少年野球での様々な出来事や愚息(5年生)とのふれあいを書き込んでいきたいと考えております。

  • 2002年6月9日
    無事に3チーム合同練習は終わった。しかし、出番の少なかった愚息。昨日はオケツに死球とセンター前、今日は四球とバスター失敗である。しかし、良い打球が飛んでいた。"殺人ゴロ"を打てと司令しておいた通りにはなった。しかし、バスターでは、自分が生きて仲間を殺してしまった。少々過激な命名であるが、当ったら死んじゃうような、強いゴロを打つということでこの名前が付いた。このところずっと練習をしてきたのだ。試合グランドから引き上げる際、元気のない愚息。今日の出番が少ないこと、バスター失敗で、怒られるのではないかと、小さくなっているのである。「父さん、今日あまり出して貰えんかった。」この言葉の中に全て凝縮されていた。「そうだけど、良くバット振れて強い打球飛んでたじゃない。」「あれで良いんだよ。」「そうだよね、もう少しでセカンドのグラブ弾くところだったのに・・」言葉数少ないまま、ホームグランドに到着した。ホームランネット、ポール、ティーボールなどを片付けた。いつも手伝いに来る子は同じである。そんな子供達に私は噛み付いてしまった。仕方なさそうに、渋々片付ける子供達。でも、君らは、あいつらよりは、何倍かは他人の辛さや思いやり、自分の中に厳しさがあるよ。折角来てくれたのに怒鳴ってゴメンな。片付け終わり、グランドで、監督と以前打ち合わせていた全日本の背番号の発表があった。この背番号で責任を持って頑張って欲しい。番号が1づつ増えていくに従い、複雑な表情をする子供達であった。さて保護者に挨拶して解散。早々と車に乗り込む愚息。監督と二人で今日の反省で、監督から一言。「大分スイング早くなったね。」「直接言ってやってよ。」と私。「だめよ。鼻がこんなーんになるじゃない。」と天狗ポーズ。私は、グランドに除草剤散布の仕事が残っていたので、散布の間、愚息は、一人で遊んでいた。日が落ち、二人で暗くなったグランドを後にした。「愚息、今日、監督が誉めていたぞ」「さっき、父さんの言った通りだろ」途端に、目を輝かせ、「バッティングセンター行こうや」と愚息が言う。「今日、兄ちゃん午後10時まで、バイトだから、しゃーない、行くか。」バッティングセンターはガラガラだった。今日、日本対ロシアである。その影響だろうか、ゲージ3つも空席だった。ほこりと汗と日焼けで、ユニフォームも手も顔も真っ黒の愚息と私に対して、岡山から、遊びに来ていた親子が、羨望の眼差しでこちらを見ていた。そのうち話し掛けてきて、ご子息がソフトをやっていると話していた。ついうっかり、ちゃっかり、全国出場の話しをしてしまった。正直に代打要員であることも告げた。目を丸くしていたので、愚息は調子に乗ってブンブン振った。監督から、誉められたし、普通の少年野球と違ってきていることに気が付き始めた意気揚々の泥だらけの愚息がそこに居た。
2002年06月10日 16時34分09秒

  • 2002年6月7日
    ワールドカップで最近空いているバッティングセンター。仕事で遅くなり到着したのは、午後8時半だった。あらま、どこかでみかけたユニフォーム。良く見ると、うちのリーグの選手達である。写真撮影があって、ユニフォームを着て、その帰りにバティングセンターに寄ったとの事だった。明日は九州代表リーグと練習試合があるので何人かで来ていた。ユニフォームを着ていれば、皆同じに見えるが、代表枠は14人、100人中の14人ではなく、18人中の14人を選ぶのである。一生懸命ゲージの中でユニフォームを着て打っている子供。しかし、近日中に、告げなければならないのである。非常に辛いです。今は、ただの通過点、悔しさをばねに頑張れるようにするのが、コーチの役目でしょうか。
2002年06月10日 15時23分19秒

  • 2002年6月2日
    あらら・・ついに8日も日記が空いてしまった。全日本選手権中国連盟代表が決まって、ほっとしている一方、これから1ヶ月で出来ることの洗い出しやその実行、盛りだくさんである。ガキンチョ達、いやいや、中国連盟代表選手達は、昨日土曜日から、再び、体力作りのメニューをこなす。何時を、パフォーマンスのピークにするか?7月6日である。オーバーロードのピークは6月23日に予定している。パフォーマンスを引き出す為には、荷重負荷と特異性の原則を無視できない。これ何かというと、体力作りの側面と野球技術の側面からトレーニングを行うことである。荷重負荷つまりオーバーロードは超回復期間を計算に入れ、常に一歩前へを目指す、しかし、こればかり行っていると、本来の野球で発揮するパフォーマンスとかけ離れていってしまう。(ちょっと表現がオーバーかな?)そのために、野球技術という特異な動き(投げる、打つ、捕る)を最終的には実戦形式で体得しなければならない。ということで最後に行くに従い、特異性主体の練習メニューになっていく。ディトレーニングは、2週間。つまり1週間が開いてしまうと、元に戻ってしまう。出来るだけ、休まないで、出て来て欲しい。(病気や怪我すんなってこと)もう、そこらの少年野球のレベルじゃないんだよ。怪我や故障の無いように、発育期の君たちようにメニューを作ってあるから、各自が、高い目標を持って、頑張って、おじさんをアメリカに連れてって欲しいのである。君たちが、頑張るなら、朝でも夜でも、おじさんは、グランドの除草剤散布ぐらい何て事はないよ。来週は、予定が狂って九州代表チームと練習試合。それでもOK!OK!良い経験!練習試合の勝ち負けより、大事な事がいっぱーいある、今は、言えないけど。ところで、愚息は、今朝 母親が再び旅立ったので元気なし、笑顔なしのバッティング絶不調。除草剤散布の後、車のヘッドライトで照らして、素振り。私が、薬を撒いている間、車で寝ていたので、ご機嫌斜めである。しかし、男だったら、ピシッと決めてみい。涙目で、素振り、そして、ネットに向かってバットを投げる練習をした。コツが掴めて、やっとご機嫌回復。みんなといる時は、特別扱いできないからゴメンな。最近全日本を中心に生活が回っている。これで良いのかな、今は。家に着いたら、もうすぐで9時を回るところだった。愚息の兄ちゃんはバイトで不在。飯が炊き上がらないうちに、ギョウザを沢山焼いて、二人でギョウザと牛乳、オレンジジュースで夕食をした。途端に質素になるね。反省・・
2002年06月03日 17時30分08秒

  • 2002年5月25日
    朝6時15分からピッチングマシーンで打ち込みがある。いつも朝6時頃グランド到着していたが、今日に限ってグランド到着が6時10分をまわっていた。先に倉庫を開けなければならないのに。全て勝ってきた日は、同じことを繰り返すことにしていた。ジンクスである。しかし、今朝は、朝コンビニで飲むドリンクも違っていた。朝、コンビニでエ○カップを3本買いその空き瓶を一つだけ、捨てないで取っておくのである。「勝ちたいときにはエ○カップ」これを担いでこれしか買わなかったのである。今朝に限って、ちょっと高目のにしてしまった。ピッチングマシーンを75マイルと84.5マイルで打ち込みを行い。7時15分に試合会場に向かった。アップして、キャッチボール、トス等など、今日なんか、いつもと違う。何が違うかは分からなかった。そうこうするうちに、1試合目の集合が掛かった。荷物をまとめ、3塁側に陣取った。試合が始まり、天気が良く、日差しが厳しくなってきた。喉がやたらと渇いて口の中がべとべとする。相手に2点先制されて、この時はじめて栄養補給を忘れていたことに気がついた。バナナと果汁を試合前1時間から30分前にいつも摂っていたのに、今日初めて炭水化物補給を怠ったのである。早朝からの練習で、まともに朝食を食べてこれないものである。そんな時の為の、栄養補給を忘れてしまったのだ。案の定、声が出ていない。暑さとスタミナ切れで血糖値が下がっている。結局最後までリズムに乗ることなく終了。もし、スタミナ補給していたら・・。コンディショニングのミスであった。試合に負けたのは、コーチの責任だよ。
2002年05月28日 15時42分01秒

  • 2002年5月23日
    朝練でどうも左グリップと腕の使い方が気になる。折角右手が直ったのに、左の手首をくねっとまげて、脇を窮屈そうに肘を中に入れてくる。何かへんだな今日は。何度言っても、直らない。そのうちに涙目になってきた。終いには、親子喧嘩状態に突入。いかんいかん、ここで、ワシが切れたら終わりじゃ。愚息を鏡の前に立たせ、シャドウで素振りを行う。それでも直らない。今度は、鏡に向かったまま、目を閉じて、何も告げずに素振りをさせた。あらっ?良いではないか。今度は、やはり、目を閉じたまま、球が飛んで来てジャストミートで打ち返すのを想像させた。これまた、OKOK!ふたたび、目を開けさせて、鏡の自分を見ながら素振りをさせた。あらっ?なんか変。どうし、こうなるの?また、目を閉じて行ない、また目を開けて行い、これの繰り返しを行った。目を閉じて行う利点が分かった。軸がぶれなくなるのである。目に頼ることが出来なくなるので、自然に、どっしり、バランスを取りその結果、突っ込みや軸がぶれることがなくなったのである。愚息も、その感覚が掴めたらしく、目を開けて、ミートポイントを見据えて素振りを行った。さっきと違う、愚息に、只ゝ嬉しい唖然であった。夜、バッティングセンターで、スッコーンとセンター返し。今の見たとばかりに、笑顔で振り向く愚息だった。持続できれば良いのだが・・・
2002年05月24日 09時45分39秒

  • 2002年5月22日
    愚息の母さんが7ヶ月ぶりに帰って来た。おそらく1週間の滞在である。その間に何か楽しい思い出を作らねばと考え、広島プリンスホテル22階でディナーをとることを思い付いた。仕事を早めに切り上げ、日没までにプリンスホテルに到着するように、慌てて準備をした。瀬戸内海の夕焼けを展望レストランから観る為である。カナディアンフェアが行なわれており、ロブスターとステーキで満腹にした。普段見ることのない、愚息の喜びよう。スポーツガリでパッチをあてた半ズボン。皿に口をあて、フォークだけで、ズルズル口の中に掻き込んでいた。大人の表情を見てきょとんとする愚息。良いんだよ。こんな、マナーを知らなくても。腹一杯ぶち込んで、周りなど気にせず、大きな声で、ケラケラわらって、楽しくやればいい。
2002年05月23日 12時18分12秒

  • 2002年5月21日
    月曜日は、休息の為、朝練、夜練なしの為、随分練習しなかった感がある。この処、オフを設けていなかった為である。朝練行い、夜は、バッティングセンターへ行った。すると、近隣ライバルリーグの選手達が数名練習に来ていた。Aリーグ主砲のY君、SリーグのA君等、どちらも強敵リーグである。普段、見ることの出来ない、他リーグの選手打ち込みをじっくり見ることが出来た。愚息もこれには刺激になったらしい。練習も変化や緊張が必要。そういった意味で、良い刺激になった。みんなありがとう。
2002年05月23日 11時47分11秒

  • 2002年5月19日
    うーん、ここのところ停滞気味、言い訳するなら沢山ある。仕事でへまばかり。野球の全日本選手権中国大会が気になって、仕事が手に付かないのである。また25周年記念が終わり、リトルのHP更新に毎日苦戦しているのである。出来る限り平等にしようと苦戦しているのに、寂しくなることがあったり、全員で50名以上いて保護者がいてスタッフがいてなど等、あほらしくなる今日このごろ、実は私、いったい何やってんだろう?このまま、生きてていいのかな?って弱気になったりもするけれど、売りがポジティブのスーちゃんは、このぐらいではヘコタレないのである。今回の25周年、シニアの皆さん、写真が少ないのが、今一番気になっているところ。??って停滞のいい訳からどんどんずれてったりして。子供達がやってくれました。全日本選手権とりあえず、上位はほぼ確定。子供達、指導者、保護者や皆様の協力あっての成果。後は2試合、これからが本番、なんの為に、この一年、色々やってきたのでしょう。勝ちと負けこのどちらしかない、勝負の世界は。もう手の届くところまで来ている。最後の最後まで、ぜったーーーーーいに気を赦したら行けない。これは、選手だけでない。周りの大人がこういう雰囲気を作っては行けないと思う、最後の最後までは。自分の書いていると事と、おこないに少々矛盾があるが週末まで要調整。それと、今後の事、これ非常に大事。子供達の新たな目標設定をさせること。大人や指導者は常に2歩ぐらい先を見据えていないと、大変なことになっちゃうっていうか、そこで車輪が止まってしまう。25日過ぎたら、選手諸君には、新たな課題を課すつもり。愚息の事、今はそっちのけ。とりあえず勝たねば。でもそのぐらいが父親がコーチのプレッシャーが無くていいのかな、愚息にとっては。それが証拠に最近ノビノビやっている。そう言えば、お父さんが来ると打てない子って子がいるもんね。これと同じかな。愚息、絶対に連れてったるぞ!!
    そして、私を絶対に全日本に連れて行け!!
2002年05月20日 17時29分10秒

  • 2002年5月11日
    昨日の夕方の連絡網で本日、公式戦中止になった為、12時から3時の練習になった。愚息を8時半まで寝かせていた、兄ちゃんの参観日だったが、参観をせず、アストラムの駅まで車で送り届けた。昨日の雨の中、兄ちゃんはカッパでチャリ通、帰りにコンビニで22時までバイト。その間、愚息と私は、バッティングセンターで最後の調整をしていた。22時を過ぎて兄ちゃんをコンビニで拾い、帰宅した。今朝は、普段あまり、相手をしてあげられない兄ちゃんを駅まで送ったのだ。でも、ゴメンね。授業参観は出来ないよ。「来んでええよ。」とは言っていたが、気になっていた。駅に姿が見えなくなるまで見送った。家に帰って、愚息を起こして、あさりクリームスパゲッティを作って、荷物積んで、気分を変えて出動!グランドに打席2個所作って、打ち込み練習を開始した。今日は5時半から、リトル25周年記念行事がある為、2時半で練習終了。守備練習なし。一度家に帰って風呂に入って私は、着慣れない、ズボンの裾の短くなったスーツを着て場違いのホテルグランビアに行った。兄ちゃんは家に帰っておらず、置いてきぼり。携帯電話で連絡を取り、「何か適当に食うからええよ。」と言っていた。兄ちゃんが気になったまま、パーティーは無事終わり、近隣チームのスタッフ達とも意見交換が出来た。明日は大事な公式戦がある。今日練習2時間半しかしていない。他所のチームは、一日練習か少なくても半日練習をしているはずである。監督が選手を集め話しをした。明日は6時50分から打ち込み開始である。家路について、コンビニでドリンクを買った。若い兄ちゃんぐらいの子がレジに立っていた。長男を置いてきた事を後悔していた。しかし、あいつが帰宅して居なかったのも事実。しかし、事前に早く帰宅するよう、注意してなかったのも事実。私がいけないのである。玄関で靴を脱ぐと同時に靴の左足踵が、ペロンと剥がれ落ちた。まるで情けない自分のようだった。
2002年05月14日 11時27分26秒

