リトルリーグでの様々な出来事や愚息(6年生)とのふれあいを書き込んでいきたいと考えております。

  • 2002年8月31日
    台風接近で、折角の野球休みの日に、つりを楽しもうとしていたが、船が出ない為に中止になった。監督から、朝寝ているうちに電話があり今から島根に帰るところだという。気を着けて行ってきてと挨拶を交わし、電話を置いて再びベットに伏した。9時30頃、味噌汁でも作ろうと、なべに水を張っていると、再び監督から電話があり、戸河内でヤマメでもつる?それか、島根まで来る?とお誘いがあった。完全に諦めていたのに願っても無いチャンス、愚息と兄ちゃんは海が良いと言った為、急きょ、島根に行く事に決定。なべを下ろし、五分でエスティマをスクランブル発進した。中国道の途中のサービスエリアで監督と落合い、戸河内ICで降りて国道191をぶっ飛んで行った。広島から2時間掛からずに日本海に抜けた。益田でラーメンを食べて先ず、腹ごしらえ。時間的には昼飯だが、私ら、これが朝飯になった。釣り具店でオキアミをとゴカイを購入し、監督の生まれ育った海に行った。台風の風が時々ふくが、港の防波堤に陣取った為、至って静かであった。周りには、人っ子一人いない静かな港だった。監督が、防波堤でオキアミをほんの一つまみ、足元の水面に落とすと、どこからか、アジの群れが湧いてきて、すぐに何も無くなってしまった。私は、つりはまるっきり素人なので、これまで、まともに釣って帰った事が無いが、なんとなく行ける気がした。それにしても、ちょうど今はお昼である。釣りって普通早朝か夜じゃないの?そんな事、ここでは全然関係無かった。結局3時間足らずで食える魚を153匹4人で釣り上げた。クーラー真っ黒である。4人と言っても、殆ど愚息と兄ちゃんが釣っていて、私と監督は、餌付け係、また監督は、テトラポットを上手に渡り歩き、下まで降りて、何やら貝をビニール袋いっぱい採ってきたりもしていた。愚息は、釣竿や着ているふくがオキアミでピンク色に変色して、異臭を放っていた。帰りに監督の実家の水道で汚れを洗い流した。実家には、お母様が一人でお住まいになっていた。大きな家に70歳を過ぎて一人ぼっち。少年野球の監督は適当にして、ちょくちょく、実家に帰えった方が良いよと、何だかお母様が気の毒になった。自分の子供がリーグに居ない、ボランティア監督である。庭に回り、愚息が監督から、無花果の実を採ってもらい、そのままかぶりついた。何だか、時間が止まって自分の子供のころを思い起こしていた。その後、赤い実を食べてみろと愚息が言われ、それを食べた途端、愚息の顔はくしゃくしゃになった。山椒の実である。これを噛むと、苦くて、暫く口がしびれてしまうのである。みんなで大笑いして、再び遊びに来る事を約束して、帰路、道が分かるところまで、送ってもらった。広島についたのは午後7時、さてこれからが大変であった。メニューは車の中で決めていた。アジフライ、キスフライ、貝飯、タイ汁、はげ(カワハギ)とタイとギザミの煮付けである。家について、監督に電話を入れ、監督のお母さん直伝の貝飯のレシピを聞いた。先ず、貝飯を炊いて、その間に100匹のアジを凍り水で洗い、頭とはらわたを次から次へと落としていった。笑える事に、流しに落ちたアジの頭についている、澄ん目が、一斉にこちらを睨んでいるのである。ゴメンね、ちゃんと食べるからね。貝飯が炊き上がり漸くフライを30匹ぐらい揚げて、愚息達の食事にした。この間、私は、鯛汁を作りつづけた。153匹の尊い命の処理を終えたのは22時を過ぎていた。煮付けは、明日のお楽しみ。いつも料理の時間をけちって、家で魚など子供達に食わす暇がなかったが、やらざる得なかった為、大変贅沢な食事をする事ができた。夏休み最後に来て、貴重な体験ができた。感謝。
2002年09月02日 16時41分09秒

  • 2002年8月30日
    愚息の12回目の誕生日、昨晩遅かったので、10時ごろお目覚めの愚息であったが、機嫌はいたって良い。今日、最後の夏休みの私は、古くなったパソコンを大型ゴミ処理場に搬送した。最近、ノートを購入し、古くなったデスクトップ型のパソコン2台が用済みになったのだ。その内の一台のディスプレーは、新品同様だったが、置いていても邪魔なだけなので処分した。神様ごめんなさい。ゴミ処理場に自分で搬送して、最後のお別れの時、何だか、自分の将来を知らない小犬を置き去りにして逃げ去るような気分だった。大型ゴミ処理場を後にして、天気が良いせいか、立ち直りの早い、ノー天気な私は、愚息の誕生日モードに復活。大西スポーツに車を向けた。愚息のバットを購入する為である。インターネットで色々調べまくったが、やっぱり、愚息が手に取って、振ってみて気に入ったものが本人も納得して良いと思った。最終的な決定権は愚息である。(金銭面を除いて)んでもって、何買った買っていうと、ルイビルのJYB7,79cm650g、これが、一番フィットしていた。私的には,C2000スペシャルでは、強度的に不満があったが、半年も使えればまーいいかぐらいの気持ちであった。でも一応、ワランティー1年。この後、すき屋で、牛丼を食い、愚息と私は、散髪屋で、さっぱりした。長男坊は、元々ボーズの為、ただベンチで私達が終わるのを待っていた。(長男坊は、ついこの間までスキンヘッド)台風の影響か、風が時折強いが、新しいグラブとバットで倉重運動公園で3人で日が暮れるまで野球ごっこをして遊んだ。
2002年09月02日 11時33分55秒

  • 2002年8月29日
    家に帰ると誰もいなかったので、植木に水をかけていると、愚息と長男がグローブとバットを抱えて帰ってきた。昨日のビーフシチューの残りを温め、夕食を作っている間に愚息と長男は愛犬メイを連れて再び外に出て行った。夏の暑さは、北国の犬は苦手で夕方日が落ちてからお出かけであった。夏場は、エアコンの利いた部屋で一日お昼ねしているのである。羨ましい限りである。二人と一匹は笑い声とよだれだらだらと共に帰ってきた。3人と一匹でビーフシチューを食べた。食後はいつもの通り五日市バッティングセンターに出かけた。た高三の兄が130㌔、小六の弟が140㌔のケージに入った。私は、時折、デジカメでスイングを採るのである。注文つけるのは、ムービーを再生してからである。今日も一番最後の客になってしまった。ついにバッティングセンターのシャッターが閉まり、親子3人でそこの駐車場に置いてある自動販売機の明かりの下で、二人がスイングしていた。帰りに、レンタルビデオを借りた。明日は、愚息の誕生日12歳になるのである。「わし、何時に生まれたの?」「3時ごろだよ。」時計の針は0時を過ぎ30日になった。クレヨンしんちゃんのビデオを見終えて、今日がもう30日であることを確認してから、愚息はグラブを抱いて、寝室に向かった。
2002年08月30日 11時39分15秒

  • 2002年8月28日
    10時頃私の携帯に、注文の品入りましたと、ミヤケスポーツから電話があった。軟式の時からのお付き合いなのである。これまで、誕生日やクリスマスの度にスポーツ用品を注文していた。愚息の喜ぶ顔が見たくて、昼に会社を抜け出し、ミヤケスポーツで品物を受取り、愚息の待つ家に、それを運んだ。昨日から塾の夏期講習はなく、家で、ぽつんと一人いた愚息が私のバイクの音に気が付き居間のカーテンを掻き分けて駐車場を覗き込む姿が見えた。「父さん今開けるけー」今日は、こちらが開けてくれと言わずとも、自動ドアだった。袋から箱を取り出し、差らに袋から出した。以前、全日本に行けたら買ってやる、但し、新年度からだぞと約束していたものだった。マイナーに入った時、初めて買った、ゼットのプロステータスが、既にペタペタになっていたため、痛い痛いといいながら使っていた。しょうがない、約束していた為、破る訳にも行かず、新しいグラブを買ったのだ。ミズノのプロモデルである。本当に本当に親ばかである。自分で情けない。しかし、考えると、少なくとも、この1年は土日に野球以外の事をした事が無い愚息であり、私もそうである。野球の遠征には行ったが、野球を離れて家族で、何かをした事が無いのである。野球以外で、何も贅沢をしていないのであると勝手に自分を慰めて、無理矢理納得に持ち込んだ。先日も「父さん、ズボンの左お尻の下に穴が開いているよ」と、長男が教えてくれた。3年前にユニクロで買ったズボンを擦り切れるまで履いていたのだ。愚息は、ずっと寝るまで、そのグラブをはめていた。寝る時は、グラブにボールを挟み、型を着けるようにゴムバンドで縛り、一緒に抱いて寝た。「父さん、これ絶対に大事にするけー」
2002年08月29日 13時54分54秒

  • 2002年8月27日
    昨日は、月曜日なので練習お休み、今朝は元気に朝練を行った。最近は、公民館で行なわない。シャドウは夜、居間のガラスに向かって行なうからある。昼間デジカメで撮った画像をPCで再生しながら、居間のガラスにフォームを映してチャックするのである。今朝は、ティーバッティング、トスバッティングを行って、キャッチボールを行った。すぐ横で、サッカー親子が毎日練習している。お父さんコワそうである。しかし、ワシの方が、もっとむちゃくちゃなんだろうなーと、他人の行なう姿を見て、子供に対する接し方を考えてしまう。夜は、毎度の事、五日市バッティングセンターに出かけた。愚息が行なっている間に、ポプラに夕飯の買い出しに行った。そうめんが食べたいというので、そうめんと、サバの味噌にの缶詰を買った。それと、味海苔、これざるそうめんに必須である。買い物を終え、バッティングセンターに戻ると、愚息は、腹減ったとばかりに私の買い物袋から、味海苔を取り出し、結局全部食べてしまった。ケージの中で、海苔を食いながら、調子に乗って練習していた。帰りに、セブンに寄って、また味海苔を買った。3人でそうめん7束とサバ缶2個とグリンリーフで簡単な夕食ではあるが、暑い夏、大変美味かった。
2002年08月29日 13時23分24秒

  • 2002年8月25日
    卒団大会2日目、今日も試合会場入りする前に打ち込みをした。昨日より1マイル速度を上げた。子供達は気付いていない。やっぱり1マイル違うと、結果は随分違うのがよく分かる。さて準決勝、昨日の成果から、代打1番に愚息が指名された。ところがスイングアウトの3振、見逃しでないので、おとがめなし。続く決勝戦で代打2番手、今度はカーブを当てただけのスイングになった。しかしショートを越え上手くセンター前に転がり味方が生還し打点1の大ラッキー。結局自分もその後生還する事ができた。愚息と愚息を生還させた痛烈なレフト前ヒット、バットは共にJYB7である。恐るべしJYB7。試合は10-4で、結局優勝!今シーズン全ての試合が終わった。表彰式が終わってホームグランドに帰り、卒団する選手11人分の色紙を受け取った。今夜書く為である。来週の練習には、全日本スタメンメンバーが居ないかと思うと、非常に寂しい。替わりに下のクラスから上がって来た子らが6人ほど昨日から同行していた。また、1から、いや−5から出直しである。帰り際に来期主将の発表があった。何と愚息である。帰りの車中、うすうす感じていたと言う愚息だったが、「本当に?どうしてワシなの?」と責任と不安と喜びを噛締めていた。これからは、前の主将や、リーグに泥を塗らないよう、特に慎重に努めなければならない。ましてチームをまとめるのは、大変だぞー。とにかく、何をするにも最善を尽くせ、愚息!陰ながら応援するよ。
2002年08月28日 17時38分46秒

