のグランドを確保する役目になった。話し合い(吊るし上げ)を終え、潤に何も無かったと話して、2人でボウリングに行った。潤はわしに絶対に勝つ自信があると言う。ほいじゃ、勝負!ってことで、何と同スコアのドロー159だった。あいつ、野球辞めて、プロボウラーがええかも、こないだから、AV150以上をキープしている。こんにゃろ、負けてなるものか!んでも何れかなわん様になるんだろうなぁ。もう、世代交代がよいかも。続いて、バッティングセンターで練習。雨の日のバッティングセンターは素人さんの遊び場所、潤は、空くまで、ゲーセンでお楽しみ。客がいなくなった頃を見計らって、ケージにダッシュ。コイン12枚で軽く調整。明日は、グランドとりに行くんで、早々に撤収した。まぁ、後少しの辛抱だなぁ。グランドは、託児所でも、小学校でもないんよ。それとね、こどもにね、やれって一方的言うのは簡単。でもねちょっとまって、子供はね、出来ないのが初期値、defaultなのよ。ここら辺を勘違いされておられる親御さんが多すぎる。無責任に詰め込み過ぎてない?お腹満タン、げろげろ寸前で悲鳴を上げて、恨めしそうに見つめる子供。これもやらせている、あれもやらせている、道具も新しくした、塾も学校も等など、そんな時間子供にあるわきゃないよ。夢を見るのは勝ってだが、自分が出来なかった事を、こどもに託し押し付け・・、でも親は法律、家長で裁判官、いつも圧倒的に子供に非がある。もうちょっと敷居を下げて、子供を追いつめないで欲しいよ。あんたらが、期待しなかったら、こどもはすくすく伸びるよ。今は、消毒消毒で農薬荒れした作物状態。折角蒔いた希望の種も、萎縮し、ひょろひょろ申しわけ程度に芽をふく。でもね、精一杯伸びようと、お日様を見上げて笑うんだ。ひょろひょろの癖に・・・。愛おしさがやがて憎悪に変わり、やり場の無さに足で踏まれてやがて引き抜かれる。捌け口に。あなた方が他所の子と比べて期待さえしなければ、こんな悲しいことはおこらんの。子供は、いつも変わるの。早い子遅い子いるよ、ガキ大将も悪ガキも、お利口さんも、おすまし君も、のほほん君も。皆、同じ方向なんか向いちゃいやしないよ。結果がでないから、ふざけているからとか、責めないで欲しいよ。グランドにいる時は、わしが親代わりだから。(体裁の良いこと言うな!だろうきっと。)今度はわしに向けられ、爆発。あっそう、ほな、辞めよっと!
2003年06月02日 17時55分19秒

  • 2003年5月30日
    私はメイが口の周りをぺろぺろ舐めるので目を覚ました。朝練だ。室内ホーンで2階で寝ているまあ君と父さんと潤を起こした。一番にまあ君が降りてきた。気合が入っているのぅ。ええことじゃ。最後に潤が寝ぼけて降りてきた。おいおい、大丈夫か?今日、中間テストやんけー!ま、最終日、担任国語のテストだから、ええかっ!いまさらジタバタしてもな。ってわけで、早速朝練開始。ランニングして、ストレッチ、そしてシャドウバッティング、続いて、シャトルティーを行った。まあ君、打球が早い!いい音がするなぁ。続いて潤。バットを持って寝ていますぅ。駄目だこりゃ。潤がコンタクトを入れに一度家に帰りその隙に、客人の特訓。どうじゃ、わしのチェンジアップ打てんじゃろ。大きな体重移動のステップしてたら、打てんのよー。笑ってごまかすな!でも、笑うと凄くかわゆい。潤が戻ってきて、ようやくお目覚めの模様。続いて、キャッチボールをはじめたら、駐車場に、ゴルフに行くおっさんたちが集まりだして練習ができなくなっちゃた。仕方なく、上の広いグランドに移動した。軽くキャッチボールのあと、ティーバッティングの練習。まあ君の住む町田では、ティーでもしようものなら、うるさいって怒られるらしい。さすが広島は田舎でええのー。ティーをやっていると中学生の姿がちらほら、いかん!潤を学校に送りださにゃ!慌てて家に戻った。もう少し子供同士で遊べる時間があればよかったな。なんとなく可愛そうだったな。急いで、チャーハンを3人前作った。わしはダイエットで抜き。牛乳だけ。ピンポーンと友達が迎えに来て、まあ君親子を、ほったらかして、わしは、中学生を5人積んで三和中学に送り届けた。まあ君によろしくねと言い残し、生徒の流れに潤は消えて行った。家に帰って、朝練の様子を、PCで再生した。そして、お宝画像?とともにCDに焼いて、お土産にした。本当は、もみじ饅頭がよかったかにゃ?まぁ新幹線でも買えるし、まいっかー!東京に帰る前に、もう一度、五日市バッティングセンターに行こうって事になり、練習に行った。やっているうちに、だんだん、さまになってきた。吸収しようと言う気持ちが強いみたい。さっすがー!でも、可哀想に、ずーーーーとわしに言われっぱなし、わしなら、あんなに言われたら、胃に穴が空くかも。ごめんね、じろー。時間がないから、堪忍。ラス前のコインの時、きっかけをつかんだのか、新フォームで、ばかすか、打ち出した。これは、こっちもうれしい。手ごたえがあった。そして、大ラスの一枚、これも、まずまず。子供って凄いなぁ。きっかけをつかむと、変身する。でもね、このきっかけをつかみかけたときが、一番静かに、そして、ポジティブな言葉を子供に掛けないといけないと思うな。最後は、かわいい笑顔で締めくくれた。よかった、よかった、間に合った。まあ君親子を五日市駅まで送ってそこでバイバイ。そして、握手。またおいで。駅で暇な高校生3人組が喫煙していた。客人いなかったら、交番に引きずってったぞ。宮○高の生徒3人組、ごぅらぁー!!!。これから仕事だし、まぁええかー。あほなやつらのためにエネルギー消費するのが、ばかばかしい。客先で飯食って、4時半に退社、潤から電話が掛かってきて、ファミリーマートで待ち合わせ。潤を積んで帰宅した。しきりに、まあ君たちのことを聞いていた。きっかけつかんだみたいだよと言うと、「良かったジャン。また来ると良いね。本当は、もっと話したかったな。」本当にそうだろな、昨日、夜8時半に初めて会って、朝の7時半にはバイバイだもの。潤は、今日テスト終わったし、練習に行くから、塾休んでいいと聞いた。眠そうな顔をしていた。暫く躊躇したが、ええよと潤に答えた。その後、潤が2階に上がったまま降りてこない。見に行くと、学生服のまま、ベットに倒れこんでいた。6時半である。今日は練習に行くのをやめた。あまりぐっすり寝ているので、夕飯を抜くことになるが、そのまま朝までゆっくり寝ていれば良いと思った。
2003年06月01日 01時08分11秒