  • 2002年5月8日
    今日は愚息の小学校の家庭訪問の日である。そのため、私は、午前中で帰宅した。先生が来るまで、急いで居間や玄関を掃除した。愚息の姿が無い。先に帰っているはずだが。実は、恐怖で2階に隠れていた。玄関のチャイムが鳴り先生登場。「○○君はいますか。」と先生が切り出す。「はい、2階に隠れています。」と私が答える。「降りて来いやー。」の声で渋々愚息が姿を現す。3者懇談になった。ビビッていたわりには、得に問題なく懇談終了。塾の成果が出ているらしい。先生が帰られてから、愚息とグランドでティーとピッチング、それとノックを行って、オレンジジュースを二人で飲んだ。周りで軟式の子達が珍しそうに、羨ましそうに硬球で行っている練習を見ていた。チョット鼻が高かった愚息であった。
2002年05月10日 17時51分00秒

  • 2002年5月3日
    朝6時50分集合、いよいよ下関遠征当日である。今朝は、憂鬱なことが一つ有った。また、主力選手が故障である。しかも今日は前半戦の山場である。ライバルチームとの対戦である。これまで、今期4勝4敗得失点率でやや部が悪い。前回もインフルエンザで試合ギリギリまで来れない選手が居た。寄りによって今回も・・。1昨日監督より、連絡が入っていた。テーピングテープや、モーラスの在庫を確認した。バスに乗っての確認。「朝飯食ってきたかー?」「食わんヤツ手ー上げー。」「はーい。」とあれほど、朝飯食えといったのに約1/3が朝飯抜きであった。「握り飯持ってきたかー。」こちらは、全員準備OKであった。試合開始が、不確定であり、弁当現地調達時間も判らない為、所持させてきた。試合開始が1時の予定だったが、下関に近づくに従い雲行きが怪しい。当初、握り飯は11時までに食べ終わる予定をしていたが、予定変更、9時に握り飯食べさせた。10時ちょい前に到着し、場所確保し設営完了。故障選手に痛み止めのキネシオを巻いた。その間、他のものランニング。案の定試合開始が早まった。しかも1時間20分も。握り飯を早く食わせて正解であった。アップも急ピッチで行い、グランドでシートノックを始めた。その時、試合20分前、バナナ片手にティーネット前にノック終了したものから向かわせた。バット振っているか、バナナ食っているかの状態であった。主審から集合が掛かったのはこの後直の事であった。何とか、やることは、全て行えた。後は、子供達のマインドコントロールを残すのみとなっていた。これは、ウソも方便で子供達にプラスになる情報を植え付けるのである。監督から指示をもらい、小ミーティングを行って気持ちを一つにした。内容は内緒。今日は絶対に打てる。勝てる。そういう内容である。試合が始まり、1点先制され、3回まで、完全に押さえられていた、打順が一巡し、4回表、2打席め、漸く打線が火を噴き同点となる。その裏また相手チームに勝ち越しのランナーが二人出た。ところが3番4番をKで括り、流れはうちに傾いた。6回に打順良く先頭バッターがセーフティーバントで勝ち越しのランナーとなった。愚息に出番が回って来た。監督より代打が告げられた。バントのサインである。私は十字を切った。一球目、絶妙の送りバント。セカンドセーフ、一塁アウト。続く3番の快心の当りで2対1と勝ち越した。6回の裏は3人で終わった。勝った。正直、愚息のバント成功で頭の中は真っ白で、その後の事は、よく覚えていない。今日は、愚息を文句無く誉めてやろう。試合中、コーチから、父親に戻っていた。そして、当然、チームの子供達もである。
2002年05月07日 18時13分13秒

  • 2002年4月29日
    全日本二日目である。試合開始予定が1時半、移動に2時間、今朝の集合は6時50分。栄養補給、いつ行えば良いか、昨夜から悩んでいた。子供達は朝6時台に朝食を摂るはず。昼飯は、試合3時間前に済ます必要がある。賭すると、昼食は遅くとも10時半?炭水化物中心なら11時半がリミットなどと考えて居たら寝付けなかった。昼食は、本部任せにしてる為、自由が利かない。何時に弁当が届くのだろう。12時なら、バナナで済まそうと思っていた。とりあえず、試合会場に9時前について、ライバルリーグの試合観戦をした。子供達には、アップが始まるまでは、ずっとおとなしくしておくように言った。第一試合終盤、弁当が11時前に来るかどうか判らない為、そろそろ、アップの準備をしようとしていたら、ドンピシャリ、弁当が間に合った。早速アップ中止にして、昼食にした。時計を見ると10時40分。ラッキーである。昼食後、11時10分までゴロゴロ寝ているように注意した。血糖値を一気に下げてしまう為である。私は、13時30分に合わせて、コンディショニングを行っていた。ところが、前の2試合の試合ペースを見ていた監督は、試合が、1時間ぐらい早く繰り上がりそうなのを察知していた。危ないところであった。監督からの、「試合が早まるから準備急いで」の言葉が無ければ、けだるさを残したまま試合に送り出すところであった。11時20分からジョグを中心にからだを起こし、ダイナミックフレキシビッリティ、スタティックストレッチそしてアジリティドリルで神経系を起こした。
    キャッチボール、トスの後、2班に分け、ティーバッティングとノックを行った。そうこうしているうちに、監督から、集合の合図が有った。四国遠征の時、やはり時間が40分早くなり、アップに失敗していた。今回も危なかった。試合5分前、ピッチャーにクロアメをなめさせ、全て準備完了。後は子供達が、集中途切れること無く結果を出した。試合をするのは子供達、でも、それを取り巻く、事務局、婦人部、指導者、保護者、みんなのチームワークの結果でもある。(とも思う。)
2002年05月01日 14時09分47秒

  • 2002年4月28日
    先週から、愛車エスティマは、野球道具を一式積みっぱなしで湿ったボールや何やらでかなり車内がかび臭い。今朝は朝6時15分に監督と待ち合わせしていた。家を出ると、道中やたらと信号に引っ掛かる。「クソー、ついていないな。」と言ったら、愚息は「良いじゃん。」「うちのチームカラーだよ。」そう言えば、前回監督を迎えに行った時は、信号すんなり青だったっけ。確か、負けた記憶が有った。うちのチームは遠征先で、勝てないことが多い。そんなことで、今回は、試合前一週間からのコンディショニングについて、神経を尖らせていた。今日が、試合当日である。試合するのは、選手である。私にできるのは、微力だが、子供のパフォーマンスを引き出す為のペース配分を管理することであった。今日は、チームの状態はまずまずだった。しかし、愚息は、腹痛だった。普段食べ慣れない、スポーツ系サプリメントに頼ったばかりの腹痛である。小糖類・果糖(フラクトース)には、過剰接種で腹痛を起こすものがある。早く起きて、何も食べず、コンビニでのサプリメント接種。お父さん失格である。灯台基暗し。ゴメンね。
2002年05月01日 13時36分39秒

  • 2002年4月26日
    昨日愚息が修学旅行に行ってしまったので、愚息の上の兄ちゃんと久しぶりに2人だけで、平田ラーメンを食べに行った。兄ちゃんと二人きりなんて何年ぶりだろう。いつも外食すると、私のフトコロを心配してか、遠慮気味な兄ちゃんであった。平田ラーメンに来る前も「父さん、牛丼にせん?」等というやつである。「今日は、○○が、いないから、腹一杯食えよ!」と兄ちゃんに行った。やつは、味噌チャーシュウと、炊き込みご飯2杯(この付け合わせのキムチがたまらなく美味しい)とおでんの玉子と牛筋を注文して、汁まで完食した。私は味噌チャーシュウ家に帰って、白飯2杯。これでは、痩せるはずが無い。愚息が居ないので何だか、生活のリズムがいつもと違う。今朝は5時に起きて、庭の草むしり、早めの犬の散歩、兄ちゃんの自転車修理(ブレーキ交換)、玄関に巣作ったつばめのウンチの掃除など、いつもと違う朝だった。後数時間で元気な愚息の顔が見れる。早く会社終わらないかな。・・・
2002年04月26日 16時21分44秒

  • 2002年4月24日
    今週ずっと雨である。洗濯物、乾かない。朝練できない。犬(アイリッシュセター)の散歩できない。困った、困った。広島市内が雨降っていなくても、ここは、山の中腹なのでガスっていたり、雨が降るのである。今朝も乾かないカッパを着て出勤、またそれを着て帰って来た。明日は愚息の修学旅行。疲れていたら可哀相なので、今日は夜練(バッティングセンター)中止である。明日の持ち物準備して、久しぶりに買ってやったTシャツとシューズをそろえてやった。旅行は1泊2日でスペースワールドと吉野ケ里遺跡である。宿泊先は、大型ホテル。愚息は、これまで2度しか、泊まったことはない。しかもそれは、神奈川県から広島に引っ越してきたとき、引越し先のマンションに荷物が着いていなくて、ビジネスホテルに1泊したのが最初で、宮崎シーガイヤに昨年行ったのが2度目である。さぞ、嬉しい事であろう。その間私は、いったい何をすれば良いのだろう。愚息がいない事を考えると、非常に寂しいのである。例え一泊でさえ。庭の草むしりでもするかな。
2002年04月25日 17時08分40秒

  • 2002年4月20日
    今朝、その事件はセブンで起きました。高校生が3人学校へ行かず、コンビニで喫煙していたのであります。詳細は、OJINSTAR BASEBALL ALLIANCE21で述べています。興味のある人は、「みんなの掲示版2002VOL2記事タイトル・子供達」で確認して下さい。信じていたのに・・・という親御さんと家庭内で孤独な子供の像が浮かび上がります。
2002年04月24日 17時11分48秒

  • 2002年4月18日
    塾や朝練や夜練で睡眠不足の愚息と私である。愚息は学校から帰ると直に寝ているようだが、何だか、最近悪循環である。体調を壊さなければ良いが。仕事が長引き、夕食を作る時間がない。先にバッティングセンターに出かけ、その後、久しぶりに浜勝で特製ヒレカツ御膳をたらふく食べた。家に着いたら10時過ぎ、未だ宿題、済んでいないという。学校でもらってきた、修学旅行の資料に目を通し、代金添えて、保険証コピー添えて、何とか学校関連の仕事を済ませた。愚息のカバンから、検尿の容器が出てきた。本当は駄目なのだが、「おい、今ションベン入れろ!」といってしまった。愚息も朝はめんどくさいので私の言うまま尿を摂ってカバンに仕舞った。(いけないオヤジ)それにしても、学校は、週休二日制になったのに、今週土曜日は、修学旅行の説明と懇談会がある。私も子供も野球が、あるので迷うことなく「土曜日は欠席します。」と愚息の連絡帳に書き入れた。
2002年04月19日 18時10分15秒

  • 2002年4月16日
    月曜日の朝から降り続いている雨で、思うように練習ができない。昨夜と今朝の練習は中止である。その代わり、カープから頂いた、ビデオを鑑賞した。夜はさらに雨が強まり雷も鳴っている。バッティングセンターに行こうかどうか迷う。午後8時を過ぎて、小降りになり、練習に出かけた。雨で人は疎らだった。いつも、ここで練習しているせいか、名前こそ知るはずもないが、愚息の事を知っている大人も多い。今日も、私の知らない人から「よっ、イチロー。」と愚息は、声を掛けられていた。「だれ?あの人。」愚息は「いつもいる人、優しいよ。」と答えた。そう言えば、愚息がゲージに入ると、時折、遠慮がちに、遠くから愚息を見ていたのを思い出した。愚息が、打ち終わってゲージから出ると、その30歳前ぐらいの人が今度は入れ替わって入り、なにやら、ぶつぶつ言いながら、打っていた。バットが外を回っていたが、軸がぶれずに、比較的奇麗にスイングしていた。愚息を見ている時の独り言と、ゲージに入ってからの独り言、昔を懐かしんでいるようであった。また、自分が、夢を叶えられなかった事を愚息に託し、お前は夢を掴めよとエールを送っているようでもあった。ゲージの入り際に「子供が、打っているのに、大人が打てなくちゃね。」「ぼく、プロに行ったら、おじさんにサイン頂戴ね。」と冗談を言っていた。ゲージから出ると、「ぼく、いつも頑張っているから、これ上げるよ。」とマリナースの転写シールを愚息に差し出した。「グリップエンドに張っておくと目立っていいよ。」と優しく言った。話しを聞くと、その人は、愚息と同じリトルリーグ出身の先輩であった。再び愚息がゲージに入ると、その人が、改善点を指摘してくれた。親の言う事は中々聞けなくても、他人の客観的な指摘には耳を傾け熱心にフォームチェックを行っていた。今日も最後の一人になっていた。お礼を言う間もなく、その人は、いなくなっていた。帰りに明林堂に寄って、週末から行われる、全日本選手権のスタミナ配分に関する良い情報はないかとスタミナ、コンディショニングの本を探した。ダブルヘッダが多い今回の大会である。また、雨季と重なり、悪コンディションも予想される。集中力と、スタミナで勝敗が左右するからである。
2002年04月17日 11時29分03秒

  • 2002年4月13日
    全日本選手権前哨戦とも言える、本日の練習試合は勝ち負けというより、各自がグランドコンディション、今迄やってきた事の再確認をする事に重点が置かれ行われた。また、本日は、全日本用の背番号を個々に渡す日でもある。番号の変動がある事は、キリンレモン杯が終わった直後から、選手達に伝えていた。番号が下がる者、上がる者それぞれこれまでの練習を振り返って欲しい。監督からは、この件に関して、再三、子供の心情的な影響を心配して、実行すべきかどうかの相談を受けていた。誤解しないで頂きたいのは、一切、番号に関しては、口を挟んでいない。監督が決めた事で、子供の心情を心配する件に関して、相談を受けたのである。私は、実施に賛成した。全国出場を目指し、子供達も高い目標を持っている。これは、9月にこのチームで戦う事が決まってから、いつも、目標確認してきた事である。私も、子供達を信じて、この結果が、新たな起爆剤になってくれる事を期待している。互いに刺激し合い切磋琢磨して、常に目標を高く持つ事が大事である。しかし、ついこの間まで小学6年生だったのである。ここら辺が難しく、微妙なのである。番号上がった子達は、喜びをあらわにしない。新しい背番号の責任感と、落ちた者への配慮と私は感じた。先週中頃、スタッフミーティングが行われ、いつ渡すかについて討議され、今日背番号が渡されるようにセッティングされていた。それまで、選手達には知らされていなかった。背番号の意味は、各自で考えると良い。意味が見えてくるはずである。新しい背番号を背負っての練習試合になった。結果は、さて置いて、2試合した後、グランドに帰って、守備、打撃の確認を行った。後、本番まで練習日2日である。
2002年04月16日 10時42分07秒