  • 2002年8月24日
    卒団大会初日、うちのリーグは運良くシード、2回戦からだった。愚息は久しぶりに痛烈なれレフト前ヒット、外角低目を上手く弾き返した。「バットが良かったな。」ベンチからの私の声に「実力、実力」と愚息が答えた。 開会式が終わってから全員一度ホームグランドに返り、ピッチングマシン相手に打ち込みをしてきた。その時、今日は行けると実感したのが、本当になった。試合開始が13時だったので、先に試合会場入りしている保護者と電話で連絡を取りながら、上手く調整ができた。一汗流し、再び試合会場入りしてから、再び、アップ、そしてシャトルティーで調整の最後締めくくった。試合は一方的なゲームになった。愚息がヒットを打った味方のJYB7(ルイスビルのバット)が火を噴いた。5回に満塁ホームランでコールド勝ち。夜に今年一年お疲れさんパーティーがダイヤモンドホテルであるので、早々に現地解散した。明日は準決勝、決勝があるが、全日本以来、負け無し。少々のところ、問題ではないだろう。(チョット鼻が高すぎるかな)一度家に帰ってシャワーを浴びて、ダイヤモンドホテルのビアガーデンで大人も選手も盛り上がった。近くで行なわれている盆踊りにも子供達は行ったようである。明日も試合があるので21時で解散。飲み放題、食い放題だったので私は、一向に痩せる事ができない。こまった。
2002年08月28日 17時10分31秒

  • 2002年8月22日
    今日会社から戻ると、家には誰も居らず、もぬけのから。せせらぎ公園に行って見ると、愚息が、高校生の兄ちゃんたちに、硬球でノックしながら奇声を上げていた。既にボールが見えないぐらい暗い。「そろそろ帰えろうや。」愚息と長男、とその友達で野球の余韻でじゃれながら帰宅した。「父さん、今日バッティングセンター行く?」「行かんよ。全然漢字の宿題やってないじゃないかー。」この一言で決まり。愚息は、居間のテーブルで宿題を始めた。私は夕食の支度を始めた。「そう言えば、レンタルビデを返すの今日だよな。」5本借りてきて、私は、まだ一本も見ていなかった。結局愚息が宿題をやりながらビデオを見て私は、掃除洗濯で見ぬまま宿題を終えた愚息とビデオを返しに行った。漢字書き取り、原稿用紙に後17枚、こんなペースで終わるのかな?しかし、愚息は余裕のよっちゃんイカ!と強がっていた。
2002年08月23日 17時46分37秒

  • 2002年8月21日
    冷蔵庫を開けると、殆ど夕食を作る食材がない。しょうがないなー。何作ろうかなー。牛乳屋さんがおまけでくれた、ワカメがあったなー。とりあえず湯を沸かして、味噌汁でも作るかな。ブタバラが少しあったな。入れちゃえ。まだワカメ入れていないし、やっぱ、豚汁にしよう。ニンジン入れて、玉ねぎ入れて、何か寂しいな。しおれた長ねぎを刻んで、生姜を入れて・・あれ、ジャガイモが1個しかない。大分量が増えてきたな。それにしても相対的に肉の量が足りん。冷凍庫に鶏胸肉発見、これもとりあえず、入れるか。冷蔵庫に何かないかな。クリームシチューの使い掛けを発見。これ入れちゃえ。まだ、味噌入れてないし、結局牛乳とクリームシチューの素を入れて。ワカメの味噌汁がクリームシチューに変身。この後、キャベツとピーマンとソーセージで野菜炒めを作った。何にも無いと思っていたのに、結構豪華になってしまった。一服して、バッティングセンターに行った。「今日は、調子良いケー、コイン2枚で終わらせるよ」と愚息。そんな事、これまでにあった事はない。案の定コイン14枚、午後9時30分を過ぎて、バッティングセンターは愚息の貸し切りになった。もうすぐ22時ライトの灯りを愚息の打席だけにして、行なっていた。愚息1人に対してバッティングセンターの従業員が3人、帰り支度や、マシン調整をしていた。「良いよ、焦らなくって。」と優しく声を掛けられた。結局終了したのは、22時15分、閉店時間を過ぎても、愚息一人の為に、マシンを動かしてくれた。30分以上愚息の貸し切り状態だった。いつも、ありがとうございます。感謝です。この時は、軸がぶれない練習を反復して行なっていたので、数をこなす必要があった。日曜日に破れた血豆が、また破れていた。
2002年08月22日 18時24分12秒

  • 2002年8月20日
    会社から帰ると、長男がどこからか、バッティングセンターの回数券を探し出して愚息にくれた。自分が野球部だった頃、使っていたのが、部屋の整理で見つかったらしい。甲子園帰りで財布の中身も乏しいし、銀行が閉まってからのカードによる現金引き出しも105円取られてしゃくである。「これつかいんさい。」と優しい兄ちゃん。有り難い。久しぶりに家でカレーを3人で食べ、たべかすをほったらかして、愚息と二人で、バッティングセンターに行った。兄ちゃんのくれた回数券でコイン8枚分行った。帰宅すると、台所は、奇麗に片付いていた。ありがとう、長男。
2002年08月22日 18時00分26秒

  • 2002年8月19日
    早朝、監督からのおはよう電話で目が覚めた。時間は6時30分、明石のサービスエリアで午前3じから仮眠していた。いかんいかん、広陵戦は第一試合、月曜日の朝の渋滞に巻き込まれてしまう。とりあえず起こしてくれて、監督ありがとう。昨日、甲子園に行く事を監督に告げていたので、気になったのだろうか、電話をしてくれたのだ。試合開始前に球場に到着、昨年の野球部卒業生が、大勢応援に駆けつけていた。長男は、先輩からアルプス席をただでもらい、私はじっくり観戦したかったので内野に愚息を連れて入った。高校野球もプロ野球も生で見るのが、やはり一番である。特に高校生のノックタイムが、ハツラツとして好きである。この時は、愚息も身を乗り出して、選手達を見ている。また、ブルペンで投球練習する選手を食い入るように見ていた。私の知る限り、長男のクラスメートが4人いた。試合は明徳に敗れてしまった。3年連続で見に来ているが、私が見に来ると、どういう訳か負けてしまうのであった。甲子園を後にし、ダイエーでオムライスを食い、帰路についた。途中、岡山の渋川海水浴場に立ち寄った。つい先日の岡山大会で、通り掛かりに見つけた海水浴場で、私が幼い頃、じいちゃんに連れていってもらった、敦賀の松原海水浴場に、どことなくにており、そこを、どうしても一度訪れたかったのである。午後5時を過ぎてそこに到着した。駐車場のおじさんが帰り支度をしており、どこに留めても構わないと言った。私は子供達と裸足になって海岸を歩いて向こう側の防波堤まで行って貝を拾った。小さい頃は、こんな海が、いっぱいあったのにと愚息や長男に私の幼い頃の話しをした。閉め始めた海の家で売れ残りのたこ焼きとソーセージを半額で購入し、テレビでは甲子園第四試合が行われていたが、そんな事より、かき氷を傍らで食べている愚息が、昔の自分のように思えた。海岸を散歩していると、どこかでみかけた犬がいた。アイリッシュセターがノーリードで初老の男性と散歩していた。家には、同じアイリッシュセターのメイちゃんが、一階の居間で置いてきぼりを食らっていたのを思い出した。なんて、可哀相な事をしたんだと後悔した。一応、2日分の餌と水、それとエアコン着けっぱなしで出てきたものの、そんな事問題ではない。今、目の前で、のびのび走りまわるアイリッシュセター雄フレット君を見ていると、早く家に帰らなければと思ってしまう。車に戻り、水島方面から玉島に抜け、山陽道で家に着いたのは9時30分。愛犬は玄関にちょこんと座って帰りを待っていた。食事は、していない。トイレも2回だけ。よっぽど寂しかったのだろう。しっぽをちぎれんばかりに振って、3人を出迎えた。長男が、メイ可愛そうだったから、今日は、居間に布団を敷いて一緒に寝るよと言った。そう言えば、犬もちゃんと夢を見るのである。つぶった目をぴくぴくさせ、時にうなったり、小さく吠えたり、寝ぼけて、足をばたばたさせる事もある。当然寝ていて屁などもたれる。そう、人間と同じである。一般の人が気がつかないだけである、可哀相な事をした。しかし今日一日、心が洗われた。
2002年08月21日 15時29分13秒

  • 2002年8月18日
    久しぶりに柵越えを見た。昨日、打席を3m後ろに下げ、外野ネットのセンターに当てていたので、今日は、ライトフェンスを高く越え入ったので嬉しかった。今朝、朝食の時、愚息が、昨日の打撃練習を振り返り、もう少しで柵越えだったのに、と悔しそうだったので、「お前、打席後ろに下げていただろうが。」「あっっそうかー。入っていたんだ。」これで気をよくして、むしゃむしゃ、飯をくった。ピッチングマシンいつも85マイルから大分落とし82マイルでリリースポイントを加味して約12.5mから行った。いつも振り切れず、当てるだけのバッティングだったので、当ててから、大きく持っていく事を目的とした。最後は、68マイルでたてカーブのつもりで練習した。最近、練習には、デジカメが手放せない。その場、その場で動画を撮って、こま送りで再生する。こうする事で、悪い部分が一発で分かってしまう。子供に説明する時、口で言っても、その子その子の受取り方が違う為、伝わらない事が、多い、ところが、デジカメでこま送りして再生してやれば、ここだと示せるのである。練習を終え、家に帰らず、せせらぎ公園に直行した。キャッチボールをするのである。隣りの瀬戸内野球部出身のお兄ちゃんらとキャッチボール、内野ノック、外野ノックなど、デジカメで撮影しながら行った。再生しながら、「ワシ、投げ方良くなったじゃろ。」と愚息。こちらが、言わずとも、自分で見れば、分かると言いたそうな愚息であった。日が落ちボールが見えなくなった。外野フライを長男が取り損なって腕に当てたので、帰宅した。今晩10時に広島代表の広陵を応援しに行く準備をした。高速を使わず、夜通しドライブをした。車の後ろ座席をベットにすれば、身長180cmの長男でも楽々サンルーフで星空を見上げながら横たわれるのである。
2002年08月20日 11時34分05秒

