現在、ボーイズリーグに所属する中学2年生の息子と親父の徒然を綴っています。夢に向かって今何が出来るか、親子で模索しています。

  • 2004年7月30日
    昨日今日と、日本選手権前ということで、平日も練習があった。なのに、スタメン3名の2年生を含む3年生主体の練習で、全くつまらなかったらしい。仕事中に、家に着いた潤からの電話の声が沈んでいた。もう4回の練習で打席に立っていない。後2週間で、1,2年生だけで、他所の3年チームと戦わなくてはならない。それを思うとやりきれない。潤同様にワシも悔しさがこみ上げた。仕事を適当に終わらせ、球拾いから帰って、持て余している潤と打撃王に練習に行った。昨晩同様、打ちまくった。金は無いのだが、金は如何でも良い、気が済めば。11時を過ぎて潤の目が窪んでくる。疲れているのだろう、だが止めない。ワシは、仕事着のまま、後ろのベンチで居眠りをした。ここは、待合席に、色々なゲームがあり、週末は、一杯引っ掛けた男女の良い覚ましの場でもある。うるさい、あったまに来てしまう。酔っ払って、ベンチに寝込む、クソ女、下心ありありの、スケベ男、潤が集中できなくて、隣で大声で吠える中年を嫌そうに見ていた。時おり、アイシングで後頭部を冷やしながら、少し間をおいて、酔っ払い集団をやり過ごした。そうこうしているうちに午前0時をとうに過ぎた。このままでは、明日の球拾いに影響が出ると思い、わしは中止させた。打撃王をでてからの、車に乗る前に、ガラス張りの建物に姿を映しシャドウをした。家に着いたのは1時を回っていた。今日(31日)の練習大丈夫かなぁ。
2004年07月31日 07時52分06秒

  • 2004年7月26日
    バッティングセンターで練習した。日曜日の練習で、一度もバットを握る機会が無くて、それが悔しくてたまらないらしい。今週は、ぶっ続けでバットを振っている。五日市バッティングセンターがあった頃より、振り込んでいる。ワシは帰りが遅いので夕飯を作ってやれんかった。コンビニで弁当を買い、腹ごしらえしてから出かけた。打撃王は午前3時までの営業なので、夏休みの潤には良いが、わしは、寝不足気味だ。
2004年07月28日 00時49分38秒

  • 2004年7月22日
    夏休みに入り、学校が無いのをよい事に、朝寝坊をした。今日は、友達の父さんが大島に海水浴に連れて行ってくれると言う事で、昨晩はなにやら、水中眼鏡や足ひれ、浮き輪等を用意していた。わしが連れて行ってやれないので、凄く助かる。気を付けて行って来るように言って出勤した。午後5時半頃、「父さん、楽しかったよ。」と携帯に電話が入った。無事に怪我も無く帰ってきたことを知り一安心した。今日は午後7時に家庭教師の先生が来る。ワシは気が利かず、日にちをずらしていなかった。もし、気がついていたら、もっともっと、遊んでいられたに違いない。電話の声で疲れた様子がわかる。今日は7時半始まりにして良いか、聞いてきた。さすがに、今日は休みたいとはいえない様子だ。というのは、最近、本人が少しずつ自分に厳しくしているのが分かる。ワシはそのことは静観して特に何も言わない。大分強くなったと思うなぁ。1学期最後の個人面談以来頑張っていると思う。わしは8時に家に帰り、先生にお茶と、通知表を持って行った。テストの点が良かったので、先生はかなり期待していた様子だったが、提出物の悪さから、成績は伸び悩んでいた。そのことを、授業が終わって先生を見送る時に、生活態度を中心に思いをぶちまけた。潤は階段を2,3段昇ったところで、壁に手を突き見送ろうとしていたが、そんな話しになったので、次第に顔を曇らせ、腕に顔を伏せたかと思うと、泣きじゃくってしまった。ワシがぶちまけたトリガーとなったのが、空のカップ麺が散乱していた事だった。腹が減っていたのだろう。眠たい。そのうちに先生が来た。片付けられない。そんな図式だと後から思った。 潤が本泣き状態なので、ワシは、ちょっとびっくりした。先生は、潤に元気を出させようと思ったのか、2学期、学級委員だし、先生の信頼も凄いじゃん。野球もチームが二つの全国大会にでるじゃん。今って凄いチャンスだよ。凄いことだよ、これから、ちゃんとすれば、成績だってうなぎ昇りだよと声を掛けてくれた。ワシもそう思う。頑張るようにもう一度声を掛け、先生は帰っていった。授業の休み時間に潤が2階から下りてきて、洗い物をしているわしのところに来て、「父さん後で行こうね。」って素振りの真似をしていた。しかし、今の状況では、無理である。一度2階の自分の部屋に篭もった。ワシは、今日は練習に行かないと思い、夕食の仕度を始め、肉を焼き出した。その時、潤はバタバタと階段を下りてきた。「父さん、行こうや!」いつもの潤に戻っていた。潤にしてみれば、ワシがさっき先生にぶちまけたことは、既に過去のことで、今ちゃんとしようと頑張っているのに、全部否定された如く、悔しかったのだろう。ワシも子供の頃、そういった記憶がある。そのことを思うと、心が痛んだ。大阪西ボーイズのホームページに、「親力で決まる子供の将来」というコラムがある。http://www.cwo.zaq.ne.jp/boys_osaka_nishi/これを、読むと、如何に自分が不出来な親か良く分かる。そして、潤に申し訳なく思う。潤を起すときも、寝かす時も、おい、早く・・・がついて周り、口調もきつい。エスティマに乗って、打撃王についたのは午後10半だった。3千円14回券を購入した。ワシは、先程の反省はどこかにぶっ飛んで、やっぱりいつもの口調で、打席に立つ潤に注文を付けていた。ワシが変わらんでも、潤が変わる。潤は文句を言わず、受け入れる。そうなると、ワシは気持ちに考える隙間ができて、親力のことが頭をよぎる。やっぱ、だめオヤジだワシは。打席からでた潤に、声を掛けた。「潤、この前、泊まりに来ていたM君がお前の昔のビデオを見て、昔の方がシャープじゃんって言っていたじゃん。」あれやってみなよ。」また打席に入って行った。また出て来た所で、「ワシ、思うんだけど、お前の、そのスイングは、宝物だと思うよ。誰にも真似できない。だから、色んな人の言葉に惑わされずに、自信を持ってやると良いよ。」と声を掛けた。疲れて腰が痛いと行っていたが、その後2ゲーム続けた。海水浴、家庭教師、深夜の練習で疲れたと思う。時計は12時を等に過ぎていた。家に帰り、出る前に焼き掛けた肉を再び焼いた。サラダを作って二人で食べた。階段を上る潤に、「おやすみ、疲れただろう。」と声を掛けた、「父さん有難う」の声が階段を上りきった頃返ってきた。
2004年07月23日 19時01分35秒