  • 2002年4月11日
    今朝は、夕べ、ザ・ビッグで買ったワッフルにハチミツを塗って朝食を済ます。朝練で素振りはしない、投げる事に集中したいのだと言う。軽くランニングして、ペアストレッチをして、キャッチボールを開始する。今週は、かなり投げ込んでいるので、肩が少々心配だった。いつもは、朝練程度では、アイシングしないのだが、今朝は、終わってから、肩にアイシングを行った。胸を張り、腕を引っ張り上げる事で球威は増す。これを、やろうとして肘より、肩が痛いと言う。今日も学校遅刻ギリギリまで練習していた。アイシングの時間が必要なため、車で学校に送り届けた。会社では、jobの合間をぬって、リトルのHPの更新を行った。年度処理が多く、大量データを扱う為、比較的、待ち時間を利用し易い。仕事の手を抜いている訳ではない。念の為。夜、帰ると、愚息どもは腹を空かせて待っていた。長男は、待ちきれず、北海道カレーラーメンを食べていた。早速、エビフライとアジフライと野菜サラダを作り、食らわせた。偉い!7時30分に支度完了。昨夜は、バッティングセンターから帰ってから夕食の支度をしたため、夕食終了が11時になってしまった。こうなると、翌朝、気持ち悪くて、大事な朝食が食えないのである。そんな訳もあって、今朝はワッフルだったのだが。何だか、話しがループしている。愚息は、睡眠不足と塾の疲れと、満腹感で、食べ終わると直に牛のようにソファーの上で寝息をたてた。この後、バッティングセンターに練習に行くのに、寝顔を見ていると、後で起こさなくてはならない事が非常に辛い。私が愚息なら、ぐずって、絶対に、このまま寝入ってしまう。毛布を掛け、8時30分まで音を発てずに待った。愚息をゆすり、「おい、時間。」「行くぞ!」と言うと、意外にもあっさり、起きて「父さん、ジュース」と来た。心配するほどではなかったようだ。しかし、やっぱり寝ぼけていて、雨のなか、私を待たずに駐車場までフラフラ行った。車に乗ると、やっぱり、ゴロリとなる。バッティングセンターについて、暫く車のエンジンを点けたまま愚息が起きるのを優しく待った。起きないので、結局、叩いて起こした。いつものゲージとその隣りでは、高校生が打っていた。学生が打っていると、燃え上がる愚息は、ミルクティーをズルズル品なくすすりながら、ゲージが空くのを待っていた。次第に素振りを始め、戦闘モードに切り替えていく。周りに人が居ると、対抗意識で燃えて、ガンガンうちまくる、変な愚息。でも、意識する事で、目が覚めて、「オラーっ!」と雄叫びを上げながら行う事ができた。完全に目が覚めたので、140㌔から90㌔に落とし、そして120㌔また140㌔、明後日には結果を出さなければならない。疲れを残しては行けないので9ゲームで終了。途中、ゲーセンで自動車レースを行いリラックスさせた。帰りに、セブンに明日の朝食のパンを買いに立ち寄った。愚息が、本の前で、モジモジしている。「おい!買ってやるよ!」愚息は、「クレヨンシンちゃん」を買い物篭に入れて、上機嫌だった。読書はOK!(マンガだけど)変な、タイガーマスクのフィギア買うより、マシである。家に帰り、一緒に風呂に入り、ヨーグルトを食べ、「クレヨンシンちゃん」を持って床についた。
2002年04月12日 11時02分14秒

  • 2002年4月9日
    6年生になって初めての朝練は、キャッチボールと素振りである。素振りは、鏡でフォームをチェックしながら行った。最近、右手の握りを直してから、バットが、前で勢い良く振れるようになり、一回振る毎に「よし、完璧!」等と発しながら、行なう愚息を見ていると、主体性が出てきたように感じる。これが、大事だと思う。実際に少々難があっても、それは、それで良いと思う。自分が自分で行う事の方が将来において大事だからである。キャッチボールは、現在も模索状態である。先週のリトルの練習で、友達を観察していたのか、「○○君の投げ方。」「次は××君の投げ方。」等と色々試してその度に、暴投するのである。しかし、前足に乗ってからリリースできるようになりつつあり、良い感じである。6年生になり、身体が大分できてきた事もあり、自分で色々自由が効くようなったのだと思う。私は愚息が暴投の度に(T◇T)こんな顔になってしまうが、それでも明るく、練習している、愚息は凄いと思う。私だったら、とうに投げ出しているはずだからである。心の底から、本当に頑張って欲しいと思う。私が、会社から帰宅すると、ちょうど愚息も塾から帰って来ており、家族3人の顔が合った。その時、長男が、母から電話があった事を愚息と私に告げた。夏休みに1週間フィリピンに行こうと言う事だった。私は、「盆は、試合も無いし、練習も休みだから、愚息、フィリピンに遊びに行ってくれば。」と言った。愚息の口から、予想もしなかった言葉が返ってきた。「駄目だよ。」「公式戦まだ先にあるし、父さんと毎日朝練しないと直に調子悪くなるよ。」と本気で言うのである。これには、何も返す言葉が無かった。長男は、「母さんに、帰って来いと言ったんだけど・・・」とその先、暗く塞ぎ込んでしまった。さて、今日はこれからリトルの全日本対策作戦会議がある為、愚息は塾を早退し、私も適当に会社を抜け出ていた。愚息と長男と私で居酒屋「民宿」に出かけた。ここでは、いつも家で料理する事のない、魚料理がたらふく食えるのである。愚息どもは、遠慮の2文字を知らず、食うだけ食ったら、マンガを見たり、適当に遊んで会議が終わるのを待っていた。会議が長いと、勝手にアイスやジュースをオーダーして、最後に寿司までオーダーした。オーナーさん、いつもゴメンなさい。会議が終わって帰りの車の中、二人揃って「父さん、明日の朝食いらんけー。」。
2002年04月10日 17時45分23秒

  • 2002年4月8日
    今日から新学期がスタート。兄は高3、弟は小6である。長男の革靴の踵に穴が空いていたので先日、修理した。年度始めで、踵のある靴を履いてちょっぴりすましていた。出しなに、「おい!今日から3年じゃ!」「記念写真でも撮ろうや。」といった瞬間、逃げ出した長男であった。何とか、玄関で一枚写真を撮った。続いて二男の番。今日から小学最高学年である。クラス換えがありソワソワしている。ちょっぴりおしゃれして、でも野球のアンダーシャツと靴はアップシューズである。「おい、なにそれ!」と私。 「ドン、マイ」と愚息がかわす。「写真撮るから、庭に行け。」ぎこちない作り笑いの愚息。そう言えば、めっきり写真を撮らなくなったな。ビデオに至っては、ここ数年、撮った事がない。偶に写真を撮っても、一人写りのものばかり。家族の写真がないのである。私の写真もなーい。自動シャッターのカメラでも買おうかな。
2002年04月09日 10時29分20秒

  • 2002年4月4日
    昨夜、五日市郵便局に不在配達だったUSDirectSportsから送られてきたバットを取りに行った。今朝は、そのバットで素振りを行わせた。やっと、自分に合ったバットが見つかったと言う愚息だった。表示上18.5oz.だが、これよりは重く感じる。今までは、ルイスビルの18.5oz.か、ローリングスの22oz.のどちらかのバットを使っていたが、両方ともシックリしていなかった。18.5oz.プラティナは、既にベコベコで、当っても、球の勢いに負けて飛ばない感じを受ける。22.0oz.は、試合で使うには、未だ早すぎた感じだ。夜は、昨夜に続き、五日市バッティングセンターに行った。安芸リーグのO君を意識しているようだ。どうしたら、あのように打てるのだろうと考える様子が伺える。グリップを1cm短く持ち、右手の手首を背屈させる。そのようにする事で、自然と右脇が締まる。後は、右肩が上がらないように、右肩の上から、球を見下ろす感じで球を待つ事を行っている。右脇が締まり、見下ろせれば、左は下がらず奇麗に振りぬく事ができる。1cm短く持つ理由は、今迄は、グリップエンドに小指が掛かってしまい、こうなる事で、右手首が寝てしまっていた為、グリップエンドに掛からないようにしたのだ。バットを換えたのが良かったのかフォームの矯正が良かったのか、耳から離れず、奇麗にスイングできた。打球も以前に比べ伸びがある。後は、突っ込まなければ、もっと球が良く見え、そうするとより確実にヒットするのに、これまた中々判ってくれない。もう少しのところまで来ているよ。この感じを忘れずにね。今日は、6ゲームで終わり。
2002年04月05日 13時43分23秒

  • 2002年4月2日
    火曜日だけど、朝練中止した。今朝は、新しいチャリでサイクリングに行くと言う。たまには、気分転換も良いではないか。朝キチンと出発するのを見届けていたら、30分遅刻してしまった。昼ご飯は、サンリブでオアシスランチを食べるよう指定した。安くてバランス良いからである。兄弟に2000円渡し、2時に帰宅するよう命じた。家に帰ると不在配達通知が届いていた。送り主はUSのDirect Sportsだった。3月28日にインターネットで注文したバットが土日を挟んだ3稼働日で、もう到着していた。今愚息が使っている、ルイスビルのプラティナC555は半年でベコベコになっていた。確かワランティー1年だけど、買った先がこれまたUSだし、送料負担して送り返しても新しいのが来るのか判らないので、また買ってしまったのだ。今日は窓口では、受け取れないので、明日、愚息を連れて、バティングセンターに行くついでに取りに行こうと思う。ダイレクトスポーツ!お勧めです。URLはhttp://www.directsports.com/購入の際は、クレジットカードの発行機関(銀行)の住所と電話番号をコメント欄に英語で記入し、Global Express Mailか、Airmail Parcel Postか、Economy Parcel Postのどれかで郵送してくれと指定すれば、良いです。他のサイトでは、カード発行機関の電話や住所は一般的に必要ないけれど、ここは、信用第一にしているため、ちょっとまどろっこしいですが、リピートオーダーは、スムーズです。ベースボールエクスプレスや3&2コムなどに比べると、かなり安いはずです。なんか宣伝になってしまいましたが・・・
2002年04月03日 17時46分09秒

  • 2002年4月1日
    昨日のキリンレモンカップは結局ベスト4どまりだった。愚息はまたしてもデッドボールを受けた。愚息は安芸リーグ戦には、デッドボール以外での出塁は、このところない。一昨日の事件のバチがあたったんだよ。それにしても今朝の愚息の足は輪っか状に腫れていた。もうデッドボールは、慣れっ子だし、学校も春休みでないので、モーラスを張って、アイシングして、その後、ほっといた。風邪が治らず、絶不調でふらふらするが、年度始めで、休む訳にも行かず、出勤した。嫌々、HPを更新した後、仕事を開始した。最近会社での夕方は、静かである。愚息から電話が掛かってこないのである。塾に目覚めた?愚息は、春季講習に出ているからだ。チョット寂しい気持ちもして、また、大変な時代だなと愚息を気の毒にも思う。そして春休みは、どこにも出かけていない。家に帰ると、兄弟揃って待っていた。「明日、チャリで二人で出かけたいんだけど・・」と長男が切り出す。「でも、一台自転車パンクしているじゃん。」と私。時計を見ると午後7時50分である。「あれ、ディック何時までだっけ?」「8時半までかな?」「父さん、タイヤ直しに行こうよ。」と愚息。錆だらけの安物中国製の自転車を修理して、サイクリングに行くんだという愚息と、長男に何もしてやれない駄目オヤジ、このままで良いのかと自問自答した。「おい、いくぞ!」「早く車乗れ。」「あれ、チャリ積まないの」愚息が聞いた。「タイヤとチューブがあれば、家で直せるよ。」私は、この時、新車を買う事を心に決めていたが、愚息には言わなかった。ディック五日市店に着いたのは、8時7分。営業時間は8時までだった。外の灯りは消えていたが、店内はまだ明るかったので、1mほど締まらずに開いていた門を強引に入り、店員に、買うもの決まっていますから、お願いしますと告げた。店員は、親切に応対してくれた。愚息は、私より先に店員に「マウンテンバイクのタイヤとチューブありますか?」と切り出していた。私は、愚息を無視して、高いところに飾られていた、以前から、愚息の第一希望のマウンテンバイクを指差して、「あれ下さい。」と告げた。愚息は、じっとしていられず、意味もなくあちこちの自転車にまたがって、その自転車のセットアップを待っていた。「父さんどうして、買ってくれたん?」どうして、どうしてと何度も聞く愚息。「父さんの気持ちが知りたい。」と何度も聞く。「春休み、何にもいい事ないじゃないか。」愚息は、春休みに、母親と会えるはずだったが、夏休みになったと愚息から聞いていた私は、自転車ぐらい何とかしてやろうと思ったのだ。これで、明日、兄ちゃんとサイクリング行けるね。「調子に乗ってけがするなよ、愚息。」
2002年04月02日 13時26分16秒