  • 2003年5月29日
    会社で朝一番にメールチェック(朝一番っていっても最近は10時過ぎ)すると、以前から時々メールでフォームチェック等していた、私の日記ファン?のマー君の父さん(東京都町田市)からメールが来ていた。ななんと、今日用事で、岡山にくるから、そのついでに広島に来ると言う。五日市バッティングセンターに行くから、会えれば嬉しいとのことだった。広島に来るっていったって、岡山から150kmも離れているやんけぇ。ほんまに来たらどうしよう。広島に来るのが大変であるということを告げようと、電話をしたが、繋がらなかった。わしのhpを読んでいるどこのだれとも分からない親子だ。仕事を終えて、どうせ諦めて岡山から帰るだろうと思っていた。そう思いながら、宮島街道を五日市方面に直進しようか、自宅のある彩が丘方面の湯木五日市線に左折しようか迷っていた。向うも駄目元ってメールで書いていたし、ならば、本当に広島まで着ていたら申しわけないし、私も会えなくてもよいから、バッティングセンターのオヤジにだけでもことづけようと思って、とりあえず、バッティングセンターに行った。時間は7時を過ぎていた。こんな時間に東京の子連れが居るわけないなぁー。まあ、このままでは、体裁悪いから、もう一度電話だけでもしようかなと、携帯に電話をいれた。今度は、電話の向こうで声がした。そして、窓の向こうで声がした。何と窓を挟んでマー君親子がそこに居た。本当にビックリしちゃった。広島まで何しに来たの?来させたものは何ナノでしょう?リュックにバットケースのマー君とお父さんがそこに居た。ほっとした表情であった。マー君は、笑顔の可愛い優しい子、昼からずっとここに居たそうである。向うは私の連絡先知らんし、新幹線も、もうないだろうし。わしは会社帰りで、潤は既に塾に自主勉に出かけていた。潤を8時半に塾に迎えに行くことになっていた。暫くまってもらって、潤を連れて来ることを約束して一度家に帰った。急いでエスティマに乗り換えて、潤を塾に迎えに行った。時間は8時、30分早かった。今日の夕方、潤から電話があって、マー君親子が、ひょっとしたら広島に来るかも知れないと伝えていた。潤は私が早く迎えに来て、東京からお客さんが来たと告げると。急いで車に飛び乗った。「ねえ、ねえ、どんな子?上手い?誰くらい?」等としきりに聞いた。わし、コンタクト入れなきゃぁと、やる気満々だった。私より、先に車を降りて、バッティングセンターでマー君親子を捜して、直ぐに仲良くなったようだった。潤は、早く打ちたいが、コンタクトが上手く入らなくって、焦って10分も洗面所の鏡の前で奮闘していた。お父さんにマー君をどうしたいのと聞くと、バッティングを直したいのだという。打撃を見ると、今のフォームでも強い打球が飛ぶが、いじって良いのかと聞くと、後一年リトルがあるし、今なら直せる、いじって良いとのことだった。マー君の事が心配だった。一時的に今より打てなくなってしまうかも知れない。トップの作り方、ステップ、バランスに難はあるがスイングが速い、結構振っているなこの子。お父さんに、右手のトップハンドをいじると、タイミングの取り方や、前足のステップ等、全てをいじることになるよと告げて、それでも良いと言うので、潤にトップからミートまで、重心等、エキザンプルになってもらった。潤は打ちたくてしょうがないのに、ケージの外でしばし説明した。全てこれまでを全部忘れて、一から取り組むことにした。練習は22時過ぎまで、行った。緊張していて疲れただろうになぁ。練習の後、以前、よく日記に書いていた、平田ラーメンに行くことにした。平田ラーメンのおっちゃんに東京からのリトルのお客さんと告げると、一層愛想が良くなった。このおっちゃんの息子さんも広島中央リトルに世話になったという。味噌チャーシュウと醤油ラーメンを食べて、家に帰った。今晩は、雑魚寝である。折角広島に来たのだから、家に泊まっていってもらった。そうすれば、野球の話しが出来るし、大リーグのビデオ鑑賞も出来る。、野球のことをいっぱい、吸収していって欲しいと思った。ヤンキースvsマリナーズの試合のビデオを見て、大リーガーと日本の選手の違いを分析した。明日は、朝練である。潤もマンネリ生活にちょっとした刺激になったようだ。夜、エアコンが寒すぎないかと様子を見に行った。マー君は旅の疲れだろう。大の字でいびきをかいていた。広島まで連れてきてくれた、お父さんに感謝しろよ!
2003年05月30日 14時23分04秒

  • 2003年5月28日
    会社を休んで。あるセミナーに参加した。このままじゃ、全く改善の余地がない。何か行動しなきゃと思った。子供にいつも言っているのに自分の事になると、尻込みしてしまう。全く情けない。良く考える事は確かに大事だ。しかし、失敗したらどうしようとかは、いつも子供に言っている事とはまるで違う。ネガティブ思考じゃんけー!成功するにはどうすれば良いかを考えるべきである。失敗したら考えれば良い事を今考える必要はない。それよりもっと大切な事が沢山あるんだ。セミナーを終えてなんだか、希望が見えてきた。今の仕事と早く縁を切りたくさえ思えた。我慢我慢、今はそれで飯食ってるの。さて、午後3時に家に帰り、潤と眼科に行った。眼鏡とコンタクトの処方箋を作ってもらうのが目的だった。コンタクトを着けて潤は、世界が奇麗と、興奮気味だった。それだけ見えていなかったんだなぁ、もっと早く来るべきだったと反省。試用期間が2週間なので、岡山大会には、このコンタクトを着けていける。それが嬉しいらしい。道路を挟んで、眼鏡屋に行った。チタンのプーマの眼鏡を潤は選んだ。茶色のフレームで潤の肌の色にあう。加工に暫く掛かるので、その間、バティングセンターで練習した。コンタクトを着けて、打席に立ったら、球が速くて怖いと言った。いつもの潤と全然違った。振り遅れたり、タイミングがとれないのだという。コンタクトで両目の視力が1.5まで回復していた。球が遠くから伸びてくるように見えるらしい。まあ、興奮していて、コイン10枚は、殆ど、役にたたなかった。悲しい。慣れるまでしょうがないかなぁ。眼鏡を受け取りに、再び眼鏡屋に向かった。遠くの道路標識の文字当てをしながら車を走らせた。以前は全然読めなかった標識が、今でははっきり読める。遠くの看板をさして、それを読む。私には、至って普通なのだが、潤にはこれが、嬉しいのだろう。それでもまだ、わしの方が良く見えているんだから、親としては辛い。コンタクトも眼鏡も大事にこれから、肌身離さず持つようになるんだから。私の方が、はるかに潤より楽してるんだなぁ。頑張らなくっちゃ。
2003年05月29日 14時34分41秒

  • 2003年5月27日
    今日も仕事場に潤から電話が掛かってきた。昨日と同じである。塾で勉強するという。明日から中間テストだから、今日もバッティングセンターは中止にした。潤はどうせ22時ころまで帰ってこないので、私は残業して、書類の整理を行った。家の灯りが点いておらず、なんか寂しいなぁ。玄関を開けるとメイもいない。灯りを点けて居間に入ると、メイがソファーの上で小さく尻尾を振っていた。今晩は何を作ろうかなぁ。偶には、カルボナーラ。材料をそろえて潤の帰りを待った。22時30分を過ぎても帰って来ない。私は塾に電話した。すると、潤が電話に出て23時まで勉強するという。私は、これ以上空腹が待てなかったので、帰って来いと告げた。待つこと5分、潤が帰ってきて、やっと二人で夕食を食べることができた。潤は、学校から帰えって私に電話をした後、すぐに塾に行ったという。それで、メイは元気がなかったのかなぁ。それにしても、二日連続でバットを振っていない潤も珍しいというか、私は見ていない。明日は練習すると言っていた。まぁ、今は英語と数学に集中してほしいが・・・。
2003年05月28日 09時56分04秒

  • 2003年5月26日
    月曜日は、練習なしだったがこのところ、ずーっとおこなっていた。今日もバッティングセンターに行くぞと思っていたら、潤から仕事場に電話が掛かってきた。「塾で10時半まで勉強するけー。」そういうと、電話をきった。そうだなぁ、全日本は終わったし、そうなると、少しではあるが、勉強もしなくちゃなぁ。潤は小学校のころ居間のテーブルでよく勉強していたが、4月に中学生になって宿題がないのと、塾の時間帯が変わったのと、全日本が始まった事もあって、居間で勉強する習慣が抜けつつある。少々心配だなぁ。その代わり、塾で遅くまで勉強かぁ。潤が帰宅したのは22時40分。それにあわせて、鮭を焼いて、シジミの味噌汁とシュウマイそれにサラダを作った。潤が帰って来るまで、わしは腹ペコだ。潤は塾に行く途中にカップ麺とおにぎりを買い、塾で食べたという。塾は本来、水金曜だが、最近は皆塾で自主勉(弁当)するのだそうだ。
2003年05月28日 09時42分24秒

