いよいよこれから中学生活が始まるね。心身ともに成長果敢な時期、周りも激しく動いていくよ。小学6年間、平穏無事には行かなかったけれど、とりあえず生きていることに感謝し、これからは、なるべく一つずつ自分で確かめて、自分で道を切り開いて欲しい。君が道に迷った時、父さんは、君の最大の味方だよ。

  • 2003年5月4日
    下関遠征二日目、第一試合、潤はセンターで3番で出場した。四球の後、空振りK。チームも元気なく4回コールド負け。10個の四死球、これじゃ試合にならない。3番バッターなのに打席が2回しか回って来なかった。こんなの初めてである。代打にでて、見逃し三振するなぁ!と強く言いたい。昨年度なら、代打で見逃し三振は許されない。もう使って貰えない。そのくらい選手が余っていた。今年は13人、リトルは14人が原則である。だから14人に満たないチーム事情では、改善されなくても、使ってもらえるのである。続いて第2試合、潤はキャッチャー、3番で出場した。センター前、ライト前へと速いゴロを放った。第三打席は追い込まれて三振した。守備はどうか?キャプテンであり、末広がりの要であるのに、声が出ていなかった。諦めムードで声が出ないのである。そして、自分が投げれない。5年生が多いチームに惨敗した。全く打つ手がない。バラバラである。こうなったら、自分のことだけ考えろと、父親として言いたくなってしまう。痛いところでのエラーが目立った試合である。しかし、エラーはだれでもする。エラーしても打ち勝てない。コレが敗戦理由である。また見送り三振である。ちっとは、考えろよと言いたい。私の言葉も監督の言葉も、彼らの心には届いているのか疑問である。それにしても、見送った後に悔しそうに天を仰ぐのである。馬鹿馬鹿しくなってしまう、一生懸命やっているのが。しかし、冷静に考えれば、どこのチームもこういった年はあり、それを乗り越えて来ているのである。そもそも子供の健全育成が目的ではないか。そして、子供達に楽しいひと時を分けてもらう。このスタンスだったはずだ。いつのまにか、この気持ちが薄れてきている。遠く海を見つめると、もう初夏である。海を埋め立てて作られたグランドにはクローバーが沢山生えていて、家族総出きている小さい兄弟達が、笑いながら鬼ごっこをしている。ひばりが空高くさえずって、心を癒してくれる。もう、メジャーでは来る事がない下関だった。撤収し中国道を広島に向かった。ゴールデンウイークなのに、渋滞はなかった。車の中で潤の話になった。いつも選手に厳しい監督が言った。「潤を誉めてやらにゃいかんよ。」「今日の三振は2球目は自信を持って見切った球だったよ。それをストライクと言われ、三球目は振らざるをえなかった。」「あいつは、自分のスタンスで、コレだっていう物持ってるねん。」「この遠征の二つの三振とも軸はビターっとしていたし、ちゃんと三番バッターの役目を果たしている。」「わしも昔、息子と一緒に野球していて、やっぱり、子供のスタンスと親のスタンスは違う。つまり、子供より上や先を見てしまう。だから、HR打っても勝っても、誉めてやったことなかったんだ。それを今後悔している。」と話した。監督を家に送った後、マイクロバスから私の車に乗り換えてきた潤が恐々していた。怒られると思っていたのだ。そして、先ほどの監督の話をして、誉めてやった。「監督、やっぱり良い事言うじゃん、バッティングセンター行こうや!」潤が笑顔に変わった。五日市バッティングセンターに行って練習した。しかし、やっぱり遠征疲れが出たのだろう。60球打った段階で、頭痛で打てなくなってしまった。残りコイン1枚30球を何とか終えた。この遠征、10打席8打数5安打2三振 2四球2シングルヒット2ツーベースヒット1HR(今大会3号)1ショートフライだった。まだまだ、でも、良くやった。
2003年05月06日 11時40分47秒

  • 2003年5月3日
    広島を7時に出て下関に10時前に到着した。試合会場に一番に着いて、早めにアップしてからだを作った。その後食事をして、休憩、そして再びアップを行った。一度からだを作っておくと、試合直前は、比較的軽いアップでよい。今回は、前回の失敗を踏まえて、アップに時間を割いた。さて試合、3番ファーストで出場した。第一打席四球、第二打席、左中間に2ベースヒット、第三打席センターオーバーの2ベースヒット打点1、その後マスクをかぶった。第4打席やっと出た、3ランHRで打点4、やっと勝った。潤は折角3番に座っているのに、いつも打線が中々つながらない。今日やっと繋がった。久しぶりに、潤顔から白い歯がこぼれた。宿に着いて、夕飯が大変おいしかった。広島にメイを残してきた。長男がメイのために看病に帰って来てくれた。美味い飯を食うと、長男やメイのことを思い出す。みんなに美味いもの食わせたいなぁ。
2003年05月04日 22時29分46秒

  • 2003年5月2日
    6時半に目が覚めた、家のゴミ箱はメイのタール状の糞とドライシートの山である。普通の硬い糞なら、トイレに流せるが、べとべとしていて流せない。そんなわけでドライシートを糞ごとごみバケツに捨てることになる。普段の4倍のゴミの量になってしまった。今日は、会社を休むことにした。潤が休みだし、メイが病気である。病院が開く9時まで庭の草むしりをした。メイを病院に車で連れて行った。体重が5キロも減っていた。かなりやばかった。お尻から器具を突っ込んで便の検査と左後ろ足から採血した。続いて体温測定。パルボウイルス検査は白だった。やや微熱がある。血液中の蛋白が足りない。脱水症状で栄養失調だ。とりあえず、可能性として、腸閉塞とコロナウイルスが考えられる。もし腸閉塞なら、ラップや硬球の糸を飲み込んだのかもしれない。しかし、タール状の便が続いているので、これじゃないかも、コロナウイルスが一番可能性としては高い。これが一番良い。異物飲み込みなら、開腹手術が必要になる。当然もっと検査はいるが。コロナウイルスなら、抗生物質で改善する。1週間の下痢と嘔吐で死亡率は低い。点滴250mlと抗生物質の注射2本を小さい体で受けていた。それにしても、診察台の上で1時間おりこうさんだった。帰りに抗生物質の錠剤とその他いっぱい薬をもらった。犬用ポカリもあった。会計は約2万円、しかし、命には代えられない。病院を出ると、これが病犬かと思うほどのはしゃぎよう、今までのぐったりは、何だったのよ。わし2万円払ったんよ。多分、点滴が効いて脱水症状を脱したのだと思う。一安心、その後、小便はするものの下痢は止まったようだ。潤はグラブと硬球を持って友達の所に遊びに行っていた。私は、昨夜の看病疲れで、再びメイとソファーで一眠りした。夕方、メイを散歩に連れ出した。3日ぶりの散歩である。やっぱり本調子ではない。直ぐに疲れてしまうといった症状だ。無理も無い、点滴とポカリだけで絶食するように言われていたから、何も与えていなかった。しかし、目がいたって元気に戻っていた。夜練の時間が来たので、潤を携帯で呼び出した。藤木団地に迎えに行った。今日も佐伯運動公園でピッチングを行った。肩に違和感はないと言う。明日は登板すると思う。まずまずだと思うが、どうなるか分からない。明日はあせらないでやって欲しい。日が暮れて見えなくなったので、バッティングセンターに移動した。今日は330球を打ち込んだ。最後にバッティングセンターに設置されているナムコの対戦型自動車レース200円で潤と対決した。両者テクニックはAA(ダブルA)だったが、潤に負けてしまった。最後のヘヤピンで抜かれてしまった。「のりー鈍いよデブちゃん」親を名前で呼ぶなー!デブ言うな!まっ、悔しいが負けてしまった。潤が勝ったら、古本市場で100円のCDを買ってやる約束をしていた。バッティングセンターを出て、古本市場に向かおうとすると、「金ないんじゃろ、ええよ。」ときた。分かってるジャン、おめぇ。明日の下関遠征に備えて、ガソリンを満タンにしただけで帰宅した。玄関を開けるのが恐怖だった。また糞の山?、いやいや、大丈夫だった。このところ家に帰ってもソファーの上でぐったりしていたメイが玄関の土間に迎えにでていて、尻尾を千切れんばかりに振っていた。あぁ、一安心。まず、抗生物質と下痢止めをメイに与えて、それから夕食の準備をした。焼肉と白身魚のフライを作った。潤は右手に箸を持って食っていた。潤は左利きだけど、バッティングのリードハンドが右手になるから、右手でもっといろんなことが出来たほうが良いと監督に言われていた。だから、今週の火曜日からずっと右手で箸を持っていた。わしも負けてなるものかと左手に箸をもった。潤がとっくのとうに食い終わっているのに、わしは金曜洋画劇場が終わっても飯粒と奮闘していた。だんだん、頭にきて、時々潤に八つ当たりをしてしまった。やっと食べ終わると11時半を過ぎていた。これと同じことを潤は毎日やってんだなあ、文句は時々たれるが、がんばっている。バッティングのことである。出来ないことを克服しようとして毎日奮闘しているんだなぁ。私は、左手で2時間かけて飯を食って、潤が毎日行っている練習に重ねてみた。もうちょっと、おおらかにしないと可哀相だなと感じた。それでも、今まで着いてきたから、凄いなぁ。これまで素直に明るく元気に育ったのは、神様のおかげかも知れない。
2003年05月03日 01時51分33秒

  • 2003年5月1日
    会社を5時に出て帰宅、潤も友人宅から帰宅していた。最近隣町の藤木団地の友人と遊ぶことが多いようだ。家は、相変わらずメイのビチ糞だらけだ。異様な匂いが漂う玄関。掃除を済ませて、佐伯運動公園に出かけた。今日は、ピッチングが調子が良い。4月29日の登板の時より倍ぐらいのスピードがある。いや、つまり前回、それほど苦しんでいたのだ。嬉しくて、報告しようと、監督に電話してしまった。しかし、監督の携帯は留守電モードだった。お楽しみは、とって置いた方が良い。それにしても、子供ってどうして、こんなに変わるのだろう。今日は無理をしないように、約50球投げて終了した。下半身の使い方が、格段に良くなっていた。気分上々でバッティングセンターに行った。よそのリーグの選手も練習に来ていた。潤は300球打ち込んだ。なんだか、スイングに切れが無い。中々投げる、打つの二つが両立しないようだ。どうも、無心になって打っていないような気がしてならない。不満はやや残るものの、帰宅した。玄関が大変なことになっていた。ビチ糞と嘔吐の後が、あちこちに点在した。如何しちゃったんだろう。こんなこと初めてである。もしや、パルボウイルス?これに感染すると、致死率が高い。既に4日続いている。可哀相にぐったりしている。このままじゃまずいので、ポカリスエットを人肌に暖めて与えた。思いのほか、よく口にした。血液が混じった。タール状の便をしていた。月曜日から、ほとんど何も口にしていないので、潤のプロテインパウダーをローファットミルクに混ぜて与えた。これも150cc飲んだ。さすがに心配で、私は、メイに明日必ず病院に連れて行くと約束して。メイの寝床である、ソファーで一緒に寝ることにした。不安なのであろう。いつもより、ずしりとのしかかる様に擦り寄ってくる。私の腕にちょこんと顎を乗せて、直ぐに目をつぶってしまう。私が寝返りを打つとメイも合わせて、方向転換する。一晩中、重たくって、うとうとしながら過ごした。やっぱり、夜中に気持ち悪くなったらしく、よだれを垂らし、テーブルの下で嘔吐した。続いて、下痢ピーである。こんな時は怒れない。まさに非常事態である。
2003年05月03日 01時08分01秒