  • 2002年3月30日
    明日はリトルの準決勝、どこまで行けるか分からないが、とりあえず打たなければ、勝ちはないので、打撃練習を中心に行った。練習が終わって解散した後、仕上げに五日市バッティングセンターに行って練習した。違うブロックのやはり準決勝の佐伯リーグの選手も練習で来ており、決勝で合う約束をした。明朝は5時に家を出なければならない為、早々バッティングセンターを後にした。帰りの車中 愚息が何やら、もじもじしているので、「どうしたん。」と聞くと「父さん、怒らんでよ。」「・・・」「マツバランドに注文した玩具が・・・」平日、春休みで暇な愚息は、テレビ番組で見た最新の玩具を勝手に玩具やに電話注文していたのである。「お前が勝手に注文したんだろ。父さん絶対に買わんよ。」暫く沈黙の後、今度は、「父さん、ディックに行こうや。」。私は愚息の下心が判っていた。2年前、買い与えたマウンテンバイクのタイヤが擦り切れて内側の白いゴムがむき出しになりついに最近パンクしていたのである。また、見てくれは良いが1万円チョットで買った中国製の安物のため、重たく扱ぎにくく、すぐに錆びて悲惨な代物だった。最近リトルの練習で、自転車部隊がおり、かなりかっこ良いのに乗ってくるのである。それを愚息は羨んでいたのである。私も、自転車直してやれば良かったが、愚息は私のマウンテンバイクを使っているので、良いだろうと思いそのまま、愚息の自転車を放置しておいた。ディック五日市店には、以前から愚息が羨望していた自転車が一段高い所に飾られていた。未だ売れていないのにホットした表情だった。しかし、2番手候補は売れてしまっていた。「明日、2ベース打ったら、買ってやるよ。」「父さん、そうやっていつもプレッシャーかけるから打てなくなるんだよ。」「アホ、プロの世界は厳しいんじゃ。」等とたわけた事を言いながら、何もかわずディック五日市店を後にした。車中「今日は、夕飯ギョウザじゃ。何個食う。」「12個食う。」「絶対食えよ。特大ギョウザじゃ。」家に着いて愚息のギョウザを作り終え、私の分を作っている時、ほっとした愚息が「今日、○○君のブラックミズノカッコ良かったね。」「新しいグローブ、わしも欲しいな。」「明日、大西スポーツに注文して・・・」「お前な、いくつグローブ持ってんだよ。最近ローリングス使ってないじゃないか。」「あれ、グローブ上手く開かないし、ドロース塗り過ぎて、手のひらべとべとするし・・」と続けた。そのうち、ああ言えば、こう言う状態になってきて、疲れていた私は、次第に眉間がぴくぴくしてくる。今日は長男が、甲子園に野球の応援に行っている為、レフリー役がいない。ついに、二人で、自分の都合の良い事をぶちまけあっていた。「自分勝手な事ばっかり言うなら出て行け。」「出て行くー。」私は、愚息にギョウザ一切れを投げつけていた。居間に置いてあったヒーローものの玩具を全部ゴミ袋につめ、庭に放りだした。明日、大事な試合なのに、何て事をしたのだとおもっても後の祭り。まさか、本当に出て行くとは思わなかった。家の灯りを消して、寝たふりをして、カーテンの陰から、愚息の帰りを待っていた。私の自転車がなくなっていたので自転車で出ていった事が分かった。午後11時を過ぎても帰って来ない。仕方なく、車で団地内を探しに行く事にした。ヤマザキの自動販売機の灯りの側で愚息を発見し、「3分以内に帰って来なかったら、もう、本当に知らないからな!」と言い残し、私は先に家に帰った。ちょうど3分経ったころパジャマ一枚にアップシューズ姿の愚息が自転車に乗って帰ってきた。「謝まらなければ、家に入れない。」謝らないのである。もう、なにが何だか判らなくなっており、二人とも意地の張り合いになっていた。私は、先に家に入り、鍵をしめ、家の灯りを消して外の様子を伺った。何と愚息は、また脱走した。1時間経っても帰って来る気配がない為、今度は歩いて、公園を中心に探しに行った。公園では15、6歳ぐらいの若者が5、6人暗闇の中で宴を開いていた。その中に愚息の姿を発見した。愚息は、私を見るやいなや、逃走した。ヤンキー達と一緒に居た事と、逃走した事でさらに逆上し、深夜の近所迷惑も含め、私は110番通報をした。「お前ら、いい加減に帰れ!警察来るぞ!」兄ちゃん達は、几帳面に、「片付けて帰りますから。」と言い、渋々その場を後にした。遠巻きに彼らを見ると、恐ろしく感じたが、近くで一人一人に、声を掛けると、普通と変わらぬ、少年達だった。「僕たち、親に許可とってますから・・・」おいおい、子供達だけで、キャンプ場じゃあるまいし、夜明かしは、いけないよ。まして、飲食物以外、何も持っていない。深夜の若者の笑い声は、近所迷惑である。彼らを、追い返す前に子供を探しに来ているお母さんと見られる人が、赤いシャツの子に説教をしていた。「なんで帰ってこないの、どれだけ心配掛ければ気がすむの。」と言った所がその内容だった。兄ちゃんたちを追い返し、家に帰ると、近所の主婦に連れられて、愚息が立っていた。主婦は、早く謝りなさいと愚息をせかした。愚息は、警察が来ると思って、怖くなり、普段親しくしてくれる、酒ショップのおばさんの家に逃げ込んでいた。パジャマ1枚だったので、上着を借りて、泣きながら立っていた。一生懸命、愚息を宥めるおばさん、本当にありがとうございました。しかし、私は、愚息をゆるすことなく、膠着状態が暫く続いた。そのうち、長男が、甲子園から、深夜バスで帰って来た。事態を把握していない長男は「父さん、今日、中東の先制ツーランで勝ったよ。」とノー天気に話しかけてきた。しかし、私は3人をその場に残し、一人で家に入った。暫くして長男が入ってきて「どうしたん?」と聞くので、「いつものあれだよ。今日は、ぶち切れたからな。明日4時半起きなのに、このざまだよ。」「もう、あいつとは、話ししたくない。」「すまないけど、おばさんに謝って、連れて帰って来て。」「坊主にしたら、許してやると言っておいて。」長男は長旅で疲れて家に帰ったら、荒れているので、元気なく「わかった」とだけ返事して愚息を連れ戻しに行った。深夜、1時を過ぎている。風呂場で兄が、弟の頭を、丸めていた。そのうち、笑い声が聞こえて来たので安心した。ホッとした。愚息は、私に顔を合わせる事なく、先に寝室に上がった。愚息が寝入った頃を見計らって私も寝室に上がった。後2時間しか寝れない。昨日から、風気味の私は、明日の大事な試合に無事行けるよう祈った。
2002年04月01日 12時28分09秒

  • 2002年3月24日
    昨夜10時に全ての準備を終え就寝。午前1時に目が覚める。その後、午前3時まで、うとうとしていた。「ええぃ起きてしまえ。」愚息を起こさないように居間に降りて、掃除でもして暇をつぶした。グランドに到着したのは、6時10分。遅刻である。コーチは6時前にグランドの開門をしなければならなかった。愚息をギリギリまで寝かしてやったのが、敗因だ。慌てて鍵を開け、ティーボール4個所、ピッチングマシーンのセットアップを行って、ランニング、ティーの後、一人25球ずつ、バッティング練習させた。7時20分に南原野球場に向けて出発。南原グランドにティーネットを設営し、アップを行った。アップメニューは、前日より、考えており、予定通り行えた。ランニング、ダイナミック・スタティックストレッチ、サーキット、ダッシュ、これらを効率良く行い身体を起こさなければならない。殆ど、私の自己満足かも知れないが、コンディショニングは、試合を左右する重要なものと考えている。さて、試合は、第一試合北戦、予想通り、相手はエースを当てて来た。2点先制され、苦しい立ち上がりになった。ところが、おりからの、強風が、味方したのか、相手の守備が乱れ始めると、ポンポンと点が入り、終わってみれば、5回コールド勝ちを収めていた。昼飯を食い、各自に時間調整を任す。ところが、やっぱり子供、砂場で遊んでいる選手がちらほら。ついに監督からお咎めが選手に向けられた。私は、小フライを上げ、ダイレクトまたは、ショーバンで捕球する練習を外野手を集めて行った。強風で打った球は、詰まり、捕球後の送球は、伸びるのである。「おい!風を読め!」と怒鳴りながら行った。第二試合のコールがあり、選手集合。情報の少ない笠岡との試合だ。今期、初顔合わせである。先制は、笠岡だった。その裏、追いつき、逆転し、最終回に同点にされる。そのうら、3塁まで進めるが、生還できず、延長戦に突入した。表に、ショートのイレギュラーバウンドで、相手にまた、1点リードされた。悲痛な声が西応援席から、そして、歓喜が3塁側笠岡応援席から上がった。漸くチェンジになり、監督は選手を集め、「未だ負けた訳じゃないじゃないか。」「後2点とるぞ!」気合を入れた。しかし、先頭打者、敢え無くアウト。ワンナウト走者無し。続いて次の打者、ボテボテの内野ゴロ、しかし、安心したのか、緊張したのか、相手ファーストのミットからは、ボールがポロり、後逸してしまった。完全アウトのタイミングが、思わぬチャンスに繋がり、デッドラインを超えた為、2ベースとなった。延長7回ワンナウト2塁1点のビハインド。ここで続く選手が犠牲フライで2アウト3塁になった。この後、ヒットで4対4の同点に追いつき、こうなれば、奇跡が起きると信じた。続く3番打者は、センターオーバーを放ち、逆転サヨナラで幕は下りた。この試合、ベンチ、応援席、選手、みんなが、一つになって相手と戦っていた。こんなムードは、このチーム始まって以来の事だった。選手達にありがとう、おめでとうの言葉を贈った。グランドに帰り、解散後、愚息からの進言。「父さん、練習したい。」「バッティングセンター、連れてって。」愚息は、今日、内野ゴロと三振に倒れていた。2エンド2からのカーブにやられたのが、気に入らず、どうしても練習したかったという。私も疲れてはいたが、付き合う事にした。もう1ゲーム、もう1ゲームとやっているうちに、8ゲーム、残りの回数券全部使い切ってしまった。帰りの車中熟睡の愚息を家に着いて起こし、ブタシャブとジュースで今日のカンパイをした。
2002年03月26日 18時53分02秒

  • 2002年3月21日
    朝どんよりとした曇り空、愚息を積んでファミリーマートで軽く食事を済まし、西グランドへ向かった。西バイに乗った途端、大粒の雨粒がフロントガラスで弾け出す。何てこったと思いつつ、8時15分にグランドに到着。グランドの鍵を開け中に入ったが既にグランドには水が浮いている。これでは、だめだな。ヒーターを入れ、愚息とリクライニングを倒し、諦めて横たわる。事務局から連絡が入り、一度集まることになった。クラブハウスの前のテントで、監督が選手を集め、キリンレモン杯の作戦を子供達に伝えた。それと自己管理についての話しがあった。これで、解散。しかし、その後愚息と私は、早めに撤収しその場を後にした。雨とは言え、練習を休む訳には行かない。10時に五日市バッティングセンターに入っていた。幸いに朝一で人が少なく、ゲージを独占する事が出来た。仕上げのつもりで行わせた。昼になり、楽々園のマダムジョイのピーターにたこ焼きを食いに出かけた。たこ焼き屋、近所にも沢山在るが、味といいコストパフォーマンスといい、我が家では、ここが一番なのである。ちなみに、ラーメンは平田ラーメンである。450円で腹を膨らまし、夕食のお買い物もついでに済ませた。親子で野球の練習着での買い物。奇異な目で私達を見るが、もう馴れたっつうか、何て事はない。帰りの車中、やっぱり野球の話しになり、それじゃ、もう一度行こうという事でまた、バッティングセンターに行った。疲れてヘッドが回らなくなってきていた。しかし、「おい、佐伯が来ているぞ!」「河内(昔いた軟式のチームメイト)が来ているぞ!」と、ゲージの裏から、声を掛けると、意識してか、うなりごえと共に、フルスイングするのである。お金も心細くなってきたので、今度こそ帰宅する事にした。天候は回復して道路が乾きはじめていた。「最近遊びいってないね。」愚息が言った。時間も中途半端なので、「じゃ、ポパイでビデオ借りよう。」ということになり、パールハーバー、タイガーマスク、その他3本借りた。帰り際、愚息が、バッティングセンターに練習帽を忘れた事に気が付いた。「父さん、帽子わすれたよ。」「しゃーないな、じゃ、また行くか。」結局、今日3回目のバッティングセンター行きになった。いつも、バッティングセンター近辺をうろうろしている変な親子。車の横座席に座る刈り上げ頭の愚息。じっとフロントガラスの向うを見ている。本当は、どこか、違う所に遊びに行きたかったに違いない。でも、もう陽は傾きだしている。家に着いて、「おい、バイク乗るか?」「やったー。」私のヘルメットを愚息にかぶらせ、私はノーヘルで原付DT50で団地内を暴走した。「もう、怖くないよ。なれちゃったもん。」この後、エンジンのかけ方、ギアチェンジ等を教えてやった。「今度、山に乗りに行こうね。」私は、返事が出来なかった。
2002年03月22日 18時02分53秒

  • 2002年3月19日
    最近めっきり日が延びて、朝練しやすくなってきた。先週は、愚息のデッドボールで思うように練習できていなかった。今週は、今日から、朝練スタート。今朝は、何だかすがすがしいので、ちょっと朝食から贅沢なメニュー。ハムトースト、サラダ、目玉焼き、ミルクティー、デザートのプリン等をたらふく食べさせた。口をもぐもぐさせながら、朝練に追い立てた。最近は木製ローリングスでシャトルティーをしている。重さは、いつも試合で使うのより、やや重目で、太さはやや細い。これで、ジャストミートさせる練習をしている。トレーニングには、荷重負荷の原則があり、一つが出来るようになったら、ほんの少しだけ、負荷を与え、それに馴れるようにする事を言う。どこかのチームが高校生のバットを長く持って練習試合で使っていたが、何の為に、そんな事をするのか、理解に苦しんだ。それにしても、指導者は、何か思い入れが有って行わせているのだろうと思うと、また、指導方法には、これが正解だというのがないので、とやかく言う筋合いのものではないのだが。試合で結果が出た時、初めて評価できるのだと思う。さてさて、それに、マンネリ化が良くない、絶えず、何か新しいものを取り入れないと、集中や、運動中に思考が行われない。それを、克服して、自然と出来るようにさせるのが、指導のコツかな。等などと判っちゃいるのだが、実際に何をさせようかとなると、かなり辛いものがある。荷重負荷とは、単に重さの事を言っているのではなくて、何かさらにステップアップさせる事を言う。つまり、愚息の場合、ちょっと重くて、ちょっと細いのがこれに該当する。先週の練習で、開いて打ってしまっていたので、これの修正をシャドウで行った。スイングしてへそが正面を向いていても、バットヘッドがまだ、返っていなかったので、その事を告げて、シャドウを行った。暫くしてシャトルティーを行った。駐車場の石垣までは、以前あまり飛ばなかったが、最近よく石垣に当てる。試合でもカッ飛ばしてくれると嬉しいのだが。続いてキャッチボールを行った。肩を回す事を最近意識させている。肩を入れる事で、リリースが前に来る。肩を回し易くする為に、左手グローブをわざと、脇に抱えこまさず、左手が後ろに廻るまでインスパイラルで勢いよく振り下ろさせる練習をしている。所謂、伊良部投げを行わせているのである。これ、愚息には、凄く合った良い方法だと思う。これをする事で、球が、スーと伸びてくる。この調子で練習して欲しい。欠点は、ピッチャー返しのライナーに対応できないので、今後の課題になると思うが、とりあえず今は、このままでよし。今晩は、リトルの集まりが有る為、バッティングセンターには行けないと思う。愚息の夕飯は、カップ麺かな。まー腹が減ったらとりあえず、何でもよいから、腹一杯食え。
2002年03月19日 14時31分03秒