  • 2002年8月13日
    定刻より30分早く飛行機は到着した。チームのみんなが出終わる頃、到着ゲートに、青いシャツを着て笑いながら、愚息が現われた。解散式を空港ロビーで行い、土産で膨らんだバックを持って山陽道を広島に向かった。長男は、甲子園の応援で昨晩からいない。私一人のお迎えになった。車の中で、楽しかったハワイの事を興奮しながら、話してくれた。途中、のどが渇いたと言い、パーキングエリアに立ち寄った。どうやら、こちらが想像していた以上のもてなしだったらしい。ホームステイ先に感謝、感謝である。五日市インターで高速をおり、すぐに家に帰って、誰もいないし、何の準備もしていないので、サンリブ五日市店で長男が応援に行っている、広陵高校の試合を、大型スクリーンで見る事にした。愚息が時差ぼけの昼飯をマクドナルドで買ってきて一緒に食べながら観戦した。その後、バッティングセンターに行きたいと言い出し、そのまま、バッティングセンターで練習した。受付のおじさんから、真っ黒に日焼けしたねと言われ、テレ笑いをした。監督から電話でちょっと会おうと言う事になり、暫くバッティングセンターで汗だくで愚息は練習していた。監督が現われると、まるで、別人のように140㌔のケージで打ち込みをした。監督は一言も、しゃべらず、只見ているだけ。それだけで、十分効果があった。初めて、リトルの練習以外で、自分の練習する姿をみられた為か、愚息は、気合を入れて行っていた。私との話しも済み、監督が去ったと同時に愚息は練習を止めた。やっぱり、ハワイから帰ってきて、まだ家に辿り着く前だもの、無理はないと思った。気を良くして、愚息は、ハワイで余った小遣いで、ゲームソフトが欲しいので、レプトンに行きたいと言い出し、一生懸命練習したので、承諾した。レプトンで無事、好みのソフトを購入した。さて、そろそろ夕飯の時間、どうしようか?愚息が日本を発った時、長男と一緒に行ったすし屋に行く事にした。2号線を井口台方面に走ってすぐである。駐車上に車を止めようとした時、あれ?見慣れた車が斜め前に一台。監督の車である。階段を上り、店に入ると、大勢の待ち客が並んでいた。店員さんに名前を告げ、暫く空席を待った。5分ほどしてお呼びがかかり、席につくと、回転寿司の丁度反対側に監督ファミリーが座っていた。何と今日3度目の御対面であった。愚息は、沢山食えと、はっぱをかけられ、苦笑いで対応していた。漸く家に着いたのは、午後8時であった。それから、荷物を一つづつ空けると、愚息の楽しいハワイの思い出が詰まった洗濯物や土産が沢山出てきた。それを、一つ一つとって、これは、何々等と説明してくれた。一番嬉しい土産は、何よりも換えられないやっぱり、愚息の笑顔である。
2002年08月16日 18時00分52秒

  • 2002年8月6日
    朝8時30分頃、ゆっくり目が覚めた。午後4時広島空港集合の為、家を2時前に出れば、楽々間に合う。愚息と長男を起こして、エビチャーハンを作り、時間が早く出発時間にならないかと、時間を気にした。食事を終え、家の前で記念撮影、愚息と長男を私が撮った。続いて長男が愚息と私を、そして愚息が長男と私を写真に撮った。ディック五日市店に出かけ、何か足りないものはないか探した。使い捨てカメラ40枚どりを購入した。私が持っているカメラより、こっちの方が性能が良くって、小さくて、軽いのである。続いて、薬のセガミで飛行機で食べる菓子類を購入した。さて、時間は?まだまだである。ファミリーマートで旅行計画書のコピーを撮って、それからようやく、監督を迎えに行った。山陽道小谷インターでヒロシマラーメンを食べた。愚息は尾道ラーメンを食べた。いつも残す愚息が、監督がいるせいか、全部汁まで飲み干した。空港につくとまだ3時半なのにリーグの子達が集っていた。私は愚息と長男を置いて、監督と二人で、ドリンクバーで最後の調整をした。そのうち、愚息と長男から怒りの電話が私の携帯に入った。私は、愚息や長男に何も告げず、監督と二人で居たので、航空券の引き換えを既に自分達で行ったと怒っていた。愚息は、この度2回目の海外である。一度目は、母の国フィリピンに3歳の頃行った。この時は、家族4人で行った為、何の心配も無かった。今度は、家族と離れて一人旅である。リーグの先輩と二人でホームステイ。6泊8日でお金も$150ドルしか持たせていない。言葉の壁もある。試合の時は、そのホームステイ先から、会場まで連れてきてもらうのである。しかしまあ、とりあえず、飛行機が無事であれば、何とかなるさ。と自分に言い聞かせては、見たものの、すごーく心配である。搭乗手続きで愚息が中に消えていった時、「おやじ、オーバーだよ」とばかりに、テレ笑いを見せた。それっきり、振り向く事はなかった。長男と飛び立つ飛行機を見に展望フロアに移動した。愚息の乗ったJAL機は、前に離陸したANA機がテイクオフした位置を過ぎても、まだチンたら滑走していた、おいおい、大丈夫か?そのうち、黒煙混じりの白煙を吐いてようやく、離陸して夕焼け空に消えていった。「飯でも食うか?」今からは、長男と二人きり。「車の中で、監督に教えてもらったすし屋にでもいこうや。」私は、長男に言い、愚息が修学旅行に行った時以来の二人っきりの気ままな状態が始まった。そのすし屋や全て100円、二人で無理して食っても3300円であった。愚息がいないと、腹はいっぱいでもなぜか、物足りなさが、後をひいた。時間は午後8時30分、もう機内食たべたかな?
2002年08月07日 19時05分39秒

  • 2002年8月5日
    会社から帰ってハワイの準備をした。愚息は既に自分の荷物は、自分で使いやすいように準備を終えていた。終わっていないのは、夏休みの宿題。私が、リーグの持ち物を準備する間、漢字書き取りを居間のテーブルで行っていた。私の準備品は、キャッチャー道具2セット、救急セット(ロジン、シップ、サポータ、カップ、薬類、テーピングセット、アイシングセット等など)、ボールケースとボール40球、ファンゴバット2本であった。この度、私は仕事や長男や、愛犬メイを置いてはハワイに行けないので、リーグの荷物の準備をして、広島空港に送り届けなければならない。これらを玄関にぶちまけ、先ず、ボールを一つ一つ奇麗に拭き、程度の良いモノ35球をボールケースにつめた。それと新球6個。次に救急セットの整理、土ボコリまみれのケースを水拭きして不要なモノを撤去した。続いて、キャッチャーヘルメットをシンクで洗い、レガースやプロテクターはバスルームで洗浄した。そういえば、アップシューズとスパイクのインナーが奇麗かどうか不安になった。子供任せにしていたため、折角行くのだから、奇麗な状態で行かせてやりたかった。愚息は、私が終わるまで、宿題をやりつづける約束だった為、もう眠たくって、頭をこっくりさせながら、何とか持ちこたえていた。スパイクをシンクでザブリと洗い、アップシュウズを水拭きして、スピンドライヤーにぶち込んで、奇麗にしたものをまとめて、エアコンの下に並べた。「おわったよ。」と同時に、愚息は寝室に寝ぼけながら、上がって行った。2時近くになっていた。
2002年08月07日 18時19分36秒

  • 2002年8月4日
    今日は野球練習お休みである。先週岡山大会で優勝した為、お約束の休日である。そんな訳で広島のファミリープールに愚息と二人で出かけた。暑いので、泳ぎたくなかったが、愚息の相手がおらん。しょうがなく、わにの浮き袋を膨らませて、流れるプールに身を任せた。目が遂々家族連れに向いてしまう。黒いゴーグルをしているので、ギャルを見ようが家族連れを見ようが愚息に悟られていないようだ。暫くして荷物の見張りをしなければならない為、プールサイドに上がり、バスタオルを頭からかぶり、ボーッとしていると、狭いもので、野球関係者と一緒になった。愚息も友人がいるので、私は、のんびりと時間が過ぎるのを待った。午後四時近く、雷雨になり、慌てて、プールを後にした。広島のシャレオ(地下街)を通り、明後日出発するハワイ遠征の予備知識として、旅行ガイドブックを買い、フルーツパーラーでアイスカプチーノとフルーツケーキを食べた。周りは全て女性客で、真っ黒に日焼けしたお父と息子はあまりにも場違いであった。それが自分達自身可笑しくて、楽しく休憩する事ができた。シャレオを通りぬけ、雨が上がった頃を見計らって東急ハンズに旅行小物を買いに出かけた。トランク用のキーと機内で使う空気枕を購入した。愚息は時計を持っていない為、ついでに防水の時計も購入した。フィットネスコーナーでチタンネックレス(ラクワ)を見つけ、昨日監督がミヤケスポーツで購入したのを知っている愚息は、全く同じ物を購入した。帰りに宝くじ5枚スクラッチカードを購入そのうち2枚100円を当てた気をよくして、シャレオを歩いてクレドの下のマックでマックチョイスを2つ注文した。昼飯が6時になってしまった。マックチョイスでは足りず、隣りのタコ塾でたこ焼きを少々、本場の大阪より、タコの入りが悪いとがっかりして、広島アリーナに停めてある車に向かった。途中市民球場の脇を通った時、今日行われるジャイアンツ戦の人込みは無くなっていた。球場に人が全部入ってしまっていた為、がらんとしていた。まさにこれから、一回の表が始まる寸前の時、今日は、散々遊んだのだから、帰ろうとしていた愚息が、振り替えって、「父さん、行こうや。」とぼそりと言った。遊んだついでだ、「じゃ、行こうか。」愚息はビックリして、後についてきた。その後、ダッシュでライトスタンドに駆け上った。始球式が終わって、まだ、プレイが掛かっていなかった。ライトのカープ応援団のおじさんが、フェンスで見えない愚息に良い席を譲ってくれた。試合は広島ペースで西山2打席連続アーチ、真田ノックアウト、ライトスタンドに清水の一発が頭上高く超えて行った。いつの間にやら、私も団扇を両手に持って、立ち上がり、応援に加わっていた。愚息も私も汗だくで応援して、野球を堪能した。野球が終わって、今度は、アリーナ駐車場にダッシュした、昼から12時間近く停めっぱなしである。チョットぐらい急いでも焼け石に水、駐車料金4400円(12時間)を支払い、興奮覚めやらぬまま、家路に着いた。「父さん、今日なんで、野球見せてくれたん。」「ありがとう、また、もう一度来たいね。」たまの休日、まとめて、いろんな事ができればこっちも好都合。母さんいない分、色々楽しもうや。
2002年08月05日 12時56分20秒

  • 2002年7月29日
    今日は、リトルの友達が、昼から遊びに来ていた。私が会社から帰ると、気を使って帰ろうとした。もう夕食の時間帯だからである。「飯、食っていけよ。今日は、しゃぶしゃぶだぞ。」その子の家に電話して、今日は、夕食を食べさせて帰らせると告げた。食事の最中に、愚息がバッティングセンターに行こうと言い出し、私は、次のように言った。「バッティングセンター行くか?」目を輝かせた。「バッティングセンターに行くなら、遅くなるから、泊まりだよ。お母さんに電話してみれば?」私の携帯で、家に電話を掛けさせた。その後、電話を代わってくれと言うので、私が電話に出て、半ば強制的に家に泊める事にした。食事を終えて、長男と、愚息とZ君で五日市バッティングセンターに行った。子供3人で140㌔と90㌔のゲージを何度も往復した。愚息とZ君が、いとも簡単に打つので、隣りの新装開店のラーメン屋の行列待ちの大人がゲイジに入って、打とうとしたが、そんなに簡単に当るものではない。こんなはずじゃ・・という表情のその大人達が笑えた。1時間ぐらい練習して、帰りにアイスクリームを買って帰った。家の小さな風呂で、高3の長男と小学6年生2人が一緒に入り、キャッキャ騒いでいた。今晩は、寝室を愚息と、Z君に明渡し、私は、居間のソファーで愛犬メイ(アイリッシュセター)と一緒に寝た。
2002年08月02日 16時45分33秒