  • 2003年4月30日
    家庭訪問があるので3時に帰宅した。家に帰って、大変なことが起きていた。玄関の土間と居間のじゅうたんの上がビチ糞だらけで、異様な匂いを放っていた。もちろんメイのトイレもビチ糞だらけ。何を食ったのか、こんなこと初めてだ。後1時間で学校の先生が来るのに・・・。汚い等言っている場合ではない。そしてソファーの周りも嘔吐の後が3箇所あった。こりゃ大変。可哀相に、自分のトイレが糞でいっぱいで、次に土間に糞をたれて、最後にじゅうたんの上にと想像できた。タールをこぼしたような糞だった。血便だと思う。匂いは、普通の糞と違う。両手は糞まみれで、掃除をした。糞のことなんて何とも思わない。赤ちゃんのウンチと一緒。苦しんでいるメイのことを考えたら、辛い。窓と玄関のドアを開けて空気の入れ替えをした。消臭スプレーを撒いた。そうこうしているうちに、先生がやってきた。潤は先生が好きだった。その潤が言うとおり、優しくて毅然とした先生だった。潤は、頑張りやさんと言っていた。潤は先生が私と話しをしている間、近所のガレージの壁を使って、一人で投球練習をしていた。先生が帰ったあと、先生が、頑張りやさんだと言ってたよというと、ニコニコして、練習に行こうやと私に催促した。メイが脱水症状気味だったので、ポカリを飲ませた。そして佐伯運動公園に行って練習した。日が落ちて見えなくなったら、五日市バッティングセンターに行ってまた練習した。ピッチングは、自信を取り戻しつつあった。こうなると、打撃も調子が良い。頑張れよ潤!
2003年05月01日 22時07分21秒

  • 2003年4月29日
    大会3日目、広島中央のグランドで試合が行われた。潤は今朝、先発を車の中で告げられた。びっくりしたようだった。実は、今はピッチャーはやりたくなかった。ピッチング練習もしていなかった。今日公式戦だというのに家の都合で欠席の子が居た。9月にリトルリーグショルダーを患って以来、何とかごまかしながら、やってきた。できれば登板したくない。でも、うちの懐事情では、我侭言っていられない。今大会優勝候補の笠岡が相手だった。1回を0点に抑え2回1/3を投げて、5失点で降板した。野手の2エラーとパスボールに悩まされた。そのうち、球威がガクンと落ちて、監督がタイムをかけた。私も内心、早く代えてくれと祈っていた。練習不足だし、6年生の二人が最近伸びてきているので、こちらに、任せておきたかった。潤はそう踏んでいた。潤とファーストが入れ替わった。潤はファースト上でグルグル肩を回していた。一方打撃の方は、ショート内野安打と三振とセンターへのライナーのHRだった。しかし、前にランナーが出ると、打てない。チームに貢献できない3番バッターは悩んでいた。そして、打線がつながらない。勝てない。昨年度と今年度のチームでは、得点率が7点以上違う。第二試合は、下関に対してレフトフライと三振とライト前、この日6の3だった。またしても敗戦、5連敗、単独最下位になってしまった。何か、歯車が違っている。選手の子供は、皆言い分けをする。たらればは言うな!おまえが、パスボールするから・・・。何を言うか、ワイルドピッチだろうが、こんな具合である。全部人の所為である。自分の足が地に着いていないのに人のことを言うな!それと見逃し三振の山、代打で見逃しするな!試合の勝ち負けは、置いといて、何か、心の寂しさを覚えた。考えてみれば、今年のチームはムードメーカーがいないなぁ。去年は、ガキ大将風でぐいぐい引っ張る子がいたなぁ。ここらも関係するかもしれないな。ここでは、色々書けないけれど、そりゃー、単なる子供の野球である。各家庭、対応の仕方は様々なのは、わかる。それでもね、公式戦前日に保護者がだれも居なかったり、公式戦に役員が居なかったり等など、もう試合以前の問題なのである。子供はそりゃ、上手い子、下手な子いるよ。でもね、だからといって、託児所みたいにするのは、可哀想だよ。上手い子は勿論、志も高い。まだ体力的に追いつかない子でも、一生懸命練習している。親がエスケープしちゃって全部子供の責任にしてどうするのよ。ずーっとそうやって今まで着たに違いない。私にはそう見える。違うと絶対に反論されると思う。でもね、今現実、貴方は居ないよねぇ。子は、親の鏡って昔の人はよく言ったと思うよ。子育てって難しいなぁ。だけど、子供には母さん父さんに頼るな、自分が生きるんだろうがと言いたい。試合の後、ある提案を監督がした。これを行えば、絶対に勝てるという秘策だ。子供たちには、強く守るように約束した。子供達との約束を、親御さんが理解して行わせてくれることを望む。試合会場を後にして、広島西のグランドで解散した。一度家に帰って、風呂に入って練習にでた。300球の打ち込みを行った。帰りの車の中、「どうして、今日負けた。」と潤に聞いた。潤は珍しく、大粒の涙を流して、「わしの所為で負けた。」と言った。「なぜじゃ」とさらに聞くと、「ちゃんと、投げれなかった。チャンスで打てなかった。わしが、ピッチャーが嫌だと思ってたからだ。」と言った。潤もまた、僕が投げなくても誰かが投げてくれる、僕はバッターが良いんだと思っていたのだ。故障以来、事実恐れ避けていた。サラ金の看板の下が明るくなっていて、そこに車を止めた。トランクから、グラブとタオルを出して、車止めの石の上から、シャドウピッチングを始めた。信号待ちで止まる車がこちらを見て笑っていた。暫く行って、22時半に漸く家に帰った。外食を済ませ、家でヨーグルトを食っているとき、どうして、自分が8番背負っているか、考えろと言い放した。1,5,8ここでは、書けないチーム事情も確かにあるが、潤にはこれが利いた。大粒涙をポロポロ落として2階の部屋に上がっていった。
2003年04月30日 13時47分14秒

  • 2003年4月28日
    結局、今朝もいつもと変わらず、皆と一緒に学校に行った。私は、お休みして家の掃除を行った。私は、今日は家庭訪問の日だと勘違いして、潤が給食を食べずに帰宅すると思っていた。土曜日に潤は、練習で学校を休んでいるので、持ち物がわからなかった。3時間なので、主要教科は、置き勉(教科書ノートを学校に置きっぱなし)しているので、大丈夫だと言っていた。小学校のころは、同じクラスの子が連絡票を持ってきてくれたのに、中学って、そういうのないのかな?休んだら、友達に電話して聞くしかないのかな?やや不思議に思う。昼になっても潤が帰ってこない。学校のプリントに目を通すと、今日は普通の6時間授業だった。ゴールデンウイークの中日は、どういう訳か、家庭訪問がなかった。部屋の掃除と洗濯を済ませ、解れた硬球の修繕を行っていた。うう、眠い。2個編み上げたところで、睡魔に襲われ、やーめた。ソファーで昼寝をした。私が横になると、愛犬(アイリッシュセター)のメイが、必ずやってきて、お腹のあたりに添い寝をする。暖かくて気持ちいい。毛足の長い毛皮だもんねぇ。潤が6時を過ぎても帰ってこない。こりゃー部活(陸上部)にでているなぁ。実を言うと、今日は、部活は休んで欲しかった。昨日、ハードだったから、一応、父親としては、少々心配だった。6時半に潤の携帯から電話。「ファミリーマートでパン食っているけぇ、迎えに来て。」急いでエスティマでファミリーマートに行くと、ポツリと一人で疲れた顔で立っていた。「今日、部活でたけぇ。キツかった。」「そりゃ、たいへんだったなぁ。疲れたときは、筋肉に乳酸がたまるから、リラックスして走るのは良いことなんだよ。ストレッチも十分したか・・・」等、話して潤が頑張ってるのは良いことなんだよと、部活をねぎらった。そしてそのまま、バッティングセンターに直行した。明日に疲労を残さないように、240球だけ行った。最近の不振は精神的なことだけだと思うんだけどなぁ。
2003年04月30日 11時49分38秒

  • 2003年4月27日
    全日本選手権中国連盟大会二日目、今日は岡山県笠岡市まで遠征した。朝4時半に起床して準備開始、潤をぎりぎりまで寝かせておきたかったが5時に起こした。5時半に監督を迎えに行き、コンビにで朝食をとった。試合開始9時に合わせ、8時前に笠岡に到着の予定だった。笠岡につくと、すでに相手チームはアップを終えていた。何と無く、出遅れた感じがした。こっちも緊急アップで汗を十分にかかさなければ間に合わない。時間が足りなかった。一年半前に、四国遠征の時に同じ経験をした。アップの時間が足りず、身体が起きる前に試合が始まってしまった。そのときは、負け試合だった。嫌な感が的中した。打線が湿っていた。いつもと打順を入れ替えた。これは2週間前からの作戦だった。不振の4番を1番に持っていった。これで重圧から開放され、打撃不振のY君はHRで漸くトンネルから脱した。一方潤は、前回の3試合4ホーマーで、自分にプレッシャーを感じていた。今回も3番バッターだ。守備は久しぶりにマスクをかぶった。打順をことごとく入れ替えていたが、潤のみ定位置3番だった。チームの活性化が目的だった。しかし、やはり、リトルでキーマンとなる3番は固定だった。スリーランのチャンスが2回あった。相手投手は、潤を研究したのか?無防備に直球でストライクをとってきた。潤は良しっと確信したに違いない。続く2球目、なんとチェンジアップを投げてきた。これまで見せて来なかった。ベンチでスコアラーと私は顔を見合わせてしまった。潤は、タイミングをはずされ、バットは空を切った。その後ボールはよく見たものの、結局スイングアウトの三振に切ってとられた。ライト前ヒット打点1はあるものの、地に足が着かないうちに試合が終了していた。まさかの敗戦だった。考えて見れば、朝来たときから負けていたような気がしないでもない。うちに隙があったと思う。昼を挟んで、本日の第二試合、これも潤はぱっとしなかった。朝の試合を落としたことで、さらに重圧がのしかかった。相手エースから、昨秋はHRを打っていた。しかし、打たされたレフとフライと内野フォースアウトとまたもKでよいところなく惨敗した。6打数1安打、3番打者の機能をしていなかった。珍しく、監督は、潤に何も言わなかった。いつ電話したのか、岡山から帰って、監督を家までお送りしたとき、監督の奥さんが、暖かい炊き立ての、竹の子ご飯と、ひれカツと枝豆を私たちの車のところまでわざわざ持って来てくれた。私たち二人に合わせて、3合炊きの炊飯ジャーごと持ってきてくれた。潤は竹の子ご飯を食べるのは幼稚園以来だ。二人で山に行って、道の脇にひょいと出た竹の子を、蹴っ飛ばして、取ってきた記憶がある。あれ以来である。ふたを開けると、ほのかに酒の香りがした。監督は、優しく、今日は帰ってこれを食べなさいとやさしく潤に言った。潤は、負けん気でこれから、練習に行きますと答えた。監督と奥さんにお礼を言って、バッティングセンターに練習に行った。車を300km運転したし私は、この3日で6時間しか寝ていなかったので、凄く疲れていたし、眠たくて仕方が無かった。今日は彼の人生で一番気合が入っていた。コインを36枚行った。試合の後に1100球以上打ったことになる。全部でコインは45枚あった。しかし時間切れだった。試合の後、家に帰らず、試合着のまま、22時過ぎまで、ずーっとバッティング練習である。途中で、腹が減って動けなくなり、バッティングセンターで電源を借りて、スイハンジャーを暖めた。21時を過ぎて、潤以外お客さんがいなくなった。おじさんに割り箸を二膳もらって、交互にスイハンジャーを膝にのせて、そのまま竹の子ご飯を食べた。そして、また練習。潤の手が紫色に熱を持っていた。水道水で冷やしながら行った。私は、手のひらを心配したが、こちらは、なんとも無かった、既にカッターで削れるほどがちがちの手をしているので、大丈夫であった。営業時間を過ぎても行わせてくれた。シャッターは全部下ろされていた。善意の地域の人や周りの人に感謝である。それにしても、明日、学校にいけるのかなぁ。へろへろだぞー。
2003年04月29日 00時28分08秒