  • 2002年3月17日
    来週から公式戦が始まる。今日は、外野ネット(61m)を張って、シートノック、ゲームノックを行った。クッションボールの練習である。これやっとかないと、ぶつけ本番では、精神的に負い目になる。それと、マシンと投手を置いて、交互にフリー打撃練習を行った。今年は、外野ネットを飛び越えさらにグランドのフェンスオーバーが多い。既にだいぶ保険会社のお世話になっている。嬉しいやら、肩身が狭いやら。さて、愚息は85マイルが上手く打てない。身体が開いてしまい、ヘッドが回らない。硬球は、芯で捉えないと、手がしびれてしまって、手に力が入らなくなるのである。その結果、気負いしてバットが中々出せないのである。そうなると、またチップして、手がしびれる。悪循環である。全く、見ていられなかった。帰りに、今日の不出来の修正をしなくてはと、バッティングセンターに連れて行く事にした。「父さん、待って、何か食わせて。」しかたなしに、セブンでアメリカンドッグとピザマン食べて、バッティングセンターに行った。身体が痛いと言いながら、結局9時の閉店まで行った。閉店して、暫くしてライトが全部消えてからも、車のヘッドライトで照らして、素振りを行わせた。練習中に、上手く行かず、いらいらして、ついに愚息は、悪態をついてしまった。疲労で10回振るたびに両膝に手をついてしまう愚息。素振りを終えて、帰り際、「父さんごめんね。」と素直な愚息に戻っていた。内心、愚息が、倒れるのではないかと、心配だった。明日学校行けるのかな。
2002年03月19日 14時24分31秒

  • 2002年3月13日
    日曜日にデッドボールで月曜日、病院に連れて行き、安静にせよと医者に言われ、月火曜日と体育も練習も中止していた。夜になり待ってましたとばかり、バッティングセンターに行く。夜9時間際、人も大分減った頃、ヤンキー中坊二人、ゲージの後ろで、目立っていた。そのうち、学ランのポケットからタバコを取り出し、ゴミを灰皿に捨てるでもなし、足をデーンと投げ出し、喫煙を始めた。茶髪で如何にもといった二人組み。プッチン切れた私は、奴等の火のついたタバコを拳固で握り潰し、むなぐら掴んで、数発お見舞いしていた。「お前ら、親は不良にする為に育てたんかい。」「学ランで喫煙とは、何事か」バッティングセンターから、二人を引きづり出し、両手で二人の首根っこをひっ捕まえて、近くの五日市派出所まで連行した。「中坊、喫煙、後宜しく!」とだけ警察官に伝え、交番を後にした。御巡りさん目が点でした。愚息がビビッて後から付いて来ていた。ゴメンね。恐い思いをさせて。でも、あいつら許せなかったんだよ。親の気持ち子知らずだよね。競争社会で落ちこぼれ、虚勢を張る事しか出来ない少年達、ある意味、社会の犠牲者かも知れない。悪い大人達だらけだもん。更正しろよ!
2002年03月15日 15時21分33秒

  • 2002年3月10日
    四国戦2日目、昨日代打で一度打席に立ったものの、内角を抉るカーブの餌食になり出塁する事が出来なかった愚息。気落ちしては、いたものの、今日は絶対に出塁してやると、自分の出番がいつかと、ピンとアンテナを張っているかのようだった。キャッチボールも右肩を見下ろすような、フィニッシュで行っていた。言われた通りに、前方でリリースするように、気を着けて、再確認しながら行っていた。これまでの出来が良くなかったので、打順6番レフトで出場した。前回1番から、6番に下げられていた。これは、先頭打者として結果が出ていない以上当然の事である。それでも出れる嬉しさと、やってやるぞ、自信あるぞという表情が、3塁コーチの私に遠くの愚息からその気持ちが伝わってきた。ツーストライクと追い込まれ、私は、カットしろと愚息に言い、愚息はカットし続けた。さらに3球カットの後、甘い球、外角真中をセンターレフト間にツーベースヒットを打つ事が出来た。先に出塁していた2人を生還させ、打点2となった。心臓が破裂しそうで、神様にいのる気持ちだった。嬉しくて、2塁上の愚息とアイコンタクトした。続いて2打席め、これも積極的に打って出た。センター前シングルヒット、やっと、調子が出てきていた。打席に立つ愚息に対し、相手ベンチから「この打者上手いぞ、外野気を着けろ。」の指示が飛んでいた。チョット天狗気味の私。でも、この一週間、我子ながら、本当に一生懸命やったと思う。手のひら、タコでガチガチである。バッティンググラブも500円大の穴が空いている。結果が出なければ、可哀相に思ってしまう。3試合目、愚息は、今度は打順を3番に上げてきた。相手チームのマークが厳しい。ツースリーから、打ちに行った愚息に、右大腿部にデッドボール。愚息は、バッターボックスで転げまわっていた。「おーい、代走出そうかー。」その声に、そそのかされ、痛みを堪えて、1塁に、そして2塁に進塁した。2塁残塁でこの後雨のため、2回試合不成立となった。後を片付け、四国チームに別れを告げ、西グランドに戻った。帰りに、バッティングセンターに行くつもりだった。しかし、車の中で、愚息の足を触ってみると、大きく膨らんで内出血をしていた。慌てて車を止め、ズボンを脱がせ、シップを貼った。これでは、バッティングセンターどころではない。そのまま帰り、今日の活躍を長男に告げるため、帰宅した。愚息も私も、道具も何もかも雨と泥でグシャグシャになっていた。夕食作る気力もなく、ユニホームを洗濯し、私は風呂に入っていると、愚息が、汚れたスパイクを風呂場に持ってきた。「スパイク洗って。ヘッチンとグローブ、バットは拭いたから。」「今日は良かったね。」と私は答えた。インスタント食品を食べ、愚息はバットを寝室に持って上がった。私、愚息、バットと川の字で寝た。
2002年03月12日 14時01分20秒

  • 2002年3月9日
    四国戦の朝、今朝は6時に起床。食事は、コンビニでアメリカンドックとあん饅頭を食べ、その後西グランドに入る。試合場所が竜王公園のため、また、選手を引き連れて、走って行くことにする。今回は、前回佐伯戦の時の走りとは主旨を変え、完全なタイムトライアルにした。高低さ約200m距離3.5㌔を試合前に走らすのである。前回これで佐伯に勝っているので選手達は、不安がる者はない。私は子供達と一緒に走った。最後尾の子は、前と同じ、しかし一度も歩く事なくゴールした。トップと10分差だった。愚息は、何と4着でゴールしていた。グランド設営が終わり、ノック練習中に四国の選手たちが、バスに分乗し到着した。代表が挨拶しにやってきた。うちは、高校生用の900グラムのバットを振らせているので、どうのこうのと続けた。西はこれまで四国勢にかなり部が悪かったため、完全に格下に見られていた。イニシアティブをとらんとばかりの、その話しに耳を傾けるのが我々指導者には、精一杯だった。今日は、2試合、絶対に負けてなる物かと選手達を集め、互いに手を握らせ、一致団結するよう話しをさせた。試合が終わってみれば、うちの圧勝だった。自分で言うのは何だが、子供達が素晴らしい、指導者も、監督を始め、非常に調和良く揃っているのである。これまでとは、違うよ。指導方法にはこれが正しいという正解はない。しかし、何事もバランス、調和である。上手く言葉に表せないが、いま、リーグは調和が取れているから、結果が出るのではないかなと最近思う。
2002年03月12日 12時39分03秒

  • 2002年3月8日
    明日は、四国と試合がある。明日どのバットを使うか、未だ決め兼ねている。愚息は、長打に拘っているので、重たいローリングスをどうしても、手放せない。重く振りにくいというのが本音らしいが、チームで一番軽いルイスビル・プラティナを使って、果たしてメジャークラスの球を打ち返す事が出来るだろうかという不安を持っているのも事実らしい。バッティングセンターでは、この日、プラティナで良い音を響かせていた。私は、これまでを振り返り、明日、これで行くように奨めた。
2002年03月12日 11時07分32秒

  • 2002年3月7日
    今日もバッティングセンター行った。会社から帰ると、愚息の姿がない。あれ、6時半なのにどこに行ったのかな?声を掛けても返事無し。寝室に上がってみると、枕と足あべこべの方向で寝てました。「おいっ起きろ!」というと、「わし、今日学校でも、ズーッと頭痛くて、寝ていたん。」と言いながら、散らばった靴下を探しながら、起床。顔が、やや紅い。大丈夫かなと思いながら、行くかと聞くと、コクリとうなずく。いや、このまま連れてっても打てやしないなと思い、熱いレモネードをゆっくり飲ませた。暫く経って出発。「父さん、車、あまりゆらさんといて。目が廻る。」無視して出発。到着後、グランドコートを着たまま、素振り開始。それでもボーッとしている。しょうがない、奥の手だ。バッティングセンターの中に小さなゲーム場が在り、そこの対戦型カーレースに誘った。実はこれ、過去の戦績1勝十数敗なのである。これだけは、愚息に勝てないのである。今日は、あいつは、絶不調だから、絶対に勝ってやるぞと、あおって、いざ勝負。やつは、なめてディーゼルエンジンを選びやがった。もちろん上級者コースである。終始私がリードするが、最後の最後でいつも逆転するのである。ドライビングテクニックは私がいつもAか、ダブルA、愚息はいつもB、でもやつの方が速いのである。憎たらしい事に、自分がゴールすると、私を待たずに、さっさと座席から降りてスタスタ、ゲージの方に行ってしまう。追いついて、顔を覗き込むと、いたずらっぽい顔でニンマリするのである。作戦成功。やつは元気だ。ゲージに入り、5枚行った。最後はティーシャツ1枚になっていた。
2002年03月08日 13時09分13秒

  • 2002年3月6日
    今週は、日月火水と連続でバッティングセンター通い。ヒィー、お金が幾ら有っても足りないよ。この金、使わなければ、もっと美味い物くえるのになー。クソー、まーいいか、愚息が行こうって言うから、毎日来ているんだし。先週の試合で、1打席で代えられたのが相当ショックだったのか、上から、耳から離れない練習をぶつぶつ独り言を言いながら練習していた。昨日のバッティングセンターからの帰り際、最後の1ゲームに、何の事はない、○○選手の真似と言いながら、行なったバッティングが、凄く良かった。私は思わず「これだよ!」とネット裏から声を掛けた。飛距離も十分出ていた。マイナーリーグの時は長打を打っていたのに、メジャーに上がってから、てんでパッとしない愚息。何だか、暗いトンネルから抜け出たような思いがして、とても嬉しかった。最後のコインなのでもうこれ以上できなかった。忘れるなよと祈る思いで帰ったのが昨日で、今朝は、ひさしぶりに、朝練でシャトルティーを行った。昨日の振りを確認するためか、愚息は、先に走って、シャドウの鏡の前に行ってしまった。私は後から、道具を持って追いかけた。今朝は、いつもと違っていた。全体的に、飛距離が2mぐらい飛んでいる。風の影響ではない。駐車場の後ろの石垣にまでシャトルが飛んでそこの溝にシャトルが溜まった。今までは50回打って石垣にまで飛ぶのが有っても1、2個だった。何だか嬉しくてしょうがない。またまた、遅くなり、学校まで、愚息を自動車で送る結果となった。夕方、愚息からの電話、自信が有るのか、はずんだ声で、「父さんバッティングセンター行こう。早く帰ってきて。」と会議中の私を急かした。今日は5枚(150球)と思っていたが、結局、12枚も行ってしまった。やっているうちに、色々、考える所が有るのだろう。もう一枚、もう一枚と回数券をコインに変えて行く愚息。受付のカーテンが閉まっても、戸を叩いて、中に入り、回数券をコインに変えた。こういうところは、中々、太っ腹というか、自己中というか、他人の迷惑省みないというか、中々宜しい。目的のためなら、とりあえず行動してしまう。おじさんが中から出てきて愚息に「大変だねー。」と優しい声を掛けた。イエイエ大変なのは、私です。
2002年03月07日 17時06分02秒

  • 2002年3月3日
    今日はJT広島グランドで安芸リーグと練習試合。昨日から、車にグランド設営用鉄杭14本、外野ネット2巻き、ハンマー、ベース、バット立て等など積み込んでおり、シャコタン状態で西グランドに集合した。欠席は・・・1名。ようやく、選手も揃ってきた。しかし、休み勝ちの選手の事、ちょっと気になる。車に分乗してJT広島グランドに出動。本日朝、監督不在、事務局不在、何もなければ良いがと少々不安、しかし、ここは一つピシッとしなければと少々頭の回転アップ。本日の作戦・・・無し。無しが作戦。個々が自由に考えてやる事。つまりノーサイン。バッテリーに関しても、相手3、4、5の情報は伝えたものの、どこに投げたら打たれるか、試して来いというのが、司令。各自が、自分の打席で何をしなければならないか、これも自由。最近、リーグ内の個人成績を口に出している私。選手たちも、小耳に挟んでいる。そんな事を意識してしまったのか、蓋を開けてみれば、大振りのオンパレード。チーム打撃が出来ていない。今期発の0点。皆、自分のことばかり意識したプレーになってしまった。打順や、出塁を考えず、とにかく皆が、ホームランバッターになっていた。結果、1、2塁に出塁するものの、ホームに生還できない。チャンスが来ても2アウトから。ピッチングも予定通り、相手主軸に特大ホームランを浴びる。成果ありとするか、全く打てねーなとするかは、ほんの僅かな切っ掛けによる。子供らにしてみれば、皆、自信を持って振って来いと言われ、皆がホームランや、外野オーバーを狙ったはずだ。しかし、結果は如何だ。全く打てなかったではないか。自分という影にチームを忘れてはいないか。先頭バッターは、何をするか、3、4番の仕事は何か、5、6は、何をするか、出塁したランナーを生還するにはどうすれば良いか。そんな事より、皆、自分だった。練習試合と言え、試合、点取りゲームである。なんの為の打順なのでしょう。成果ありとするためには、今日の自分に足りなかった所を各自考えて欲しい。ピッチング、何故打たれたのかな。緩急より、コースでしょと言った選手がいた。確かに、甘いコースに入って打たれてしまった。だけど、考えてごらん。コースをつくのは、プロの選手でも難しいよ。一本調子では、何れ打たれるよ。緩=カーブじゃないよ。コースコントロールは難しく、行き先は球に聞いてくれて感じだけど、緩急は自分で制御できるじゃないか。コースコントロールは、大前提。しかし、これが確実じゃないから、緩急工夫する必要があるじゃないかな。回を重ねる毎に、バットに当って来ただろう。一つ一つの結果には、必ず原因があるんだよ。本番に強い子。幾ら練習しても、結果を出せない子、練習の練習は、必要無いよ。いつも、場面を想定して行わなければね。君たちが、いつも練習しているのが、野球じゃ無いんだ。試合が野球なんだよ。だから、いつも野球の練習をしてくれ。
    来週迄に、何人今日の結果を振り返られるだろうか。
2002年03月05日 13時36分49秒