  • 2002年7月28日
    準決勝は、関西連盟の明石リーグと当った。愚息は、代打でサードゴロに倒れた。アウトコースだったので打たざる得なかったと悔しがっていた。目でこちらを見て悔しい気持ちを表していた。結果が出せない愚息が、気の毒だったが、一瞥するに留めスコアーを付けた。続く決勝戦、四国連盟の西条リーグと対戦した。愚息は、ラストチャンスで、気合を入れて打席に立った。外角をカットしてレフト脇にファール。続いて、内角ボール球を左太ももにデッドボール。やりやがったな!このやろう!と腹の中でグッと堪えた。投手が転がる愚息を見て白い歯を覗かせていた。そんな事言っても、うちもDBを先に二つ与えていた。腹の中は、煮えくり返っていた。表面上冷静を装った。愚息は、軸足に体重を乗せ、前足で、トントンとタイミングを計る打ち方の為、とっさの時に、左太もも内股によくDBを食らうのである。今期同じ個所に3回目であった。愚息は、代走を出されるのを嫌い。自分で代走を断り、ファーストについた。その後、PBで2塁、見方の打撃でホームに生還した。ズボンを脱がせると、太ももにボールの縫い目がついていた。また、これで2、3日まともに練習ができない。痛い事より、結果が出せない事を、愚息は怨んでいた。
2002年07月30日 18時18分01秒

  • 2002年7月27日
    第1回岡山リーグ記念大会1試合目はシードで2回戦で岡山中央リーグと当った。愚息は、代打でライト前、快心の当たりではないが、セカンド横を通りぬけ、何とか結果を出す事ができた。私としては、やや不満である。いつになったら、マイナーの頃のように、ポンポン打ってくれるのであろう。練習している割には、結果が出ない。両手のひらは、タコでガチガチなのに・・。それでも、愚息は、チームに貢献できて喜んでいた。
2002年07月30日 17時55分54秒

  • 2002年7月24日
    愚息から会社に電話が6回あった。家で一人だという。友人が風邪を拗らせて遊び相手がいないのだという。自転車は今日も兄ちゃんに奪われていた。最後の電話でプレステ2のコントローラが欲しいと言っていた。会社から帰ると、愚息が居間のソファーで昼寝をしていた。昼飯食っていないと言う。愚息を車に乗せて、サンリブにコントローラを買いに行った。ついでに、一人でも遊べるように、中古のソフトを買い与えた。「久しぶりにやるか?」帰り際に私はゲームセンターに愚息を誘った。「やるやる」玩具を買ってもらえたのでこれで終わりと思っていたらしい。私と愚息は100円ずつコインに両替した。あっという間に私はコインを使いきり、もう100円コインに両替した。そして愚息に私の分をやった。比較的、幼児向けのパチンコに似たゲームで上からボールが落ちてきて、途中ルーレットが回るやつが有り、一番下にボールをそろえて行くゲームがある。ボールが同じところに重なってしまったら、負けでボールが全部下に流れてしまう仕掛けになっていた。これ、結構はまるのである。愚息は60枚を2回、99枚を1回20枚を1回等など、結局8時の閉店まで約1時間二人で300円で楽しんだ。その後、二日ぶりのバッティングセンター、随分久しぶりに感じた。今日は1シート12ゲーム行った。汗で、びっしょりの愚息は、受付に同学年くらいの子供を見つけると、意識して行っていた。暑いけど、誰にも負けないくらい頑張れ!自分で考え行えば、必ず結果は出るよ。久しぶりで、打ち上げたり、ボテボテだったり、愚息は悩んでいた。最後の1枚のコインになり、疲労困憊した時いつもの調子に戻っていた。
2002年07月25日 18時37分15秒

  • 2002年7月23日
    学校が休みのせいか、私も気が抜けて、今日も朝起きる事ができなかった。布団の中で何か、起きなくても良い理由を色々考えて、自分で納得してしまった。出勤する時間が迫っている。材料は有る。朝飯を子供達に作らず、自主的に自分達で解決するように、言い聞かせた。ずるい私。だって、家庭科の宿題で、自分で何か作るの、あんだろっと勝手に自分の都合の良いように解釈して、出勤した。一日の仕事を終え、帰宅すると、愚息のチャリが無い、愚息は、居間でボーッと一人。兄ちゃんにチャリを取られて、家で遊んでいたという。「朝飯食ったか?」「いやー」「兄ちゃん何か作ってくれたか?」「いやー」「昼はどうした?」「ショクパンにピーナッツバターを塗って食った。」色々聞いたが、まともなモノは、食っていなかった。愚息が可哀相になり、大至急、夕飯の支度をした。そうこうするうちに兄ちゃんが帰宅。兄ちゃんは友達に会いに西原まで出かけていた。私は、もっとシッカリ、舵取りしないと、この夏休み大変だと、痛感した。普通の子供達は、夏休みは大好きのはず、ところが、愚息は夏休みが大嫌いなのである。いつも、犬のメイと家で留守番、友達に電話しても、家の人と出かけていたり、遊べないと断られることが多いのである。フライドチキンとメンチカツ、お吸い物、野菜サラダ、彩りに気を着けて、明るく3人で食事をした。今日は朝練も夜練もなし。
2002年07月25日 17時46分56秒

  • 2002年7月22日
    朝5時30分から、朝練の予定が、昨日のプールで私が起きれず、気が着けば朝6時を回っていて、近所の子供達がラジオ体操に向かう足音で目を覚ました。愚息を慌てて起こし、朝練時間通りにできなかったから、ラジオ体操に行って、身体を起こしてから朝練しようって事になり、ラジオ体操カードを首に掛け、愚息は出かけていった。去年の夏休みは、朝練をしていて、ラジオ体操は全く無視していた。遠くで体操の音楽が流れていてもキャッチボールをやり、子供達が終わって側を通り過ぎても練習していた。何だか普通の子供達と違って、可哀相な事をしてきたなと、愚息がいない台所で、洗い物をしながら考えた。愚息がラジオ体操から元気良く帰って来て、私も外に出て、二人でいつもの練習をした。夏休みで学校がないので練習場所の公民館は、開館時間を過ぎて、もう止めるように言われ、仕方なく止める事にした。時計は朝8時30分を過ぎていた。
2002年07月25日 17時24分50秒

  • 2002年7月21日
    夏休みに入り、予ねてからの愚息の希望で広島市民プールに出かけた。長男は、ジムの方が良いという事でアリーナにあるフィットネスクラブに行った。後で携帯電話で連絡を取合って、夕方一緒に帰る約束をして別れた。愚息と私はプールに行き、適当な日陰を探して陣取ると、同じリーグの親子連れが居たので混ぜてもらう事にした。愚息は、流れるプールを中心に夕方まで泳いでいた。そろそろ長男から電話連絡が入る午後3時半頃になった。ちっとも泳がない私を愚息がせかして、プールの中に誘った。15分ほど泳いで漸く日陰に戻って、携帯を見ると、長男からの着信履歴が公衆電話から入っていた。可哀相に、長男はフィットネスの帰りに幟町の教会に行くと言っていた。たいして金も持たずに、暑さのなか、広島中心部で私との連絡を待っていた。今度こそは、ちゃんと電話に出てやらねばと思い、首にしっかり掛けていた。4時を過ぎても電話がないのでおかしいと思い、再び携帯に目をやると、また着信履歴が残って居た。周りの騒音で聞き取れなかったのかなと思い、すぐに掛かってくるだろうと思い暫く待った。音は鳴らず30分が過ぎた。また携帯に目をやると着信履歴があった。電話がおかしいと思って、初めて、電話をチェックすると、運転中モードになっていた。長男を2時間近くすっぽかし、しかも連絡が取れない状態だった。愚息をプールから上げ、アリーナのフィットネスクラブの外の日陰で携帯に連絡が入るのをまった。愚息が腹を空かしていたので、売店でパンを買って木陰のベンチで食べながら連絡を待っていた。パンを食べ始めるとすぐに、すずめが3羽飛んで来て、ハトのようにパンくずをねだった。愚息は、面白がってすずめに、パンくずを与えた。やっと長男と電話連絡が取れ、怒っている様子もなく、さすが兄ちゃんであった。私はただただ謝り、市民病院のロビーで待ち合わせをした。もうリトルの5時からの集まりには間に合わない。またまた、すっぽかして、五日市バッティングセンターに行った。夜は、久しぶりにウナギを食って、一日の疲れを癒した。
2002年07月25日 17時02分50秒

  • 2002年7月20日
    今日、晴れていたら、海にでも行こうと考えていた。今年に入って、初めて野球をしない土日なのである。私にとって、今年初めての休日なのである。ところが、曇り空で時折、強風と共に雨が降ってくる。これは、天のお告げかもしれない。この半年間、家周りの仕事何一つ行っていないのである。犬小屋のペンキは剥げ、駐車場の芝には、どこかの犬の糞と雑草が伸びほうだい。コニファーも2階の窓まで届くほど伸びていた。ローズマリーはお隣りのガレージに垂れ下がり、ブルーサルビアは、芝生に占領されて伸びてきた麒麟草とごっちゃになって小さくなって咲いていた。晴れたら、海水浴か野球、雨なら庭いじりである。半ズボンになってモスコートを両足に塗りたくり、Tシャツ姿で軍手で一代決心をして、片っ端から、刈り込んでいった。雨で、パンツまでビチャビチャになっても、脚立に登り、片っ端から剪定作業を行った。何処かに連れていって欲しい愚息も心配そうに、麦茶を運んでくれた。朝7時から12時まで、雨のなか、ぶっ通しで行ったため、疲労でやや、頭が痛くなった。頭痛は、私の最大の敵で頭が痛いと、嘔吐するほど、ひどくなるのである。しかし、折角休みなのに、どこに連れて行かない訳にも行かず、ハワイ遠征でお世話になるホストファミリーの手土産を宇品のショッピングセンターまで、買い出しに行った。実際のところ頭痛がひどくて、ふらふらであった。愚息達は、私が元気がないので、帰ろうと言い出し、結局、そのまま、バッティングセンターにもよらず帰宅した。帰宅して、私は、起きていられず、夕食の準備もせずに、一人で寝室に上がった。午後9時を過ぎて、漸く楽になったので居間に降りると、腹を空かせた愚息と兄ちゃんがテレビを見ていた。何か作らなきゃと思い、冷やしそうめんを作り、それを桧の樽に移し、氷を浮かべて、3人でずるずるすすった。今日は、ゴメンね、一人で相撲捕っちゃって。
2002年07月23日 16時08分09秒