  • 2003年4月26日
    昨日まで降り続いた雨が漸く上がった。グランドにホームランネットを設置した。しかし、水溜りで午前中はグランドが使えなかった。バッティングケージとティーバッティングを行った。83マイルで約100球打ち込んだ。私はケージを監督に任せて、グランド整備を行っていた。遠くで潤と監督が叫ぶのが聞こえた。行ってみると、潤のバットが割れていた。困った。明日の試合に、バットが無い。変形してすでにぼこぼこだったのを、これまでごまかしながら使ってきた。グリップをSSKに張替え、お気に入りだった。ゼットのゴーダは金属のグリップ自体が太くって、これが嫌いで使っていなかった。C2000、79cmの在庫を大西スポーツに問い合わせたが無かった。下級生が同じC2000、79cmを持っていた。そこの親御さんが、潤にそれをくれる(タダ)と申し出てくれた。その子はコネクション31インチを使っていて、C2000はまだ実戦では使えず素振りとティーに使っていたという。その代わり、潤の割れたC2000を素振り用に譲ってくれとその親御さんは言った。店に在庫が無かったので私は、ひとまず同じものが手に入ったので安心した。後は、このバットに潤お気に入りのSSKのグリップを巻けば完了である。午後の練習でピッチングとノックを終え、大西スポーツに向かった。なんと言うことか、潤が、自分の割れたバットを返して欲しいと言い出した。潤の手元には既に、譲り受けた程度のよいC2000があるのに。今まで、何本もHR打ってるし、あのバットを人に触らせたくないのだという。そばにおいて置きたいのだと言った。私は、慌てた。折角好意で譲ってくれたバットなのに、お断りの電話を入れた。理由を聞いて、先方も納得してくれた。明日、持ってきてくれると約束してくれた。大西スポーツについて、とりあえず、SSKのグリップを購入した。バットが無いか社長に色々相談すると、近くの店にクラッシク79cmがあると言う。潤は、喜んだ。C2000の次に好きなバットだ。以前C2000かクラッシックか迷っていた。値段的にはc2000より1000円高い。しかし、C2000程大きなスイートスポットを持っていない。クラッシックの方がボール半分スイートスポットが小さい感がある。材質的にもC405プラスでやや不安がある。しかし、後4ヶ月持てばよい。社長にお願いしてバット1本だけを至急よその店から回してもらった。待つこと20分、バットは到着した。バットとグリップ、そして、硬球修復用の赤い糸を購入した。糸が解れた硬球を家で修復するため、一度、グランドに戻った。ボールの修復などする気は無かったのだが、新バットが手に入った。なんと言うラッキーで、何か神にお礼をしたい気持ちだった。何かしなくてはと思った。そんな時、今日マシン打撃練習で、硬球がいくつもだめになっているのを思い出した。車で西のグランドの着く前に、潤は新しいバットの包装を破り、新品のグリップをバリバリと剥がして行った。お気に入りのグリップを巻くために。グランドについて、グリップを巻いてやった。その後、潤は感触を確かめるように素振りをしていた。私は倉庫から、糸の解けた硬球を2ダース程探して車に積んだ。帰りは、やっぱり、ためし打ち、バッティングセンターによって200球程打ち込んだ。明日は早いので潤を早めに寝かせた。潤が寝静まった後に、私はボールの修理に取り掛かった。1時を過ぎて漸く7個の硬球を編み上げた。明日は打ってくれるかなぁ。
2003年04月28日 23時59分48秒

  • 2003年4月23日
    新しいテクノロジーをお家でお勉強。そんなわけで、午前中は居間のテーブルでミルクティー片手にPCに向かって居眠りこいていた。あいっやー打ち合わせの時間がせっまっておまっ!資料をプリントアウトしてエスティマを客先にぶっ飛ばした。一段落して即、客先を後にした。関連部署に電話連絡してエスケープ。床屋に行った。わしも髪みじかくすんぞー!土曜日の雨天での練習中に、子供たちが婦人部にバリカンで頭を刈られていた。もちりん強制じゃなくって、やりたい子だけ。冗談半分、監督も切りなよってなことになっちゃって、そんで、監督は、そこでは切らなかったけど、自分で床屋に行って散髪していた。よっしゃー!わしも切ったるぞ!あんまり短いと、務所帰りみたいになるんで、スポーツ刈りのちょい長めってところ。監督はいかついやくざみたい。わし、ほっぺた飛び出して、ガキデカみたい。いやんなちゃう。スーツ着たガキデカ。この格好でマダムジョイ(スーパー)で籠下げてお買い物。夕飯はチキンの香草焼きに決ーめた。買い物済ませて家に帰ったら、潤は、塾に行った後だった。わし、早く帰るって言っていなかったから、友達の家から塾に行った様だった。せっかく6時前なのに、何か寂しいなぁ。今日は、塾の帰りが遅い日なので、バッティングセンターも行かない。
2003年04月25日 15時26分35秒

  • 2003年4月22日
    昨夜の手当てが効いたのか、足は大丈夫だという。朝、少し寝坊をさせた。それがたたって、友達を6人も家の前で待たしてしまった。元気よく家を出た。私は、潤が見えなくなるまで、居間の窓ガラスから見送った。今日は、銀山町に出勤した。広島の中心部に近いところだ。昼、監督から電話があり、元町クレドで昼食を一緒に食べ、今後の公式戦の作戦を練った。野球の話をしていると、すぐに時間は経ってしまう。昼休憩では、時間が足りないなぁ。家に帰って潤に今日、監督と一緒だったことを告げると、陸上で疲れているにもかかわらず、シャキっとして、「行こうや!」と声が掛かった。私が遅く帰ってきたため、バッティングセンターの閉店時間に迫っていた。今日も最後の一人になった。両替所を閉めたおじさんが、潤の打撃を、ケージの後ろから見つめていた。そうなると、潤は、俄然やる気になる。私にヘボいところは見せても、おじさんには、見せないのである。何でだろうー、なんでだろ。最後はきちんと挨拶して、半分シャッターが閉まりかけている出口から表に出た。セブンイレブンで明日の朝食のネタを購入した。準備OK。
2003年04月24日 00時47分20秒

  • 2003年4月21日
    潤は陸上部に入った。今朝、入部案内のプリントの保護者欄にサインをしてやった。仕事から帰ると、潤がソファーで寝ていた。1500Mと70Mを10本その他もろもろ行って、足が張っていると言った。脹脛から踵に掛けて熱を持っていた。足を高くして、マッサージした。バッティングセンターに行きたくなさそうだった。陸上やって、野球の練習を休むのは、本末転倒だ。寝てて、血糖値は下がってるし、起こすのに色々話をして、やっとこその気にさせた。何のことはない。バッティングセンターに来てしまえば、けろっとしている。時々、足を痛そうにはするが、普段より力が入っていた。これで、終わりかと思えば、また、コインを買って来てと言う。これを数回繰り返した。最近は、自分で納得するまで行うようになった。練習後、久しぶりに花寿司で夕食にした。家で食べたいと潤が言ったので井口のユアーズで買い物をしようと、駐車場に車を入れた。しかし、ご飯を炊いていないのを思い出した。という訳で、寿司だった。寿司食って贅沢と思われるかも知れないが、やっぱり家で飯を食わしたい。わしも外食は飽きた。しかし、手を掛ける暇が無いしいつも疲れている。家で食べると、そのままリラックスできるが、外食だとそうは行かない。潤はそれが、嫌なのである。でも、外で食べた方が、なんとなく明るくて、食事が進むというのも事実。家で明るく楽しく食べれれば、最高なんだけどなぁ。すし屋を後にして、小雨の暗い宮島街道を五日市方面に走った。家に着いたら、潤が車からすぐには降りれなかった。疲れて、寝入ってしまっていた。やさしく起こした。汚いが風呂はパス。2階の寝室に上げた。足が熱くむくんでいたので、位置を高くして、心臓の方に向かってマッサージして、シップを張った。
2003年04月24日 00時24分54秒

  • 2003年4月20日
    朝から雨だった。MAILで中止の連絡が入っていた。久しぶりに潤とアルパークに遊びに行った。西館のゲームセンターでしばらく遊んだ。野球を始める前は、よく遊びに来ていた。潤は昔のことを思い起こしているようだった。私は、潤を一人で遊ばせ、本屋と、自動車の展示場を見て回った。今度車を買うときは、大きいのはいらないなぁと思いながら、色々なメーカーを見て回った。とは行っても、当分車を買い換えるつもりはないが。私の車は、両脇を電柱にこすっていて、後ろのハッチには、硬球がぶち当たって凹んでいる。潤が中学を卒業するまでは、このままで良い。潤がゲームに飽きたころ迎えに行った。二人で、カフェテリアで少し休んでジュースを飲んだ。次に何をやってよいのか分からなかった。休日に野球しなかったら、何をしてよいか、やることが見つからなかった。アルパークを後にして、ペットショップでメイのお土産を買った。雨でお散歩に行けなく可哀相だった。帰りにバッティングセンターで練習した。やっぱり、ここが一番落ち着く。
2003年04月23日 23時56分39秒