  • 2004年7月16日
    いつもの様に朝練を行った。ボールぶち当て事件以来、揉める事は無い。良い傾向だと思う。今日一学期の個人面談があり、会社を6時で切り上げ、学校に行った。ワシ、潤、先生で1時間も話し込んでしまった。本当は2者面談なのだが、潤は柔道の練習で遅くなり、偶然に学校で出くわした。そんな訳で三者懇談となった。成績は、特に問題が無かったが遅刻の数が非常に多くて、ワシは先生の前で、潤にゲンコツをくれてやった。先生の話では、朝学校にはちゃんと来ているのだが、遠く離れた1号館の友達のところに行っていて、チャイムの着席に間に合わないと言う。1年生の頃より20分早く家を出ているのに、愕然としてしまった。先生の話では、未だ内申には直接影響ないというが、あったまに来て、先生の前で遅刻ゼロを約束させた。体育の成績も困ったものだAAACだった。ワシとしては、これが唯一楽しみなのに・・・。Cが点いたのは知識,理解の項目、ってことはアホってことなのかぁ(笑)。保健体育の期末試験で動作を絵で表す試験があって、上手く書けなかったと言っていた。先生と1時間話していて、潤は先生から絶大な信頼を得ていることが分った。わしは、家での体たらくを知っているので、2学期の学級委員はキャンセルねって言ってみた。すると物事の判断のバランス感覚が良いだの、他所のクラスと比べても自慢が出来る等、言われてしまった。そんなものなのかなぁ。ワシにはよう分らん。昨夜も飯食った後の片付けでもめて、親子喧嘩に発展しかけた。不審な顔でワシは先生と話していると、潤は隣の席で背中を丸めて小さくなっていた。ワシはその瞬間、自分の小さな頃を思い出した。自分は潤ほど出来ただろうか。子供の頃、親父に頭ごなし怒られ、自分をダメな人間と卑下していたことを。恐らく小さい頃のワシと同じ思いをしているのだろう、背中を丸め、ワシと先生の間で小さくなっている潤が、急に可哀想になり、ワシは、「上を向いて胸を張れ〜!、1学期ダメなところは、今度頑張れっ」と頭を軽く小突いた。ゲンコツを食らってなみだ目の潤の顔に少しの笑顔が戻った。先生にお礼を言って教室を出たのは日が暮れた後だった。潤と久しぶりにジョイフル(ファミレス)に夕食を食いに行った。ついこの前まで1人前の注文が二人で3人前の注文になっていた。手足は随分でかくなった。足は抜かれて28、手はほぼワシと同じ大きさだ。でかくなっても、中身は子供で無邪気だ。潤には、幸せになって欲しいなぁ。
2004年07月17日 00時14分11秒

  • 2004年7月7日
    朝練で意見が衝突した。あったまにきてグラブをつけていない潤めがけて、硬球をぶち投げた。勿論ぶつける気でやった。多分10mの距離で100kぐらい。ざまぁミロと思ったが、やりすぎちまった。身体をよじって走って逃げていった。きちがい親父とできるかといった表情だった。ワシは一度家に帰って、頭を冷やした。暫くして公民館に戻ると、潤ももどっていた。ことの発端は、柔軟体操。手を抜いていたので、しっかりやるように言っているうちに口げんかになった。お互い口を利かないまま、ワシは潤を背中の上に乗せて背骨を伸ばしてやった。硬球は、背中わき腹に当たっていた。痛そうだが、知るかそんなの。キャッチボールをしているうちに機嫌が直ってきた。早い話が、身体と頭が起きていなくてわがままになっていたようである。友達が、公民館に迎えに来た。潤はまだ着替えていない。友達を待たせたまま、庭でティーを始めた。今日は、親子喧嘩で大切な時間を無駄にしてしまった。こうなると、メイの散歩時間にも影響する。潤と友達二人を乗せて学校そばのファミリーマートに送っていった。送って誰も居ない時は冷静になれる。痛かっただろうなぁ。わしなら、ぐれるかもしれんなぁ。潤には逃げ場が無いからなぁ。ワシが怒ったら、かばってくれたり宥めてくれる母親がいない。車を降りる頃は友達と笑ってケロっとしていたけど、ふくざつだったと思う。ごめんな潤。今日は帰りが遅い、東京から仕事のお客さんが来て、居酒屋で一杯やった。潤から電話がかかってきた。「父さん、ヤマザキで弁当かったけぇ、心配せんでええよ。弁当買ったら、お茶が100円で買えたから、600円だったよ。それから、2学期、学級代表に選ばれた。」ダメ親父にしては、出来の良い息子かも知れないとなんとなく感じるようになった。以前、クラスの女子が学校で問題を起こした時、潤だけ職員室に呼ばれたことがある。その頃から、先生と信頼関係が出来ているように思える。潤は先生が可哀想だとワシに時々言うことがある。自分の感性で何がどうなのか、客観的に考えられるようになってきたのかな。あまり、頭ごなしに何もかも言ったり命令するのは良くないことだと思う。わしが潤の成長に着いて行けていない。益々ダメ親父だと自己嫌悪になる。家に帰ると潤は寝ているだろうし、何かお土産を買って帰りたかった。セブンによった。結局、ワシは、ビールとつまみで胸焼けしていたので、ジンジャエールを買って帰った。潤は寝床にスポーツドリンクやお茶を持って上がる事がある。二階にあがり、寝ている潤を無理やり起こして、ジンジャエールを買って帰ったことを告げた。これで今朝のことを詫びている自分が情けないが、何もせんよりは、まぁええかぁ。そうだ、今日は七夕だったんだなぁ。忘れとった。
2004年07月09日 00時53分50秒

  • 2004年7月6日
    朝練キャッチボールを終えて、家でティーをした。そのうち友達がやってきたが、かまわずティーを続行。暑いので、その友達にペットボトルのお茶を買ってきてもらった。家の庭で、硬球で、ルイスビルのメイプルでのティー、乾いた小気味良い音が響く。潤は遠投がしたいと朝言っていたので、会社から比較的早く帰って来た。まだ7時前で明るかった。ところが、部活で疲れて帰って来たばかりで、寝入ったところだった。キャッチボールができないが、何か野球に関する事をしたかった。五日市バッティングセンターから頂いてきた投光機が二つ転がっていた。これを配線してケージに灯りを点けようと思った。ディックにバイクで買い物に行った。コードとソケットと結束バンドと色々考えると結構高くなる。とそこに500wのハロゲン灯が特売で売っているのが目に付いた。これだ、これにしよう。10mの延長コードと併せて5000円だった。ちょっと高くついたが、それを設置して点灯するとビックリ、昼間のように明るいし、とても球が見やすかった。寝ていた潤を起こして呼んだ。緑の芝の上に作ったケージは淡い緑に包まれた。その上に白いベースと黒い打席のラバーが美しいかった。われながら感激してしまった。これなら夜の練習は楽しくなりそうだ。潤と夜9時まで練習した。さすがに住宅地なので、それ以降は、やめた方が良さそう。バッティングセンターには、週2回ほどしか行かなくなった。でも、その分練習のバリエーションが増えたと思う。バッティングセンターに行かなくなって、随分お金が楽になった気がする。前はガソリン代も時間も掛かったけど、今は、庭で練習が出来るし、時間が浮く分、走りこみも言われなくてもやっている。五日市バッティングセンターからのネットの贈り物が、潤の人生を変えるかもしれない。大げさかもしれないが、自分で最近は考えてやっているようである。
2004年07月09日 00時24分54秒

