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2004年9月19日
今日は雨が降っていない。おーい、練習に行くぞ!元気良く潤を起こした。携帯を見ると青くブリンクしている。なんじゃろ?あぃやー、本日は練習なしだと?あぁあ、やっぱそうかぁ。恐らく、昨日悪天候で、体育祭が順延になっているところが多いため、練習が中止になったのだ。うちの中学は、体育祭終わったのに・・・。まぁしょうがない、クソして、もう一度寝るかぁ。と思って便器にしゃがんだ。その時、覚えのない電話番号から、電話がなった。おっ?やっぱ練習あるの?そんなくらいに考えて受話器を取った。電話の向こうで、血相を変えて、電話をしているのが、直ぐに分った。なにやら、後ろで、凄い騒音と、人のマイクで交信する声が聞こえた。声の主は、「大変なんです。今、Y君(長男のこと)のトラックが事故を起こして、まだ病院が決まってないんです。病院が分ったらまた電話します。」電話の主は明らかに興奮していて、声が震えていた。私は、何があったのか、理解に苦しんだ。いったいどうなっているんだ。台風の次は事故か。安否は分らない。聞く勇気がなかった。相手の名前も頭に入らなかった。どうしたら良いのだろう。相手もわからない。とりあえず、ナンバーを携帯にコピーして、次の知らせを待った。どうしたら良いかわからない。車も無い。暫くすると、また電話がなった。雑音で良く聞き取れない。相手の電波状態が悪いらしい。こちらの携帯から、でんわを掛け直した。三原の興生総合病院と聞き取れた。山陽道で、横転事故を起こしたという。なんていうことだ。Y君が車外に放り出されたんです。そう言って声は震えていた。ワシは、レンタカーを借りなければととっさに思い、電話を掛け捲ったが、3連休と台風の代車で、レンタカーがどこにも無かった。10数社あたって漸く、予約することが出来た。出発しようとした時、長男の会社の社長らしき人から電話があった。Y君は助手席に乗っていて、4トントラックが雨の高速で風に煽られてスピンして横転した。その時、窓から外に放り出されたらしい。暫くぐったりしてたけど、意識はあるらしい。と凄く申し訳なさそうな声だった。助かってくれと祈る気持ちだった。潤と入院に必要そうな物をバックに詰めて、十日市のレンタカーに向かった。説明や値段などどうでも良かった。早く車に乗って三原に行きたかった。行く途中、搬送先の病院から携帯に連絡が入った。親族の方ですか、お父さんですか?Y君意識はあります。頚椎捻挫の疑いがあるので、今からCT取ります。勇気を出して聞いてみた。両手両足ありますか?先生と思われる方は、不安な私の気持ちを説こうとしてくれた。大丈夫ですよ。詳しいことはまだ分りませんが、ついていますよ。詳しくはまた病院で、ということで、後は事務的なことを話して電話を切った。会社の人間から電話があった。今、山陽道は本郷、三原間で通行止めで凄く渋滞しているから、一般道を走ってくるようにとのことだった。それは、紛れもない長男の事故の事だった。行ける所まで行こうと思い、広島から西条まで高速を使い、後は一般道を通って病院に行った。初めての場所なのに、不思議と、迷わずに一発で行くことが出来た。今日は休日のため、救急病棟のみ開いていた。潤は、足がまだ悪いのに、わしは、自然に早足になる。潤の父さん待ってよの言葉は、無視した。傷んだ長男を見るのが怖かった。どうしているかとても心配だった。受付を見つけ駆け込んだ。その時、後から付いて来た潤が、あっ、兄ちゃんだ!と叫んだ。CTを取り終えて、顔面と腕に包帯を巻いて、あちこちに青あざを作った長男が腰掛けていた。とりあえず、両手両足はついていた。分厚い包帯の下の顔のキズの程度は分らない、顔が膨れてぼこぼこだった。首筋にも青いあざがあった。その横にドライバーが、肩をすぼめて、申し訳なさそうに立っていた。私を直視出来ないほど、肩を落としていた。ここでは書けない理由が彼にはあった。そして、怪我して、危うく命を落としかけた長男は彼を庇っていた。そのことで、ワシと長男は、口論になった。長男は病院中に響き渡る怒声を上げ、ワシは、話が出来んと思い、病院から外に出た。外に出た私を追いかけ、会社の専務とドライバーがやってきた。私は筋を通そうと思った。しかし、ある理由によりそれが通りそうも無かった。私は、自分の意思は伝えた。2002年10月15日を再び思い出していた。あぁ、どうして、こんなに、荒れるのだろう。悲しくて天を仰いだ。潤を呼び、借りたカペラに乗り込んだ。後の処理は専務にお願いした。奇跡的に?入院は必要ないという。そうは、思えんかったのだが、そうなった。色々事情があるらしい。また、悲しさと怒りが込み上げた。誰が、痛い思いをして、誰が死に掛けたのか、キズだって残らない、後遺症だってないと言えるのか?念書を持って対応してもらう事にした。