  • 2003年4月19日
    朝から、小雨が降っていた。監督とファミリーマートで待ち合わせ、練習に向かった。雨が、しょぼしょぼ降り続いている。練習を止めようと言う声もあるが、冗談じゃない。何を考えているのかさっぱりわからん。雨が降っても明日、もし晴れたら、試合がある。表現が難しいが、この時期、気持ち的に野球をひとつの線でつないできた。この線を途中で切ったら、そこで数歩後退することになる。勉強もそうだと思う。思いを一瞬でも切ったら、そこで、せっかく覚えた英単語も忘れるのである。そう思って、家を出る前に、キャンプ用のターフと張り綱を沢山と脚立、それに雨の中設営作業をできるように雨合羽を積んだ。こんな雨なのに、本当に練習をするのと言った電話の問い合わせが数本掛かってきていた。よそのチームの中には、体育館を借りて行っているところもあるよ。そんな段取りのよさは事務局のファインプレーだと思う。何か工夫すれば、練習は、可能だと思う。諦める前に工夫が必要。誰でも、雨の日は嫌だよ。でも何とか勝ちたいじゃない。雨では、満足なことはできないよ。そんなこと判っている。気持ちを繋げるのが大切なの。自分たち大人の都合を優先させたら、子供たちになんて説明するの。志ある少年に、わし、説明できんよ。子供も雨の日は練習したくないと思うよ、表面的にはね。でもね、仮にだよ、今日練習しなかったら、心の深いところで、不安と物足りなさが絶対に残ると思う。安易な甘い悪魔の囁きに心を許せば、全てが遠のく。夢は後退を始める。監督に子供たちをお任せして、私は、ピッチングマシーンのケージの側面を利用して、ターフとブルーシートでティーバッティングができるところを4箇所作った。クラブハウス2階でも素振りのスペースはある。幸い一時雨が小降りになりアップとキャッチボール、トスバッティングは、グランドで行えた。これが終わると再び雨足が強まった。ターフとブルーシートの隙間にバケツを置き、雨だれで地面がぬかるまないようにした。雨が降る中、終始ティーバッティングを行った。普段じっくり見てやれないティーも狭いスペース故、十分に目に付く。子供たちには、得るものがあったと思う。昼食をテントの下で食い。午後からも打ち込みを行った。潤はトップの作り方の手本として、皆の前で行ったり、下級生に教えたりしていた。レインボールを倉庫から出し、私がバッティングピッチャーを行った。依然雨が降っているが、やはり、生きた球を打つ必要があった。雨が小降りになると、潤と他の投手がマイナーグランドにいる監督に呼ばれた。今日は、マイナーは雨で休みなので、グランドが空いていた。マウンドでピッチング練習を行った。午後3時を過ぎて、予定通り、練習を終了した。明日は早朝なので3時に練習終了した。例のごとく、うちは、これからが練習である。五日市バッティングセンターに向かった。潤も私も雨と泥でどろどろの格好をしていた。休日の娯楽を楽しむ周りの人達とは、異質の存在だったと思う。長い通路の向こうから、こちらを覗き込む視線を感じた。なんだか、夜のバッティングセンターとは、あまりに違っていて場違いだった。ほんのコイン4枚だけ行って撤収した。疲れている潤にプロテインを飲ませて、風呂に入れた。私も一風呂浴びて、漸くさっぱりした。中落ちカルビを焼いて、サラダとわかめの味噌汁を作った。食後に、明日、大会順延の連絡が入った。予想していた通りだった。しかし、再び練習に出発した。潤に、納得が行くまで行えと指示した。ホームランの当りを連発して、練習を終えた。明日は試合がないので、朝9時まで自宅待機になった。本当なら、グランド6時半集合だった。少しだけ、余裕ができたので、潤とツタヤにCDを買いに行った。潤が以前から欲しかったシングルが売り切れで無かった。探すと好きな曲が入っているアルバムならあった。やることやっていたのでだめという理由はなく、買ってやった。大雨の中を走って車に戻り、包装を破いて、CDを掛けた。雨の中の駐車場でワイパーを止め二人でしばし、聞き入った。明日は、練習も無いだろう。潤が歌詞カードを見て口ずさむ。女性シンガーの歌だった。潤の記憶されるべきところに母親がいないことを私は潤の横顔から感じた。潤の部屋には、音とびするCDプレーヤーがある。新しいのを買ってくれとは言わない。ダイソー(100均)で買ったCDクリーナーで何度もクリーニングするが、一向に改善されない。早く何とかしてやりたい。
2003年04月20日 18時21分10秒

  • 2003年4月18日
    潤が帰ってきたら、ピーマンの肉詰めを作って、早めの夕食を準備した。6時半に塾に送り出した。その後、家を綺麗に拭き掃除をした。今週末の全日本選手権中国連盟大会のために、チームメイトがうちに泊まりに来る。夜練で遅くなるため、うちに泊まるのだった。8時に潤を塾に迎えに行った。今日は早退して練習をする。8時半に五日市バッティングセンターに行くとチームメイトY君はすでに待っていた。私は、事前に監督から聞いていたメニューをY君に伝えた。140キロのケージで潤とY君で交互に練習した。一人400球程打ち込んだ。
2003年04月20日 17時05分27秒

  • 2003年4月17日
    朝の草むしりを終えて客先に商談に行った。新しい可能性を探した。匂いはしても、中々、魚にありつけない。家に帰って一休みしていると、潤から電話が掛かってきて、迎えに行った。一休みして、佐伯運動公園にキックボードを持って、そしてメイをつれて遊びに行った。キャッチボールを行った。メイが私と、潤の間に入ってくるので、危なっかしくて、投球練習ができない。硬球を頭にあてたら、ワンコは死んじゃうかもしれない。ボールを遠くに投げて、それを拾いに行かせる間に投球練習を行う。でも、直ぐに戻ってきてしまって、メイは自分が無視されているのに気がつく。そしてまた、二人の間に入ってくる。うっとうしいがやっぱり可愛い。街灯がついてもうキャッチボールは無理になった。今度は潤とメイでキックボードで追いかけっこ。潤を一生懸命追いかけるメイは、マホガニー色の毛をなびかせて、夕暮れの公園に絵になっている。二人とも疲れたのか、呼ぶと直ぐに戻ってきた。ポカリスエットを手に注ぎ、メイに飲ませた。一度家に帰って、いつもの練習に行った。車の中で、明日は塾を早退して、練習にしようと相談した。
2003年04月20日 16時26分10秒

  • 2003年4月16日
    取引先の都合で今日は、お休み。庭の手入れを怠っていたので、今日は、やったろぞ!と朝から頑張った。1ダースあるコニファーを刈って雑草抜いて、石垣に這わせたアイビーを刈り込んだ、放っておいたら、甲子園球場のようになっちまうところだった。石垣の横穴には、昨年マムシ君が住んでいた。出てくるなよと軍手をはめて、おっかなびっくり行った。昨年剪定したローズマリーが元気ない。その横に、ブルーサルビアが今年も目を出していた。ここもきれいにしてやらないと、芝の勢いがすごくって、今にも飲み込まれそうだ。わかっちゃいるけど、手が回らない。作業が終わらないうちに、潤が学校から友達と一緒に帰ってきた。坂を登ってきたので、みな汗でぐっちょり。パインジュースを飲ませてやった。友達と一緒に宿題をやると言う。わしは、キャッチボールをしたかった。だって、わし、明るいとき潤と殆ど遊んだことがない。休日は野球だし。バッティング練習は夜だし。理由はご想像にお任せするが、朝練は中学に入ってまだ一度も行っていない。友達が一度家に帰ってすぐに塾の用意をして戻ってきた。今から宿題やって、6時半から、9時半まで英語だ。潤と友だちM君に、間食のチャーハンを作って食べさせた。二人は、食べ終わると、2階の部屋に上がっていった。二人は、大声で英語の発音練習をしていた。新しいことに興味しんしんなのだろう。おかしくって、吹き出しそうになったが傷つけちゃいけない。じっと我慢した。暫くして物音がしなくなった。学校から疲れて帰って、飯食ったので、眠たくなったようだ。後で聞いたら、二人で寝てしまったと言っていた。大変だなぁ、中学生は。元気に塾に行った。30分ほどして、潤が走って帰ってきた。どうしたのかと、聞くと、「父さん合格したけー」と先週の居残りした分が、合格したと告げた。そりゃよかったと言うと、再び塾に走って行った。水曜日は歩いて3分のところに通っているので、先生がほかの子のを採点しているうちに知らせに来たのだった。午後九時半過ぎに潤は帰ってきた。いよかんを2個剥いてやった。そして餃子を腹いっぱい食った。子供を見ていると、なんだかこっちも元気をもらえる。
2003年04月18日 13時22分15秒

  • 2003年4月15日
    仕事から戻ると、いきなり潤がキャッチボールしようと言う。既に外は真っ暗なのに。バッティングセンターの照明があるから、駐車場でやろうと言った。とりあえず、バッティングセンターに行った。駐車場に車がなかったので、明るいところをさがして行った。怖いのなんの。全然球が見えん。鈍いの、デブちゃん言うなぁ。わし、一生懸命捕ってるんだぞ!硬球を過去に何度も当てている私は、これ以上ごめんだった。続いて、バッティング練習を行った。週末の2試合を想定して行った。その後もキャッチボールをしたいと言う。彩が丘に戻ってきて、小学校のグランドの夜間照明がついているのが見えた。行ってみるとサッカーの練習をやっていた。どうも、そこには行きづらいので、彩が丘中央公園に行った。グランドに外灯が2こ点いていて何とか片方側からだけならキャッチボールを行うことができた。午後9時を過ぎているがやりたいときはやりたいらしい。暫く受けてやることにした。案の定、私は後逸して、硬球はどこか闇の中に消えていった。これで、練習終了。家に戻って、シャドウをやった。今週末は登板があるかもしれない。ぶり返さないでほしい。
2003年04月16日 22時00分35秒

  • 2003年4月14日
    月曜日でオフ日だが、夜練に当たり前のように出かけた。昨日は悔しかったようだ。レフトに入っていれば2ランだった。後数十センチだった。悔しいが、届かなかった。今日も潤が考えた練習を行なった。広角でどこにでも打てるようにする練習で、ためて流し、前に作った打席では速球を好きなように打つ。以前は前の打席は、引っ張れと言っていたが、もう、その必要もない。好きなように打たせた。いつも家で食事をしたいという潤だが、今晩は、珍しく、浜勝にとんかつを食いに行きたいと言った。しょうがない、昨日のセンターライト間に相手エースから特大アーチを打ったし、奮発した。特選ひれとんかつを二人で食べた。ご飯は麦ご飯を頼んだ。美味かったので麦をレジで購入した。最近潤はよく食べるな。なんだか活き活きしている。自信がついて来たのかなぁ。試合には中々勝てないけれど、潤は充実しているようだ。
2003年04月16日 20時53分13秒