  • 2003年5月25日
    今日は練習がない。うちだけなんだろうなぁ。練習がないチームは・・・。今日は、決勝の3チームの巴戦が行なわれる。昨夜雨が大分降ったが、今は晴れているので、決勝戦を見に行こうという事になった。日が照って暑いので潤にハワイで買った帽子を被って来いと車の中から告げると、潤は、赤いチームの帽子を被って来た。一応、チームには思い入れがあるんだなぁ。試合会場に行って見ると、ありゃ?広中と安芸が合同練習をしている。おかしい?会場を間違えたかな?それじゃ、広島北のグランドかな?高速に乗って出かけた。やっぱり変だと思って、知り合いに電話を入れた。すると、決勝は、昨夜の雨で順延になっていた。仕方なく高速を降りて、直ぐにUターンした。なんかついていない。確認しておけば良かった。それにしても、他のチームは練習しているのに、うちは練習がない。個々のやる気もないので、まぁいいかぁ。潤と眼鏡やさんに行った。どうしても岡山遠征迄にコンタクトが欲しいとのこと。でも、それには、医者の処方箋が要るし、今日はだめ、学校を遅刻して先に病院に行くって手もあるけど、中間テスト前で授業を抜けれない。中間テストの初日の午後に眼科に行く事にした。眼鏡は今はかけたくないそうだ。眼鏡やさんでコンタクトの説明を聞いた後、サンリブのゲーセンで暫く遊んだ。コインストックがあったため、200円を使っただけだった。それで、ついに使い切ってしまった。五日市の佐伯運動公園に出かけて、練習をした。キャッチボールとピッチングそしてトスバッティング、私が投げて、バントもさせた。結構速く投げても潤は絶対に外さないので、楽である。私をちょいと左右に振りやがった。馬鹿にしているが、潤にはかなわない。車で仮眠をして、家に帰った。友達の家に遊びに行くか、塾に自主勉にでも行けばと薦めた。そうしたら、父さんと一緒にいたいと来た。それじゃ、バイクで遊ぼうという事になり、早速2人乗りで出かけた。行き先は決まっていない。「海?山?」潤は「山」と答えた。私は左に曲がり、魚切ダムの横を走り、山道を突っ走った。潤は長袖だが、私は半袖のリトルで着ているアンダーシャツで運転していた。途中、極楽寺に向かう山中で雨が降り出した。冷たく寒い。山の中で2人で、大声で寒いーー!と叫びながら、走った。アルカディアビレッジで暖をとるために停まった。無料休憩室で2人でカステラと牛乳でリフレッシュした。暫く横になって、再びツーリング、660mの山を廿日市方面に一気に下りた。「右、左?」潤は「右」と答えた。大竹市方面に向かった。雨は止んでいた。左前方に海を挟み宮島が見え、牡蛎工場の横を通って、競艇場を越えて宮島口まで来た。ここでUターンして、藤グランナタリーでバイクを止めた。何を買う分けでもなく、店内をブラブラ歩いた。家族連れでごったがえしていた。やっぱり、昔の記憶を辿っているように見える。潤は、「昔、広かったと思ったけど、あまり広くないね。」と言った。徐々に思い出してきたのか、ゲーセンに突き進んで行った。自分の小遣い100円でコイン10枚を購入して、30分ぐらいそれで遊んでいた。私は、さすがに疲れて、たこ焼き等食いながら、潤が遊び終えるのを待った。大型テレビでジャイアンツ戦が行なわれていた。遅くなってしまった。潤を呼びに行って、2人でバナナクレープを食べながら、バイクのところに戻った。既に暗くなり、雨が降っていた。カッパは一つしかない。私は半袖、潤は長袖半ズボン。私は、カッパの上を着て、潤はカッパのズボンを履いた。雨を切って宮島街道を五日市に戻った。五日市に着くと雨は小降りになり、バッティングセンターで練習する事にした。休日は人が多くて嫌だ。練習にならないのである。コイン1枚だけ行って、暫く、バッティングセンター内のゲームコーナーに座って、人がいなくなるのを待った。バッティングセンターのおじさんに「今日はバイク?いいねぇ。」と声をかけられ、潤はニンマリした。暫くしてコイン7枚潤に渡した。人がいなくなると、すたすたとケージに入って練習していた。コインを使い果たし、帰ると言うかと思ったら、いつ買ったのか知らんが、自分の財布から回数券を取り出してコインに変えていた。私が知らないうちに練習に来ていたのだろう。やり終えると、2人でバイクに乗り家に帰った。潤の長袖の袖が雨で濡れていた。冷たくならないように、片手でその手を押さえながら、運転した。
2003年05月26日 15時26分27秒

  • 2003年5月24日
    全日本選手権中国連盟大会最終日、大会7日目だ。試合が13時から高速で1時間のところで行われる。朝、グランドに設置されているバッティングケージで、打ち込みを行った。一人35球行った。順番待ちはティーバッティング。昨日から、私に、豆腐の軸受けといわれている潤は、やや不調。タイミングの取り方が分からなくなっていた。最近、軸足一本に乗っかって打つとき踏み込む工夫をしているが、未だ開発途上のようだ。今、あんまりごちゃごちゃ言わん方が良いと思って、タイミングが取れず83マイルをレフト方面にしか打てずにいたが、何も言わんかった。9時半に出発した。今大会は、散々だった。まぁしかし、子供のやることだし、足並みもそろわず、各家庭色々事情があるのに、よくやったと思う。今の子は、やれ、国立、私立、塾だテストだ、大変だなぁ。今日も試合が終わってから、塾に行く子がいる。半分以上負け惜しみだけど、私らコーチは健全育成が目的のボランティアだったけ。勝ち負け、悔しさ、悲しさ、喜び感動、頑張り、人として、成長するわけだし、そういう意味じゃ、少なくともうちの潤は、ありがたい大変意味のある体験ができたと思うな。最後の一試合は、意地を見せてくれた。結果はコールド負けだが・・・。3番センターでスタメン。今大会は、11試合全て先攻だった。初回第一打席、一球目から、狙っていった。相手ピッチャーこれまで見せなかった速球で潤のバットは空を切った。続く第二球目、外角いっぱいの厳しいところをストライクの判定。潤の顔が引きつった。打席をピッチャー寄りに変えた。カーブに対抗するためだ。しかし、これが活けなかった。おもむろに、相手に分かるように、来るなら来いという表情で、軸足の地面を掘った。そんなことしたら、3球目は、真っ直ぐに決まっている。2球目、あからさまに顔を引きつらせ、3球目でこれまた、分かるように、立つ位置を、バッターボックスの一番前に移した。3球目は、二球目と同じところの真っ直ぐで、3球三振だった。これからは、駆け引きも教えなければならないと、痛感した。余りにも、無防備の打席だった。4点を先攻され、第二打席、真っ直ぐを見送った後、2球目、カーブを大会5号2ランホームランをライト線に高々と放った。借りを返したぞと言わんばかりの表情で意地を見せて、ダイヤモンドを回った。しかし、うちの得点はこれまでだった。潤は5回敗戦処理の登板だった。大分よい球が行くようになった。球威は格段に増した。しかし、まだまだ本調子ではない。味方の二つのエラーで9点ビハインドから1点追加され、2−12コールドとなった。打席は2回しか回って来なかった。潤の顔には悔しさはなかった。むしろ、投げれた喜びを噛み締めていた。HRのことより、「父さん、わしどうじゃった、よくなったじゃろ。」この言葉を繰り返した。たった1イニングだった。故障からの復帰、そして3勝8敗、5HR、沢山の事を学んだはずだ。しかし、未だ、やらなければならないことは沢山ある。潤は、マウンドでサイン交換の時、時々目を細めて覗き込んでいた。やっぱり、視力が落ちているのだと思う。なぜ、もっと早く気がつかなかったのだろう。これは、私の責任だ。私は、潤の気持ちを少しも理解していなかったと思う。私の半分も見えていないのだから。試合を終えて、そのまま、バッティングセンターに向かった。しかし、潤は寝息をたてていた。可哀想になり、バッティングセンターの駐車場から一度家に帰った。シャワーを浴びて、牛乳飲んでリフレッシュ。ゲーセンに行った。コインストックがあったので、それで遊んだ。閉店まで、しばらく、ゲームに没頭していた。サンリブ五日市店のゲーセンを後に、五日市バッティングセンターで練習した。今日は、軽い調整。朝の迷いの答えを探した。まだ、ぎこちないが、今は余り言わない。年末の方がホームが綺麗だった、今は、自分のスタイルを見つける最中。アゲハだって、最初は、醜い芋虫、そして小汚いサナギになって、生きてるやら死んでるやら、そしてやがて美しいアゲハになる。駄目だと分かれば、駄目が一つ判っただけ進歩ってこと。考えて行う、これが上達の勢いだと思う。今日は、良くやったと潤に言った。
2003年05月25日 01時02分28秒

  • 2003年5月23日
    今日も塾だ。今日は、彩が丘教室で行われるため。迎えに行かなくて良い。9時に潤は帰ってきた。練習に出かけた。昨日は30球中、ミスは6本だった。今日は最高で9個、昨日よりは調子が悪い。22時になり時間切れとなった。帰り道、明るいとこを見つけて、車のヘッドライトで照らして素振りを行った。左右の骨盤が水平に動かない。前足を上げたときに、軸受けが動いてしまっていた。下半身のモーションが大きくなると、正確さを欠く。明日のことが気になった。豆腐の軸受けじゃ、軸は回らない。スイングが悪いのは全部このためだ。小手先じゃない。軸受けを放っておいて、上半身を直そうとするととんでもないことになってしまう。ずいぶん難しいスイングをするように見えてしまう。明日は、早いのにこの時間まで練習している子は他に居ないだろうな、うちには・・・。
2003年05月24日 18時13分46秒

  • 2003年5月22日
    木曜日なのに、藤木の塾に自習に行くと電話があった。午後8時に迎えに来てほしいと言った。そうは言われても、仕事の都合があった。7時40分に仕事場を出て、そのまま直行した。潤を積んで、バッティングセンターに練習に行った。ケージの待ち時間にシャドウピッチングを良く行う。投げたいんだろうなぁ。
2003年05月24日 18時05分08秒