  • 2002年7月19日
    今日で学校も終わり、明日から夏休みである。私も会社を半ドンで終え、途中リトル関係に立ち寄った後、直ちに帰宅した。昨日、学校の個人面談をすっぽかしたため、先生が、わざわざ、家まで通信簿を持ってきてくれていた。今日は、塾の個人面談の日なのである。今日も、すっぽかしてしまったら、もう、親の資格なしである。反省反省。成績は、塾に行き出してから、目に見えて良くなった。これについても、学校の先生から、評価を頂けた。野球で学校を休んでも公休扱いになっていた。感謝。塾では、何を言われるか楽しみにしていった。成績の事ではない。普段、友達と接する愚息の様子が聞けるからである。塾の先生曰く、友達と床を転げまわって遊んでいますよとの事。そして、友達の母親の噂話を聞かせてくれた。○○君って学校では、すごいって聞いてますけど、どうなんですか?友達を集めて、いつも中心になって、暴れているって聞いていますけど、塾ではどうなんですか?等など。同じ塾に通う子供の母親が我が子を心配して塾の先生に愚息の様子を伺ったそうなのである。しかし、いじめや、悪さではなく、中心になって、ふざけたり、遊んだりで、非行等の類ではないと聞いて、一安心。野球をやっている御かげで、物怖じせず、はっきりするまで、できるまで行う力があると言われてまた安心、ところが、イマイチ、すぐに次の事がやりたくて、何でもないところで、ミスをするのだという。石橋を叩いて渡らず、朽ちた橋でも一気に行ってしまう性格なのである。塾の面談を終えて帰宅すると、叱られる訳がないと、成績が上がって鷹を括った愚息が待っていた。落ち着きがない事を注意して、何をするにも、中心になってやるのは、良い事と説明し、肯く愚息とバッティングセンターにいつもの練習に行った。
2002年07月23日 15時37分55秒

  • 2002年7月17日
    朝から、雨で朝練中止、とにかく投げさせなきゃ行けないと思い、早めに会社から来たくした。まだ6時半、キャッチボールはできる。ところが愚息はまだ塾から帰宅して居なかった。愛犬メイ(アイリッシュセター)を散歩に連れ出し、塾に迎えに行った。塾の前迄行くと丁度愚息が門より出てきて、そのまま、散歩しながら帰宅した。未だ明るい。いつもの場所で、愚息とキャッチボール、そうこうしているうちに長男が高校から帰宅。長男をキャッチに座らせ、私は、愚息の指導。キャッチャーをやっていると、ボールを捕る事に集中してしまって、どんなフォームで投げているか、中々見辛いのである。兄ちゃんがいるので大助かりであった。そろそろ日が暮れ球も見えなくなってきたので場所を五日市バッティングセンターに移して練習をした。4ゲームのつもりが結局今日も10ゲーム以上行ってしまった。
2002年07月18日 18時01分29秒

  • 2002年7月16日
    日曜の晩、岡山大会のちょっとした打ち合わせの電話があり、選手起用について話しをした。2週間後に試合があるが、来週は練習休みである。個人調整という事になる。チーム練習は当日朝の試合前だけである。これまで、連携プレーでのミスは無いのでこの調子で行って欲しい。今年度も試合数は後少しである。そして、もうすぐ卒団である。来期の事もそろそろ考えなくてはいけない。冗談半分、愚息に投手をやらすか?と監督は、この岡山の話しも含めてした。冗談でも、そんな事を言うのは、始めてである。この話しを愚息にすると、目を輝かせて、何度も何度もその話しを、私に聞いた。マイナーの頃は、投手、捕手、サード、ショートをしていたものの、メジャーに上がった時から、代打要員兼外野手に甘んじてきていた。そんな訳で、今週からの、朝練を非常に楽しみにしていた。朝はキャッチボール主体に練習メニューを変更して、遠投を行った。しかし、何事も急には上手く行かない。朝からの日差しの強さと、時間が押してくるので、焦る愚息と私は、ハイテンションになり、親子喧嘩勃発である。もうこうなったら、行くところまで付き合ってやる。ついに、通学する学生の姿もなくなり、学校のチャイムが遠くから聞こえてきた。それでも喧嘩腰の練習を止めない。私は、根負けして、早く学校に行けと促した。愚息の大好きな水泳の時間が今日1、2時間目に行われているのである。車で学校まで送ってやると、クラスメートがプールで泳いでいる最中だった。校舎に急いで駆け込む愚息を見送り私もその後、遅れて出勤した。愚息の事が心配だった私は会社に愚息から電話があるとすぐに泳げたか聞いた。愚息は、家の掃除をしたと電話口で言っていた。愚息なりに、今朝の事を考えた結果だと感じた。夜は、いつものバッティングセンターで練習を行った。140㌔でも90㌔でもよっぽどひどくコースを外れた球以外は空振りは先ず殆どしない。今後は、如何に芯を捉えるか、さらに緻密さを要求した。汗でビシャビシャの愚息を積んで、いつもの午後10時帰宅を大幅繰り上げて8時に帰宅した。明日の朝練は5時30分開始だからである。
2002年07月17日 17時40分34秒

  • 2002年7月14日
    第2回広島鯉城杯二日目、今日は準決勝決勝が行われる。最近、長男と家に居ながらにして疎遠である。3、4日前、電話の請求書を見て、長男の電話料金が増えており、叱っていた。その時、長男は、「そんな事言ったって、いつも父さん達、家に居ないじゃん、ぼく、家で何して居れば良いの。」と、涙を流していた。そんな事があって、今日は、長男の彼女と長男を愚息の野球観戦に誘った。朝4時起きで、朝日が丘に行き、その足で5時45分に監督を迎えに行き、グランドを6時30分に出発した。今朝は第一試合である為、昨日の疲れが残るが、白竜湖に向け再び出発した。長男とは、随分久しぶりの外出である。準決勝、決勝とも全く危なげなく、こちらのペースで優勝が決まった。しかし、これには、子供のメンタル的な部分がかなり、ウエートを絞めている。力的には、どこも対して変わらないし、現に練習試合では、負ける事が多い。精神的には全日本に行ったという強みがうちには、あり相手はその逆である。また、同じ連盟で、いつも決勝を争うのは、顔見知りの仲良しチームである。この、友達感覚を試合直前に取り払ってやるのである。(何を言ったかは秘密)これで、一気に戦闘体勢に入ったのである。愚息は、セカンドゴロとスイングアウトで今日も結果が出せなかった。同じ上がり組みの子達は、出塁している。帰りの車中、愚息は帽子を深くかぶり涙していた。広島に戻り、その足で今日の悔しさを取り払うべく五日市バッティングセンターに向かった。球が良く見えていた。平常と試合では、気持ちが違うのだろう。もう少し、メンタル的に強くしてやる必要があるなと感じる。プレッシャーに弱いのである。不安や結果は、考えずに、自信を持って行って欲しいし、それを植え付けるのも私の責任だと思う、朝から晩まで一緒に練習しているのだから。暫く練習した後、愚息は、初めて、テニス用のゲージに入って遊んだ。バットをラケットに持ち替えて、愚息の兄ちゃんとその彼女と、きゃっきゃ笑いながら、何ゲームか遊んでいた。午後7時を過ぎて、最後にもう一度140㌔のゲージで締め括った。彼女を無事に送り届け家に着いたのは9時頃だった。そう言えば、優勝したのに祝勝会なかったなー。今日はそれどころじゃなかったし、まーいいか。
2002年07月17日 11時46分29秒

  • 2002年7月13日
    朝から霧雨が降っている。寝不足の愚息を起こして、セブンイレブンで朝食を買い込み、監督を迎えに行き、グランドに集合した。山陽道は途中雨が降ったりやんだり、しかし白竜湖はうす曇りで、まずまずの天候であった。全日本選手権明けで、みんな、なんだかぴりっとしない。私もそうである。義務的にアップを行って、キャッチボール、そして打撃練習。いつ、引き締めようか?、いや、まだこのままで良い。自問自答して、試合直前までこのままで行く事に決めた。一から十では、何の成長もないのである。個別に呼んで指導はしたが、激を飛ばす事はしなかった。後は、監督にタッチ。試合では、愚息はファール2つから四球を選んだ。今日も結果を出す事ができなかった。試合は、先週より先発を告げたいた普段外野を守る選手が頑張ってくれた。打撃も13点と先ず先ずで、終わってみれば、大勝であった。全日本の怖さを知った結果であろう。このまま行けば明日も心配なさそうだ。
2002年07月15日 11時34分03秒

  • 2002年7月12日
    朝シャトルティーを行って、ピッチング、そして学校。私は会社へいつものように同じ朝である。練習から帰る時、玄関先の駐車場や、花壇に雑草が目立つようになってきた。以前は、こまめに手入れをしていたが、今年は、余裕が無くて手が回らない。以前は駐車場は、短く刈り込んだ芝生が取り巻いていたが、今では、クローバーや、よもぎまでもが蔓延っている。入り口から玄関への通路は両脇に植えられたコニファーが伸び過ぎて雨の降った日などは傘をたたまないと、通れないのである。毎日見ている風景なので、気がつかないが、ふっと、立ち止まって眺めた時、これは、大分とんでもない事になっている、何とかしなければと思いつつも、手を入れる気がしないのである。玄関の電灯に巣作ったつばめの巣は巣立った後で淵に、産毛がゆれている。庭の巣箱も四十雀が巣立った後で、巣箱の飾りが腐って下の芝生に散らばっている。四十雀の巣箱の前にアルミ製の白いイスとテーブルが置いてあり、今は、使う事も無いので、テーブルの上に直径60cmほどの浅い瓶を置いていて、そこに溜まった雨水でメダカを数ひき愚息が買ってきて飼育していたが、その姿も無く、小さな黒い水澄ましとぼうふらだけがそこにいた。このままで良い訳がない。後少し私が頑張らなければ行けないのである。会社に愚息から電話があり、友達とゲーセン(ゲームセンター)に行く約束をしたという。会社から帰り、愚息をエスティマに乗せゲーセンで愚息とその友人と遊んだ。昨日に続きまたコイン99枚の大当たりがでたが、別段嬉しくも何ともなかった。夜8時で閉店なのでそれからバッティングセンターに向かった。明日は、鯉城杯、活躍のチャンスはある。90㌔と140㌔を往復して、汗だくの愚息を車に乗せ、今日も一日が終わった。明日は、5時起きである、家の事などできる訳がない。
2002年07月15日 11時13分04秒