  • 2003年4月13日
    5時半に起床5時55分出発した。潤は磨り減って穴の開いたフランクリンのバッティンググラブを大事に持って出かけた。ナイキの新しいグラブを買って持っているのだが、愛着があるので、ナイキは家に置いて、フランクリンを使うと言っていた。リーグ戦で5月まで毎週試合がある。長丁場だ。第一試合は広島佐伯が相手だった。昨年、全国大会出場を決めたときも、唯一黒星だった相手だった。今年も強敵である。潤は3番センターで出場した。初回ツーアウトランナーなしで、特大アーチをいきなり叩き出した。ワンバンドで100mのセンターライト間のフェンスまで達した。80mいや90mぐらい飛んでたかもしれない。センターが120mでライト90mだからセンターライト間に打ち込んだから、そのぐらいだと思う。続いて3回には、アウトコースを流した。レフト線ギリギリ、入ったと思ったが、フェンス上段にぶち当て、2ベースだった。ランナーが一人前に居たので入っていれば2ランだった。2ランなら、流れは変わったはずだ。前のランナーは、入ったと思ったか、タッチアップと思ったか、全力疾走しなかったため、2アウトランナー2、3塁となった。4番が三振に倒れ、この回無得点だった。悔やまれる回だった。後1mm球の芯に近い部分を叩いていたら入っていた。惜しかった。第3打席はセカンドゴロに倒れた。3の2、打点1、不満が残ったようだった。試合は4−8で負けた。ヒットの数は1本差だった。打線が繋がらなかった。今後の課題である。潤も例外でなかった。潤はレフトに放り込めなかったことを、悔しがっていた。第3打席は打たされた感じだった。試合を終えて、解散後、バッティングセンターに打ち込みに行った。人が沢山いて、集中して行なえなかったので、一度家に帰った。風呂に入って着替えてから出直した。気分を変えるために、直ぐにはバッティングセンターに行かず、アルパークのゲームセンターで暫し、遊んだ。父さん、ワシの小遣い半分で良いけーと潤はやや遠慮気味だった。「今日、一本良いのを打ったから、いいよ。」と潤に言った。ゲーセンのコインを全部使い果たした。最後は、早く無くなれといった感じだった。次にやることがあるので、早く使ってしまいたかったようだった。「よっしゃー行こうぜ」と声を上げ、私の膝を叩いて、ゲーム機の前から立ち上がった。井口商工センターから五日市バッティングセンターに向かった。夜のバッティングセンターは人が少なくて、ケージが一人で占有できる。高さを低めいっぱいに調節してもらった。ややボールぐらいの低さで良い。普通の打席の前にもう一つ打席を作って練習した。もう来週の試合を想定して練習を行なった。やったるでー!もうエンジン全開だ。ヘロヘロ気味だが、気持ちが行っていた。こういう状態が上達するのかも知れない。私は睡眠不足で眠たくって、飯も作ってないので、今日も外食にした。サンデーサンでフルーツヨーグルトとシーザーサラダとルビーグレープフルーツジュースを潤は注文した。酸っぱい物が食べたかったと言う。車の中で、ビーフジャーキーを食べていたので、肉類は、もう食いたくなかったようだ。家に帰ったら、手抜きのプロテインを飲んで潤は自分の部屋に上がった。潤が二階に上がった後の居間の祭壇の前には、穴の開いたフランクリンのバッティンググラブとホームランボールがきれいに揃えて置いたてあった。
2003年04月14日 00時12分15秒

  • 2003年4月12日
    朝8時に西グランドに集合したが、昨日からの雨が上がらない。グランドコンディションは最悪だった。クラブハウス2階に選手を集めてミーティングを行った。二人一組でペアストレッチを意味を教えながら行った。一人ずつみんなの前で素振りをさせた。皆で、どこが良いとか改善した方が良いとか、言合いながら行った。1時間半程経って漸く小降りになった。子供たちを監督に任せて、私は、5m×25mのケージ内の水溜りをスポンジとバケツで吸い取って回った。こうしないと、硬球は水に濡れて、使えなくなってしまう。子供達が外周トレーニングから帰ってきて、昼飯にした。食後直ぐに83マイルで打ち込みを行った。昨年度のレベルまで後1マイルだった。自主練が効いたのかケージ内のセンターにほぼ確実に打ち返した。バッティングは殆ど心配がないが、後はハートの問題だと思う。最近は、マークされつつある。そんなプレーッシャーを跳ね除けて、自分のバッティングをしなければならない。続いて、70マイルで打ち込みを行った。守備練習を最後に行い解散した。明日は、朝早いので、午後3時に解散したが、うちは、ここからが練習である。監督と他の選手を送り届けた後、五日市バッティングセンターに練習に行った。自分で納得が行くまで勝手に行なわせた。今日も外食にした。家に帰ったのは午後9時を過ぎていた。
2003年04月13日 23時20分57秒

  • 2003年4月11日
    会社の帰りに五日市バッティングセンターによった。先に回数券をコインに換えておく必要があった。潤の塾が終わるのは9時10分で、コイン両替が間に合わない可能性があるからだ。家に帰ったら、メイだけが待っていた。そりゃそうだ、潤は雨の中、合羽を着て隣の藤木団地に塾に出かけた後だった。試合が近いので、ヘルメットの修理をした。プラスチックのヘルメットをコンパウンドで磨いた。耳当てが剥がれかかっていたので、ボンドで修理した。そうこうしているうちに、9時になり、潤をエスティまで迎えに行った。相変わらず、雨が降っていた。雨ざらしの自転車をエスティマに積んで、潤が出てくるのを待った。自転車を押すとキーキーと音を発てた。潤がニコニコしながら、塾から出てきた。腹を空かせていた。ファミリーマートに寄って、ハンバーガーを買い食べさせた。腹を空かせているだろうに、練習が終わるまでは、夕食はお預けだ。車の中で、食べて、車から降りると、すぐに素振りを始めた。丁度9時半になった。会社帰りにコインに換えておいたのが役にたった。今日は週末なのに雨が降っている所為か客の姿がなかった。ケージは12個あるが、潤が使う6番だけが稼動していた。私は最後の片づけをいつものように始めた、散乱したボールを前に出し、設置してあるバットをそろえて回った。こんな雨の日は皆、早く店じまいしたいだろうに、潤が最後まで粘っているからである。寒く、冷たい雨だったが、潤はシャツ一枚でバットを振っていた。天井のネットに打ち上げると雨粒がどっと落ちてくる。それを避けながら行った。帰りに、大きな声で挨拶をした。夕飯の支度をしていなかったので長崎ちゃん麺で夕食を採った。潤は、本当は家で食いたいと言う。私もそうだが、もう時間が遅い。料理を作っていると11時になってしまうし、私は疲れていた。家を出る前にいよかん風呂を沸かしておいた。家に帰ったら、暖かいお風呂に入ってすぐに休む事ができるようにした。明日は早朝から練習がある。潤も私も疲れがとれると良いが。
2003年04月12日 01時00分59秒

  • 2003年4月10日
    仕事のめどが漸く付いた。とりあえず今月はOk、生きていける。嬉しくって、2時間ほど残業してしまった。引き続き来月が心配。早く戦争終わって欲しい。家に8時過ぎに到着した。潤が学生服のまま、ソファーで寝ていた。疲れが溜まっているらしい。中学になって、カバンが重たくなり、帰り道は、2キロの道のり、そして1.5キロ高さ100mの登りは疲れるらしい。潤を起こして、バッティングセンターに練習に行った。最近は、引っ張りと流し打ちの練習ばかり行っている。140kmで距離を短くして、引っ張り、距離を長くしてレフトに流す練習をしている。最後のコインだけは、自由に打たす。距離を短くすると、よっぽど集中してないと、トップから、ミートポイントまでバットがうまくでない。弊害として、上体の軸が外に開き易くなる。これは、時間が無いためと考えられる。だから、開かずに、上から乗っかる感じで軸が外に開かないようにするのが必要だ。距離を長くした場合、余裕があるので、早く巻き取ってしまいがちになる。トップを残して溜めて行わせた。大分流すのが上手くなった。自由自在になりつつある。水曜日と金曜日は塾でバッティングセンターに行けない。何かに理由を着けて練習量を減らすのは簡単だ。しかし、これじゃ、進歩は望めない。自分が大事だと思っていることをこのように対応しては駄目だ。水曜日と金曜日にバッティングセンターに練習に行けないのなら、他の日に、全部倍練習すれば良い。簡単なことである。しかし、普通の子は前出のように発想する。潤は頑張りやさんだと思う。実際のところ倍までは行わないが、それでも一日の練習量は増えている。本当に、怪我をしないで頑張って欲しいな。帰りに「紺のれん」にラーメンを食いに行った。夕飯の支度をしていなかった。5日ぶりの外食だった。その後は本屋によって、野球関連の本を立ち読みした。潤に、マンガをせがまれて、一冊購入した。一応、本だから、まぁ、いいかぁ。
2003年04月11日 15時04分45秒

  • 2003年4月9日
    朝、弁当作り二日目、だいぶ要領が良くなったし、潤が2階から下りてくる時には、居間のテーブルの上にデーンと弁当箱と水筒を置いていた。これで安心、明日迄に雑巾2枚とビニール袋3枚が必要だ。中学校も結構面倒くさい。潤は元気に学校へ行った。家の前が丁度中学校への通学路になっているので、玄関先に出て、友達を待って一緒に出かけた。私は、のんびり朝風呂に入って、それから客先に出向いた。今晩は塾があるので夜練には行けない。仕事の撤収時間を気にせず、久しぶりに仕事をした。それでも、回収のめどはたっていない。とりあえず6時に仕事が終わった。6時半までに家に着けば、潤の顔が見れる。なんか、軽く飯を食わせることが出来る。銀山町への交通手段に購入したバイクをぶっ飛ばしたが、家に着いたら潤が出た後だった。相変わらず一人になると、不安が襲う。インターネットで仕事を探した。2時間ほどして、PCの前で眠り込んでしまった。潤が塾から帰ってくる時間が迫っていたが、何も夕飯の準備をしていなかった。慌てて、ほうれん草とベーコンと卵を炒めた。マーボー豆腐を作った。コーンスープも用意した。サラダも作った。9時半を過ぎて、食卓に並べたものが冷え出した。10時に塾から電話が掛かってきた。英語の試験合格するまで帰れないと潤が言った。私は、風呂を沸かした。最近潤は肌荒れが酷い。顔に湿疹が出来ていて、手もがさがさだ。やっぱ、食生活が偏っていると思う。入浴剤を入れずに、いよかんを4個を奇麗に水で洗って風呂にぶち込んだ。近くにびわの木があるので、いよかんが無くなったら、びわの葉っぱでも入れようかと思う。潤が塾から10時半に帰って来た。大急ぎで温め直して、夕食にした。この後も英語の勉強をするのだと言う。私は、もう遅いから寝るように促した。風呂から出た潤は、いよかんの皮で顔を洗って、湿疹が幾分引いたように見えた。本人は、全く気にしていないようだが、親としては、凄く気になる。これ以上湿疹が酷くならないで欲しい。中学生になって、興奮覚めやらない潤は結局12時過ぎまで起きていた。明日が心配。
2003年04月10日 19時39分08秒