  • 2003年5月21日
    家に帰ったら、居間のテーブルが端に寄せられ、カーテンが開いていた。何をしたのかな、素振りでもしていたのかな?午後9時になって、潤が帰って来た。聞くと、シャドウピッチングをしていたという。大分、肩が良くなっているのだと思う。投げたくてしょうがないのだろう。今日、塾が終わるの早いと思ったら、冷蔵庫から、太目のウインナーを出して、それを2本くわえたかと思ったら、また出ていってしまった。中間テストの勉強を22時半まで、塾でするのだという。わしはそれまで、夕食を我慢か?そんな事出来る訳内だろうが・・・!潤に内緒で、インスタントヤキソバ塩カルビを食っちまった。あぁ、ダイエット中なのに・・・。潤が帰ってきてから、中華丼を作った。サバ缶が食いたいというので、ネギを刻んで一緒にだした。わしも勿論もう一度潤と飯を食った。だめだこりゃ。
2003年05月23日 11時55分26秒

  • 2003年5月20日
    夕べ点眼剤を使用して、今朝は、遠くの物が見えやすいと言う一方、近くの物がぼやけて見えると言う。薬の効果が現われているのかなぁ。顔もすっきりしている。ガサガサ顔が、しっぽりして、肌荒れが改善されている。凄い効き目に少々ビックリした。今朝は、何も顔に塗らずそのまま、登校した。学校から帰って来ても、肌荒れは、大丈夫だった。念のため、もう一度ステロイド剤を少量塗った。そして、テカった顔のまま、バッティングセンターに出かけた。今日は、何も文句言わないで置こうと決めていた。但し、車の中で、潤に聞いた。「バッティングの原理原則は?」「えっ?軸とー、スパイラル。」OK、OK、分かっていた。これが自覚できていれば、細々言う事はない。打撃の中で、これを基本に試行錯誤が必要だと思う。打撃練習は、至って好調だった。昨日の記録を塗り替えるまで、行うと言って、ケージに入った。最終的に6/30まで、記録を伸ばした。ケージの練習は、目的意識をもって行えば、色んな事が可能だ。例えば、低めに設定し、低目を打つ練習、その逆、立つ位置を変えれば内外角にも対応出来る。低めに設定し、ピッチャー寄りに立てば、速球の練習も出来る。また、ノーステップでトスバッティングも良い。試合を想定して、2ストライクまで見送るのも良い。ヒットやHR、例えば、ライトに打てる球だけ手を出すとか、やり方を工夫すれば色んな事が出来る。まぁ、しかし、コイン1、2枚(1枚30球)では、殆ど来た球を打つになってしまう。リーグのマシン練習も、このように木目細かく行う事は中々出来ない。一時、シンクロが話題になったが、マシンでは、アームや、ローラーを転がる球にシンクロする事は、無意識のうちに行われると思う。しかし、なるべく、ここらを断ち切って、飛んでくる球にだけに集中する練習が良いと思う。この練習を、マシンで行おうとすれば、ランダム設定が無いバッティングセンターでは、自分が工夫するしかない。
2003年05月21日 10時42分52秒

  • 2003年5月19日
    今日は、予てから、病院に行く日だった。潤は肌荒れが酷く、荒れた薄皮が日に焼けて、そこがかさぶた状態になっていた。顔が、アザラシのタマちゃんみたいに、銭型の斑点とかさぶた
    になっている。さすがに、気になるようだ。午前中に皮膚科に行った。顔の薄皮を少し削いで顕微鏡でカビの検査は白。どうやら、ハタケが悪化したようだ。ステロイド剤とビタミン軟膏を貰った。ステロイド剤は塗り薬なら2、3日の使用はOKで副作用の心配はないという。続いて、眼科に行った。最近、物が見えにくいという。学校の検査でもCBだった。困ったものだ。私は、未だに2.0なのに、遺伝的なものが強いのかなぁ。私の家系には眼鏡使用者は居ないが、母親方はあまり目が良くなかった。お母さんの目を貰っちゃったんだぁ。眼科での視力検査はショックだった。右目が0.2、左が0.5だった。右目は、殆ど見えていないじゃん。ビックリしたと同時に、可哀相、何とかしなくっちゃ。医者の話しでは、目薬とトレーニングで約7割は視力が改善するとのことだった。2週間はこれで様子を診る事にした。続いて、床屋に行った。坊主頭が、間延びしてかっちょわりぃーので、月曜日もやっている床屋で散髪した。給食の時間までまだ1時間ある。バッティングセンターに練習に行った。ここでコイン数枚行って時間調整した。授業の途中で学校に行くのが嫌らしい。給食の時間に合わせて学校の門の前で、降ろしてやった。私は仕事を終えて家に帰ると、潤はソファーで寝ていた。夕食を作り終えるまで、そのまま放置。出来上がると一緒に夕食を食べ、再びバッティングセンターに練習に行った。最近は調子が良い。練習は次のように行っている。1枚目、トスバッティング。2枚目から数枚、自由に打たす。最後のコインは次のように行う。自分がHR打てる球だけに手を出す。後はすべて見送る。ストライクでも2ストライクまでは、自分が嫌いなコースは手を出さなくて良い(カウントされない)。打つからには、ライナーもゴロもフライも見逃しも空振りもチップも全てNGにカウントする。つまり、自信をもってボールと判断して見送ったものと、HR以外をカウントする。今日は11/30だった。過去最高記録を達成した。こいつ、見えてるのかなぁ?やっぱ、視力と動体視力は別物らしい。
2003年05月20日 16時14分40秒

  • 2003年5月18日
    先週雨で大会が中止になったので2週間ぶりの公式戦だ。潤は3番ライトでスタメン。なんか、かっこいい。肩も大分復活してきた。ブルペンで投球練習も行った。監督自らキャッチャーを行なっていた。潤もだんだん実感が沸いて来たのだろう。投球練習を終えて、にこりとして白い歯が見えた。一打席目、右中間にツーベースヒット打点2、二打席目、セカンド強襲のシングルヒット二塁手の足をラインドライブのかかった打球が直撃して、しばし中断。第三打席やっと出た、今大会4本目3ランHR、で打点5と完全にはまって、4回コールド勝利。続く2試合目、3番キャッチャーでスタメン。潤の左手親指はテーピングでぐるぐる巻きにした。昨日の打ち込みの内出血が痛んでいた。第一打席、右中間に打ち、セカンドフォースアウトだが、打点1、続く打席ライト前でシングルヒット、続いてライトフライでタッチアップを決めたものの得点に結びつかなかった。しかし、1点差で逃げ切って今日は2勝した。私としては、やや不満だが、監督から釘を刺された。これ以上、潤にプレーッシャーかけちゃいかんと。子供は、一生懸命やっているじゃないかと。ハッとした。ほんとだなー、子供の野球が、いつの間にか、自分の野球になっていた。実際に戦っているのは子供なのに。やっても、やっても、しかめっ面のおやじ顔だ。これじゃ、いつか潰れてしまう。いつも、大事なときに、本音で監督は話してくれる。帰りの車の中で、潤が寝息を発てている時に。監督を家まで送って、その後行くはずのバッティングセンターは中止した。家で風呂に入りにサンリブに出かけた。久しぶりのゲーセンだ。プレッシャーから、開放された潤は、人ごみの中で、生き生きしているように見えた。ゲーセンは、やっぱり子供の遊び場、私は糞面白くもないが、潤を見ているが楽しい。潤は、コインをどんどん貯めて行った。遊びに飽きて、マックでポテトを食べた。腹ごしらえが、済んだら、やっぱりバッティングセンターに行った。どうも、生活のリズムは崩せない。今日のホームランは、フルスイングじゃなかった。トップから、ミート迄は速かったが、その後、惰性で振ったような当たりだった。それを監督は、ナイスHR、良く貯めて打ったなと褒めた。先にこれを聞かなかったら、私は、なぜフルスイングしなかったとやっぱり責めていたと思う。ケージの中の潤に、タイミングをはずした私は、今更、ナイスHRと声をかけた。誰に言われるよりも、父親の私に言われるのが一番嬉しいと思う。遅くなってしまった。
2003年05月19日 00時57分20秒