  • 2004年7月2日
    朝4時半に潤を起こした。期末テスト最終日。潤的には、これまでで一番自信があるという。そうであって欲しい。明日はジャイアンツカップ中四国大会だ。そんな訳で、ここ2週間雨と試合でチーム練習が無かったので、本日午後5時から7時半頃まで練習となった。練習場所まで送迎が必要なため、ワシは会社を昼には後にして家に帰った。今日、チーム練習前に、潤に庭でティーをやらせてやりたかった。潤もそれを望んでいた。四角く網を張った中に防球ネットを更に張り、天井を高く吊ってようやく午後4時に完成した。潤と4時半にファミリーマートの駐車場で待ち合わせをしていた。今日期末テストの後にも2時間授業があるので、この時間なのだ。チームの練習は午後5時からだ。早めに待ち合わせ場所に行くと、潤が既に到着していた。潤を車に乗せ、家にトンボ帰りし、練習着に着替えさせた。目が輝いていた。早速60球ティーを行った。やっぱり、団地内は思った以上にティーの音が響く。苦情が来なければ良いがなぁと少々心配である。急いで車に乗り、西風新都のジャガーズグランドに行った。皆集合していて、バッティングケージや、マシンセットがほぼ終了していた。監督の指示でマシンの打ち込みが始まった。しかし、スタメン中心で潤の番は最後の最後の方だった。悔しいが現状では仕方が無い。ライトの守備に着いていて、暇そうに球を拾っていた。コーチが潤の所に行き、もったいないから走れと言われ、走らされていた。グランドの外のランニングコースでダッシュを行っていた。暫くして、守備に付けの掛け声で、喜んで守備に着いた。笑ってしまう。暑い中、走るのは、さぞきつかったんだろうなぁ。ようやくしてバッティング練習の順番が周って来た。バッティングは、調子が良かった。左カーブを逆らわず、見事に捕らえていた。練習の後、潤は、誇らしげにわしに聞いた。バッティングどうじゃった?ワシは、良かったジャん、と返した。二人機嫌よく練習を終えた。事件は駐車場で起こった。潤が車に乗って、大きな声を上げた。父さん、ガラスが割れている。これじゃ帰れないよ!見るとエスティマのフロントガラスに大きなひびが縦横に走っていて今にも崩れてきそうだった。練習中に何本かグランドから打球がそれて駐車上に飛んでいた。まさか、ワシの車に当たるとは思わんかった。ぁあああ、やっちまったぁ。そのまま安全運転で何とかディーラーまでエスティマを持ち込んだ。見積もりは約十万円だった。困ったなぁ。ついでに、12ヶ月点検と、タイヤを4本見積もってもらった。そっちの方は6万7千円。まぁこれならええかぁ。全部で17万かぁ〜。エスティマから荷物を降ろしディーラーの営業車を代車として借りた。くよくよしててもしょうがないので、打撃王(バッティングセンター)に練習に行った。ちょうど途中で潤の兄ちゃんと出くわし、久しぶり親子3ン人でバッティングセンターに行った。練習の後は、3人でラーメンを食った。いつもは潤と二人だが、兄ちゃんが加わるだけで、雰囲気が明るくなる。仲の良い二人兄弟。バッティングセンターのホッケーゲームで遊んでいた。兄ちゃんは家に寄ってから帰った。家に帰ってくると、色々な物を自分のアパートに持って行く。でもまぁ、それでよい。家にあるものは、何でも使えば良い。本日は、客人用のシングル布団を持って帰った。潤と兄ちゃんは自分の財布を交換し合っていた。潤は兄ちゃんにルイビトンの札入れをやった(本物)。代わりに潤は兄ちゃんから、透明のビニールの財布を貰った。この子らは、価値とかはあまり関係ないようである。というか、潤にはビトンは似合わない。仕事帰りの鉄筋工のニッカーと地下足袋の兄ちゃんの方が、どこかのアンちゃん風で似合っている。ちなみにルイビトンは、知り合いからの貰いもである。わし的には、使い難い気の使う財布である。ワシは、誕生日に潤から貰った、既にボロボロの黒色の札入れで十分なのである。潤は、兄ちゃんから貰ったものは、それなりに大切に使う。3人とも上手くまとまって得した気分だ。
2004年07月02日 23時43分10秒

  • 2004年7月1日
    ティーのケージを夜中の12時までかけて、完成一歩手前までようやくこぎつけた。現場用の単管を4m×4本、3m×8本、2m×2本とクランプ16個それとクランプカバー4つネットを吊るフック20個3ミリロープ50m、6ミリロープ20mしめて1万5千円ぐらいだと思う。日記をサボっていたので書かなかったが、会社から帰ってから、夜の涼しいうちに少しずつ作っていた。大体一週間ぐらい掛かった。単管を組み立てるのは、比較的簡単だった。一番大変だったのは、五日市バッティングセンターで頂いたネットを補強して編みこんで行くのに3日かかった。ワシがバッティングケージの天井ネットを垂直面に編んでいる間中、潤は家庭教師の先生と理科の勉強をしていた。明日は期末テスト最後の日だ。先生が帰った後、潤は、ちょっと、走ってくるわぁと言って、いつも元気に飛び出して行く。坂の団地1.5キロを一周と坂道ダッシュ50mを10本やっているらしい。いつも汗びっしょりになって帰ってくる。風呂から上がって飯は午前0時を過ぎていた。明日は4時半に起きるのだと言う。潤は、私が作ったケージに入り、満足げだった。明日は、完成すると思う。
2004年07月02日 22時53分48秒

  • 2004年6月26日
    昨日は雨でジャイアンツカップ、中四国大会が中止になった。本日も雨で、中止順延となった。しょうがないのでリビングでゴロリと朝寝をしていると、メールが飛んできて、緑井のバッティングセンターに集合との事だった。潤を起して、バッティングセンターに行った。相変わらず雨である。一人4回行える。左打席が少ないので、左バッターの2年生二人が最後に残った。既にバッティングセンターで打撃練習を終えた選手たちは雨の上がった隣の公園でキャッチボールや素振りを行っていた。潤は最後に集中してやりたかったのだろう、一番最後を選んでいた。それが良かった。監督とコーチにバッチリアピールできた。わしは、監督コーチの会話を聞いてしまった。彼らは、わしが自動販売機の向こう側に居るとは気付かんかったらしい。潤のスイングを分析して嬉しいことを言っていた。具体的には、ここでは書けない。そのことを、帰りの車の中で、潤に伝えた。こういった一言が、かなり、やる気に繋がる。顔色が見る見る、自信に変わって行く。
2004年06月29日 12時52分44秒

  • 2004年6月20日
    今日は、選手権大会予選の準決勝決勝の大事な日だ。だけど昨日は柔道の試合に行ったため、ベンチ入りは出来ないで、観覧席からの応援になるだろうと、思っていたらしい。だから、本当は、疲れているので、行きたくない様子だった。ワシも、疲れていたし、朝、雨が降っていたので、三原まで無駄足になるのが嫌だった。まぁそんなことを言っても、試合に全く関係ない1年生たちが、一生懸命応援に来てくれるわけだし、やっぱ、休むのは良くないと思った。高速代をケチって、朝5時50分に出発した。潤は、みんなと、なんとなく距離を感じている様子、そりゃ、自分は、ベンチの外って思っているから、みんなよりアクションが遅い。試合前にメンバーチェックがあり、皆ベンチ前に整列するのだが背番号5の姿が無かった。ベンチの奥隅に荷物と一緒に居た。潤は自分の道具は準備しなかった。そんな潤にキャプテンが声を掛けた。おい、潤早くしろ、何やってんだ。早く並べ!その声は、自分もみんなと一緒にベンチに入れるという合図だった。潤は、慌てて、自分の荷物をグランドの外のブルーシートのところに取りに行った。その間もメンバーチェックは続く。監督の苛立ちが伝わってくる。ぎりぎりメンバーチェックに間に合い、自分の生年月日と氏名を大きな声で、皆と同じように発していた。試合結果は優勝、全国大会への切符を手にした。しかし、潤の出番は、無かった。まぁ、ベンチから応援できただけでも、ましかぁ。試合を終えて帰りに、グランドに寄った。台風が接近しているので、バッティングケージのネットを下ろしに行ったのだった。三年生保護者に混じり、ワシも手伝った。早く活躍して欲しいな。作業はするが、彼らとは、多分違う空虚な気持ちだった。ワシは、いったい何をしているんだろうと。グランドのレフトのファールゾーンに目をやった。台風の接近で、生い茂った雑草が波のように揺れている。そこに6本のコンクリート柱が風に負けることなくしっかり天を指して立っていた。先日、五日市バッティングセンターが閉鎖になり、そこで頂いたネットを張るために、午前中、小学部のお父さんが協力して、立ててくれたのだった。コンクリート柱の間から見上げる空は雲が流れるように通り過ぎてく。ここにあのネットが張られるのかぁ。バッティングセンターのおじさんが見たら、喜ぶだろうなぁ。生暖かい台風の風を受けながら、足元に横たわるネットが張られて、潤が打つ姿を想像した。みんなが帰った後、潤と二人でキャッチボールをした。腹が減ってくたくただった。ワシは、相変わらず、潤にああでもない、こうでもない言いながら、行った。無意識のうちに、依然出場できない息子に打開点を見出そうとしてしまうのだ。しかし、そんなワシに潤は付き合ってキャッチボールをしてくれる。
2004年06月22日 23時14分44秒