  • 2003年4月8日
    相変わらず、仕事の見通しがたたず、何も知らない、潤に申し訳なく思う。元気に学校に行っているが、もしものことも最近良く考えてしまう。転校やリトルを辞めなくてはならないかもしれないと考え込む今日このごろ。情けないよ全く、子供一人満足に育てられないかも知れないなんて。会社に行ってもしょうがないので、遅れて適当に出勤した。全然やる気になれない。インターネットでフランチャイズ何か良いの無いか探して暇を潰した。午後4時頃、以前の取引先から連絡があった。予算が無いが何とかしてくれと泣き付かれた。今はどこも苦しいんだなぁ。どうせ暇だから、人助けと思って、手を貸すことにした。やらなきゃゼロ、しかし、やれば、やっぱりゼロかもしれないけれど、喜んで貰えるし、受注の可能性がゼロからゼロor +αになる。止まっていてはだめだ。やらなきゃ!、自分に喝を入れた。苦しい時、1年5組の部屋の丁度真中辺り、そしてやや後方にちょこんと座って、くりくりした目で先生の話しを一生懸命聞いている丸刈りの潤の姿を思い出す。こいつから、野球を取り上げてなるものか、例えどんなに不自由しても、潤からは野球を取り上げることはしないつもりだ。明日、取引先にお邪魔する約束をして、電話を切った。居てもしょうがない事務所を後に、さっさと帰宅した。潤を誘って、バッティングセンターに練習に行った。大学生らしき常連さんが、ケージに入っている私と潤を見て、またイチロー親子が来ているとささやいていた。心の中で、私は、イチロー親子と一緒にされることが少しだけ不愉快だった。まあ、どうでも良いかぁ、そんな事。
2003年04月10日 19時08分06秒

  • 2003年4月7日
    入学式のため、会社を休んだ。潤は坊主頭に学らんは、中々似合っていた。今日から正式に中学生だ。恥ずかしいから止めてくれと言う潤を宥めて庭先で写真を撮った。潤は、何とも思っていないのだろうけれど、私としては、忘れないように、記憶に留めておきたい、記念すべき日だ。潤が出かけてから一時間して、入学式に出かけた。最近は、お父さんもちらほら、約一割強ってところだろうか。私は、早目に学校に着いたので、校庭を角から角まで歩いて回った。体育館の裏手の、非常口の階段の下にタバコの吸い殻が一つ落ちていた。普段は、だれもこないであろう処だった。体育館の路地を抜けて明るい校庭にでて、これから3年間潤がお世話になる校舎の写真を撮った。グランドのマサ土がなんだか、懐かしい。ハンドボールや、サッカーゴールがやや錆びていて、長い歴史を感じる。野球部の防球フェンスが高くそびえていた。ここは広島県一番のマンモス校だという。それでも最近は非行がへったのだという。近頃、ヤンキーの姿はない。式の時間が近づき、体育館前に移動した。私はドアが開くのと同時に、2番目に中に入って、保護者席の前から二番目に陣取った。吹奏楽部のアトムの演奏に合わせて、1年生が行進してきた。1年5組に潤がいた。テレ笑いをしながら、数少ない坊主頭で入場してきた。やがて、通り過ぎ、見えなくなった。ずっと子供を見ていたい本能だろうか、潤を捜したが、次から次に通り過ぎる生徒に阻まれ見失ってしまった。式が終わって、各クラスに移動となっり、保護者がクラスに集った。父親は私一人であった。まぁ、今に始まったことではないので、慣れっこだが、こういう時は、子供は、如何思っているのだろうか。そっちの方が気になる。生徒が先に解散して、PTA役員を決めるために、保護者が、自分の子供の席に着かねばならなかった。私は、月金会社で土日リトルがある。役員に等、出来るわけ無い。先生に親子2人暮らしであることを告げた。お母さん達の目が私に集中した。屁のかっぱである。後は、とりあえず、今年一年、目立たないように、普通にしていれば良い。明日から3日間は、弁当が要るという。わし、頑張るぞおー。家に帰ると潤が玄関先で待っていた。私と一緒に帰れなかったため、カギが無くって家に入れなかった。1時間外で待ちぼうけしていたという。ヤキソバを作って、2人で中食にした。昨日の疲れのせいか、私も潤も眠たくなって、昼寝をした。目が覚めたら、午後7時。潤と五日市バッティングセンターに練習に出かけた。潤は、学ランを着て出かけた。バッティングセンターのおじさんに、学ラン姿を見せたいようだった。ここに通い始めたのは、小学2年生の頃だからもう5年になる。おじさんは、潤の気持ちを察してか、やや驚いて見せてくれた。潤はいつもの通り挨拶して、いつもの通り練習した。
2003年04月10日 15時14分53秒

  • 2003年4月6日
    昨日とおんなじで、私はご機嫌斜め。全日本選手権中国大会が来週だから、ホームランネットを設置した。クラブハウスの裏から鉄杭14本とホームランネットを2巻きネコ車に乗っけてうんとこせえ一人で運んだ。保護者は誰もおらずだった。マイナーのガキどもがサッカーしてやがる。バッティングケージを私は一人でセンターからブルペンまで移動させた。潤を筆頭に誰もグランド準備をしないどころか、車から荷物も降ろしていなかった。血管ぶちきれて、皆の前で、潤を殴ってしまった。時間はもう後4分で9時になる。時間ギリギリに来た選手と保護者が、私を見て、状況を悟ってホームランネットを張ってくれた。暫くして監督登場、私は、全部ぶちまけてやった。ざまあみろ、ずーっとランニングをさせられていた。もう、潤に手を上げること無いと思っていたけれど、みんなの生贄になっちまった。そのことをベンチで話し合うと、皆私を慰めてくれたが、情けなくってしょうがなかった。走り終わった後、監督から短く説教を受けていた。子供に罰を与えるのは、時には必要だと思う。でもね。正座とか、くどくどミスを戒めることはせんの。こうするのは、マイナス思考。ひたすら、列を作って、声を出してランニングを行った。こうすれば、落伍者は出ない。チームで連帯して行うことで、回りとの連携が図れるし、体力もつく。暫くしてきつくって泣き出す子もいたが必死に列を維持していた。一段落して、82マイル13mでバント、バスターを繰り返し練習した。昨年は84マイルだったのに、今年はちょっと、あまいなぁ。昨年と同じレベルに引き上げるのにはもうちょっとかかると思う。続いてフリーバッティングを行った。バッターボックスを3M後ろに下げて行った。潤は、道路を挟んで向こうのグランドの土手に4本かっ飛ばした。もう少しでテニスコートまで届く。時間の問題だと思う。潤が左バッターボックスに立つと保護者が、駐車場に守備につく。ライトにはホームランネットの後ろにさらに高さ4Mの防球ネットが張ってある。それを軽々超えてしまうのである。恐れていたことが起こってしまった。ここなら安全であろうと思われるところに、放り込んでしまった。車の窓を直撃した。守っている保護者はそこまでは飛ぶと思っていなかったので全く無警戒だった。鈍い音がした。私は、喜び半分、不安半分で、車のところに行った。本当に不思議である。車は無傷だった。暑さを避けるために、車の窓が半開きだった。窓は、半開きの状態だと、数センチ遊びがある。それと、球が斜め上から降ってきたため、うまくショックを和らげたようだった。ボールが当たったところだけ、窓ガラスの埃が取れていた。教訓、窓は半開きが良い。結局8分で14本柵超えを放った。練習を終えてからが、我が家の本当の練習、五日市バッティングセンターに直行した。セブンイレブンで黄な粉もちを買ってスタミナ補給した。一度車で身体を休めたので、朝沢山走った所為か、アキレス腱と踵が痛いらしく。びっこを引いていた。ケージに入る前に素振りをして、身体を起こした。ケージに入って打ち込みを始めると、A君がやって来た。うちのリーグの成長株のA君だった。私は、ちょびっとドッキリした、何を隠そう、A君のお父さんの車に潤はぶち当てていたからだ。気まずーっ、笑ってごまかした。そして、今日のお詫びにと、回数券を2枚A君に渡した。その後は、そそくさと撤収(笑)。
2003年04月08日 19時51分53秒

  • 2003年4月5日
    全日本選手権中国大会が来週から行われるため、土曜日の練習を10時からにした。本当は午後1時からだけど、ちょっとでも練習時間を増やしたかった。土曜日の練習は、保護者の姿が少ない。選挙と重なっているし、期の変わり目でもあるし、何かと忙しいらしい。じゃぁ、ワシはどうなるのよ。ワシも今月来月の見通しがたってないのにガキども相手にしてんのよ。隣のマイナーグランドは選手の数も多くてA,Bチームができた。保護者も10人ぐらい居る。いいなぁ、活気があって。それに引き換え、全日本前だってのに、大人がワシしかおらん。どういうこと?悲しくなっちゃう、ぅぅぅぅ・・ぐすん。指導者少なくて、効率の良い練習は、ロングティー。今日は、レフト、センターから、ホーム、ライト線に向かって行った。こうすると、場外打は、山にぶち込まれるので、斜面を転がって、手前に出てくるのである。ワシは山とグランドの間の道路に出て球拾い。うわぁーびっくりしたぁ。山に上がって転がって落ちてこない、ティーボールを取りに行ったら、マムシがにょろにょろ、わし、光物だめなの。場外打は嬉しいけど、わし、ヘビ嫌い。昼になって、ようやく保護者が増えてきた。やっぱり、保護者がいないと、子供のやる気も入らないと思うな。子供の何でもない動き一つ一つに、ネット裏で反応する保護者の笑いや話し声がグランドに聞こえるのですよ。やっぱ、これが良いよ。少なくとも、我が子のためだけでよいから、グランドに上がって欲しいな。皆がそうなれば、自然と活気付くよ。そこからで良いと思うの。横の連帯というか、みんなで何かしようって言うのはね。最近、良く分からないけれど、何かバランスが悪いなぁ。温度差を感じてしまう。子供はね、いつも同じじゃないのよ。いつも違って、良くなるの。だから、同じだとあきらめないで、いつも新鮮な目で我が子を見て欲しいな。なんだか、愚痴っぽくなってきたのでチャック!。
2003年04月08日 19時02分45秒