  • 2003年5月17日
    ななんと、グランドが使えないと連絡網が回ってきた。11時まで自宅待機だと。折角早く起きて準備していたのに・・・。再び回ってきて、13時からの練習になった。しょうがない。メイとお散歩に出かけた。その後、庭の草むしりをした。潤は再び寝室でゴロリ。睡眠不足勝ちだから、寝ていれば良い。かがんで、芝の草を抜いていると、ほんの2mのところに四十雀が飛んできて、ツーツージジーと鳴き叫ぶ、じじいだと?失礼な!私が庭の巣箱の近くにいたので、早くどけと言ったのだろう。それと、巣箱の中の2羽の雛に帰りを知らせていたのだと思う。私は、できるだけそっとしてやろうと思い、ゆっくり振り返らず、巣箱から離れた。2度3度、四十雀は近くを飛んで位置を変え、くちばしにくわえた、虫の幼虫を巣の中に運んだかと思うと、また、勢い良く飛び立って行った。そして、また、ジジーと鳴いて、どけと言う。ハイハイ、分りました。こんなやり取りを3、4回繰り返した。昼になり、潤を起こして、練習に行った。今日は、監督はお休みだった。グランドは、学校の運動会の駐車場に使われていた。そんなわけで使えなかった。午後になって、一応、グランドから車はなくなったものの、役員会でもあるのだろうか、グランド下の駐車場は、沢山の車があった。これでは、打撃練習ができない。ノックを中心に練習を行った。ついに、フリーバッティングはすることなく練習終了となった。駐車場の車が、うらめしい。一度解散を告げ、残業、いや、居残り練習をやりたい者はケージでマシンによる打ち込みを行なってよいことにした。一人減り、二人減り、最後は潤と6年生の二人になった。6年生は昨秋左に転向した。大分、良い当たりを打てるようになった。やっぱり、少人数でマシンを独占して行うと、効率が良いなぁ。ワンミス交代で連続で行える決まりで行った。こうなると、みな、真剣になるが、やっぱり、潤がいつまでも行ってしまうので、30回連続ヒットで交代にした。83マイル80マイル73マイルで行った。ワンミスは、全部前方に打たなければならない。見逃し、見送りもだめである。潤は疲れて見逃して休んだ。ケージから出た。潤の左手の親指の付け根が紫色に内出血していた。硬球は打ち損じと手が痺れて痛い。我慢して行っていたのだろう。誰にも負けたくなかったのだと思う。
2003年05月18日 23時13分21秒

  • 2003年5月16日
    潤から電話がかかってきた。今日はバスで塾に行くと言っていた。残業を20時45までしてしまった。塾に迎えに行かなければならないが、やばい!間に合うか?広島西バイパスをぶっ飛ばして帰ったが、迎えの時間に間に合わず、潤は塾の外で、ぽつんと待っていた。急いで潤を拾い、そのまま、バッティングセンターに直行した。私はスーツのままだ。いつもは、ラフな格好だが、潤から、父さんはこっちの方が良いと言われた。子供から見れば、ネクタイしてた方が偉そうに見えるのかなぁ、やっぱり。父さんは、偉い人間なんかじゃないのよ、潤のたった一人の父さんだけど。自分にできなかったことを、子供に強要してはいまいか?疲れたと口に出さず、伸びてきた坊主頭に、大粒の汗をかいて一生懸命バットを振っていた。今日は、夕飯など作る時間がないし、明日は早い。最近できたイタリアレストラン、グラッチェで夕食をとる事にした。22時を過ぎて、店内は、おなごであふれていた。わしらは、おしゃれな店は基本的には場違いだけど、今日に限って、わし、スーツ、潤は今時の若者の格好だったので許されるかな。まあ、余り店の雰囲気を壊さなかったと思われる。ピザは旨い、イタ飯てナポリ風とミラノ風に分かれるけれどわし、ピザはミラノ風の薄焼きが好き、具はシェフにお任せ、そしてスパゲティーはサーモンとアスパラのクリームソース名前は分らんやつと、潤はカニのクリームスパゲッティ、それと、鳥のから揚げ、ドルチェはマンゴのムースっぽいやつと、ティラミス、ほんでもってドリンク、以上で3千円少々。開店間もないので段取り悪いうえ、客が沢山入っていた。でも、店員みな一生懸命だったので許しちゃう。美味かった。また来たいと思った。行くところが増えてうれしいな。潤が喜んでくれたのが一番うれしいな。
2003年05月18日 22時25分00秒

  • 2003年5月15日
    潤から、元気の無い声で電話が掛かってきた。「父さん、家の玄関大変なことになってるよ。」なぬ!また、メイが悪さしたな?今度はスパイクでもかじったかな?嫌、違った。もっと最悪である。「ツバメの巣が落ちていて、何にもいないよ。」ガーン!昨日、あんなに、鳥の成長を喜んでいたのに・・・。一昨年、家の対面の家の軒下にツバメが巣を作っていた。そこには、もう直に巣立つひなが数羽いた。庭で草むしりか、何かしている時、私は見た。大きな黒いカラスが飛んで来て、ひなを片っ端から食っていったのを。親ツバメが、ピピーと鳴きながら、2羽でかわるがわる威嚇していたが、何十倍も大きなカラスにはかなう分けがない。住宅地でこんな自然のやり取りを見て愕然とした。自然界は厳しい。弱肉強食だ。それ以来、そこには、ツバメが巣を作らなくなっていた。今も、壊れた巣だけが、そこにある。その事を思い出した。明るいうちに家に帰ることが出来た。巣は、泥と藁の部分が剥がれて大破していた。巣が乗っていた個所が曲がっていた。おかしい、力が加わらねば、支えの棒が曲がる訳が無いが・・・。脚立でその場所に登って確かめた。棒は長年の歳月でいつしか曲がってしまっていて、楔の役目を果たしておらず、果たして、カラスにやられたか、自然落下か判断が出来なかった。とりあえず、日も直ぐに暮れてしまうので、懐中電灯を片手に、庭の植え込みや、エアコンの後ろや下を探した。ひなが1羽でも無事にいれば良いと思った。午後8時まで探したが、結局手がかりは掴めなかった。探しているうちに、大きな鳥の糞を見つけた。ヒヨドリかカラスだろう。やっぱり食われちゃったのかなぁ。ツバメが巣を作って以来、玄関灯はツバメが怖がると思い点灯していなかった。もう、巣が落ちちゃったので、いいやと思って点灯した。すると、近くの止まり木に、2羽のツバメがとまっていた。可哀相に・・・。私は壊れた巣を拾い上げ、蚊取り線香の円い蓋の上に乗せ、それを元にあった位置に、硬球の赤い糸でシッカリ結んでやった。大家として、出来るだけのことをしたかった。壊れた巣でも、毎年、ツバメは泥を運んで、リフォームする。かなり壊れたが、今回も何とかなるかも知れないと思った。その晩、ツバメは2度と姿をあらわさなかった。巣の修理を終えて、潤とバッティングセンターに練習に行った。最近、なんだかフォームが変!崩れてきている。やっぱり、見てやらないと、駄目だなぁと思う。まるで駄目である。軸がぶれる。突っ込む。スイング遅い。良い所が一つも無い。焦ってしまう。こういう時はデジカメが役に立つ。以前調子の良かった時のフォームと比べることが出来る。家に帰って、毎月のフォームをPCで再生した。結局、潤と、1時近くまで、ああでもない、こうでもない、をやっていた。潤には軸とスパイラルこの、原理原則を常々言っているのだが、どうして、こうなってしまうのだろう。一つ間違った悪いフォームで成功すると、それを行ってしまう。そのうち原理原則とかけ離れたスイングを仕出す。結局最後は分からなくなって、以前を振返る。この繰り返しが多すぎる。今回の場合、下半身の使い方で、全てをぶち壊していた。全く頭が痛い。もし、PCが無かったら、どうやって、こどもに説明しただろう。パソコンって凄い!
2003年05月16日 14時29分42秒

  • 2003年5月14日
    潤が朝庭に出て、庭の端にある野鳥の巣箱になにかいるというので、そーっと覗いてみると、今年も四十雀が住み着いていた。小さなひなが2羽首をもたげて動いていた。毎年、巣箱を使ってもらえるのは嬉しい。玄関のツバメも4羽ひながすくすくと育っていた。潤は、鳥達が元気であることを確かめると、友達と元気に出かけて行った。夕方、仕事場に潤から電話が掛かってきた。「父さん、素振りしたけー、塾行ってくる。」これだけであるが、潤の気持ちの中で、やっているぞという事を、私に伝えたかったに違いない。私は、潤が塾なので、客先で、遅くまで仕事をしていた。すると、また電話が掛かってきて「今日頑張るけー、22時まで塾にいる。」と告げた。私も、がんばらにゃと思い、21時過ぎまで、仕事をしていた。しまった。夕食の支度が出来ない時間帯、そして買物も出来ない。仕方なくセブンで弁当を二つ購入した。それと、サラダを買った。潤が帰ってくるまで、いつでも、電子レンジで温められる体勢で、ハラペコの私は待っていた。潤が元気良く帰って来た。電子レンジでチン!コンビニ弁当でも2人で仲良く食べるのが良い。明日は、飯作るぞー!
2003年05月16日 13時57分47秒