  • 2002年2月27日
    最近の朝練は、シャトルティーを行っていない。朝は、もっぱら、キャッチボール。今日も時間が押してしまい、慌てて愚息を学校に送り届けた。愚息が、「父さん、家、大変な事になっているよ。」と言っていたので、気持ちを押さえて家の中に入ってみると、メイちゃん、やってくれました。シャトルティー用のシャトル1箱(約30個)全て噛み砕いて居間に散乱しており、とどめは、じゅうたんにウンチまで・・・。諦めて、今日は遅刻することにした。とりあえず、散歩に連れて行き、帰ってから、大掃除して出勤した。彼女にしてみれば、ウンチがしたくて、我慢してたのに、待てど暮らせど、朝練から私達が帰ってこないので、ぶち切れた無言の抗議だったのでしょう。今週末は、安芸戦が有るけれど、ホームじゃないので持っていかねばと思っていたので、困ってしまった。しかし、とりあえず、リーグの倉庫にも有るので、シニアが使わなければ、拝借出来ればと思う。夜は、バッティングセンターに行った。上から、前で大きくフルスイングすることに徹したようだ。先週末とは、全然違う。一球打つ毎に、うなり声を上げてフルスイングしていた。やっぱり、先週は本当に具合が悪かったんだね。我子なのに、気がつかなくてゴメンね。家に帰り、久しぶりに分厚いポークジンジャーを作った。我ながらとっても上手に出来て愚息は「上手いね」といいながらペロリと食べた。この瞬間がとっても嬉しい。明日も練習、早くねろ。
2002年03月01日 11時26分11秒

  • 2002年2月26日
    朝練のキャチーボールが長引いてしまい、終わったのは、8時10分過ぎ。ヤバイ、遅刻するぞと、愚息を車で学校に送っていった。私は、犬の散歩の手を抜いて、20分で終わり。(目が点状態のメイ。ゴメンね、メイちゃん。)私も遅刻しそうなので、長男のDT50を拝借し、タコメータレッドゾーンギリギリで出勤。最近メールが絶不調で、仕事もプライベートも困っている状態。仕事もミスが出てしまい、来期契約無かったら生きて行けないとやたら不安の日々。何とか一日終わり、愚息と約束した服をユ○クロに買いに出かけた。毎朝、愚息の着物を出してやるのだが、なんとも情けない、擦り切れた兄ちゃんのお下がり(7年落ち)ばかりで、周りの小奇麗なガキと比べると、なんともみすぼらしい。これじゃいかんと、一代決心して、出かけることにしたのだ。ジーンズと靴下、シャツ、パーカー等など、それと、長男の靴下6足これだけ買っても8千円でお釣が来た。明日は、シャキっとした格好で学校にいけるぞー。でもユ○クロ製だけどね。一応、感謝の気持ちを表しているのか、お行儀良くなった愚息。帰りは、高校から帰って来る長男を途中で拾い、お決まりのコースで、バッティングセンター経由、吉野屋。3人で並み5杯と牛皿を上品に食べた。テイクアウトで、愛犬メイ(アイリッシュセター)に並みツユダクを注文した。家に着いて、明日のお洋服をそろえた。全部新品。チョットお兄ちゃんになったかな?
2002年02月27日 17時55分33秒

  • 2002年2月23日
    昨日愚息は、インフルエンザで学校を休んでいた。夕べは38度あった。今朝も火照り顔。37度「お前、どうする?今日行く?」「・・・」返事が無い。「兄ちゃん、バイト行ったし、父さんもリトル行かにゃ行けないから、お前一人留守番するか?」と半ば強制的に着替えさす。今日は、北リーグと練習試合が有るので、何とか煽ててでも連れて行こうと思い、今日スタメンかもしれないぞと適当なことを述べて、その気にさせた。解熱剤と抗生物質を飲ませて、出発した。朝飯は、セブンであんまんを一口しか食べなかった。大丈夫かなと、内心非常に心配だった。無理させて酷い親かもしれない。グランドで子供を集めて集合すると何と11人しか居ない。スタメン、外野手全員と内野手1人いない。風邪で欠席6人、私用で遅刻1人。つまり、スタメン4人を欠いている。今日の試合は、先週岡山戦の反省で3つ勝つ予定でいるのに、大変なことになってしまった。キャプテンを呼び、月曜日に言ったことを子供達だけで、話し合いをさせることにした。一丸となり、自分達が野球をするという意識を持って取り組む為にはどうすれば良いかと言うことを話し合ったはずだ。本当の所は分からないが・・。試合結果は3連勝、とりあえず、本日の目的は、達成した。試合を終えて、最後のミーティングを子供達だけで行わせた。今朝、自分が描いたとうりに、行なえたか話し合ったことと思う。本当の所は、これまた分からないが・・。少しは、子供達でできたのかな?今日は、あまり、ベンチから怒声が響かなかったはずだ。帰りの車の中、父に戻り、風邪大丈夫だったねとホットする。安心したのか、「父さんバイク屋に行こうよ。」と最近、興味を持ち始めたバイクの話しをしだした。まんざら、でもない私は、愚息にそそのかされて以前から気になっていたバイクショップ「ジラフ」の前で車を止めた。そこの店長と話し込んでしまい、愚息は店長の息子(小3)のオフロードバイクにまたがらせてもらい、すっかり気分は、カ○ンライダーになっていた。今度、山に走りに行こうと誘われて、目を輝かせて、私の顔を見上げていた。いつも野球漬で他に何処にも遊びに行ったことが無い。そんな、愚息を見ていると、自由に遊んでいた、自分の頃と照らし合わせて、この子は、何か子供のうちにやらなければならない大事な事をやらずに大きくなってしまうのではないかと、親としての不安と、子に対する不憫さが込上げてきた。しかし店長と約束はしなかった。家に帰ると、僕でも乗れるバイクは無いかなと、山や河川敷で乗る、オフロードバイクを本で片っ端から探していた。私は、リーグのキャッチャー道具4セットをバスタブでザブザブ洗い、脱水を掛け乾してから二階の寝室に行くと、愚息はバイクの本を開いたまま、寝息をたてていた。明日も練習だぞー。実現することは、難しいが、せめて夢でも、ゆっくり見ておくれ。
2002年02月26日 13時10分55秒

  • 2002年2月20日
    朝練は、キャッチボールのみで、打撃練習は夜バッティングセンターに行く頻度が増えている今日このごろ。最近は、キャッチャー練習と、遠投を主体に行っている。自覚したのか、朝、自分から、起きてくる。最近、朝怒鳴ることもない。どうしたのかな?まーいいや。長男がインフルエンザで今日は学校欠席した。朝病院に連れて行き、11時にようやく出勤した。夜、帰宅すると、愚息二男は待ってましたと、バッティングセンターに行く。いつもは、ああしろ、こうしろ言うのだが、今日は、指示しないことに決めていた。2ゲーム目が終わって始めて「突っ込むな」と指示を出した。それ以降、特に何も言わなかった。自分で考え、試行錯誤することが大事。その結果違う方向に行きそうであれば、チョコっとその糸口、切っ掛けを教えてやれば、良いと思った。そうしないと、自分のバッティングがいつまで経っても出来ないのではないかと思う。これ、何でもそう。そういう意味で、これまで、色々、言い過ぎていたと思う。10ゲームほどして、私に文句いわれず、すっきりした顔で終了。「父さん、帰り平田ラーメン行こう。」愚息と二人で夕食のラーメンを食べに行った。今日、ユニフォームを着てないね。とおっちゃんが言う。ニコニコして笑顔で、指定席に着く。愚息は、醤油コーンラーメン、私は、味噌チャーシュウを頼んだ。愚息は、私のチャーシュウをとり、汁まで全部たいらげた。帰りに、寝ている長男に、セブンですき焼き弁当を買った。家に着くと、長男は既に就寝。夕飯抜いたようだ。ゴメンね。兄ちゃん。
2002年02月21日 16時34分31秒

  • 2002年2月18日
    昨日の敗因は一応、理解したつもりだが、それでも、負けると悔しくて、立ち直り切れていない。これまでの練習のやり方では、キチンとレールを敷き過ぎていたのかもしれないし、「練習試合」つまりこれは練習で、選手が「自分達の試合」をするということを習得させる為の場という解釈では、余りにも指導する側に都合良くなってしまうのではないかと、スッキリしない。どんな状況でも、「自分達の試合」をするという、心、気持ち、投げ出さないことが、重要である。そんな事を思いながら、朝が来た。いつもは、月曜日は、朝練は休みの日だが、昨夜から、愚息と約束しており、朝練を行なった。グランドには、佐伯リトルのT君が、走り込みに来て居た。グローブ3つあるから、一緒に練習しようよと、声を掛けても、ひたすら走っていた。こっちも、岡山遠征の話しも出来ないし、お互いに、距離をおけてちょうど良かった。今日は、会社でHP更新嫌だなと思っても立ち上げた以上しょうがない。正直に更新した。夜会社から早めに帰宅し、忘れぬ内にキャプテンのS君に昨日負けたことで得れた成果に付いて電話で話しをした。控えめに、噛締めるように、電話の向うで返事をしていた。今週土曜日は、北戦がある。試合前に練習はない。ぶつけ本番になるが、みんなで少しでも話すことで、今、内のチームに欠けるもの、気持ち的、精紳的に自立の方向に少しでも向いてくれれば強くなれると思う。
2002年02月19日 17時52分34秒

  • 2002年2月17日
    昨夜、12時近くまで、今日の岡山遠征の準備をしていた。愚息のスパイク、アップシューズを洗い、キャッチャーマスクを修理した。昨日、野球の後、2人の息子達にカルボナーラ宇を食べさせ、私は、着替えもせず、ダイエットのバドミントンに直行した。その帰りが9時を過ぎており、そこから、岡山遠征の準備を始めたので、遅くなってしまった。気になり中々寝付けず、セットした目覚時計より早く目覚めた。心配された雨は降っていない。しかし、何だか生暖かい。愚息を5時15分に起こし、バナナヨーグルトとミロで軽目の朝食をとった。朝6時12分に監督と待ち合わせして、監督と愚息と私でグランドに入った。マイクロバス2台にメジャー、マイナー分乗し、岡山に向け、6時51分に出発した。岡山に入った途端、フロントガラスに、ポツリ。気のせいなら良いが。その後、雨は降らず、9時45分、無事岡山リーググランドに到着した。本日もインフルエンザや用事で3名欠席の15名、足並みがそろっていない。早速選手を集め、10時30分の試合開始に合わせ、アップを始めた。その直後から、また、ポツリ。今度は、はっきりと冷たく感じた。気温が上がらず、身体が十分に暖まらない。嫌な予感がした。寒さのせいか、なんとなく、ばたばたしていて、各自、準備も出来ていない。キャッチ、ボールと、トスをしてそのまま、シートノックに入った。打撃練習は行なう時間がなかった。試合開始から、冬の冷たい霧雨が降り始めた。案の定、打線は湿っていた。第一試合、ホームラン1本のみの得点であった。チーム得点率10点台には、ほど遠い成績であった。ボールが雨で、滑り、しばし、すっぽ抜けてインハイに来る、身体が冷えて、バットで積極的に打ちに行くことができていなかった。審判のジャッジに疑問の声も上がったが、負けは、負けである。(審判サンありがとう。)あんな試合で仮に勝ったとしても、素直に喜べる結果ではなかった。"勝利"という二文字に隠れて、この試合で各々が、自分の行なったことを忘れて欲しくないからだ。昼食を挟み第二試合開始。雨は、止まずに降り続いたままである。バッターボックスに砂をいれ、浮いた水たまりを消した。両軍、ワイルドピッチが多くなる。ボールが一度地面に振れるとドロドロになってしまう。キャッチャーミットも既に泥の色をしていた。ボールを受けるたびにボールに泥が付いて、思うように投げれない苦しいピッチングが続いていた。四球の連続で押し出しの逆点を期した。控えの投手はまだ居たが続投させた。監督はタイムを掛けず、スコアラーと投球数を確認するだけであった。私達コーチ陣も気持ちは同じであった。自ら招いた、ピンチである。繰り返すが、状況は敵も味方も同じである。自分達の野球をして欲しかったのである。このような状況で、野手も含め、どうすれば良いか、肌で感じて欲しかったのである。いつも、監督、コーチが救いの手を差し伸べてくれると思ったら、大間違いである。野球を行なってるのは、子供達自身である。決して、シカトしている訳ではない。内野手中心に、どうして、ベンチは動いてくれないんだろうという顔が見える。堪り兼ねて、私が監督にお伺いをたてると「自分達で招いた、ピンチじゃないか、自分達で何とかせにゃーしゃーないじゃないか。」。その直後、私は、選手達にどなってしまった。「おまえら、どうすればいいんだ。」「自分達がやっているんだろうが。」「助けてくれると思ったら、大間違いだぞー。」「自分らで何とかせいー。」これは、キャプテンの仕事だと言うことは、言うまでもない。途中タイムをとるなり、野手をあつめるなり、自分達の野球をすることは出来たはずだ。また、私の甘さが出しゃばってしまった。救いは、その後、何とか持ち直してくれたことだ。投手だけでない、野手全員が気が付いてくれた。まだまだ、選手達は、他力本願で、本当の意味で、強く自立した訳ではなかった。今後の大きな課題となった。この事が、明確化できた事を、この遠征で本当に良かったと思う。フロントが動いて勝ちに行かず、負けることで、何か、足りない物を探しあてることが出来た。この子らで来週しっかり、話しをさそうと思う。
2002年02月18日 11時51分07秒

  • 2002年2月16日
    最近インフルエンザが流行っているそうで、愚息の通う学校の5年1組は本日12人欠席という。御かげで、今日のPTCの餅つき大会で餅やら、豚汁を一人4杯食べさせられたそうだ。私的には、ラッキーだが、愚息は、腹いっぱいで動けないといった表情で学校から帰ってきた。ということで、家で昼食をとらず、早速着替えさせてリトルの練習に連れ出した。明日は岡山遠征、チームの状態は、悪くはない。しかし、集合してみると、やはり、インフルエンザで欠席者が数名。愚息については、ここ毎年予防接種を必ず受けさせているので、全く大丈夫。費用は6、7千円かかり、1回に付き日を開けて2度接種しなければならないが、後々、子供が楽なので、是非お勧め。アップを40分にして(冬期土曜日アップは通常50分)、明日の練習試合に合わせ、少々メニュー変更。実は、アップを短くして、練習時間を10分確保するのに、私的には、結構苦心した。アジリティー系のみを縮小し、パワー・スピード系はそのまま実施した。アップ、サーキットと、クールダウンは私の仕事。状況報告して練習を監督・他のコーチにバトンタッチ。その後、練習は今年2度目のシートノックと打撃練習を行なった。明日は、大丈夫だろうか。子供の気持ち次第かな。
2002年02月18日 10時35分06秒