  • 2003年4月4日
    雨が降っていたが、夕方になって小降りになった。会社を5時に出て帰りに大西スポーツにエルボープロテクターを取りに行った。潤を6時半に塾に連れて行かねばならないので急いで帰宅した。山道を2キロ雨の中を自転車で行かすのが心配だった。エスティまで塾まで送った。先ほど買ったエルボープロテクターを車に積んだ。後で時間が有ったらバッティングセンターに練習に行くためだ。とりあえず、後で忘れぬように、積んだ。潤が塾に消えるのを確認してから、近所のスーパーで買い物をした。たんぱく質を多く摂らそうと思って、ステーキを購入した。家に帰って、人参を2本甘く煮付けた。料理を作っていると、テレビで野球の破壊王列伝とか速球王列伝とかやっていたので、すかさず、録画した。参考になる画像があるかもしれないと持ったから。8時50分に家を出て、潤を迎えにいった。塾の正面に車を着け、潤の帰りを待った。潤は9時13分に塾から現れた。バッティングセンターまで20分かかる。コイン両替は9時半までだ。ギリギリの時間だ。間に合わないかも知れないが、行くことにした。途中、バスの後ろに着いてしまい、もうだめかとおもったが、何とか信号のタイミングがよく、ギリギリ間に合った。コインを5枚両替した。時間が足りないと思って、5枚しか両替しなかった。私らを最後に、受付のカーテンが閉められた。5枚終了して、やり足りない、顔をしていると、おじさんが、「いいよ、やりんさい、もうお客さん居ないから。」とコインをくれた。隣のケージからホームベースを拝借して、縦に2個、一つを1.5m前方に設置した。昨日と同じ方法で打ち込んだ。本番と同じようにエルボープロテクターを着けて行った。潤の手の平がでこぼこでがちがちになっていた。ついこの前買ったクソ高いフランクリンのバッティンググラブは今週中にだめになるに違いない。潤はフランクリンがお気に入りで、ほとんどフランクリン以外使わない。一番手にしっくりして、長持ちするからだ。6800円のそれが、一月持たない。軍手か現場仕事用の皮手でよいと思うのになぁ。以前、国産有名メーカーのバッティンググラブが3日でだめになった。さすがに、頭着て、クレーム着けて、新品と取り替えてもらったが、ほとんど同じだった。家に帰ってステーキを焼いた。久しぶりに、人参も食わした。どういうわけか、最近の食材に人参が登場していなかった。1月ぶり以上かなぁ。潤に聞いたら、春休み前は、給食で必ず出ていたという。一安心。やっぱり、ワシの料理は、偏り方が激しいかも知れないなぁ。潤が塾の間に録画した野球番組を見せた。広陵優勝もあって、なんだか、急に盛り上がっちゃって、潤は「今から、わし、坊主にするけー、父さん切って、うんと短くて良い。」潤は、言い出したら聞かない。さすがにまだ寒いので、5厘は遠慮願った。バリカンに下駄を履かせて、風呂場でさっぱりした。潤は、坊主頭は良く似合う。赤ちゃんのころ、ドゥーヤンというゆりかごで寝かせていた。シーツかタオルケットを二つに折り、シーツの端と端にロープをくくり、それをかもいに引っ掛け、その中に、赤ちゃんを寝かせる。頭が丸く収まるので、絶壁頭にはならない。赤ちゃんはシーツの中に深く納まるので、落っこちる危険もない。フィリピンや、南方で使われるゆりかごと同じである。ゆりかごの端に紐をつけて、引っ張っておけば、こっちは、寝そべってテレビを見て、適当に紐を引っ張っておけばよい。ハエや蚊からも赤ちゃんを守ることができる、優れものである。神奈川県の上和田団地で1歳になるくらいまでこうやっていた。だから、潤は、自分で、頭の形が良いのを知っていて、坊主頭は自信があるのだと。それでも、最近異性を気にしてか、やるなら、つるつるの方が、人気者になれるとうそぶく。本当は、照れくさいんだと思うんだけどなぁ。とりあえず風邪引くなよって感じーぃ。
2003年04月06日 00時06分16秒

  • 2003年4月3日
    バイクで銀山町に出社した。所要時間30分、慣れれば、もうちっと早いかなぁ。今日から、普通の勤務体制に一応は、なったが、先行き不透明でかなり困っている。周りも同じ状況。世界はどうなっちゃうんだろ、まったく。キンコンカンと同時に会社を出た。バイクをぶっ飛ばして、6時半に帰宅した。あら?潤が居ない。しゃーねー、腹すかせてそのうち帰ってくんだろう。7時半、おかしい。携帯電話に電話した。現在電話に出ることができませんだと。なぬ!そいじゃ、Cメールを打った。そんでもってまた電話、状況は変わらず。ホンじゃ今度は、eメールを打った。そして電話。「父さん、今塾の補習中だよ、いい加減にしてよ。わし、今日、補習って言ったじゃん。」しまったー!ほうじゃった。試合で春季講習出れんかったんで、一日先生が割いてくれたんじゃった。しまった。アジフライとマーボ豆腐は冷めちゃったけど、シャーない。洗濯物を干していると、玄関から物音がした。潤が帰ってきた。「今日、早く帰してもらったけぇ。」だと。ありゃー本当は午後9時半の予定で、今晩はバッティング練習できんと思っていたが、ラッキーだ。急いで、マーボ丼とアジフライを食べさせた。潤を車に乗っけて出発。潤は、食いすぎて、今バッティング練習したら、腸捻転になるとほざきやがる。知ったことかいな。着くと案の定、私を置いて、さっさと140kmケージに入ってしまった。まだ両替していないのに。まったく、親をデブちゃん言うなぁ!コイン1枚目、トスバッティング、ただし、34インチのアルミファンゴで行う。細くスポットが20cmしかないのでミートが難しい。2枚目はそれで普通にバッティング練習。3枚目、ベースを1.5m程前方に出して、ここをストライクゾーンにマシンの高さを調節した。自分のバットで前に出て2球打つ。この前に作った打席が直球のタイミングとする。このタイミングで目で情報を捕らえ、すべての動作を行う。一方、本来の、黒いラバーの敷いてある打席は、アウトローやインローのチェンジアップか、スライダーを想定させる。1.5m距離が違えば、タイミングは、かなり異なる。マシンは前の打席に設定してあるため、高めは殆ど来ない。この二つの打席を2球ずつ行う。前の打席で長打をねらい。後ろの打席でも溜めて、センター奥に長打を打つのを目的として行う。素早いミートポイントまでの振りと目でよく見て、如何に早く反応するか、そしてフォローを大きくするか の習得を目的にする練習である。まだ上手く反応することが難しい。後ろの打席に戻ったときに、溜めれず、早や打ち(ライト方面)してしまう。確実にセンター打ちができれば言う事はない。新しい練習なので、私の口数が少々増えた。「父さんねえ、頼むけー、球が来る3秒前は、黙っといて、集中できん!」はいはい、ごもっともでゴぜーます。潤は、今絶好調。あまり口を挟んだら、いけましぇん。先週3本のホームランの内、3本目をレフトにほうりこんだ。この3本目を監督にすごく誉められた。左バッターだから、ライトに引っ張って打たれるのはしょうがない。ジャストミートすれば、もっていかれる。投手にとって最も嫌な流してホームランにしたことだ。この大会、どこにでも、本塁打を打てる自信を着々とつけつつある。こんなこと書くと、警戒されるんだろうなぁ。そこを打ち勝つんよ!かかってきなさーーい!
2003年04月04日 14時16分58秒

  • 2003年4月2日
    電車通勤二日目、足に来ている。すねが痛い。チャリンコはいつも漕いでるけど、革靴は足が痛くなる。客先に行く時、タクシー代をケチって歩いた往復で5キロほどかなぁ、結構しんどかった。今日は、半ドンで帰宅した。まだ事務所が、使える状態じゃなかった。それと、楽しみにしているバイクの納品日だ。夕方6時半になって、バイクが到着した。出足はDT50より好調、でも上り坂は排気量半分のDT50に負けてしまう。悲しい。まぁ、オートマだし、仕方ないかぁ。夜はいつも通りバッティングセンターに行って練習した。あることをテーマに秘密の練習である。何れにせよ、結果が出るのは、全日本の予選かなぁ。帰りの車の中で、潤がメニューをEXECLで作れと言ってきた。今はストレッチとダンベルのメニューがリビングの壁にはってあるが、すでに、刺激を持ってそれに取り組んでいないという。何か、こう、ヤルゾーって言うものを作ってほしいらしい。日付付きでメニューを作ってやった。行った回数や、やったかやらなかったか、何秒でできたか等を書き入れられるようにして表を作成した。それを冷蔵庫にセロテープで貼って、いつも目に付くようにした。断っておくが、私がやれと言ったのではない。潤が私に作れと言ったので、面倒くさいけれど、作ったのだ。いつまで続くか、見ものである。とりあえず、卒団8月まで作ってやった。無理のないメニューを作ったつもり。毎日できなくてもよい。潤と何ていうテーマのメニューにしようかと、しばし考えた。潤が、「もう、絶対に故障はしない」がメニュータイトルに良いと言ったので、その通りタイトルを入れてプリントアウトした。故障は絶対にして欲しくない。
2003年04月03日 17時58分01秒

  • 2003年4月1日
    今日から、広島市内の銀山町が職場だ。潤は、三和中学入学受付日で、初めて学生服に袖を通した。ベルトが長すぎて20センチぐらい切り詰めた。まだ、小学生のかわいい潤で居て欲しいとも思うし、早く大きくなれとも思う。複雑な気持ちだった。入学許可証を持って登校。学校指定靴は白のズック。潤は、アシックスのアップシューズを履いて行った。潤が出かけてから、スーツを着て、五日市北口行きのバスに乗った。そこからJRで広島駅で下車、徒歩10分で会社に着いた。通勤で電車やバスに乗るのは3年ぶりぐらい、まるで、お登りさん状態だった。事務所は片付いて折らず、10時半に出勤したが、仕事ができる状態ではなかったので、昼飯を食って、帰宅した。結局、顔を出して挨拶しただけだった。ネットワークが使えないと、何にもできないのである。明日からの通勤手段をどうしようか考えた。バスや電車は、やっぱり合わないし、時間がもったいなく思う。中途半端な待ち時間が嫌なのである。読書や居眠りもできるが、どうもじっとしているのが性に合わない。居眠りなら、堂々と事務所で寝てしまう。帰りに、彩が丘行きのバスがなかったので、バイクやの前で途中下車した。何を買おうか全く決めていなかった。ただ、電車通勤はするつもりがないのだけは確かだった。バイク屋を4件回って、結局3件目でバイクを買ってしまった。2件目においてあったYAMAHA−RZ50の中古がとても程度がよく気に入った。それと、3件目のNSR400これも中古だが、お買い得だった。バイパスも高速走れるし、疲れなくて良い。2年に1度の車検がうざったい。4ストのしようか2ストにしようか、スクーターの収納スペースや機能性も捨てがたい。いやいや、2ストでパラパラ金属音を立てながら、時には歩道や路側帯を走り抜ける機動性も捨てきれない。(ワシ、結構、バイクは、やり手なの。でも免許はゴールドよ。)どちらかって言うと、中古の名車が欲しかった。それをチューニングして乗りたかった。チューニングって言っても、自分でせん。注文着けてスペックどおりに仕上げてもらう。わし、やりだしたら、誰か止めてくれる人がいない限り、突っ走ってしまう。口元緩めて、目じり下げて、スーツに茶色のブリーフケースと黒の折りたたみ傘を持って、思いにふけっていると、携帯が鳴った。仕事の電話だった。注文がファックスで来たという。そうだね、ネットワーク使えんしね。エスケープしつもりだったのに、仕事のスイッチON。見積書を電話で指示して作成させた。急に現実に戻ってしまった。目の前に銀色新車のスクーターYAMAHAアクシス100があった。もう、いいやこれで。ワシ、バイクは昔っからYAMAHAユーザーなのでした。納車は明日の夕方5時。会社早退しよーーと。家に着いたのは午後3時半だった。潤がほんの少し前に塾に出かけた後だった。急に頭痛がして、メイとソファーで昼寝した。午後6時半に潤が塾から帰ってきた。寝ている間に、仕事の電話や知人やどっかの営業から4回も電話が掛かってきて、ますます頭痛がひどくなった。寝ぼけて、先方に申し訳なかったが、Kリーグの監督から電話が掛かってきて、潤の先日のホームランのことを既に知れているのを知った。潤は練習に行こうと言うけれど、具合が悪くて寒気もして行ける状態じゃなかった。潤の飯も作らず、午後8時まで、寝室で寝かせてもらった。2時間したら、大分頭がすっきりして、インスタントのハヤシライスとインスタントのハンバーグを温めた。今日はこれで勘弁してもらった。飯をかっ込んで、早く行かないと閉まってしまう。私は、面倒くさくって、パジャマに、ウインドブレーカーを引っ掛けて、潤と練習に行った。昼寝をしていたとき、よそのチームの監督から電話が掛かってきたのを思い出した。こりゃぁ、公式戦は、マークされて、打たして貰えないぞと潤に伝えた。満点の答えが返ってきた。「人より何倍も努力すればよいんじゃ、ワシ監督と約束しているけぇ。」と、ニコニコしながら答えた。今日も最後の一人になるまで練習した。
2003年04月02日 00時13分51秒