  • 2004年6月19日
    朝5時半起きで弁当を作った。ファミリーマートで朝バナナを2個購入した。朝飯は抜きだった。柔道の試合の前の計量は無事パスだった。団体戦は、体重の軽いほうから先鋒、次峰と並ぶらしい。広島市の柔道選手権団体戦の一番バッターの先鋒だ。対中広中戦だ。ワシの心臓は張り裂けそう。こっちが緊張してしまう。両者決め手が無いまま2分経過、その後、スタミナで勝る潤は足払いで有効をとり、そのまま袈裟固めで一本勝ち。やったぁー。その後次峰、中堅が勝ち3対2で1回戦を勝ち上がった。続く2回戦、三入中との対戦、実はこの子達、試合会場の外で見たとき、高校生かなって思った。なんと、こんな相手とやらにゃならんのかと、不安がました。しかし、試合が始まると終始潤が一方的に攻めた。相手は防戦一方だったが、審判の待ての合図の回数が増すたびに、スタミナ消費が響いた。それでも、攻め続けたがもつれ込んで、身体が反ってしまって、有効をとられた。その後も一方的に攻めるが、時間切れ、負けてしまった。反省点は、攻めが単調だった。押して駄目なら、引いてみなってところだろうか。悔しかったなぁ。勝ち試合だった。チームは、2:3で負けて2回戦で団体戦を終えた。潤が、勝っていたらと思うと、悔しい。昼から個人戦が行われた。何と潤はシードで2回戦からの出場だった。試合早々、体落としを仕掛けるが決まらず、相手を終始振り回す。そのうち足払いが決まり、有効を取る、そのまま倒れこんで、袈裟固めで1本勝ち。55キロ級は50人のエントリーがあり2回戦突破でベスト16。続いて、前回優勝中の相手だ。試合開始、体落としを掛けられるが、上手く相手を潰し、上になり攻めるが審判の待ての声、組み直して、足払いで相手を振り回す。身体の割には、結構腕っ節は強いんだなぁと思った。上手く足が掛けられず、今度は押してみた、小内狩りでも決まれば良いのだが、体落としで決められ一本負け。あぁ残念。経験の差だろうなぁ。力は潤の方が上何だがなぁ。そこが柔道の技なのだろう。とりあえず対した怪我も無く、柔道を始めて8ヶ月では、こんなものだろう。上出来だと思うなぁ。携帯でチームに電話を入れた。チームは8対7で逆転さよなら勝ちとのことだった。明日、台風が来なければ、野球だ。
2004年06月19日 23時48分21秒

  • 2004年6月18日
    足の具合も良さそうなので、今日から朝練を再開しようと思っていたら、雨、まぁええかぁ、今週末は柔道だし・・・。朝起こさずにノンビリ寝かせておいた。仕事中に会社に潤から電話で、早く帰ってきて、靴を買いに行きたいのだと言う。そんなの無理、給料日まではサバイバルゲームだから。それと、ちょいと調べごとがあって遅くなった。家に着いたら八時半だった。潤を起こして、ミートソースを作った。貰い物だが、最高に美味いし、試合前には、やっぱカーボローディングってことでパスタにした。ところが、ところが、潤が浮かない顔。理由は、今日、部活で計量があって、ワシ先鋒じゃなくなるかも知れんと、の事だった。次峰の子より3キロ近く、重たくなっていた。これには、顧問の先生もビックリした様子で、作戦が狂うのだと。そんな訳で、今晩は、減量を言い渡されていたらしい。次峰の子は、ええよなぁ、腹いっぱい飯食えば良いんだからな。そんなこんなで、折角作った、パスタは半分食べて、残してしまった。残りは、勿論、ワシの胃袋と思ったら大間違い、メイは、パスタが大好きで、狂ったように食ってしまった。あぁぁぁ。明日も計量が済むまで、飯が食えんらしい。そんなにシビアなのかなぁ。そんな訳で、足りない分はプロテインで補助した。今日は、食事中に連絡技のビデオを見た。またしても、食事中にワシは胴着を着せられた。かなり気合が入っているようだ。今日は珍しく10時前に寝た。おりこうさん。明日、頑張れよ!
2004年06月18日 22時33分30秒

  • 2004年6月17日
    家庭教師の先生がいる間、1階の部屋を掃除した。メイのウンチの臭いが玄関中に立ち込めてかなり臭い。住人が思うんだから、犬嫌いの先生は、さぞ嫌だろうなぁ。久しぶりにフローリングを水ぶきした。先生が帰った後、潤は自分の部屋を模様替えしていた。珍しい、自分で掃除機掛けていた。わしは夕飯のフライドチキンとシーフードピラフを作った。寝る前に、シャドーピッチングを行った。まだ右足が本調子ではない。土曜日までに治るかなぁ。今日もシップをして寝たようだった。
2004年06月18日 13時21分03秒

  • 2004年6月16日
    会社から帰ると、潤が足の指落としたって言ったので、びっくりして、怒鳴り返した。一瞬心臓がバクバク高鳴った。親ってそんなもんである。しかし、聞きなおして安心した。と同時に腹が立った。柔道の練習で、右足親指から落ちて、畳ですってひねった捻挫のことだった。はだしの足を見ると二つの親指があったので一安心。学生服のカッターシャツの胸がはだけて、胸板の丁度心臓のあたりに青黒いあざがいくつも出来ていた。打ち込み練習の跡だと言う。打ち込み練習200本の後、乱取り20本はきついと思うなぁ。まあ、頑張っているようなので良いことだと思うな。
2004年06月18日 13時17分56秒

  • 2004年6月15日
    朝練、せせらぎ公園に行って行った。ティーを50球、キャッチボール、ノック。軽めで終えた。夜は、バッティングセンターに行かなかった。睡眠を多くとらせたいと思った。バッティングセンターに行っている頃は、夕食が11時だった。今晩は8時半、これでも遅いくらいだなぁ。夜のんびりするのは、ええなぁ。今週は夜練に行かんと思う。というか、柔道に集中だ。食事中に、柔道のビデオを見て研究した。飯食っているのに、「父さんちょっと道着着てっ!」って言われて、食事中に、3回も練習台にさせられた。わしは、暑苦しいのでそのたびに着たり脱いだり、まぁ、ええかぁ。
2004年06月18日 13時09分33秒