自分たちで解決するのだという。こんなことが許されるのか。しかし、私の一言がドライバーの人生を左右する。どこを走っているのか分らない。ただ2号線を西に向かっているだけだった。気がつけば、海田の辺りを走っていた。潤も私もそれまで一言もしゃべらなかった。「潤、アイスクリームでも食べようや。」ポプラに車を止め、カペラの中で、ガリガリ君を食べた。しっかりしなきゃ、新しい車ももう直ぐ来るし、偶然このレンタカーもマツダ車だ。メーターは19万キロを越えていた。しかし、すこぶる調子が良い。潤は、小学校の頃、マツダの工場見学に行ったことを話してくれた。丁寧に乗られているのだろう。潤は、この車が気に入ったようだった。今度来る車は、中古車だけど、大切にすれば、このぐらい走れるかな?本当は、フォルクスワーゲンのマークが一番すきなんだけどなっ、でも、今はマツダが良いよ。そんな会話になった。兄ちゃんは命があって良かった。その頃漸く、兄ちゃんの話が出来るようになった。高架の登り坂で風に煽られスリップスピン、転倒したという。速度は70キロ〜80キロだという。スピンして、縁石にぶつかった反動で長男が窓を突き破り居なくなったという。その直後横転して、ドライバーは長男が荷台の下敷きになりぺしゃんこになったと思ったと言っていた。神は見放しては居なかったようである。潤は、家を出る前に、神様にお祈りをしていた。広島市内に入り、ガソリンを入れた。一応、車の周りを点検した。すると左前輪のホイルキャップが無かった。あらっどこかで落としたかな?ひょっとしたら、何か言われるかも知れない、そう思った。給油を終え、約300m離れた、レンターカーに車を返した。有難う、凄く調子が良かった。わしはそう言った。しかし、なんとなく、ワシの笑顔と声は無視された形となり、店員は、車のチェックを始めた。車の左ドアの下をしきりに気にしている様子だった。そして怪訝というか、不審そうな顔で、こちらをちらちら見る。どうしたのかと聞くと、「ここ、今朝、キズ無かったですよねぇ」ワシは、ビックリして返す言葉も無かった。車は、営業していない病院の正面玄関に一台だけ堂々と停めただけだった。それと、ポプラでアイスを食べた。その間、隣の車と1.5mは離れていた。前のフェンダーから、後ろのフェンダーまですじが入っていた。ワシは、ホイルキャップが無かったことを伝えた。それは、前から無かったとその店員は言う。朝のチェックの時私は心ここにあらずでそんなことは知らなかったから、そう告げたのだった。朝、車は、左側を壁際に停められていたため、左前の前方から、側面を覗いただけだった。私は、愕然とした、完全に疑われていた。話を聞くと、私には同じキズに見えるのだが、前のフェンダーのキズは今朝からあった。後ろフェンダーのキズも前からあると言う。じゃ、左ドアのキズは,同じでは無いのかと聞くと、違うという。わしは、そんな馬鹿なことがあるかと思った。潤もビックリして、目を丸くしていた。声を荒げて、ワシではないことを説明した。その声に、若い店員がやってきた。粉ふいているじゃないですか、今日やったんでしょ。ワシは、嵌められたと、恐怖すら感じた。ここは、ヤクザが経営しているのか、広島は怖い町だ。粉をふいているというのなら、この前のフェンダーのキズは如何だ。指で触ると、同じようにざらざらしていた。すると、それは、別だという。ワシは、如何説明すれば良いか分らんかった。今日車を借りに来た経緯、今日の出来事を全部話した。すると、今回はよいですから、と言う。その言葉の裏には、犯人はお前だと言う意味が込められている。私は怒った。客商売でそんなことを言うのか、ならば、インターネットで投書する言ってやった。さらに、その若いアンちゃんは、脅かすのなら、こちらにも考えがあると、事務所の奥に行こうとした。全く、なんと言うことか、天を仰ぐしかなかった。その後、最後まで、無実と信じてもらえなかった。結局、今回はよいからと言うことだった。ワシも潤も打ちのめされた感じだった。バイクの二人乗りで、潤は悔しさ、父さん悪くないと噛み締めていた。二人でバイクで本通り(広島一の繁華街)に向かった。宛てはない。なんとなく、綺麗な街並み、に触れたかった。現実を忘れたかったのだと思う。美しい女性がへそや肩を出して幸せそうに歩いている。潤も年頃で、女性を目で追う事がある。ちょっと、大人に近づいているのかも知れない。シルバーアクセサリの店に入った。兄ちゃんが教えてくれた店だと言う。何も買わずに店を出た。潤からもう帰ろうと言ってきた。街は幸せそうな人であふれている。その人並みは、ぶつからないように、スルリスルリとワシらを通り過ぎて行く。天満屋の角止めたバイクに乗り、家に向かった。潤が落ちないように、私のベルトにしっかり手を通した。とりあえず、良くないことは続いたけど、みんな生きているし、これからも、何とかなるさ。 |