  • 2002年2月13日
    その気にさせるコーチング術を読んでから、私が、変わらないといけないと思うようになった。あまり、愚息にプレッシャーを掛けてはいけないと、今更ながら思った。(いつまで持続するか自信がないが、とりあえず頑張るつもり)朝練は、いつものシャトルティーと、キャッチボール。素振りでまたまた、軸足の上でグニャリとなってしまう。ところが、「チョットちがうんじゃないのー?」と具体的に、ああしろこうしろと言わなかった。「そうだ!思い出した!」と発すると、すぐにグニャリ打法は影を潜めた。キャッチボールは、スクラッチしないで、耳から前に大きく投げる練習をした。ステップせず、前足が閉じた状態、ケツが左に流れず、リリース後、前膝を軽く曲げて、一本足で立って居られ、右手が左脇腹辺りでぶらぶらさせる練習をした。最近キャッチャーをすることが多いので、この練習キッチリして置こうと思う。以前はピッチに拘っていたようだが、多分今も拘っているが、とりあえず、今自分が行うべき事、分かってきた見たい。次に、キャッチポジションから、ワンステップで投げる方法、続いて右打者を外して投げる方法等試みた。結構、楽しそうに行なってくれた。プリマックの原理というのが有って、最後に良い思いで練習を終えれば、次からポジティブに行なえるので有る。(これ、当たり前)この原理はリトルの練習でも生かせると思う。嫌な練習、苦手な練習は、大好きな練習の前に持っていくのが基本だそうである。明日もこの調子で行なえるだろうか。
2002年02月14日 16時03分34秒

  • 2002年2月12日
    愚息から、会社に電話。「父さん、もう走ったし、漢字もやったし、素振りもしたけー、行こう。」「どこに?」「うんー・・・ディック。」「なんでディックなんじゃー。」「筆箱欲しいの。」チャリこいで帰ったら、今行くぞとばかりに、玄関で待っていた。以前から筆箱欲しかったのに、中々ハッキリ言い出せなかった。愚息を積んで筆箱買いにディックに行くと、残念なことに、売り切れ。そいじゃついでに、私のバイク用ヘルメットをと思いちゃっかり自分用を買ってしまった。愚息は手ぶらの帰り道。しょぼくれていたので、ザ・ビックにもあるかもしれないと、ザ・ビックに行った。またも、目当ての筆箱は売り切れ。仕方なく、代替品を探した。愚息は、包装のなくなっているミズノのランバードの黒い筆入れが一つ残って居たのでこれを大事そうにレジに持っていった。これで、ちっとは机に向かうかな?
2002年02月14日 15時43分46秒

  • 2002年2月11日
    朝、外は一面真っ白、20cmは積もっている。これでは、リトルの練習行けないと思い、事務局に早々連絡入れる。とりあえず、車庫の周囲だけでも、雪かきをした。そうこうしているうちに、DT50(バイク)が配達されてきた。以前、長男は就学旅行と引き換えに、原付の免許を取りに行っていた。長男は毎年カナダやフィリピンに行っているため、それと、同時多発テロの影響もあり、就学旅行の香港は行かなかったのだ。就学旅行代の15万円より、かなりオーバーしてしまったが、バイトもせっせと行き、折角溜めた小遣いを次の何かの自分のためにとっておいて欲しいと思い、誕生日に1ヶ月早かったが内緒で勝手に私が買った。アクションは小さかったものの、感謝の気持ちを表していた。バイクは学校で禁止されているが奴なら大丈夫と私の責任で買い与えた。実は若い頃は2輪派だった。骨折も2回、両腕には裂傷の跡が残っている。バイクの怖さ、事故の怖さを話した。事故に遭遇しないためのポイントも説明した。後は、長男次第。とりあえず、これでバイトの送迎から開放される。雪かきを終え、アップシューズが、既にグシャグシャになっていた。11時を過ぎ、路面が大分見えるようになってきたので、愚息を積んで、リトルの練習に出発した。途中で、監督からの電話があり、今日は午後から中止になると聞いた。その足で五日市バッティングセンターに向かった。10ゲーム行った。自分で考えさせるため、もう出来るだけ、口を挟まないようにした。帰りに、約束の玩具を買い、エスティマの6ヶ月点検を行い、平田ラーメンを食べて帰宅した。前日の試合で、とりあえず、ベースを踏めば、玩具を買う約束をしていた。長男二男両方に甘い、親ばかだと、つくづく自分が嫌になった。
2002年02月13日 12時41分40秒

  • 2002年2月10日
    朝、監督から連絡、私用で、単独現地集合するとのこと。選手を西グランドから、竜王公園(試合会場)まで走らせて行けとの意向を聞いた。ゲーっと思った訳は、伴走者が要るではないか。それ私。ダイエットと自分に言い聞かせ、また、私が走れることで、子供も自信に繋がれば良いなと思って改めた。グランドでストレッチさせ、走って試合会場に行くことを告げた。案の定、不安がる選手もいる。試合前になんでこんな事するの?といったところであろう。関係ないよ、後でわかるよと知らぬ顔でその子らをやり過ごした。西グランドから一回下がって約1㌔走り、その後、2㌔の登り道、高低さ約200mある。小学4年生から6年生には、大きな障壁になっるはずである。太田川沿いを走っていて、一部遅れ出す選手が出始める。ここで、一度走るのを中断して、全員を集め、話しをした。「いいかい。横を車で楽々通り過ぎていく相手チームの選手を見てどう思う?」「ラクしていいな、かな?ん?」「君たちが今まで、苦労して、やってきて、おまけに、今日も相手はラクしているじゃないか。」「あんな、ヤツらに負けると思うか?」「ラクしているヤツらに、負ける訳がないじゃないか。」「はい。」と気合が入った。「信号を過ぎて、登りに入ったら、競争だぞ。」とさらに気合を入れ再出発した。走りながら、大声で怒鳴りながら、周りを笑わせながら、盛り上げてくれる選手が居た。なんて素晴らしいキャラなんだろうと思った。私は最後の一人と一緒に走った。その子は、一回も休まず、歩かず、坂を最後に登りきり、終点のグランドに入っても歩かず、先に到着している選手達がいるベンチで止まった。この子にとってこの事が非常に大きな自信と勲章になったことであろう。私も嬉しくて込上げてくる物を感じた。第二試合(下の子の試合)にその子はライトで出場した。いつもなら、ライトに打球が飛んだ瞬間諦めてしまうベンチだったが、今日は、違っていた。普通ならライトに飛んだ何でもない打球だが、一生懸命向かって行き、背走シングルキャッチで、その打球を捕ったのである。打撃でも、出塁することが出来た。最近読んだ本で、ハーロックの実験で出来の悪い子、自信のない子には、賞賛を出来の良い子には叱責をすることで、外発的に能力を引き出すことができると言う。内発的には、自信を持つことで、能力を引き出せるという。昨日のソルトレークオリンピックの女子スピードスケートのコーチの言葉が、テレビで紹介されていた。その選手は、試合中「お前はライオンだ」とコーチから激励され奮起し、記録が伸びたという話しだった。その話しを真似て、坂を駆け上る最中、ずっと「お前はライオンだ。お前のことブルドックだと言う奴いるけど、ふざけんな!ライオンだ!走れ!行け!」「お前より先に行く奴ら、あいつら、途中で、休んでいるじゃないか。あいつらには、勝っているぞ!」と励まし続けたのだ。こうも結果が伴うのは、出来過ぎの偶然かもしれないが、結果は事実である。事実がその子のまた、自信となり、次の内発的要因になったことであろう。次に期待したい。第二試合こそ負けたが、第一試合、第三試合とも10点差以上での我チームの大勝だった。途中雪が降り、身体が動かず、エラーはあった。気温も低く恐らく5度以下だったであろう。昨日、今年初めてのシートノックを行っただけである。子供達の前では言えないが、上出来である。
2002年02月12日 12時45分06秒

  • 2002年2月9日
    昨夜の午後9時から、3月の四国招待試合のグランド確保のため、竜王公園事務所前に、野営をした。愚息達には、カニ玉を作って、早く寝るように言い聞かせて来た。監督とコーチと私3人で野球談義に華を咲かせていたが、話題はついつい大人の世界へ・・40アップが3人野宿。まぁシャーないだろう。七輪で焼き肉やいて、酒飲んでそれでも寒い。午前1時を過ぎてから、ボーリング場へ暖を取りに行くことにした。当然3ゲームほどした。Mコーチは、全国クラスの腕前のため、こちらも熱が入る。中年男3人が深夜、ぶくぶくに着膨れし、しかも酒臭い、大声で騒ぎながらのボーリング大会となった。結果は、私が最下位それでも180アップ、監督は200、Mコーチは230、周りから奇異に写ったことであろう。でも深夜のため、人は殆ど居ませんでした。午前3時に後半順番待ちの人と交代するため、ボーリング場を後にした。既に竜王公園事務所前に人影。何処行って居たんだと怪訝そうだったが、適当にごまかして、後半の人とバトンタッチした。帰宅して、2時間したら、長男をバイト先に送らねばならない。夜が開ける前に、しばし、仮眠した。ヤンキーの兄ちゃんとカーチェイスしながら、長男をバイト先に送ってやる。ヤンキーの兄ちゃんがビビっちゃったので最後に、にっこり笑顔で手を振りバイバイ。昨夜から睡眠不足でハイテンションである。長男を無事バイト先に送り届けた後、これじゃいかんと帰路反省しつつ帰宅。愚息(二男)を積んで再びリトルの練習に出発。無事到着(神様ありがと)。明日は、今年最初の対外練習試合。それに向けて、最後に何をしなければ、いけないか、各自に考えてもらうことにした。その後、アップ、サーキットとも私は、指導せず、セカンドベースにあぐらをかいて、子供達を見守るだけ(本当は眠い)。自主性に任せた。練習を時々打ち切り、集合させ、勝ちに行くための個々のモチベーションを上げるための話しをした。(内容は内緒)そうこうして居るうちに、監督が登場、監督は、途中で帰らず、結局朝の9時まで徹夜の順番どりをしてくれていた。ここらで、監督に指導を引き継ぎ、バックアップにまわった。実はこれまでに指導陣ミーティングでモチベーションを上げる工夫をしようということになっており、監督の意向を子供達に伝えておいた。成果はあったと思うが、この時点では、結論付けできない。結果は、明日の試合に出るだろう。
2002年02月12日 11時38分52秒

  • 2002年2月5日
    久しぶりにつける日記。あれ?毎日つけるはずがだんだん・・・・。今朝はパンケーキとミロとソーセージで軽目に朝飯を済まし、愚息と朝練開始。キャッチボールの時、最近 「後ろで小さく、前で大きく投げる」ように良く言う。今日はスクラッチを全く行わず、側頭部(耳の後ろ)に球を押し当ててから、投げ出す練習をした。何がしたいかと言うと、指で最後は切る(握り潰す)事をさせたかったのである。テイクバックがないので前で大きく、しかも最後は指で切るしかないのである。最初はあさっての方に投げてしまっていたけど、だんだん感じを掴んでくれた。「父さん指先、真っ赤で痛いよ。」と愚息。よしよし、それでいいのじゃ。小さい頃、スクラッチしてテイクバックすることを、強く言っていたため、肝心の前で大きく投げる事を、おろそかにしていた。それと、小さいうちは、前で大きく投げろと言うと、ドッジボール投げになり易いし、前に乗ることは中々出来ない。時期的にちょうど良いか、やや遅めかも知れないが、これからも、この練習しようと思う。夜、リトルの集まりが有り、勝つ野球をする結論が出た。何としても愚息を14人(ベンチ)に入れなければならないと思った。最近思うのだが、上手くさせるコツは心の指導かもしれない。今は、あまり技術書は読んでいない。父親対子供の場合、上達するかどうかは心理面が半分以上いや8割以上をしめているかもしれないと感じている。しかし、我子に対し中々できないんだよな、これが。今は、哲学書と「その気にさせるコーチング術高畑義秀」を読んでいる。
2002年02月06日 12時48分41秒

  • 2002年1月31日
    愚息から会社に電話。「父さん、マツバランド(玩具屋)から入荷したって電話あったよ!」と、はずんだ声。「あっそう。それで、走ったの?」「うん。もう素振りもして走ってきたけー。早く帰ってきて。行こう。」早く帰りたいのだが、そうも行かない。一度家に帰ってから、出かけたのでは間に合わないため、帰りしな、マツバランドに寄って、予約していた玩具を買い求めてから帰宅した。愚息には買ってきたとは告げていない。喜び、目を丸くする顔が見たかったからだ。案の定、頭の後ろの方から高い声を出して、喜んでくれた。そして、腹へって死にそうと言うので、久しぶりにサンデーサンで食事することにした。最近忙しく、買い物にも行っていないため、冷蔵庫は空っぽで、買い物に行ってから何かつくるでは、食事時間が遅くなるからだ。最近夕食が、しばしば9時を過ぎる。サンデーサンといえば、隣りに、五日市バッティングセンターが有るので、当然、練習してからということになった。この前、前で大きく振る練習をして、雑巾絞るように、振り出す練習をしたが、今回それが出来ているか、確認しているようだった。「父さん、やっと感じ掴んだよ。」とライトに良い当たりが出る。今日お土産があったせいか、素直にハイハイ言うことを聞く。何て単純な奴と、思ってしまった。それにしても、気持ちが、前に向いているので、素直に頑張る気持ちが出ているのだろう。今日は、土産があった。サンデーサンで食事。自主練終わらせている。と行った所が、要因だろう。暫らくして、もう腹へって、動けないというので5ゲームで終了。愚息はサバ味噌煮定食とチョコレートパフェを食べ私のポテトフライをつまんだ。家に帰ってから、父さん玩具作ってくれと言うので、私がその玩具を作り、机の反対側で愚息が、漢字の書き取りをやった。「作るのたいぎいけー、わし、漢字やるから、その間作って。」と来た。風呂に入って早く寝たいのだが、付き合ってやった。愚息が漢字の書き取り終わって風呂に入って出てきてもその玩具を完成させることが出来なかった。ようやく完成した時は11時だった。愚息は、その玩具を持って寝室へ直行。私は、朝洗い残しの食器を洗い、風呂に入って、後から寝室へ向かった。愚息は枕元にチョコンと玩具を置き、灯りをつけたまま、スースー寝息をたてていた。「父さん500円僕が払うから、後で買いに行こう。」と電話の向こうで言っていたのを思い出す。以前、自分で、104で玩具屋の電話番号を調べ、勝手に電話で在庫を確認して、無かったと知ると予約を入れて置いたのだ。よっぽど欲しかったのであろう。野球は、してても、本質的には、まだ小学5年生の普通の子供なのだな。いじらしく可愛く思えた。
2002年02月01日 15時06分42秒