  • 2004年6月13日
    午前中、一通り練習を済ませ、午後から紅白戦になった。人数が多いので、守備機会が無い選手が出てくる。潤には守備機会が無かった。打順も下位打線だった。来週の選手権大会に出場しないことを告げていた。何だか、浮いた存在になっているように思えた。夕方になり、最後の潤の打席の時、監督が待ったを掛けた。バッターボックスに入った潤は、代われと言われて落胆の表情だった。潤の代わりに3年生が打席に入った。これまで、2打席でヒットが無かったため、意気込んで入った第三打席だった。打席に入る前は、ミートポイントの確認や素振りを重ねていた。潤は諦めて、バットや用具の整頓を始めると、レフトに入れ!の監督の声が飛んだ。曇っていた顔から、白い歯がこぼれ笑顔に変わった。今まで見たことも無いようなダッシュでレフトの守備に入った。たった1イニングだが、嬉しかったらしい。
2004年06月17日 12時50分51秒

  • 2004年6月12日
    今日、潤は学校にでた。柔道の試合が近いので部活だ。わしは、昨日の五日市バッティングセンターの解体の続きのため、潤を送り出すと、グランドにむかった。そこで保護者数名とジャガーズトラックで、五日市バッティングセンターに行き、さらに、ネットを外したり、ワイヤーを切断したりして昼迄掛けて作業をした。わしはネットをワイヤーから取り外す際に、先端の尖った鋏で左手の平を突いて、大量出血いや、うそ少々出血した。潤のかかりつけの小児科が近かったので、そこで、手当てをしてもらった。なんと、保険証もなんも出さずに直ぐ診察室へ、治療を終えたら、お金要らないよ、って事で、丸儲け。ありがとうね、先生。バッティングセンターに戻ると、みんなは作業を終えて一服していた。わしは支配人にほんの少し、気持ち程度のお礼を渡した。最初は拒否されていたが、リーグからと言うことで、何とか受け取ってくれた。お礼と、これらの備品を無駄にしないと約束して、五日市バッティングセンターを後にした。最後に支配人は潤君に宜しく伝えて下さいと言った。私は、伝えますと言い残し、手を振った。グランドに戻って、作業を手伝ってくれた保護者を車から降ろした後、三和中学に向かった。潤は、柔道を終えて、午後から、チーム練習に参加するためである。コンビにで弁当を買い、車で食って、車で着替えをさせた。グランドにつくと、社会人野球チームとの合同練習だった。向こうは高校卒業の19歳チームのため、木のバットのハンディーをもらった。うちらは金属バットを使った。練習試合はうちの圧勝だった。9イニングで11対0だった。しかし、潤は出番が無かった。羨ましそうに、悔しそうに、素振りやティーを傍らでするだけだった。チーム練習的には、良い練習になったと思う。
2004年06月17日 12時43分35秒

  • 2004年6月11日
    夕べから潤の兄ちゃんが泊まりに来ていた。今日、五日市バッティングセンターの解体のためだ。会社は休みをとった。来週火曜日には業者によって、本格的に取り壊される。支配人に有効利用の話を持ちかけていた。そうしたら、取り壊しの前に、再利用できるものは、取り外して、持っていって良いとのありがたい電話をいただいていた。外は雨が降っている。朝飯を食っているといつもの様に、潤の友達が迎えに来た。台風4号の影響で雨が強いので兄ちゃんと私のエスティマに子供らをそれぞれ分乗させて、中学まで送った。渋滞に巻き込まれ、作業の時間に遅れそうになり、支配人に電話連絡を入れた。こんな雨の中、作業するのかという表情が伺えた。しかし、もう日にちがあまり無いから、ネット、ベンチ、ゴムマットワイヤー等取れるものは取って持ち帰りたかった。野球の連絡網を回しておいたが、金曜日お手伝いできるお父さんはわしの他二人だけだった。マシーンのボールのとび出すところの分厚い二重のネットとマシン裏側のネット、天井ネット、ケージの間仕切りネットを頂いた。作業は午後6時まで掛かった。お手伝いのお父さん二人は、お昼を食べずに退散していた。雨の中、カッパを着ていたが、パンツまでぐしょぐしょだった。暗くなり始めたので作業を中止して、運搬できるものは、二人でグランドに運んだ。小さなネットとゴムマットは、頂いた。家にティーネットを作ろうと思うからだ。家に8時過ぎについた。途中吉野家で、豚角煮丼を潤の土産にかった。兄ちゃんは、汚れ物を洗濯機に放り込むと9時まで仮眠した後、帰って行った。彼女が遊びに来るらしい。わしと潤は9時45分から、打撃王に練習に出た。取り壊す一方で、新しい練習場所で練習、ここに定着して練習するようになるのかなぁ。まだ、しっくり来ない。
2004年06月14日 12時58分33秒

  • 2004年6月8日
    打撃王に練習に行った。14ゲームで300円のカードを前回買っていた。1ゲームは25球だ。閉鎖してしまった五日市バッティングセンターよりは、球の散らばりは少ないから、1ゲーム25球でも、遜色はないなぁ。しかし、やっぱり高いなぁ。あそこは12ゲーム2000円だった。2000円で360球、ここは3000円で350球。しかし、やり方によっちゃ、安く出来る。そう、HRのまとに当てればよい。的に当てれば1回ただ券を貰える。5ゲームやって的に1回当てた。まだ2回余っているけれど、3000円で15ゲーム、1回200円ってことだなぁ。よっしゃ、今後、ガンガン狙わそっと!でも当てに行くようなバッティングだけはせんようにしなきゃなー!振りぬいて、ぶち当てにゃ!帰りに、博多ラーメンをまた食った。ここのは臭みが無くてあっさりしていて美味い。煮玉子が美味い。なんか、五日市バッティングセンター閉鎖のショックから立ち直れそうな、今日この頃。
2004年06月10日 20時47分44秒

  • 2004年6月6日
    朝、携帯にメールが飛んできた。雨天練習中止だ。今日は、日曜日だが、ワシは出勤日だった。潤をグランドに置いて、その後出勤する予定だった。ラッキー、潤をグランドに連れて行く手間が省けた。今日ワシは、社員の研修の先生役、ゥオホン、偉くなったもんじゃのぅ、なんちゃって。会社でちょっと天狗になって授業中、チームから電話が掛かってきた。天候が回復したので、昼から練習します、だと。あっらーもうワシ会社だし、困ったなぁ、潤は、兄ちゃんとその彼女と、アルパークでお買い物に出た後だった。既に12時半を回っていて、どうにもならん。ッてことで、潤は練習を休んでしまった。まぁええかぁ、ワシが行けんから、しょうがない。潤に電話を入れたら、今晩、打撃王(バーチャル)で練習するという。とりあえず、ワシは6時まで仕事をして、ダッシュで家に帰った。潤はいつもの様に寝ていた。起こして聞くと、アルパークの後、倉重運動公園に行って、運動をしていたので疲れて寝ていたのだという。午後8時45分まで寝かせた後、再び起こして、打撃王に練習に行った。少な目の150球で練習終了。昨日の打撃練習で、カーブを右わき腹に当てていた。デッドボールだ。肋骨が折れてはいないと思うのだが、当たった辺りが腫れていて、振り抜くと痛みが走るのだという。まぁ、無理をすることは無い。バッティングセンターの前を出るとそこはラーメン屋がある。ワシらの苦手とする。博多ラーメンだ。どうもワシらは、とんこつが苦手である。北海道の味噌ラーメン、塩ラーメン、東京の鶏がらの醤油ラーメン派だ。ところが、今日に限って、食ってみても良いかなぁ、なんて感覚で、二人で、吸い寄せられるように店の中に入っていってしまった。博多ラーメンはとりあえず好きではなかったので、何を注文しようか、全然思い当たらんかった。しかし、ネギの文字に引かれて、ネギラーメン、それと煮玉子をトッピングした。待つこと数分、白いスープに青ネギてんこ盛りのラーメンが出てきた。これに白ゴマを適度に降り、高菜と紅しょうがをトッピングした。ここらも、私的には邪道だと思う。しかしだ、しかし、食ってみると、あっさりすっきり味で、臭みが無い。実に飲みやすいスープだった。はっきり言って、今までで、初めて美味いと思った博多ラーメンだった。これには潤も同じで、二人で、汁まで飲み干した。これから、バッティングセンター打撃王の後は、その目の前のラーメン屋ということになるかも知れない。潤は、ラーメン屋のおばちゃんと仲良くなるかも知れんと冗談交じりで言っていた。しかし、ここは遠い、家から15キロあるから今までの倍以上だなぁ。そして、高い。これから通えるか不明だ。バッティングセンターを諦めて、家の庭にティー専用のケージを作るかも知れない。思案中。
2004年06月06日 23時56分12秒