  • 2003年3月31日
    朝トイレで糞を垂れながら、リトルリーグの新聞に目を通した。あらまぁ、びっくり!潤が載ってらぁ。一月ほど前、サンケースポーツに載るから、原稿と写真頼むと事務局に言われて書いた原稿だった。なーんだ、「ぼくらリトルリーグ」だったかぁ。15年3月10日付けの5ページ目に 載っていた。ミスプリかなぁ、何か、語尾がおかしい。原稿をそのまんまかなぁ、だとすれば、親に似て文法まるでだめなのかもしれない。ズボンを穿いて最後の出勤、今日は、仕事収めで、明日からは、広島中心部に職場が変わる。わし、廿日市好きだった。人ごみの都心部は嫌いだが仕方ない。仕事は最後の最後まで、忙しかった。潤から2度電話があったが、まともに取り合わなかった。こういうときは、辛い。2度目のときは、ピザトーストの焼き方の質問の電話だった。家に帰ったら、「ワシ、ピザトースト作って食ったけえ。」これを聞いて一安心、長期の休みは、一人でほったらかしなので、なんだか可愛そうに思う。「父さん練習、行こうや。」今日は、完全オフのはずであるが、行きたがったので連れて行くことにした。その前に、五日市のミヤケスポーツに、中学校の体操服や通学カバンを購入に行った。学校の指定日に行けなくて、個別に購入に行かねばならなかった。これで、ほとんど揃った。後は、あるとリコーダーとノートぐらいだろうか。バッティングセンターに着くと、ひとりで、すたすた、行ってしまった。昼間一人で練習に来ているときの、あまりのコインを持っていて、車で、もそもそしている私を待ち切れなかったのだろう。「遅いよ、でぶちゃん」んなろーー、親に向かって!このでぶちゃん発言は、監督が上機嫌のとき私に言う呼び名である。それを聞いててそれを真似して言いやがる。首絞めたろかぁ!潤はコイン4枚目から、私の思いつかなかった練習を始めた。今は、全日本選手権前なので内緒で言えない。昨日の試合でこれじゃだめだと思ったことがあったと言う。理由を聞いて私も賛成した。バッティングセンターのおじさんに、少々注文を着けたが、理由を言ったら、快く承諾してくれた。おじさんは受付を、空けて、暫く潤の練習を興味深く見つめていた。練習を終えると、いつも、お調子者になる。私のご機嫌をとって、財布を買ってくれとせがんできた。今使っている財布は、Jリーグのベルマーレ平塚の財布で、神奈川県に居たころ、兄ちゃんが使っていたやつだった。最近になってどこからか、探し出してきて、使っていた。「ワシ、鍵が入る財布が欲しいの。」と来た。自分の立場を最大限利用しようとしている。財布は1450円、まぁ良いかぁ。全く、自立?してくると、金が掛かるわい。昨日は、打って小遣い稼いだくせに、財布と塾で使うバインダーは必要経費だと私に申告しやがる。とりあえず、やることやってるから、しょうがないなぁ。
2003年04月01日 00時26分55秒

  • 2003年3月30日
    広島西のHPの整理をしていたら、深夜2時を過ぎてしまったので、今朝は調子が悪い。寝覚めが悪かった。子供たちはどうだろうか。大丈夫、すぐに起きてきた。しかし7時間しかねていなかったようなので、夕方までスタミナ持つか少々不安であった。Y君が先に外に出て、部屋に誰もいなくなると、潤は、珍しく、お祈りをして十字をきった。公式戦では、よくやるのだが、今日は、なんだか時間も長かったし、なにか、思い入れがあったようだ。一昨日に潤の携帯電話が壊れて、最新式の携帯電話を購入していた。一日に2本HR打ったら買ってやると以前から言っていたが、壊れたのを機会に、先に買い与えていた。カメラつきで、カメラの部分がくるくる回る、最新式のやつで、動画付で、GPS対応のやつである。かなり生意気であるが、何度も買うのいやだし、せがまれると面倒臭いので持たせていた。今日は、潤が、約束を果たしてくれた。いきなり、広島安芸に対し、向かい風の中2打席連続アーチを放った。1本目は、2ラン、二本目はシングルだった。打点3とした。こうなったら、3打席めも、行ったれやっと思ったが、ショートゴロで撃沈。試合は5−6で負けた。最終回に逆転された、いつもこのパターンである。2週間前の再来であった。続いて第2戦は広島北とのゲーム、三番ピッチャーで登板した。肩が不安で、2イニング32球を投げて、無失点で降板した。今後の課題は多い。その分、打つほうで頑張った。1打席目はレフトフライだったが、2打席目またもHR打点1とした。続いて、3ベースで打点3とした。4打席目は、速いセカンドゴロを放ちアウト試合は10−8で辛うじて勝つことができた。今日の試合、3チームでHRを放ったのは潤だけだった。しかも3本。皆、すごいねー。と賞賛を浴びていた。しかし、ワシは、満足しない。6本は場外に持っていけたと思うからである。ガッツイて、打ち損じていた。ここら辺が今後の課題。精神的にも強くならなければならないと思う。帰りの車の中、潤は次のように監督に説かれていた。試験勉強は、受かる受からないの世界だから、これだけ、クリアーすれば良いっていうのがあるけれど、試合はそうじゃないよ、努力して努力して、努力しないとだめなんだ。今、これまでの成果が出てきているけれど、今、始まったばかり、相手も努力するから、もっと努力しないとだめなんだ。でもね、練習はうそをつかないよ。一日3ホーマー7打数4安打はすばらしいしけれど、一番嬉しいのは、努力したことが見えてきたことかな。と言った。私も同感だった。ここでやめれば、普通の人、さらに努力すれ、もっと上に行く。高校野球で打うたにゃ。今はその入り口の準備だよ、だと。私が本当に嬉しく思い、潤にとって意味があったのは、3つのアーチその事自体より、努力した成果が出たこの事実を体験できたことである。これは、今後の潤の生き方に大きく影響すると思う。話が終わるころには、後部座席で寝息をたてていた。この後、五日市バッティングセンターに行って追加の打ち込みを行った。
2003年03月30日 19時41分40秒

  • 2003年3月29日
    昨晩バッティングセンターの帰りに紺のれん(らーめん屋)で激辛みそラーメンを食っていると、Y君から電話が掛かってきた。明日法事があるから遠くのおばあちゃんちに行くため休むとの事だった。練習に来たいのなら家に泊まりなさいと半ば強制的にY君を呼んでしまった。そんなことで今日は、Y君はうちにお泊りの予定である。先週は別のY君が泊まっていた。明日試合があるので、とにかく今日の練習は打撃を中心に練習をしたかった。グランドについて、倉庫に行くと、ピッチングマシンが2台ともなかった。まいった。ワシが投げなきゃ。でも、夕べ右肩をワンコのメイとじゃれて、ひねっていて、投げたくなかった。最近ロングティーを行っていなかったので、ロングティーを久しぶりに行った。潤は、絶好調だった。200球で31球を場外にほうりだした。隣の駐車場を超え、その下の道路まで、球が転がっていた。普段なら、手に何も持たずに球を拾いに行き、そのボールをグランドの方に投げ返すのだが、うちの4番君もがんがん場外にだすので、投げていたら間に合わないし、ワシ、肩痛い。買い物かごを下げて、隣の駐車場で球拾いをした。今日は、一位だった。最近長打戦で4番君に負けていたので、親としたら、ちょびっとだけ嬉しかった。でも、本番で打たにゃあことにならないのは、確か。今日は、指導者の都合で私しか、指導者がいなかった。ロングティーの後、基本のノックを行って、ゲームノックして、ベーランして終了。さて皆が帰ってからが、変な話、本番の練習である。場所を五日市バッティングセンターに代えて打ち込みを行った。今日は、Y君が家にお泊りなので、二人で、ライバル意識を燃やしながら行えた。これって大切なことだと思う。一人だと、糸の切れたタコみたいにふらふら行っているが、お互い、へぼいところを見せたくないのであろう。二人とも目が真剣だった。これよ、これよ、この目よ、大事なのは。帰りの車の中潤が言った。「父さん、ワシ明日ホームラン打つけー。」家に帰って、二人でこれまた良い刺激、ダンベルをやって、二人で一緒に風呂に入った。あがると潤は肩をアイシング、Y君は肘をアイシングした。二人で寝ようってことになって、ダブルベットで仲良く寝てた。夜中2時に様子を見に行くと、二人とも子猫のように丸まって仲良く寝ていた。
2003年03月30日 19時00分41秒

  • 2003年3月25日
    春休みで日中暇にしているので、バス代と昼飯代(マックのハンバーガー3個とドリンク)とバッティングセンターの回数券を持たして自分で行くようにさせた。お陰で、夜は随分楽である。出かけなくて良いので、ゆっくり自炊ができる。洗濯機を3回も回すことが出来た。
2003年03月28日 14時37分39秒

  • 2003年3月23日
    一日休みを入れて気分リフレッシュのに日曜日だった。車でグランドに登っていく途中、監督が坂を歩いていた。いつも電話を掛けてきて一緒に行くのだが、今朝は電話が無かったので、きっとアップが終わる頃に来るのだと思っていた。呼び止めて、車に乗ってもらって一緒にグランドに上がった。足が無くって電車で来たのだという。練習は、直ぐには始まらなかった。最初に子供達を集め、何やら、珍しく話し込んでいた。そのうち、時々ハイと皆揃った歯切れの良い返事をしていた。6−4からひっくり返されて8−10で負けた敗因と課題を話し合っていたようだった。打撃練習で潤は特大アーチを放った。トップスピンのライナー性の当たりでも場外に放り出した。守備練習で潤を外野に入れた。潤は公式戦でセカンドライト以外ならどこでも経験あるが、うちのフトコロ事情もあるのでピッチャー以外の時は当分はセンターということになると思う。その事が分かっているのだろう、走って外野ノックの位置についた。自分のやりたいポジションは、言わず、飲み込んで、練習していた。まぁ、私としては、気持ちは分かるが、これも良い経験だと思う。
2003年03月26日 18時22分26秒

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