  • 2002年1月27日
    今朝も予想通り小雨。練習出来るかな?無理だろーな、と思いつつ、練習着を準備して、愚息を起こさず、長男をバイト先に送り届けた。帰りの西バイパスを100㌔以上でカッ飛んでいる時に、携帯に連絡網の電話。昨日と同じ、事故りそう。連絡を受け、スピードゆるめて、帰宅した。7時半に愚息を起こし、早く着替えろ!と騙した。練習なしなのに。そうしないと、折角の休みなのに、始動しないのである。朝飯済ませてから、本日は休みと白状した。
    目が覚めた所で、宿題と、課題の国語標準考査を自ら行った。その間、私は、洗濯を済ませ一眠り、午後から、陽が注してきたので愛犬メイ(アイリッシュセター)と愚息を積んで、水鳥公園に出動。水鳥公園に行く時は、いつも、潮干狩りセットと野球セットとうんこセット(犬の糞の掃除道具)が必需品である。イズミで食い物、飲み物を調達した。潮干狩りで晩飯のあさりをゲット。その後、遠投と、クイックキャッチボール。連続146回できた。その後、トスバッティング。球拾いはメイの役である。どこに打っても喜んで一目散に捕って来る。嬉しいらしく、こちらも非常に助かる。時々、わざと逸らしてやる。そうしないと、私と、愚息のバットの間に割って入り、危なくてしょうがないからである。硬球で行っているため、犬と言えども、怪我をする。私がセットポジションで前足を上げた途端、バントの時の3塁手みたいにダッシュを掛けるのである。とりあえず、奴(メイ)がへとへとになるまで、愚息と笑いながら行った。帰りにお腹が空き、ケンタッキーのドライブスルーでチキンを買って、車の中で食べたが、へとへとでぼろぼろのメイは、結局食べる元気なく、車最後尾の椅子でおねんねしていた。いつもだったら、運転席まで、上がってきてしまうのに、ちょっとやり過ぎたかな?
2002年01月28日 12時06分33秒

  • 2002年1月26日
    本日は、土曜日だけれども、朝からリトルリーグの練習。というのは、明日、グランドが使えず、監督会議が有るため、練習が半日のためである。おまけに、この土日は雨の予報で、午後からは、80%である。2月第二週に練習試合があるので、何とか、練習する機会を得たいのである。長男を7時前にバイト先に送り届け、バイパスを140㌔でカッ飛び(御巡りさんゴメンナサイ)7時15分に帰宅、愚息を起こして、朝飯食わして着替えさせ、何とか8時35分にリトルのグランドに到着。グランドの鍵を開けなくてはならないので、朝は、戦いである。今朝も無事に来れた神様ありがと。空はどんより今にもポツリと来そうなのでアップは1時間に短縮。キャッチボールと、トスを早めに切り上げ、通常練習を早めに行うが雨が本降りになり、午前中でおしまい。身体が冷えて、手が冷たくなり、ノックのボールを上手く捌けない。怪我する前に終了し、子供達に道具をしまわせた。雨でドロドロのベースをそのまま、しまっていたので、マイナー、メジャーのベース6個を6年生、5年生に洗わせた。床もドロドロ。雨で寒くて辛いだろう。「ここに居たから、やらされたんだ。」と思わないで欲しい。子供には、理解し難いと思う。自分達の大切な道具だ。ここ(西リトル)で俺は上手くなるんだ。俺がやるよ。俺が先にやるよ。やったら、気持ち良いじゃないか。やらなければ、気持ちのどこかに、自分にたいするもどかしさが残るじゃないか。というより、それだけ、今行っている野球に情熱を注いで欲しいのである。道具を大切にするのも同じである。倉庫の床は一部朽ちて抜けている個所もある。木の床に泥や砂を運んでは、床にやすりを掛けているようなものである。湿気を吸い、かび臭く用具も痛み易くなるのである。何とか、現状維持したい。以前は、子供に、道具片づけさせた後、これといってチェックしていなかったが、シニアの選手たちが、指導者に叱られながらではあるが、奇麗に、整理整頓してくれているのである。年下のクラスが散らかしても、その始末はシニアがしているのである。しかも、彼らは、マイナー、メジャーに文句を言わない。かっこつける訳では、ないが、彼らの行いに心を打たれたのである。悪条件では、だれもが、手を抜いて早くその場から、立ち去りたいのである。そこを敢えて、前述のモチベーションで自分の糧にして欲しいのである。難しいかなー。何れにしても、最終責任は指導者や大人達で選手ではない。選手が出来なければ、指導者の責任である。用具片付けでジャンケンは止めて欲しい。最終チェックを行いグランドを最後に出た。帰る途中、雨の中、自転車をこいで帰る選手を発見。「おい、バティングセンター行くか?」「はい行きます。」その子と自転車を車に積んで五日市バッティングセンター直行。車の中で、愚息とその子に昼食を取らせた。到着後、素振りをさせて、140㌔両打席のゲージを独占して使用。30球毎に交互に合計18ゲーム行わせた。途中、A君のステップが大きくなる原因を説明した。前から気になっていたが、全体練習では、中々指摘できない。中途半端になるからである。クローズドで立って、ステップ幅を小さくする練習をした。主な原因は、迎えに行くことにある。それと、ミートポイントで球を擦っているのである。タイミングが取れず、迎えに行くため、歩幅が広くなり、開いて、腕が伸び、ボールを擦ってミートしているのである。つまり当っても飛ばないのである。クローズドで溜めて、上からボールを見る事。ミートポイントで、腕と、バットとボールがスクエア(90度)になっている事。その瞬間迄、左腕が伸びない事。の2点を集中して行わせた。「クローズドに立って上から見る」「君は、スイング速いからもっと溜めて待っていればジャストミートするよ」と告げた。開いて引っ張らずに、センター打ちを命じた。愚息については、右脇がいつも甘い。右腕が同じく伸びて、左肩が下がり、同じく擦って打っているのである。スイング後、左軸足の上にグニャリと曲がった脊柱軸が乗るのである。右脇に財布を挟み、落とさない様にスイングさせた。ミートポイントまでの腕の使い方をどうも勘違いしている。右腕上腕でバットを引っ張り上げる感じで振っているのである。雑巾を絞る感じでミートポイントまで持っていかせる練習をさせた。愚息はそれができれば、後は特に直す所ないのにな。手前味噌だが、選球眼は非常に良いのに、勿体無いもったいない。愚息には、開かずに、ミートポイントを前に持っていき、ライトへ引っ張ることを命じた。練習終了後、A君を送り届け、我が家についたら4時を過ぎていた。A君がいた御かげで、愚息には、刺激になったようだ。
2002年01月28日 10時58分12秒

  • 2002年1月24日
    最近リトルリーグのHP更新が忙しく、自分の日記をつける暇がない。仕事もヘマをしてしまい、自分の首を絞めている状態。悪循環である。朝練は軽目が多い。クイックで50回連続キャッチボールで身体を温め、その後普通のキャッチボール。夜は、素振りか、バッティングセンターである。夜、久しぶりにじっくりグローブの手入れをした。あぁ忙しい・・・
2002年01月25日 16時51分04秒

  • 2002年1月20日
    リトルリーグの練習は、雨のため15時30分で中止。予報では広島地方15時から雨。何と言うことだろう。こういう時に限って予報が的中するのである。雨のしずくを感じたのは15時1分だった。マシンによる打撃練習できない子が半分ぐらい居た。寒くなり、風邪や集中力が切れた時に起こる怪我が心配されたため、本日中止となった。雨が振ってベースや用具の汚れが気になり、クラブハウス倉庫へチェックに行った。心配は外れ、比較的奇麗に整頓してあった。さらに奇麗にしようと、用具を動かし、床を奇麗に掃いた。学生時代の用具倉庫が思い出される。子供達がいつまでも、用具を大切に、奇麗に使えるよう自然に身体が動いた。掃除を終え車に帰ると、愚息は、バッティングできなくて残念そうだった。しょうがないから、バッティングセンターに行こうかと言うと、「そうじゃねー。」行く気は有るのだが、如何にも疲れた感じの返事だった。無理もない、身体が冷えて、緊張が切れて居る。車を走らせ、渋滞に巻き込まれながら、五日市バッティングセンターに到着、しかし、愚息は寝息を立てて居る。可哀相で起こせない。仕方なく、17時まで、エンジンを切らずに、駐車場で仮眠させる。ポプラであんまんとピザマンを買い、愚息を起こした。すぐには、行なわず、身体を、また起こさなければならない。伸びをさせ、素振りをさせ、一汗吹いてから、行わせた。トップから、ボールに当るまでを、自然に行えることを意識するように言った。バットを前に放り投げる感じで行えとも伝えた。当初5ゲームのはずだったが、自分で納得が行ったら終了するように伝えた。5ゲーム過ぎた辺りから、1ゲーム終わるたびに、ゲージから出てきて、考え込む。上手く行かないらしい。「自信が有る所は、迷わず行なえ。」「上手く行かない所は、工夫しろ、しかし、基本に戻ってごらん。」と伝える。となりのゲージで高校生野球部が、見事なスイング。軸がピクリともぶれず、前で大きく振れて居る。打球は、弧を描かず、一直線にセンターの暗闇に消えていく。暫くして愚息もゲージに戻り、また練習。帽子を目深にかぶり直して居る。涙を隠して居るのだ。結局10ゲームを終え、19時30分過ぎに帰宅することになった。家に帰ると、ケロリとしていつもの笑顔に戻って居た。朝録画した番組を風呂上がり一目散にチェック。フルチンでテレビみるなよ。
2002年01月22日 11時22分04秒

  • 2002年1月17日
    会社から帰る途中、自転車扱いでる最中に愚息から電話が有った。「父さん、国語勉強もうやったよ。今日は、惜しかった、標準考査78点だった。」昨日のポジティブ思考の話しが効いているのかな。自分でちゃっちゃか、やっているようだ。それはそうと、今週まだ、バッティングセンター行っていない。「すぐ出かける(バッティングセンター)格好して待っとけよ。」後は、必死にチャリを扱いで帰宅した。洗濯物が溜まり、夕食も作っていない。今日は外食。バッティングセンターに着くと、素振りをさせて、ごちゃごちゃしない、余分な動きを極力しないように、ボールとバットがズバン!とミートすることだけを考えろと伝えた。ごちゃごちゃ振るより、良くタイミングを取らせて振らせた方が、良く飛んだ。結局今日も最後の一人になってしまった。その後、牛丼を食べに行った。愚息はねぎダクの並みと卵、私はつゆダク並み、長男は、つゆダク並みと牛皿並み、腹を空かせて居たようだったので、愚息に私の肉をそっと分けてやった。帰りに、セブンでマシュマロとポテチを愛犬メイに土産に買って帰った。
2002年01月18日 18時01分26秒

  • 2002年1月16日
    朝はまたも雨。昨日のぬれたままのカッパで出勤。会社からの帰り際、愚息から電話、「父さん、走りいくけー。がちゃっ」家に帰ると、長男曰く、「ジーパン、履いたまま、走り行ったから、着替えさせて、もう一度走り行かせたから。」つまり愚息3千m走らされた。この前も兄弟喧嘩で6千m走らされていたのに。ちなみに団地内は一周1500mである。トイレに行くと、電気消し忘れて消しに行く。つまり、一度で良い所2度行くのである。状況は違うけれど、何か共通するものがあるな。何かというと、やらされているのである。「自分でやらなきゃ」、「電気消さなきゃ」と言う気持ちで、活動していないのである。やれば伸びる。消せば電気代浮く。そろそろポジティブな思考が出来ないものだろうか。日課の素振りは、室内でカーテン全開で、窓に姿を映して行った。ポジティブな思考の話しを50回振った所でしてやった。残りの50回は、想像にお任せ。
2002年01月17日 19時17分12秒

  • 2002年1月15日
    雨で練習できない。愚息は漢字書き取りをやっている。私が帰宅すると、目を輝かせて、飛んできた。「父さん、今年最初の漢字テスト100点取ったよ!」やっと、成果が出たようで一安心。今まで、なだめてやるばかりだったのでやれやれと言う感じでした。愚息は得意になって、居間のドアに100点の答案を張りました。最近メールサーバーや、某HPサーバーが調子悪く、いらいらしている私。おまけに雨。カッパは着ているものの、片道11㌔のチャリ通勤は、靴がビチャビチャ。明日も雨。雨の日は足にスーパーの袋を巻い通勤。車が無い訳じゃないけど、私は勝手に愚息と頑張り比べをしているのです。
2002年01月16日 17時17分30秒

  • 2002年1月10日
    今日の練習は夜の素振りだけでした。最近、勉強に目覚めたせいか、漢字書き取りばかりやっている。夕食後、庭に出て素振り、その後、日記を書いて、漢字書き取り。夜のゴールデンタイムにテレビもつけずに漢字書き取り。結果が伴えば良いのだが、標準考査は相変わらず低空飛行。愚息曰く、「点数じゃないよ、わかんない所、分かるようにするのが、勉強でしょ。」
    御もっともです。ハイ。この気持ちが大切。傷つけないようにしなくては・・・。
2002年01月11日 12時48分24秒

  • 2002年1月9日
    先月末より、非常にBUSYで、子供を構ってやれない日々が続く。そんな訳で、朝練もやっていない。仕事の都合で家庭を犠牲にしたくはないが、ある程度仕方ない。昨日寝坊で長男の朝飯を作ってやれなかった。朝は3人でそろって食事をしたいのである。長男は7時前には学校に行ってしまうので、6時半には朝飯を用意しなければならない。本日は何とかピラフとコーンスープでそろって朝食を済ませた。愚息(二男)と私はのんびり、各々出動。仕事を終え帰宅すると、だれも居ない。兄弟で犬の散歩。その間に夕飯の支度。愚息達が帰ってきたかと思うと、「走ってくる。」と再びお出かけ。日課の素振りは、昼に済ませたとの事。夕食後、例の漢字書き取りを一人で始める。その後、今週金曜日の日直一分間スピーチの調べもの。なにやら、フグの毒について、熱心にまとめていた。
    今やらないで、早く寝ろよと促すが、まとめ終わったのは、12時間近。やる事いっぱい有って大変だな、がんばれよ愚息。
2002年01月10日 11時35分54秒

  • 2002年1月7日
    2002年最初の日記
    本日より愚息は学校、私は出勤。今年は愚息が長男と夜、走る(ランニング)と言う。それと今年は、国語算数頑張るということで、とりあえず、昨年末に愚息自ら生まれて初めて買った国語のドリルを毎日やっている。今のところ続いている。それと素振りは最低100回。最近、地元の中学に通いたくないと言い出し、ここら辺に、変貌の原因が有りそうだ。何やら、受験でもするのだろうか?でも、塾には、行かない。父さん教えてと言うので、毎日、勉強に付き合わされている。本人がその気の内は、煽ててでも、やらせようと思う。以下全文。「勉強のコツ教えてやろうか。」「実は、これは、野球も一緒なんだ。」「めんどくさいと思ったら負けなんだ。」「強い奴は、めんどくさいのに勝つ奴なんだ。」「野球も、勉強もやって来たことに身体はウソつかないよ。」「それと、工夫が必要なんだ。」「どうしたら、もっとよくなるか、いつもそれを、考えるんだ。」
    こっちは、ある意味、無責任に簡単に言ってしまったけど、やる方は大変だと思う。私も何かせねばと、愚息を見ていて、感じてしまった。今のところそれは内緒。
2002年01月08日 12時20分27秒

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