  • 2004年6月4日
    これからは、朝練中心に練習することになるのかなぁ。まだ良くわからないが、、。今日は、シャトルを持たずに、硬球をバスケットにたくさん入れて、公民館ではなくせせらぎ公園に練習に行った。ティーをする為にである。シャトルは、打った感触が少ないが、硬球なら引っ叩いて前方に球を飛ばすという感触になる。これが最近良いらしい。続いてキャッチボールをして、その後、内野ノックをするはずだった。しかしキャッチボールの最中、ワシは、急に便意をもよおした。きゃっちボールをそこそこに、脂汗をかきながら、走って家に帰り、便器に滑り込みセーフ。カリーを毎日食っている。それは特に問題ないのだが、ワシは大の辛党で、例えば、タバスコ等、何とも感じないぐらい麻痺している。いつも辛子は自分で作る。100円ショップで鷹のつめを一袋買ってきて、それを、ミキサーで粉々になるまで、ぶん回し続ける。子供のカリーはそのままにするが、わしのカリーは、赤くなるまでライスの方に鷹の爪の粉末を混ぜる。赤いご飯を作る。これが美味い。かなり異常かなぁ、この鼻をつく刺激臭がたまらん、とは言え、やはり生身の身体、お腹ごろごろ文句を言い出したのだった。ワシが、ホッとした頃、潤は一人で道具一式抱えて公園から帰って来た。ごめんなぁ、あはは。今日は潤hは野外活動の代休日で学校は休み。わしは会社に行った。夜、またしてもカリーに鷹の爪の粉末をぶっ掛け、懲りない性分である。食後、潤は一人ポツリと素振りに出て行った、多分。もうバッティングセンターが無いので、今、自分に出来ることをやるのだという。暫く帰ってこなかった。何をしていたかは不明。
2004年06月06日 23時30分11秒

  • 2004年6月2日
    潤の野活3日目、今日帰ってくる。しかし、わしは、会社の送別会のため、家に帰るのが23時を過ぎてしまった。長男に電話して、家に帰って、潤に飯を食わすように言った。友人より食料が沢山送られてきていた。本当は3人で夕食をとりたかったが残念だなぁ。食材の説明を良く読んで、温めて食えと言っておいた。家に帰ると、潤が既に寝ていたが、起きてきた。父さんバッティングセンター如何だった?最後行った?等その様子が知りたいらしかった。わしの説明を聞いた後、やっぱり、バッティングセンターは無くなってしまったのかと、改めて自分に言い聞かすようであった。枕もとにケージの看板があるのに一日目のキャンプは雨で寒くって最悪だったらしい。2日目は宿泊棟だったため、そのようなことは無かったという。玄関に投げ出してあったカバンから、野外活動で楽しく遊んで、くたびれて帰ってきたことが想像できた。送別会の最中に潤から電話があって、にきびの薬を買ってきて欲しいと言っていた。ここは、広島中心部の歓楽街流川で夜のお姉さんご用達の薬屋さんが深夜営業しているため、容易に薬を買うことが出来た。その薬を、ぺたぺた顔に塗って、2階の部屋に上がって行ったた。
2004年06月04日 12時55分21秒

  • 2004年5月31日
    本日野外活動出発の日、しかし豪雨が降っている。大丈夫なのだろうか?心配しながら弁当を作った。今度帰ってくるのは水曜日、ちょっとだけでも淋しいなぁ。その間、メイと二人きりだ。考えて見れば、メイはいつもお留守番で一人ぼっちだから、ワンコってかわいそうだよなぁ。淋しいことに慣れていて、文句を言わんし我慢強い。毎日単調な生活。それでいて、眠ったかと思えば、なにやら、寝言を言って、うなったり、甘い鳴き声を出したり、手足をばたつかせるのである。人間の子供が夢を見ているかの様である。限られた人間に支配された生活空間の中で、無邪気に一生懸命生きている。だから、絶対に、可哀想な思いはさせたくないなぁ。年をとって、毛が抜けて、みすぼらしいワンコになっても、絶対にワシの懐の中で死なしてやろうと思っている。こうやってPCの前に向かっていても、足元に寝そべっている。一人でメイの瞳中をを見つめているとそう思ってしまう。今、バッティングセンターから帰って来てこうして書き込んでいる。家にコインが10枚余っていて2枚を記念に取って置こうと思い、8枚だけ持って出た。一応、最後なので、サンリブに寄って花束を買って、お礼のカードを付けた。ワシの字は、なんて汚いのだろう。親父の字がその花束とは、似つかわしくなかった。広島ジャガーズ、潤と名前を入れた。バッティングセンターは、子供たちで賑わっているかと思えば、大人が多かった。そりゃそうだろうなぁ。ここは26年間やってきたのだから、懐かしむ大人たちが最後の打ち収めにきていたのだと思う。20代の若者は、携帯電話で、あちこち写真を撮っていた。ワシは、彼らのために3枚程、記念写真を撮ってやった。皆、口々に、この写真は、捨てられない、ありがとうございましたと言って去って行った。いよいよワシを含めて4人になった。最後にワシがケージに入った。手持ち最後のコインを入れようとすると、おじさんが、待ったをかけた。コインボックスの鍵を開け、もはや、明日以降コインの意味を持たないそれはとって置いて下さいと言わんばかりに、マシンのスイッチを入れてくれた。ワシはそのコインをジーパンのポケットに戻し、一球一球数えながら、150キロのcageで打っていた。28、29、30。これで終わってしまった。マシンが止まり、静まり返った。潤の代わりを果たせた。おじさんが、はさみを持ってきた。記念に潤がいつも使っていた140キロ6番cageの野球ボール型の看板を外して潤にくれるという。ありがたい。潤は喜ぶと思う。しかし、潤と連絡がとれない。帰ってくるのは水曜日だ。ワシは、そのボール型の看板の緑色の紐が、悲しくて切れんかった。だから、奥の物置から脚立を持ってきて、その看板の紐を丁寧に外した。最後にお礼を言って、握手をして、バッティングセンターを後にした。自分ひとりなので気楽なものである、今晩は、夕飯を作らなくても良い。そんな気持ちには慣れなかったというか、いつもと違って空腹を感じなかった。家に帰り、玄関を開けると、何も知らないメイが元気よく尻尾を振って出迎えてくれた。わしは、貰ってきた140キロ6番ケージの看板を潤の寝床の枕元の壁に吊った。雨が相変わらず降っている。潤は今晩はテントで寝ているはず、元気な顔で帰ってきて欲しい。
2004年05月31日 23時49分56秒