  • 2002年7月11日
    全日本を終えて、チョビッと逞しくなった愚息は、もういつもの位置からのシャトルティーでは、駐車場向こう側の塀にダイレクトで届いちゃうので、位置を約1m下げて行うようにした。ライナーでこっちを目掛けて打ってくるのでボヤッとしてたら、危ないのである。こっちは、打った打球を見るのではなく、肘が下がらないか、前で振れてるか、腕は外に行かないか、バットの軌道は等など、瞬時にして足から、頭まで見ているので、危なっかしくてしょうがない。そのうち、わし、怪我するなーと思っていても、フェースマスク付けるのも面倒だし、今日に至っている。100球チョット行って、汗だくの愚息であった。今日は台風一過で暑い。次にシャドウピッチングを行って、キャッチボール、そして、投球練習、なんとなく切っ掛けをつかみ初めてきている。約40球ピッチングして終了。家に返って「父さん、わしズボン3つしかないから買ってよ。」と愚息。毎日、同じズボンの愚息は、堪り兼ねて口にした。全日本から今日まで、ずーっと同じズボンであった。シャツは、兄ちゃんのを拝借している。夜、練習に行く前に、サンリブで愚息に半ズボンとティーシャツ1枚を買った。兄ちゃんもシャツが無いので500円のシャツ3枚買った。愚息は、この間、ゲーセンでコインゲームに興じていた。私が買い物を負え、愚息のコインを見ると、ほんの数枚しかない。買い物前に、「たまには、遊んでこい」と300円を渡していた。もう、無くなっちゃうと思った時、愚息の遊んでいたゲームはコイン50枚の当たりを示して、点滅を繰り返していた。「父さんどうする?」と愚息。「男は勝負じゃ。」と私が言い終わるか否か、愚息は勝負に出ていた。最高の当たり枚数99枚のコインがじゃらじゃらと下の払い出し口から出てきた。暫くして、また同じ場面が巡ってきた、また勝負を掛けた愚息。また大当たり、袋にコイン180枚詰めてゲーセンを後にした。(本当は持ち帰り禁止)夜練開始の前に、ポプラでパンを一かじりして、カルシウムパーラーを飲んで、五日市バッティングセンターに向かった。140㌔と90㌔の往復練習を行った。チームで全日本を終えて辞めてしまう少年がいる。愚息のライバルである。一生懸命頑張っている愚息には、このことを話す事ができなかった。何も知らない愚息は汗をビシャビシャにかいて、いつものように礼儀正しくおじさんにお礼を言って、さっさと車に乗り込んだ。愚息には明日も話せないと思う。
2002年07月12日 15時42分10秒

  • 2002年7月10日
    全日本が終わって日、月、火と3日もボールを握っていない愚息であった。3日(そのうち1日は移動日)も何もしないのは、メジャーに上がって以来初めてであろうが、今まで多い日で千回はバット振っていたので、久しぶりにのんびりさせてやっていた。今日から練習開始である。朝、シャトルティーを行った。最近シャトルの飛距離が出てきてライナーで顔目掛けて飛んでくる。遠征の疲れが取れたのか、全体的に力が抜けていてポイントのみ力が入り、良い感じになってきた。キャッチボールも身体の軸の分解を説明してから行った。最近素直に人の話しを聞く愚息。全日本のレベルを見てからかなー。仙台東の3投手のリストの柔らかい使い方が、皆同じであったことに愚息は気が着いていた。自分なりに、考えて行っているので、あまり、愚息に対してコメントしないように行った。夜は、五日市バッティングセンターにいつもの練習に行った。もう、全日本を引きずってはおられない。週末は、また試合がある。今日は集中して4ゲームで終わり、軽目に調整。
2002年07月11日 11時32分10秒

  • 2002年7月6日
    全日本選手権当日である。6時前に起床しホテル浦島横のサンクスにドリンクを買いに散歩した。今日のコンディションを知る為でもある。昨日よりは幾分涼しいが蒸しっとしていた。朝食を7時にとりに2階大広間の前で、選手達に脂っこい物を摂るな、それと、繊維質も駄目とバイキングに並ぶ選手達に告げて回った。8時にバスで江戸川区球場に向けて出発予定。ところが、愚息は友達の部屋に帽子を忘れ、その友達が既にチェックアウトした後に気付いた為、部屋に入れず、フロントに行ったり、その友達を探したり、右往左往してバスに一番最後に乗り込む事になった。江戸川区球場まで30分やや渋滞ぎみであった。記念撮影を撮り、14人枠から漏れた選手がグランドを後にした。観覧席に移動である。愚息達と同じユニフォームを着た選手がぽつんとバックネット裏上段に二人行儀良く座っていた。グランドから、周りを見渡すと、どこのリーグも同じ光景であったが、他のリーグは大勢いたのでまだしも、うちは2人だけ、スポーツの世界は厳しい。っていうか、塾の勉強や受験も結局同じだということに気付いた。ましてやこれから社会に出れば、これの繰り返しなのである。今の今は、この二人のことより、14人を見るのが先決である。一部の保護者から責めて入場行進だけでもと願い入れがあったが、それは出来ぬ相談。全リーグが14人なのである。選手達はライト側から行進を始め、各リーグの監督コーチは3塁側に一列に並んで早稲田大学吹奏楽部の演奏に手拍子で選手を迎えた。愚息が前を通り過ぎた時、にんまりとこちらを振り返っていた。私は愚息がこの場にいる事が信じられなかった。さて開会式も終わり、臨海球技場に移動して、早速昼飯を採った。12時半試合開始のため、最低2時間前に昼食を終わらせたかったのである。食事を終えて、アップして練習場に移った時、私の兄夫婦が横浜から愚息の応援に来てくれた。幼稚園以来であった。真っ黒に日焼けして背も高くなった愚息をビックリした様子で練習中見てくれていた。前の試合が終わり、いよいよ、うちの試合が始まる。集合が掛かり、臨海Aグランドに入り1塁側に陣取った。愚息はいつもならセンターだが、今日はブルペンキャチャー兼代打要員であった。初回1点を先制したが、ペースに乗ることが出来ず、結局、うちの試合をさせてもらえなかった。相手左投手に対し、ついに左打者の愚息には代打の声が掛からないまま試合終了。調子が良かっただけに複雑な気持ちで試合を終えた。選手みんなが泣いていた。しかし、愚息は泣くことはしなかった。私の兄が、記念撮影をしようと言い、私と愚息を写真に撮った。荷物を撤収し、バスでホテル浦島に戻るなか、折角東京に来たのだからディズニーランドに行こうと言う話しになり、ホテルに着いたら、子供は笑顔に変わっていた。着替えを終え再びバスでディズニーランドへ向かった。夜の部のパスポートを購入し、私は、愚息と二人でみんなと別れ、単独行動をとった。横浜に住んでいた頃、そして、愚息の母親がいた頃、愚息は乳母車に乗ってここに来ていた。周りは家族連れやカップルでいっぱいであった。記憶が飛んでいる愚息をピーターパンや白雪姫を回って昔の話しをした。幽霊屋敷を回って、ハンバーガーを食べた。愚息は、どうして母さんいないんだろうと考えていたに違いない。私も同じであったが、無理と知っている愚息は、声にすることなく、次の乗り物に向かって走って行った。パレードを見終えて、時間がなくなってきたので、スペースマウンテンを3回乗って、気分が悪くなったが、家で留守番をしている長男の土産のキーホルダーを買いに走った。集合時間きっかりにディズニーランドの門を後にした。夜の涼しさに、楽しかった余韻を引きずって自家用車を止めてあるところまで家族みんなで歩いて行ったことが昨日のことのように思い起こされた。本当なら、あそこに家があって車で帰ればすぐなのに。今は、広島の人である。明日は広島に帰るぞ。
2002年07月10日 12時15分00秒

  • 2002年7月5日
    5時に起床、愚息を起こして監督をお迎えに行った。ちょっと遅めの監督であった。この前、佐伯に負けた時も、遅めであった。いやな予感がした。監督曰く「大丈夫試合は明日じゃん」。グランド下に大型バスが到着して、荷物を積み込んでいた。グランド挨拶は既に済んでいた。バスに乗り込み新幹線口で選手と監督コーチは下車、ヒカリで東京に向かった。車中では、皆ゲームに興じて、楽しく比較的、皆おりこうさんにしていた。車中で仙台東情報をチェックし、また、アピールプレーなどのチェックも行った。新幹線で弁当を買い、旅を満喫した。東京駅に着き、全員タクシーに分乗し、ホテル浦島に向かった。ちょっと贅沢で、子供達は、VIP待遇であった。全日本選手権、一生に一度の思い出である。良いではないか。ホテルについて、早速、練習場を確保。黎明橋公園である。事前に調べておいて大正解、金曜日のこの時間帯は地元の子供達は、まだ学校で授業中。黒土でマウンドのある公園をリーグで独占して、練習が行なえた。2時間ほどしてホテルに戻った。この日の東京の蒸し暑さは、半端ではなかった。明日大丈夫かな。私は部屋でシャワーを浴びた。シャトルティーで600球ほどセットポジションで投げた為、汗と土でドロドロになっていた。夕方、再びホテル横の空き地で素振りの為集合した。試合のパンフレットに相手チームは左を投手登録していた。左の練習は、行っていたが、念の為、風を読みシャトルで左カーブの練習を行った。そうこうするうちに、会長やバスの応援団(保護者部隊)が到着した。夕食は、全リーグが大広間で各々のチーム単位に摂っていた。明日対戦の仙台東が1列挟んで食事をしていた。「○○くーん」とこちらから声をかけると、気さくに「はーい」と手を上げて答えてくれた。皆、感じの良い愛きょうのある選手たちであった。しかし、明日は敵、負けられません。
2002年07月08日 18時01分07秒

  • 2002年7月4日
    愚息は、早退、わしも早退。グランドの門を3時半に明け、明日の全日本遠征最終練習日の準備をした。ピッチングマシンで85マイル、70マイルそして80マイルで最終調整した。シニアが練習予定にしていたが、快く、場所提供を受けた。19時になり練習場を後にした。行き先は、五日市バッティングセンター、昨日は来る予定にしていなかったが、どうしても、後ちょっとやりたかったと愚息。90㌔と140㌔を往復し、自動車レースのゲームをやって帰宅した。いつもは、愚息が勝つが、今日は私が勝ってしまった。愚息は疲れているのかな?
2002年07月05日 17時31分01秒

  • 2002年7月3日
    今日も、学校を早退の愚息と会社半休の私であった。愚息を車に乗せ、西広島バイパスをカッ飛んでグランドへ行った。RCC放送の方が早々に来られ、今日は一日練習風景を撮ると告げられた。アップから日が傾くまで、カメラはまわっていた、何秒放送されるかは分からないが。そんなこんなで、選手は練習に身が入っていない様子、監督から激がしばしば飛ばされていた。しょうがないよね、私だって気になっちゃうもん。怪我人を出すことなく、無事練習、撮影共終了した。最後にみんなで、差し入れのアイスクリームを食べて、グランドを後にした。行き先は、五日市バッティングセンター。明日は、19時まで打ち込みがあり、その翌日は早朝出発なので、もう全日本が終わるまではここには、これないかも知れない。愚息は、90㌔と140㌔のゲージを交互に使った。おじさんが、「良い顔しているね。」と愚息に。愚息は、ただ笑う。「顔を見れば調子が良いかどうか判るよ。」とおじさんが言った。結局、家には21時に到着した。その後、遠征の準備を行い、長男が23時前にバイト先から来たくした。そこでみんなで夕食、忙しくてまともな夕食は作れない。ミートボールを3パックと野菜サラダを愚息に食べさせた。レトルトが我が家の味になりつつある。すまない。愚息、そして兄ちゃん。
2002年07月04日 12時19分23秒