  • 2003年5月13日
    漸く売り掛け金の回収見込みが・・・しかし、60%程しかない。人間関係もギクシャクするようになってきた。あぁ、嫌だなぁもう。バイクで家に帰る途中、仕事人の顔から、父親の顔に戻す努力をした。野菜炒めを作って、2人で食べた。潤は、最近良く野球を見る。そして、若いからドンドン吸収するように見える。食後、バッティングセンターに行って練習した。上手い具合に球がバラけてくれて練習になる。低めいっぱいを、センターに放り込む当りもある。ストライクは、全部狙えと指示した。コイン4ゲームを黙って見ていた。その後、指示すると、久しぶりに、言い返してきた。私もむっとして言い返した。30球中、19球HR性の当りを打てなかった。速くてもゴロ打ちは駄目だ。ポップフライも駄目、ボールだまは見送らなければならない。何とも無理な注文を着けた。本来なら、ヒット性の良い当りも駄目なのだ。HRのみOKだ。どこまで打てて満足するかの問題だ。私がケージの後ろでHRとボール以外をカウントした。小雨混じりで打ちにくいのは、分かる。気持ちの問題だ。潤はなんて無理なことを言うオヤジだと思ったに違いない。ライナー性の良い当りでもカウントされるのでぶちきれて、そこらに転がるボールをケージの外の私に投げつけた。私は、そのまま、車に乗って、バッティングセンターを後にした。カラオケボックスの駐車場に車を止め、潤が来るのを待った。私達は、いつもの通り、一番最後の客で、おじさんは一部始終を見ていたと思う。潤は、どんな気持ちでバッティングセンターを後にしただろうか。午後22時を過ぎて、小雨の中、学ラン坊主頭で、片手にバット、片手にはペットボトルを持ち、とぼとぼ歩いていた。車に気が着いた様だが無言で通り過ぎた。暫く頭を冷やした方が良いと思い、10分ほどそのまま待機した。五日市ー湯来線の県道をハイビームで探しながら車を走らせたがいない。来た道とは別の県道を逆に戻った。暫く行くと、暗がりのバス停にちょこんと座っているのを発見した。車道反対側に車を止めハザードを点滅させていると、腰を上げ、車の後部座席に乗り込んできた。後ろに車が渋滞し始めたので、脇道に入り車を止めた。無言の後、気持ちの持ち方の話しをした。私は、コーチの目で見ているし、子供は選手の目、間近の子供を対象に見ている。今のチームで秀でていてもしょうがないのだ。中国連盟で5本の指に入るかも知れない練習量、でも、結果が伴うか?そりゃ、身体的に大きな子は世の中にはナンボでもいる。そんな奴等と戦わなくてはならない。潤は、普通サイズより、ちょい大き目、奴等は打ち損じても、HR持って行くパワーがある。お前は、どんな球もミートできる力があるのに、そこまで突き詰めて打球を考えたことがあるか?マシンコントロールが悪いから、当てるだけ?これじゃ、ピッチャーに打ち取られているのと同じだよ。追い込まれたらどうするの?空振りしなくても負けだよ。打ちにくい球程、集中せい!私はスマップの歌が嫌いだ。今の駄目日本を象徴している。オンリーワンの道を選んだら、その後ナンバーワンにならなくてどうすんのよ。あほかぁー。練習に行く前に潤が明林堂(本屋)で本が欲しいといっていたのを思い出した。漸く車を走らせた。もうすぐ23時になろうとしている。本屋に車を止めたが、買う気分ではないと、却下された。セブンイレブンに着く頃には、潤の気分も回復しつつある。明日の朝食のパンとサラダを籠にいれた。買物をしていると、棚の向うに、潤の坊主頭が見え隠れする。私に遅れて、車から降りてきていた。やっぱり、まだ、こどもだなぁ、野球を離れたら、優しい父親に戻らなきゃ。
2003年05月15日 11時12分41秒

  • 2003年5月12日
    残業してしまった。19時過ぎにに銀山町を出た。家で待ちかねた潤が、バイクを運転している最中に電話を掛けてきた。後、5分で帰ると告げた。全く、無駄な残業はしたくない。飯を炊いて、バッティングセンターに出かけた。今日は、オフ日だが、昨日、試合がなかったので、今日は調整に来た。4枚のみ行った。最近、マシンコントロールが悪い。高低にぶれる。新しいボールは高く飛んできて、ディンプルの無い磨り減ったボールは低めに来る。これは、好都合で、練習になる。帰り道は、いつもと違う道を通った。気分転換だと潤は言った。いつも、いつも、繰り返しだもの、マンネリは、いろんな事につけ、よくないと思う。だから、打撃練習も、ただ打つんじゃなくて、目的を持って行うのがよいかなぁ。ちなみに今日は、低目をひざをやわらかく使って、HR打て!だった。昨今、NYの松井が、パッとしない。潤は松井の打てないコースを知っていると言っていた。だから、いろんな打ち方を試すのだという。松井と同じように構えると、同じように苦手なコースがあるのだそうだ。家で冷蔵庫を開けたら、昨日、頂きものの弁当が二つ入っていた。賞味期限は切れているが、今から夕飯を作るのも面倒だったので、それを電子レンジでチンして食べた。全然問題なかった。炊いた飯は、手付かずに明日の朝食だ。
2003年05月13日 15時56分37秒

  • 2003年5月11日
    昨晩から、雨が降り続いた。連絡網で大会順延が回ってきた。夕べは子供が寝てから、PCと奮闘していた。それと、解れた硬球を7球編み上げた。指先が痛い。子供達を9時まで朝寝坊させた。本来なら、5時半起床だったが。目覚めてから、特製チャーハンを作った。食後に、昨日のバッティングセンターで撮影した画像を不安定なPCでフルスクリーンモードで再現した。やっぱり、でかい画面で見たほうが判りやすい。あらら、やっぱりハングっちゃった。頭来て、そのままブッチン電源を落とした。その後は、子供達はパワプロ(PS2)で遊んだ。私は、子供達がソファーを占有していたので、床にごろりと転がった。そのうち、眠たくなって、フローリングの上で午後2時まで寝てしまった。一昨日から睡眠不足が続いていた。目が覚めるとお腹のところに、やっぱりメイがいた。そして、丸裸になった硬球がゴロンと転がっていた。あぁぁぁぁ、わしが折角、編んだ硬球をメイがカジっていた。ショックー!わしが、メイの届くところに置いていたのが悪い。怒れなかった。修理の必要な硬球が後40球近くある。全部和室に片付けた。雨が止んだので、子供達とせせらぎ公園に行ってキャッチボールを行った。サッカー軍団にグランドを奪われ、危ないので中止にして、ドライブをすることにした。魚切ダムに行って、アルカディアビレッジに行った。雲が低く、山は無理かなと思ったが、潤が極楽寺に行きたいというので行くことにした。案の定そこは雲の中、霧で視界が利かない。標高600Mだが、雲が低く垂れこめていた。だれも居ない休日の山の中、こんな天気では、しょうがない。でも、仙人になった気分で大きな杉の木が茂る森を3人で元気良く走って行った。展望台はやっぱり霧の中だった。瀬戸内海や宮島を見下ろせる高台なのに残念である。お寺の賽銭箱に子供二人は小銭を入れて、なにやらお願い事をしていた。聞くとA君は、初ホームランを打ちたいと、そして潤は、投げて勝ちたいとお願いしたと言う。再び、霧の森を走って帰った。暗がりに、ふわっと出るお地蔵さんが不気味で気持ち悪い。このお寺は500年前からある。歴史を感じる建造物だった。極楽寺をでて、子供達を走らせた。廿日市市内まで、ズーッと、高低さ600Mの下りである。ちょっと太目のA君には良い運動になる。有酸素運動で脂肪を燃焼できれば良いと考えた。上り坂じゃないため、比較的楽である。下り坂なので、長く走れる。足が自然と出るので、腕も良く振れる。平地を走らすよりきつくなく、効果があると考えた。結局5キロ以上市内まで走らせた。整理体操を終えて、車に乗せたとき、全身が、かゆいとと言った。よしよし、作戦成功。廿日市市の体育館サクラピアのプールに行こうと言う事になった。水着は、買えばよいと思った。売り場に行くと、競泳用のものしかなく、それを見たとたん、潤とA君は尻込みした。こんなの恥ずかしくて穿けないのだそうだ。やっぱりこの後、行くところを考えたが、ボウリング場とバッティングセンターしか思いつかなかった。美鈴ガーデンボウルに出かけた。大人一人小学生二人と申込書に書いた。そのまま、パスできたので、後で思えば280円浮いた。例によって、私と潤は掛けた。潤が勝ったら1000円やると。今日の潤は違っていた。大笑いである。1フレーム目、ガ−ター、スペア、2フレーム目もガーター、スペア。次からである。事件がおきたのは、なんとこの後5連続ストライク、その後2回ミスしてまたストライクとスペアだ。私は、唖然、戦意喪失した。スコアは198でダントツトップだった。最後にコンピュータのスコアの画面には、「貴方は、男子プロのアベレージを上回っています。プロテストに合格できます。」と表示された。考えてみれば、最初と、2回目のガーター二つとスペア二つのスペアは、ストライクと同じく全部倒しているのだから、合計8回も10本倒したことになる。スゲー!わしもハイスコアは200アップするが、5連続ストライクは記憶にない。ちなみに、この日は、ぜっ不調で115、昨日のバッティングピッチャーで足が痛かったの。(言い訳、このところ150前後ではあったが・・・)A君の80を大きく引き離した。潤は、ラッキーフレームも勿論ストライクだったので、賞品のジュースを一人で飲んでいた。ぐやしい、しかし、途中から勝負にはならなかった。200アップしたら、もう1000円取られるところだった。気分を良くして、バッティングセンターに移動した。今日も12枚購入した。バッティングセンター代だけで、恐ろしい勢いで金を使っている。まぁいいかぁと自分を慰めた。昨日は後3ヶ月しか使わないのに、スパイクがきついとスパイクとその他を購入していた。本当に金が掛かるな、こいつら。まぁ良いかぁ、しょっちゅうこう言う事があるわけじゃないし、A君は、頑張っているしね。A君は今日は130キロに続いて、140キロも打った。大分、打球を線と線で捕らえるようになってきた。HRの当たりも2本出た。打球が速くなった感がある。ちょと嬉しい。本人も嬉しいに違いない。既に時間は午後8時になっていた。度々、A君の母親から、電話が掛かってきたが、私は電話を取らなかった。A君に電話を渡した。なぜだか分からない。電話を取りたくなかった。多分二人とも我が子のように接していて、現実に戻りたくなかったのかも知れない。その分、後で考えれば、A君を度々現実に引き戻させて可哀想なことをしていた自分に腹が立った。井口の祭り寿司に行ったが、日曜日の夜は、家族連れでごった返していて、駐車場にまで、人の列がはみ出していた。諦めてアルパークのシェーキーズで夕食にした。食べ放題、大人1250円、小学生950円だった。今回も大人一人小学生二人で入った。坊主頭の二人をレジでじろっと見られたが、アルバイトのねーちゃんは何も言わず、席に案内してくれた。太めのA君には、今日一日中、甘いものは食わさなかった。私は今日はコーチであり、勝手に父親役を演じていた。迷惑だったかも知れない。彼は、ドレッシングを掛けずに野菜中心に、食べ物を選んでいた。食べ放題なのに、控えていた。「今日は、いっぱい運動したから、食べて良いんだよ。」と言った。彼は、安心してフルーツポンチを持ってきた。彼が今日、初めて甘いものを口にした。私もダイエット中だったが、タラコスパゲッティー、カレー、から揚げ等、ピザ以外にも沢山食った。完全に元を取ったと思う。店を出て彼を家に送っていった。家の明かりは着いていなかった。迎えに出る人も居なかった。お礼を言ってA君は暗闇に消えていった。潤は大きな声で「A、やれば出来たじゃろ!これからも頑張れよ!」と暗闇に向かって言った。二人きりになって宮島街道を西に走った。A君、楽しかったかな?と潤が切り出した。分からない、と私は答えた。その後は、いつもの会話に戻った。潤は、今度、監督にボウリング、挑戦するそうだ。
2003年05月12日 17時07分57秒