  • 2004年5月30日
    昨日、潤は出番の無いまま、中国大会を終えた。またしても、府中バイオレンツに引分の末、くじ引きで涙を飲んだ。なんか、バイオレンツとここのところ因縁めいた試合が多い。今日は、3年生、2年生が丸刈りにして練習に参加した。一方潤は、本日野外活動の前日で、学校登校日なので、練習には参加しなかった。朝、昨日に続き、手弁当を作って持たせてやった。最近、ワシも大分段取りよくなって、朝6時起きで間に合うようになった。わしは、潤を送り出すと、グランドに向かった。子供が学校なのに、親父だけ参加する、周りから見れば変な親父である。潤がいないと、どう過ごして良いかわからないのだと思う。やることが無いわけではない。庭の手入れや、掃除など沢山あるが、それらとは、関わりたくない自分が、勝手にグランドへと向かってしまう。今日も一日、無事終了。夕方になり、空は泣き出した。家に帰ると、部活でヘロヘロの潤が寝ていた。暫くそのまま寝かせておいた。今日、学校は2時に終わったので、野球の練習に参加しようと思えば、2時間ぐらい参加できたのだが、6月に入り柔道の公式戦があるために、柔道部のみんなに迷惑は掛けられないと言って、部活に参加していた。今回は団体戦には、参加するようである。Aチームの先鋒らしい。土曜日が団体戦で日曜日が個人戦だ。本来、迷惑の掛からないように、個人戦に参加するべきなのだが、次の週、野球も公式戦が控えているため、日曜日の野球の練習には参加したいと、言うことで、土曜日の団体戦に出るらしい。そんなこんなで、結構、毎日くたびれた顔をしている。8時になり、潤を起こした。バッティングセンターにお前が行けるのは、今日が最後だぞというと、飛び起きた。そう、5月いっぱいで閉鎖してしまう。26年間続いていたのに・・・。潤は、一度仕度をすると、また2階の部屋に上がっていった。暫くすると、手紙を持って降りてきた。聞くと、バッティングセンターのおじさんに、これまでの、お礼の手紙を書いたのだと言う。封筒が無かったので、会社の封筒にその手紙をいれ、自分の名前の下に、ありがとうございましたと綴った。糊が無かったので、ガムテープを綺麗に切って蓋をした。エスティマに乗り、何を書いたのか聞いたが何も教えてはくれんかった。会話も無く、最近買った、中古のCD、AGAINという曲を口ずさんでいた。バッティングセンターに着き、いつもの140キロの6番cageに入って行った。いつも最初はちんたらやるのに、今日は、一球一球大切に打ち返していた。そのように思えた。9時半を過ぎ、最後の客になった。これで、潤は、こことはお別れ、父さん、車に行こう。誘われて車に戻った。さっきの封筒綺麗に開けてくれん?ワシのバッティンググラブの片方を一緒に中に入れる。潤はそういった。おっ、それは良いかも知れん。そして、もう一つは潤が持って置くのだと言う。潤は雨の中車を降りて、受付まで走って行った。ワシは、速く走らんと、入り口のガレージが閉まってしまう。そうしたら、渡せなくなるじゃないかぁ、と気をもんだ。車を方向転換させて、入り口まで行くと、潤は、おじさんに丁寧に挨拶していた。そして握手をすると、こちらに走って車に飛び乗った。どうだったと聞くと、おじさん、半泣きだったよとだけ言った。暫くして潤が手紙の内容を教えてくれた。潤が小学2年生から、ずっと通いつめたバッティングセンター、6年間どうもありがとうという内容らしい。誤字脱字が無いことを祈りたい。明日は、野外活動、潤はここにはこれない。代わって、わしが、最後の客になろうと思う。
2004年05月31日 23時07分27秒

  • 2004年5月24日
    月末はどうして忙しいのだろう。今日は、家に帰れそうもない。わし、もう歳よ、いつまでも若くないの、しんどいの。おまけに、明日から中間テスト、潤に腹いっぱい美味いものを食わせにゃ。明日の朝飯もバランス良くと思っていたのに・・・。今日は完璧徹夜体制、印刷会社の締め切りに間に合わないから仕方ない。一度仕事を20時で切り上げ、夕飯を食わすために、バイクで帰宅した。のんびり夕飯の仕度はできないので、セブンでカツ丼を購入して、家にあった野菜とミートボールで簡単な夕食にした。わしは、カレーの残りを口にかっ込み、エスティマで会社にトンボ帰り、あぁーバッティングセンターも行けなかった。しかし、潤は自主練はしたと言っていた。そうだねぇ。いつまでも父さんは一緒じゃないし、自分で考えてやることが、今後一番よい事だと思うな。頑張れよ潤。今度いつ、会えるかなぁ、悲しい。
2004年05月25日 08時15分52秒

  • 2004年5月23日
    ま、まずい!なんと集合時間まで後10分。夕べ、家に帰って、寝ようと思ったら、会社から電話が入った。家のPCからリモートで緊急対応、結局寝たのは午前2時すぎだった。丸2日殆ど寝ていなかった。そして、今日は、寝坊してしまった。ファンゴ(ノックバット)は潤の担当でうちの車に積んでいるため。うちが遅刻するとチームに迷惑が掛かってしまう。食うものも食わず、車をぶっ飛ばし試合会場へ。何とか間に合った。辛いなぁ、ここ最近、集合に遅れ気味なのは、わしの所為だから。今日は準決勝勝てば決勝、一つ勝てば、中四国大会の切符を手にする。試合は昨日と変わって、打線が火を噴いた。2試合ともコールド勝ち。しかし、潤は、又してもで番無しだった。ぅんん〜、代打使って欲しかったなぁ。しかし、出れない3年生も居る。今は、充電期、この悔しさをばねにして欲しいな。多分、この方が、潤の気持ち的にはプラスみたい(笑)。試合を終えて、バッティングセンターに直行した。あさってから中間テストだけど、まぁええかぁ。わしと潤はバッティングセンターに着くなり、車で2時間も寝入ってしまった。やっぱ、疲れているんだなぁ。ケージに入ったのは、バッティングセンターについてから3時間後だった。ケージの中の潤は、なにやら、考えているよう。フルスイングはあまりしないで、何かを確認しているかのようだった。家に帰って、直ぐに家の中に入ると思いきや、素振りをするからと言って、バットを持ってどこかに行ってしまった。家庭教師の先生がもう直ぐ来るというのに。わしは、久しぶりにインドカリーを作った。今晩、兄ちゃんが帰ってくる。皆でカレーを食べるのは楽しいから。
2004年05月25日 08時03分21秒

  • 2004年5月22日
    目覚ましの音が恨めしいなぁ。しかし、今日は試合だなぁ。弁当作らなきゃ。兄ちゃんは6時に既に仕事に出かけて行った後だった。ランドリーのスイッチぐらい切って行って欲しかったなぁ。人の苦労も知らんと。夕べ買い物にも出れんかったので冷凍庫の冷凍食品ばかりの寄せ集めの弁当になっちまった。緑が足りないなぁ。まっ、ミックスベジタブルでごまかそう。飯は、コシヒカリの無洗米。これ高いけれど美味い。少しでも食がすすめば、良いな。朝、グランドで打撃練習を行った。その後、試合会場に移動した。潤はメンバーに入っていた。40人以上居ると、ベンチ入りも難しくなってくるなぁ。ここで埋もれてしまうわけには行かない。結局、出番は無かったが、チームはリベンジを果たした。帰りに、潤の友達の所によって練習をして帰った。フリーバッティングと内外野ノックを行った。練習の後、友人夫婦と皆でお好み焼きを食った。美味かった。明日、1勝すれば、中四国大会に行ける。潤は、出れないことに対し、何か感じてくれればよいが・・・。
2004年05月25日 03時05分10秒