  • 2002年7月2日
    今日は、広島県知事を表敬訪問と旅券の受取りが有る為、学校を早退させた。朝練はこれまで通りにキッチリ行った。給食を食べたら、帰宅するように言っておいた。私は、社員食堂でランチを食ったら帰宅した。愚息を試合着に着替えさせて、大西スポーツへその後旅券センターその後県庁北館に集合した。知事室に入り約20分の面談であった。RCC放送が来ており、皆、緊張していた。話しは、会長が進めてくれて、皆、無事に一言づつ喋り終えた。穏和な知事で、選手に混じり記念撮影を行った。RCCより、明日に練習風景の撮影の依頼があった為、明日急きょ、練習できることになった。まだ、時間があった為、愚息といつものバッティングセンターに行って、21時まで打ち込みを行った。代表になると、周りで色々なことが起こる。インタビュー、撮影、そのために、学校早退、また遠征。一日の生活の中で、気を使ったり、対外的な刺激が、選手を取り巻いて行く。しかし、これだけは、言っておくよ。周りに影響されることなく、今まで地道にやってきた事が、一番大切なんだ。その事を、考え違いしないようにね。これまで通り頑張れ!
2002年07月04日 12時03分31秒

  • 2002年6月30日
    朝、昨日に増して、どんよりと曇り空、グランドで、事務局より、練習試合中止を告げられた。グランドも昨夜の雨で田んぼのようである。NTT雨天練習場に移動して、合同での最終調整を行った。黒土の雨天練習場なので、いやな予感はしていたが、ノックの際、チョットでも散らそうものなら、面白がってスライディングキャッチをするのである。頭いたっ!帰る頃には、黒い熊の子のような選手たちであった。しかし、皆、面白がって行えたので、結果的には集中できて、活気があり良かったんじゃないかな。お母さん方は洗濯が大変だけどね。後は、木曜日の練習、誰も故障者が出ないことを願う。考えてみれば、これまで、誰かしら故障者が居たなー。木から落ちて骨折、バックホームで骨折、試合当日インフルエンザ、今回こそはーーー◎にしたい。みんな、お願い。
2002年07月01日 17時51分17秒

  • 2002年6月29日
    天気予報では雨だったが、何とか天気は持っている。いつ降り出すやら分からないため、グランドの準備を早めに行った。外野に設置されているバレーコート2面を撤収し、ピッチングマシンをマウンド前方に2台セットした。シニアで購入したカーブマシンが来ており、それを拝借しようと思っていたら、シニアがやっぱり使うということで、カーブマシンを返却した。しょうがない、わしがカーブマシンになろう。という訳で、午前中は、ちょっと壊れ掛けたカーブマシンの代わりを行った。運良く?死球ゼロであった。全日本を直前に、怪我人や恐怖心を煽るような投球は厳禁である。皆、春よりは身体が大分出来てきており、場外ホームランは嬉しいのだが、おかげで、場外の駐車場に選手を二人、保護者の駐車場は、保護者自ら、守備についた。愚息は、案の状、私が苦手で、私がマウンドに立つと、萎縮して、チッチャクなっちゃうのが父親として笑えた。バッティングセンターとは別人である。私に限ったことでは無いが、どうも、コーチの息子は、オヤジに対して負い目が有るようだ。気持ち的に子供がチッチャクならないような、工夫が、是非、是非、私自身に必要である。ゴメンよ愚息、もっと自信を持って、失敗を恐れないで、ガンガンやって良いんだよ。午後からも打撃練習であった。私は300球ぐらい投げて降板。後は、監督が自らマウンドに立った。投手が私ではない、監督であるという安心感から、愚息は、午前中とは違う打撃を見せてくれた。練習が終わってから、全日本とハワイ遠征の打ち合わせを済ませ、セブンでおにぎりと衛生ボーロを買い、五日市バッティングセンターに練習に行った。午後の好調もあり、明日晴れなら練習試合が有る為、コイン5枚150球でバッティングセンターを後にした。久しぶりに、まじめにフィッシュポークチキンカレーを作り、明日の準備をして22時に就寝した。明日試合が出来れば良いのだが・・・
2002年07月01日 17時13分23秒

  • 2002年6月26日
    「父さん先行くけー。」朝、ばたばたしている私を尻目に愚息は野球セットを持っていつもの彩が丘公民館に出かけていった。最近、バッティングセンターで打撃好調なのが影響してか、私が着くと、自分で進んでフォームチェックをしていた。左が下がらなくなり、耳から、素早くバットが出るようになった。それが、実感できているらしく、嬉しくてしょうがないらしい。今朝は、シャドウの後、ティーボールを行った。シャトルケース(長い筒)の先端にシャトルをちょこんと一個だけ、飛び出して乗っけておき、そして私がそれをミートポイントに突き出し、愚息がフルスイングで打つのである。よっぽど注意しないと、シャトルの筒はボール紙で出来ている為、すぐに凹んでしまう。頭を残し、打つというより、巻き取る感じで、鋭いライナーを打つことを心がけさせて行うのである。ミートポイントを、前に持っていけるので、後ろ小さく、前で大きく振るには、良い練習だ。腰の高さの打球が、駐車場向う側の塀に勢い良く飛んでいった。以前は塀に当ればホームランとしていた処だ。1年前は、やっとこさっとこ、駐車場の車止めまでしか飛ばなかったのに、さらに1m奥の塀までライナーで飛んだ。耳を巻くようにバットが出てきてからは、シャトルを打つ音がまるで違う。4月から3cm背も伸びて来ており、可愛い愚息が、一歩一歩着実に大人に近づいていく。これが、成長なんだなと実感し、可愛かった愚息の面影が少しずつ褪せていく。夜、会社から帰ったら、愚息がぐっすり、ソファーで寝ていた。起こすのが可哀相になり、今夜は、バッティング練習なしにした。夕飯を食わせる為、暫くして起こし、ミートボールと、黒豆、サラダで簡単な夕食をとった。食後に愚息が、どこからか幼稚園の頃の日記を探し出してきた。間違えだらけのひらがなでいっしょうけんめいに、その日のことを綴っていた。いつも、「な」の字が左右逆であるのが笑えた。あの頃はまだ、お母さんが居て、「ママと何々をした」「パパと何処々へ行った」という文章が至る所に書かれていた。その間違いだらけの文章を幼稚園の先生が赤ペンで優しく直し、「○○君今日も良かったね。」「先生も行きたいな。」等と最後に記していた。これを見ながら、愚息と二人で、「あっ、これ、八幡川の河口でカニを捕まえて遊んだ時のだ。」とか「自転車で川にハヤをとりに行った時のだ。」とか、昔、安心してのんびり、過ごしていた時を思い出させてくれた。暫くすると長男がセブンのバイトから帰宅した。感傷に浸るのは、おしまいにして、夜10時を過ぎて長男の夕食を作った。愚息は、ごくせんを見てそのうち寝息を発てていた。
2002年06月27日 18時00分27秒

  • 2002年6月25日
    愚息と二人で旅券申請に行った。学校と会社はサボりである。予め用紙を用意しておけば、愚息をサボらさなくて済んだが、そうなると、用紙を取りに行って、申請して、旅券受取りの3度手間になる為、愚息を連れて行き、用紙にサインをさせたのである。今度ここに来る時は県知事(藤田さん)表敬訪問の日と同じであり都合がよい。旅券申請を終え、愚息と広島のオフィス街をぶらついた。「高い建物がいっぱいあって奇麗だね。」「東京のトリトンスクエアは、こんなもんじゃないぞー。」「すげーぞ」と昨日調べたことを然も前から知っていたかのように愚息に話した。後数日で、東京遠征、そして、優勝して、フィリピン遠征、仮に優勝できなくても、ハワイ遠征、そして、最後はペンシルバニア遠征、ほんまかいな。しかし、手の届くところまで来ているのである。もう一歩、みんなで前進すれば良い。暫く歩いてすき屋で牛丼を食べた。斜め前に東急ハンズが見える。「あそこ行こうや。」と愚息。10時のオープンと同時に、店内に一番で入り、ウインドショッピング。何も買う物はないが、見ていて楽しい。あまりゆっくりしていられないので、愚息を追い立て、市営駐車場に停めてあったエスティマに乗り帰路についた。行き先は、学校であるが、その前に、バッティングセンターに行きたいと愚息が言い出し、そちらに直行した。昼間は、人が殆どおらずいつもの受付のおじさんがネットの修理をしていた。駄目元で私は、今度、不用のネットが出たら欲しい旨を伝えた。愚息はいつもの140㌔のゲージに入り5ゲーム行った。11時を過ぎている。愚息を急いで学校に送り届けた。夜になり、塾から帰った愚息は、またバッティングセンターに行きたいと言い出した。折角夕食のサラダを作ったところ。あとチキンソテーの準備をすれば良いのに・・。仕方なく、台所はそのままにして、腹を空かした長男に夕食は9時になると告げ、再びバッティングセンターに行った。着いて分かったのだが、愚息はオマハをバッティングセンターに忘れていて、それが心配でしょうがなかったらしい。受付のおじさんにバットの保管のお礼を言い、再び、ゲージに入った。バッティングの調子は、戻って、バント、セーフティ、バスター、ヒッティング、色々品を代え行っていた。140㌔の球を全く恐れていない。球と遊んでいる感覚になっていた。帰りにセブンでフルーツババロアを買って帰った。家では長男が腹ペコで待っていた。チキンを焼き、サラダと最後は、メロンで締めくくった。ババロアは明日の朝のお楽しみ。忙しくって一日があっという間に過ぎていた。
2002年06月26日 15時41分20秒

  • 2002年6月23日
    一日練習を終え、バッティングセンターに向かう途中、車の中で愚息は、寝息をたてていた。「父さん、コンビニ行ってから、行こう。」愚息は、同乗する監督には、知られないように、私に告げていた。監督をご自宅まで、御送りして、五日市バッティングセンター隣りのポプラで、間食のサンドイッチを買っていた。携帯に長男から電話。「自転車、コケて壊れたから、広域公園まで迎えに来てくれん。」今日は日曜だが、文化祭があり、長男は学校に行っていた。先に練習に来ていた広島中央の選手たちを尻目に広域公園に向かった。広域公園の駐輪所に、カッターシャツが破れ、両手の平に包帯をしている長男が立っていた。私のサンドイッチを食わせ、壊れた自転車を積み、修理の為ディックに向かった。愚息も漸く目が覚め、3人でアイスクリームを食べた。「疲れたから、今日は帰ろーか。」と私。ディックから、五日市バッティングセンターまでは自宅と逆方向。愚息は、打撃での不調のトンネルから抜け出せてきていた。「行こうや。」仕方なく五日市バッティングセンターに逆戻り。一寝入りして、御目覚めの愚息は絶好調。煽てりゃなんぼでもやる。学校の宿題をちらつかせて漸く帰宅。長男は両手が使えない為、愚息に頭を洗ってもらっていた、久しぶりに兄弟で風呂に入っていた。出来合いのハンバーグを温め、トマトと野菜を簡単に盛り付けた。もっと何とかしてやりたいんだが。愚息は、「これ行けてるよ。」とお世辞を言った。あほっ!
2002年06月24日 18時06分57秒