  • 2003年5月10日
    良い天気だが、明日は雨の降る確立80%だという。信じられない。明日は、公式戦だと言うのに。久しぶりにホームグランドで練習だ。週中の雨でマウンドの土が流れていた。セカンドにも水路が出来ていた。私のエスティマにH鋼を牽引してグランド整備をした。午前中は打撃練習である。昨日三振予告をしていたが、やっぱり潤には打ってもらいたいと思う。ケージを2箇所つくり、片一方はマシンでもう一方は、コーチが投げる。今日は、81マイルに下げて行った。うちの打線では、こんなものだろうと最近常々諦めモードである。昨年度より3マイルも遅い。コレでも下位打線や、休みがちの子はやっぱり当たらない。当たり前だツーの!練習してないんだもん。さて、潤は、マシンではポンポン打ちやがった。当たり前だつーの!いつもやってるんだもん。特別でもなんでもない。普段、潤が何しているか、他所の子は知らんから凄く見えるんだと思うよ。続いて、わしじゃないコーチが投げた。まぁそれなりに打っていた。もう驚きません。潤が打つと駐車場の車を壊すので、駐車場から車の移動をお願いしていた。車を置けないのなら、駐車場ではないな。でも潤は、神経使ったのか、センター方面にばかり打っていた。これも、坂をボールが転がっていって、無くなってしまうのだが、車を壊すよりは、まぁよいかなぁ。選手が一巡して、わしが投げた。二巡目は、速球、チェンジアップ、カーブを織り交ぜた。潤は、自分のコースに来ないと手を出さない。昨夜の対決の約束を忘れていなかった。あまり手を出さないので、口撃した。「びびって手が出ないだろうが!」散々言ってやったが、マイペースだった。悔しい。監督は潤が打つときは、ライト駐車場を守備に着く。これを良いことに親子対決だ。潤は、コンパクト打法に徹していた。結局私は三振をとれずに、4分の持ち時間は終わった。終えてから潤が「ほれ、言ったじゃろうが!」だと。複雑な気持ちだった。場外打は1本でも、三振しなかったので嬉しい。午後の練習で、監督が潤を呼んでピッチング練習を行った。その後、明日登板を告げられて、鼻息が荒くなっていた。今晩は事情があってA君が家に泊まりに来ることになった。チーム練習を終えて、バッティングセンターに連れて行った。A君も母子家庭だ。バッティングセンターに来るのは今年初めてだと言う。昨年9月以来だという。各家庭事情があるから、仕方が無いとは思う。潤と同じケージに入ってA君は頑張った。結果は想像の通りだった。このまま、諦めさせるわけには、いかなかった。何とかしなきゃいかんと思った。コインを24枚追加で購入した。デジカメでフォームを撮影して、その子に説明した。普段の練習では、そこまで中々見れない。まして、彼は、いつも12,13番目の選手だ。画像をスロー再生して、スイングを直すように、説明した。私はコインを渡し、彼は、130キロのケージで練習した。スイングが大きくなって、良い兆候が見えた。磨けば光るだけのモノを持っているのに、彼は普段、優しい言葉からは程遠い子、長男であり、風当たりも冷たく強い。それは昔からだと思う。彼を見て、そして潤を見て、子供って何だろうと考えてしまう。同じ境遇、同じ学年である。同じ様に練習してきたらどうだったか。優しい子である。いつも不満を言わずに自分の中に抑え込んでしまう子である。もう少し、子供らしく、何事にも、希望と意欲を持って望んで欲しい。潤が車の中でスマップのCDを掛けると、小さな声で、A君が自然に歌いだした。もともと種は違う。ナンバーワンにならなくて良い。もともとオンリーワンだという歌詞だ。私は、その子に、オンリーワンじゃない。どうせやるならナンバーワンを目指せと言った。この歌詞の意味は、判るが、その子が、歌っていたら、諦めているようで悲しく、そして、むかついた。
2003年05月12日 14時02分32秒

  • 2003年5月9日
    まともに仕事するのは約一月ぶりだ。なんでこんなになっちゃたのか。仕事はあっても取引先から入金がなかったら、止めざるをえない。感覚が鈍っちゃって、困ったものだ。そんなこんなで、残業をする羽目になった。帰って見ると潤は既に塾に行った後だった。腹を空かせていたのだろう、食い散らかしたままだった。家のPC(xp)が9月から調子が悪くって、今までごまかしながら使ってきた。しかし、もう、我慢の限界だ。これ以上長引かせると、バックアップも面倒になるし、潤がいない間に作業をしようと思った。友人のPCショップでCDを多量に購入して片っ端からバックアップした。面倒くさい。潤を迎えに行く時間になてっも、終わらない。途中で止めて、藤木教室に迎えに行った。潤が出てきたら直ぐに出発できるように先にマウンテンバイクを車に積んだ。待つこと2分潤が出入り口から元気よく出てきた。「父さん、どうして会社から帰ってくるのおそかったん、わしまってたんよ、ずっと。」「ピッチング練習やるって言ってたじゃない。」忘れていた。返す言葉は、まずかった。「お前が、昨日やらないからいけないんじゃ。」等と切り替えした。そのうちに、車で言い争いになってしまった。潤は、塾内テストを終えたばかり、緊張が取れて私に不満をぶつけてきた。私は、バッティングセンターの受付が後十数分で閉まってしまうので焦っていた。結局、潤が涙を流してしまった。コレは、今、思い起こせば、私が、完全に悪かった。気分が優れぬままにバッティングセンターに到着した。私が先に車から降りて、潤が悔し涙を拭いてから、車を降りてきた。ダラッとトップを作るのじゃなく、タイミングに集中してトップを作れと指示した。そんなの、無理である。私が潤の気分を壊したのだから。しかし、行ううちに、徐々に気分を変えてくれた。暫く、放っておけばよい。私より、よっぽど、人間が出来ているな、あいつは、偉い。いつもと様子が違うなと、バッティングセンターのおじさんは見ていただろうに、でもいつもの調子に戻していった。私は、他にだれもいないバッティングセンターのケージで、懐かしい音楽を耳にした。ラジオ番組のオールナイト日本である。それを口ずさんで、青春時代を思い起こしていた。その後も番組を聞き入っていた。あれ?待てよ、今何時?とうに22時を過ぎていた。気が付けば、シャッターは下りて、出口におじさんと他の従業員が二人、話しこんでいた。潤が練習を終えるのを、じっと声を掛けずに待っててくれたのだ。慌てて、私は、潤に今のゲームで止めろと伝えた。いつも、潤の所為で残業をさせてしまう。近所から照明や、打撃音で苦情が来なければ良いがと心配になった。夜九時半の受付を最後に客が居なくなり次第、閉店しているのに、22時20分まで行ってしまった。明日の練習で私がバッティングピッチャーをやると潤に伝えて居たので、潤はタイミングの取り方、トップから早い始動を心がけていた。私は、絶対に三振をとってやると、考えていた。そしてオールナイト日本、時間など全然気にしていなかった。二人で、十分お礼を言って、バッティングセンターを後にした。帰りの車の中は、いつもの関係に戻っていた。ありがとう、潤。
2003年05月12日 11時35分26秒