  • 2002年6月22日
    全日本に向け、本日は、体力作りピークの日である。午前中、1時間かけて、みっちり行った。今日は午後からケーブルテレビの取材があるためか、皆頑張っていた。ほんの僅かの時間かと思いきや、2時間ほど、打撃練習、守備練習、ピッチング等また、インタビューもあり、盛りだくさんであった。正直、あまり練習にはならなかったが、子供の気持ち的な部分では、代表という自覚が出てきたのではないだろうか。また、会長を始め関係者が、いろんな処で、いろんなカタチでバックアップして下さっている。自分が今ここにいること、それは、努力の結果かもしれない。しかし奢ること無く謙虚に誠実に感謝の気持ちを持って自分を振り返って欲しい。そうすれば周りが見えて、如何すればよいか分かるよ。今は、良く分からないと思うけどね。とりあえず、父、母に感謝することだね。さて練習を終えて壮行会がダイヤモンドホテルで行われた。来賓の方々、シニア、マイナーの皆さんに感謝です。子供達が一人ずつマイクを持って、挨拶をした。みんな、お礼の言葉がチャンといえていたよ。バイキングのバンバンジー、残ってたけど、とても美味かったなー。明日もがんばるぞー!
2002年06月23日 21時36分43秒

  • 2002年6月20日
    愚息から電話が掛かってきた。いつもうるさいので、携帯のスイッチ切っていたら、仕事用の電話に掛かってきた。教えていない番号なのになー。きっとあちこち調べまわって、掛けてきたに違いない。目的を達成させる為には、どこにでも、誰にでも平気で電話を掛けてしまう電話魔なのである。しかし、これは、良いことでもある。何かと思ったら、愚息の母さんから洋服が4着ぐらいと靴下と今流行のチタンが宅急便でついていた。これは、有り難い。愚息は、野球の練習着以外、殆ど服が無い。時々学校に行くのもアンダーシャツである。当然通学は、アップシューズでズボンはジャージ。これでも良いと思っていたが、やはり近所の子供と違うかもしれない。今年愚息に服買ったのTシャツとパーカー1着づつ1回だけだったかな。成長期なのに可哀相なことをしていた。後は下着を補充しなくてはならないな。家に帰ると、新しい服に長男も愚息も着替えていた。「たまにはお好み焼きでも食いに行くか?」「行きたい、行きたい。」お好み焼きが珍しいだけで、外食は今週2回目である。家で食うのが一番だが時間がないのである。昨日の牛丼に続いて今日は、お好み焼きである。長男は、食いに行くとは知らなかったので白飯を炊き上げていた。白飯が二日分丸まる残ってしまった。冷蔵庫にでも冷やしておいて、後でピラフにでもするさ。車で3人で出かけるのは久しぶり、いつも愚息と二人だからである。五日市コイン通りの田の久でスペシャルを3つ食べた。具が多くてバランスが良く美味かった。さてその後は予定通りバッティングセンターに行った。この日も最後のお客さんになってしまった。兄ちゃんは、満腹で車の中で寝てしまっていた。愚息は、バッティングセンターのシャッターがしまった後も素振りをした。何とか結果を出して欲しいと願わざるには居れない。
2002年06月21日 12時44分01秒

  • 2002年6月19日
    朝練:打撃練習は、シャドウとティー、投球練習は、シャドウとピッチング スイングは、だいぶ速くなった。バッティンググラブが小さくなって、手袋なしの状態が続いている。この処、毎日千回ぐらい振っているので、愚息の手のひらは、内出血で赤黒くなっていた。夜、バティングセンターに行く途中、全日本も近づいてきたので、そろそろ何とかしなくてはと思い、近くのミヤケスポーツでバティンググラブを購入した。フランクリン、これ一番良い。私は、腹が減っていたので、嫌がる愚息を説得して牛丼を2杯、愚息は、牛皿とけんちん汁を食べた。そして、バッティングセンターに行って練習。6月に入って金銭感覚が麻痺している。全日本、ハワイ、住宅ローン・・・やばそう、何とかなるさ。
2002年06月21日 12時13分23秒

  • 2002年6月18日
    「父さん、頭痛いけー、今日塾休むよー。」愚息から電話があった。困ったもんだと7時ゴロ帰宅すると、やっぱり塾行ったとのこと。それじゃ、「行こうや」って事で、バッティングセンターへ、行った。この日はコイン2枚のはずが、やっぱり、1シート行ってしまった。シャッターが締まり、帰り道、近くのパチンコ屋の前で車を止めて、愚息と素振りをすることにした。ここは、大きなガラス張りの為、身体を写して、スイングできるからである。車のライトで愚息を照らし、ガラスを見ながら行っていた。暫くすると、パトカーが登場。あらら、なんか悪いことしたかなー?。御巡りさんがやってきて、喧嘩の通報があったと告げられた。閉店間際のパチンコ屋さんの前で、暗がりで車に向かって、バットを振っているのを見て、近所の人が喧嘩と勘違いしたらしい。御巡りさん大変ご苦労さんでした。それから、15分ほど練習して、セブンでアイスを買って帰った。最近物騒だからねー。
2002年06月19日 18時14分37秒

  • 2002年6月17日
    今日は朝練がないので、7時まで寝かせてやろうと思ったら、あらら、兄ちゃんが6時半に起こしてしまった。しかし、兄ちゃんは珍しく朝飯の準備をして、私と愚息が食卓に着くのを待っていた。普段あまり、関わってやれない長男よ、ありがとう。何だか立場が逆転して、あいつがあるじみたい。たまには良いか。へろへろの身体を起こして、今日も元気に発進!夜帰宅してトウチャンのすごいところを見せようと、ギョウザ、サラダ、ビーフンをササーと作って、がーっと食べて、バッティングセンターに行った。昨日のがまぐれで無いことを祈りながら。ムムム、ちと怪しい。しかし、日曜日よりかは、全然まし。「父さん、わし、もう分かったけー、ほんまに。」「すきにしんちゃい。」結局この日も2000円。高すぎる月謝、全日本ってこんな処でも金が掛かるなー。
2002年06月18日 18時24分05秒

  • 2002年6月16日
    練習が終わって、バッティングセンターに直行した。同じリーグの子が先に到着していて、ゲージの中でコインを積み上げバッティング練習を行っていた。今日の昼の練習で、愚息は全く不出来であった。幾ら言っても感じを掴めず、ますますひどくなる一方であった。愚息がゲージの中で、昼と同じスイング。いい加減こちらも疲れて、ベンチで居眠りをこいていた。回数券は既に2シート目、ゲージの中から「父さん、起きてや。見てや。」の声で目を覚ました。あら不思議、さっきまで、怒鳴りつかれて寝てしまった私は、何だったんだ。愚息のスイングは、息を吹き返していた。コイン21枚目で愚息自らギブアップを宣言した。そら、そうだろう。今日一日練習だった。帰りの車の中で、どうして、あれほど言っても直らなかったスイングが、居眠りしていた、コイン4、5枚分で直ったのか、聞かないで置く訳には行かなかった。しかし、愚息との約束なのでここでは書けない。ほんのちょっとしたイメージだった。この事は、私の教訓になった。子供は、具体的に示すより、抽象的にイメージを持たせた方が、その目的により近づきやすいかも知れない。一番大切なのは、外側の手足の振りや動作じゃなくて、正しいイメージを植え付けること、想像させることだ。動作はその後から付いて来る。
2002年06月18日 18時11分13秒

  • 2002年6月13日
    昨日に続いて、シャドウバッティング。「父さん、手が痛いよ。」「うるせー!やれや!」「もう少年野球は卒業じゃ!全日本の練習じゃろーが。」手がタコでガチガチになっていた。毎日、朝晩、数百回振っているのである。こんなにして良いのだろうか?愚息が心配でまた可哀相でもあった。優しい言葉をかけてやりたかった。でも、今は駄目。バットを持ったまましゃがみこんでしまう愚息。それでも気を取り直して、鏡を見て、フルスイングしていた。これ以上やらすと、バットすっぽ抜けて、前のガラスの自動ドアをぶち壊しそうなので、止めさせた。続いて、シャドウピッチング。今週は、ボールをあまり投げさせていない。シャトルティーも殆ど行っていない。ひたすらシャドウである。今日も昨日と同じく車でお送りの愚息であった。夜は、カレーライスに鳥皮混ぜて、イタリアンシーフードサラダ。マグネシウム、リン、カリウム、そしてコラーゲンを摂らなくてはね。飯食って早速バッティングセンターへ。今日も最後の一人になった。ワールドカップの試合があるので、最近空いてて良い感じの五日市バッティングセンターだった。経営者は、大変だろうけどね。
2002年06月14日 18時18分53秒

  • 2002年6月12日
    朝錬で、もう汗をいっぱいにかいてしまう季節になった。私は既にまっ黒け。今朝は、とにかくシャドウバッティングを行った。何だか折角直したフォームが、また元に戻って、開いて打つフォームになっている。何で左手を絞っちゃうんだろう。肩が下がって、腹切りスイングになってきている。軸も安定せず背骨がグニャリ、駄目だこりゃー。そんな訳で、シャトルティーは行わず、30分みっちりシャドウを行った。それでも、またすぐに戻ってしまうのが子供。学校に遅刻しそうになり、車で送っていった。会社から私が帰って来ると、落ち込んでいるかと思えば、なんのその。「父さん、行こうや」。ギョウザを焼いて、さーっと食べて、バッティングセンターに行った。同じリーグの友達が、後からやってきて、打ち込んでいた。私は、今朝行ったことが出来ない愚息に、大不満だった。結局、この日もシャッターが締まるまで、行なった。いつもこれの繰り返し。五日市バッティングセンターで超有名な、親子であるのは、間違いなさそうである。
2002年06月14日 18時01分59秒

  • 2002年6月11日
    雨があがり、会社帰りに大西スポーツにアンダーシャツ、ソックスを買いに行った。それと、擦り切れた、バットのグリップを買いに。家に着くと、腹を空かせて待ちきれない愚息と兄ちゃんが、カップ麺を食べた後だった。「父さん、行こうや。」愚息を乗せてバティングセンターに行った。雨上がりでツルツルボールのバッティングセンターでは、仕方のないことだが球が一定に飛んでこない。愚息にしてみれば、こんなハズじゃないのにといったところだろう。ご機嫌斜めで、愚息は半分しか手を出さなかった。自分のバッティングが出来ないのをマシンのせいにしているのである。ピッチャーは、打たさないように投げてくると思えば、ポジティブに考えられるのに・・。結局この日も最後の一人になってしまった。打撃は、ワイルドピッチに翻弄されて、苛立ちと疲れで、前日とは、まるで別物になっていた。シャッターが締まり掛け、ヘッドライトで照らしながら、素振りを行わせた。さすがに観念したのだろう。文句を言わずに行っていた。疲れているため、無駄な動きがなくなり、自然に振りぬけていた。暫く振って、車に乗せ、やっと愚息の気分が戻っていた。帰りにセブンで牛乳とオレンジジュースを買った。家に着くと、兄ちゃんは既に就寝していた。いかん、このままじゃと思い慌てて22時を過ぎて夕食を作り出した。350gのステーキを2枚、愚息とその兄ちゃんを叩き起こして、食べさせた。生活が乱れている今日このごろであった。
2002年06月12日 12時53分18秒

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