  • 2003年5月8日
    4月以降不良債権を抱えて困っているが、未だにどうにもならない。困った。しかし、久しぶりに小口ではあるが、仕事が舞い込んだ。ちょっと嬉しいでもやっぱり不安。新しいビジネスのセミナーにも出たがパッとしない。それでも、潤は何も知らず、学校で、野球で頑張っていると思うとちょっと、ここは踏ん張り時だ。自分がしっかりせにゃーと思う。客先から直帰した。潤を積んで久しぶり(3日)にバッティングセンターに練習に行った。いつも潤には、頑張れと言っているが、私自身、振り返ると、中々難しい。子供は頑張っているのに・・・。
2003年05月12日 10時59分26秒

  • 2003年5月7日
    今日もバットはついに一度も持たなかった。私は客先から、4時に帰宅した。潤がPS2で2002年度版MAJOR LEAGUEのゲームで久しぶりに遊んでいた。私を見て、バイクに乗りたいと言う。よしゃ、行こうや!潤を後ろに乗っけて、スーパーに買い物へ行った。塾の時間があるので、あまり遠出は出来なかった。潤は塾内テストが近かったので今日の部活を休んでいた。それなのにゲームで遊んでるなんて・・・。時間を大切に使って欲しい。まぁ、気分転換にバイクの二人乗りを楽しんだ。いつも帰宅したら、一人ぼっちの潤。良い言葉をかけてあげる大人がそばにいない。放っておいたら安易な方に流れてしまうかも知れない。等と考えながら、バイクを運転していた。古本屋によって中古のゲームソフトPS用のパワプロ96年版を300円で購入した。この本屋には、メジャーリーグの掘り出し物の本が沢山有った。だが、立ち読みのみ。一冊300円は、私にはちょっと高価だった。今度にしよう。まず売れないと思うから。家に着くと、英語の勉強を始めた。昨晩も勉強していた。ゲームをやりたくてウズウズしてるの見え見えだったが、我慢した。居間のテーブルで潤は勉強、その姿を見ながら、私は夕食を作った。私はこの風景が好きだ。ノートを工夫して作っている。やれと言わないのに。夕食をそのテーブルに並べ、勉強道具を手早く片付け、二人で夕飯にした。私の単純な料理も美味いと言って食う。嬉しいが、悲しい。食後30分仮眠して、元気に塾に出かけて行った。潤が出た後、雷雨となった。雷雨は9時半を過ぎても止まなかった。エスティマで歩いて3分の塾に迎えに行った。それぐらい強い雨だった。「父さん、ありがとう。」この言葉は、胸に詰まる。
2003年05月08日 16時15分59秒

  • 2003年5月6日
    今日は敢えて練習を休んだ。何にもしない。バットも持たない。こんな事は、今年始めてかもしれない。なんとなく変化が欲しかった。全日本では現在、最下位ばく進中だし、一歩下がって冷静になるのも良い。色々理由をこじつけた。考えてみれば、今のチームは色々問題が多い。人間関係とかチーム運営とかじゃなくって、子供のスタンスで考えてみた場合、改善されるべき材料が沢山あると言う事だ。このようなことを乗り越え人間形成に役立てばよいと最近思う。だめチームだから、気付くところがある。上手く行かないから気付くことがあると思う。こう考えて、前向きに行くしかない。考えるか考えざるかで将来は、変わると思う。ただ過ぎて行く時間などない。頑張って欲しい。
2003年05月08日 15時50分58秒

  • 2003年5月5日
    子供の日かぁ。疲れたなぁ。洗濯しなくっちゃ。メイは元気になったみたいだけど、昨夜の白身のムニエルを三切れ食べたまま、未だウンチがない。今朝も一応抗生物質を飲ませた。潤が遊びに行こうと言う。そうだなぁ、晴れた日は全部野球だから、潤と野球以外で晴れた日に出かけたことがないなぁ。海にでも出かけることにした。メイも一緒である。宇品のプリンスホテル横の海岸横に路上駐車する。ここは穴場で地元しか知らない。リードを外して、二人と1匹で海岸を散歩した。メイはどこに行っても人気者、マホガニーブラウンの毛をなびかせて、海岸を走る。カップルが、適当にジョン、太郎とかジョニーとか適当に名前を呼んで呼び寄せようとするが、振り向かない。名前をメイと教えてあげた。すると頭を下げて尻尾を振って近寄っていっく。頭を撫でて可愛い!カップルもご満悦。私は内心、病犬だぞぉ、ここでビチ糞垂れたらどうしよう。雰囲気全部ぶち壊しである。とりあえず、ポカリスエットで水分補給しながら体調をみながら散歩した。ビチ糞垂れることなく、観光客やカップルのそれなりのシチュエーションのお役にはたてたと思う。あぁーよかった。入り江の海岸で潤とキャッチ−ボールした。私がミスしても潤がミスしても硬球は海の中に落ちてしまう。スリリング!コレは良い。全部胸に投げ返してきた。私の暴投はジャンプして捕ってくれた。うちの選手達、このぐらいの緊張感を持っていつもキャッチボールしてくれたら上手くなるんだろうなぁ。メイを木陰に入れて、潤と私はホテルのゲーセンで30分程遊んだ。遊び終えると、最近潤はいつも「父さんありがとう」とお礼を言う。潤の手を強く握ってやった。海岸を後にして、トイザラスに行った、子供の日で大盛況だった。私は一度は店内に入ったが、メイが心配で、エアコンをかけに一度車に戻った。メイは助手席にチョコンと座り、私の気配で長い首を擡げてこっちを見た。人間なら、なんと言うだろうか?犬は純心である。文句を言わずにその状況を受け入れる。可愛そうになり、サンルーフを閉じ、半開きの窓を閉じてエアコンを全開にした。待つこと15分、店内の潤から携帯に電話が入った。ゲーム売り場に居る。こういう時に携帯電話は有難い。人ごみでもすぐに見つけることができる。買いたいけれど買えないと判ると、直ぐに店を出た。子供の日なのに何もしてやれない。自動販売機で110円のアイスを二つ買った。店の外の壁に寄りかかって、二人で並んで食べた。この後、海に行ったのだから、今度は山に行こうということになり、廿日市のアルカディアビレッジに行こうと言う事になった。湾岸を廿日市に抜ける大きな橋を渡ったとき、バイクなら気持ち良いだろうねぇと私が言うと、父さんと一緒にバイクに乗りたいと潤が言い出した。もう直ぐ4時になる。善は急げと急遽予定変更。廿日市のディスカウントストアで潤のヘルメットを購入した。その後急いで家に帰った。メイが疲れていたので家でお留守番させた。バイクを購入して以来、まだ二人乗りはしていなかった。今日は、子供の日だから、潤の好きなところに行ってやるよと言った。中々上手い。潤はカーブでも身体をぴたりと寄せて怖がらなかった。2号線を広島市内の方に走った。ゴールデンウイーク最後の日で平和大通りは歩行者天国で、出店が連なっていた。バイクでは行けなかった為、迂回してそごうに行った。どうしてそごうに行きたかったか、薄々判っていた。幼稚園のころ、母さんとカープグッズを買いにきた事がある。その後、おもちゃ売り場、そして屋上の遊園地に行って最後はペットショップである。昔と同じところを辿った。何も買わず、ただ展示物に軽く触れるだけで、目的は特にない、記憶を辿るだけである。エレベータで地上に降り、地下のマクドナルドで59円バーガーを食べ、Lサイズのジュースを二人で飲んだ。駐輪所に金を払わずそのまま出た。たかが100円ぐらいなのだが、係員が居なかったのでそのまま出てきてしまった。バイクで風を切るのが気持ち良い、帰りたくないと言うので54号線を北に上がった。ぐるっと広島市内を回る形で、佐伯区に帰ってきた。そしてそのままバッティングセンターに練習に行った。コイン6枚を無駄にすることなく行った。もう、焦りはない。今は自分のために一生懸命頑張ろうって所だろうか。
2003年05月06日 14時32分54秒

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