  • 2004年5月21日
    明日、試合だと言うのに、朝4時まで仕事、結局夕食は準備してやれなかった。勿論バッティングセンターでの練習も無し。素振りをしたといっていた。家に着いたら、兄ちゃんが戻っていた。洗濯機に濡れたままの作業着があった。これ、今のうちに干さないと、後2時間後には、着るんだろうに・・・。洗濯機から取り出し、エアコンをランドリーにセットして、それでも間に合いそうに無いので、ヘアドライヤーで作業着を乾かしてやった。6時半には飯が炊けていないといけない。潤の弁当を作るためだ。ヘアドライヤーで1時間乾かしたら、木綿の作業着と、作業ズボンは大分乾いた。炊飯器のスイッチを入れ、1時間程、仮眠した。
2004年05月25日 02時53分40秒

  • 2004年5月18日
    雨、バッティングセンターで練習。以前のようにヒッチはなくなったが、サイレントピリオド的なふっと力を一瞬抜く小さなトップになった。これで、OPENスタンスで立つ、踏み込む時は、ちゃんとスクエアになるのだが、タイミングが合わないと手打ちになりそうで、危なっかしい。ここで、意見が割れた。お互い、納得しないで帰宅。潤的には、わしの指摘が分かっていると思うが、素直に聞き入れられないんだろうなぁ。まぁ、しょうがないかな。わしも返事を無理強いしてもいかんと思う。
2004年05月22日 02時59分45秒

  • 2005年5月17日
    朝、潤を送り出したものの、体調が優れず、会社を休んだ。休むと電話連絡した後、午後2時半まで、完全に寝ていた。疲れが溜まっていたのかも知れない。先週金曜日は、家に帰ったのが1時で、それから家事をして寝たのが3時だった。週末忙しいのが一ヶ月続いている。潤に金曜の晩は飯を食わせていない。悪い親父。そして、土曜は朝6時に弁当を作る。皆、買い弁はいないから、家も弁当を出来るだけ作るようにした。土曜日に、一日石拾い。日曜日は、午後からだが、人ごみに揉まれた。もう、若くないんだなぁ。まぁ、わしが、会社休んでも、会社は大勢にえいきょうないじゃろうから、まぁええかぁ。今週末も忙しいのが予想される。いやじゃなぁ。
2004年05月20日 00時16分14秒

  • 2005年5月16日
    雨で練習中止になった。週末は雨で泣かされる。昼まで二人で寝ていた。身体が痛いという。柔道の練習で左腕上腕三頭筋が張っていると言う。そういえば、団体戦でAチームの先方らしい。個人戦も出場できると言う。6月の練習日の土日だが、翌週が公式戦なので、悩んでいる様子である。どちらでも良いと思う。今の感じでは、土曜日の団体戦に出場して、個人戦は辞退して練習に参加するつもりでいるようである。柔道の大会は、一日で全て終わるので楽である。雨天順延がない。(当たり前か)今日は午後から広島キリン麦酒工場跡地に出来たダイヤモンドシティー・ソレイユに出かけた。ここまで、来ることは、めったにない。特に買うものなど無いのだが、潤が友達との話題に乗り遅れるから、連れて行けとのことで、来ることになった。ちなみにワシは、デパートやショッピングモールが大の苦手である。しかし、潤と二人たまに町を散策するのは悪くない。人ごみは、潤の方が慣れているようだった。駐車場から店内に入るなり、広さにびっくりした。商工センターアルパークの2倍以上の売り場面積かな?まぁ、沢山人がいること。わし、横浜の本牧の出身で、今はどうかしらんが、そごうやマイカル本牧ができた時、ぶっ飛んだが、久しぶりに沢山の人と明るいきらびやかな店内を見ると、立ちくらみがする。場違いである。暫く歩くと、向こうから、可愛らしい女の子が笑いながら手を振る。ワシにではない。潤にだった。隣のクラスの女子数人が潤を見つけて呼んでいた。なんとなく、息子が誇らしかった。人気者っぽいところもあるようである。潤のT−シャツを探した。うぅーんない。あるのだが、高い。潤は飽きて、携帯売り場に行ってしまった。ついにT−シャツはかわずじまい。潤は、父の日近いから、自分の物かいんしゃいと言った。わしは、鏡に映る自分の姿に、年をとって汚らしくなったなぁと感じた。おまけに紺の上着の下に見える白いシャツの襟が破けているではないか。頭も白髪が増えた。こんな、汚い親父じゃ、嫌だろうなぁ、可哀想に。ワシではない、潤が。ダイエーの下着売り場に行った。父の日セールで冷感下着とかが売っていた。普通の綿やアクリルと違って、触った感じがひんやりする生地で出来ている。しかし、これまた高い。2千円ぐらいした。こりゃ、買えん。下着売り場の外れに、ひっそりとLLサイズで1枚190円の肌着を見つけた。これで十分。ワシはこれを3枚手に取った。潤の何も買っていない、何か買わなきゃ。そう思った。最近、流行のくるぶしまでの靴下二足組み780円を手にとって、レジに向かった。長い買い物は終わった。二人で、色々歩いた後、腹が減って、何とかピクニックと言うサンドイッチのお店(ちょっとお洒落)で昼食をとった。といっても既に5時だった。ワシはアメリカンサンド、潤はお店のお姉さんお勧めのジャーマンサンドを注文し、二人で向き合って、座り、ソフトクリームとMサイズのメロンソーダを交互に二人で味わった。考えて見れば、ワシが潤ぐらいの時、親父の口つけたモノを気にせず自分の口に運んだだろうか?わし、神経質だったから、せんかったと思う。潤は、平気なんだなぁ。何だか嬉しいような、心が痛むような。歩きつかれたけれど、楽しかった。帰りに雑貨屋に立ち寄った。色んなものがあって楽しい。自分の部屋に張るといって、105円のシール同じものを2枚買っていた。一枚は、兄ちゃんにやるのだという。この店で30分時間を潰した。帰る途中、潤は散髪すると言い出し、床屋に寄った。基本はスポーツ刈りなのだが、襟足を長く伸ばしている。これは、チームの先輩たちから縁起が良いから切るなと言われている。ジャイアンツカップが終わるまで切れんらしい。その旨、床屋のおっちゃんに話して、耳の横を透いてもらっていた。続いて、やっぱり、バッティングセンターで練習。この頃、ワシは、急に具合が悪くなって、立ち上がれなくなってしまった。こういうことが年に数回ある。全く立っていられなくなり、バッティングセンターのトイレの中で、屈みこんでしまった。兄ちゃんを電話で呼んで、潤を迎えに来てもらった。ワシは、暫くエスティマの中で横になって休んでいた。潤の夕飯を食わすように、兄ちゃんに頼んで、兄ちゃんの車で潤を飯屋に連れて行ってもらった。ワシは、暫くして、エスティマで家に帰りそのまま、寝てしまった。目が覚めたのは午前0時頃だった。潤は兄ちゃんとスーパー銭湯に行った後、ラーメンを食いに連れて行ってもらったらしい。そう兄ちゃんから聞いて安心した。兄ちゃんは、今では、役に立つし、ありがたい。りポビタンを買ってきてくれていた。いつの間にか、こっちが世話になっている。有難う。
2004年05月20日 00時07分42秒

  • 2005年5月15日
    ジャガーズグランドで練習した。グランドが大分整備された。今日は一日小石を拾おうと思っていた。保護者席や、バッティングケージの辺りが忘れられたようになっている。というか、先ずはグランドということだから、そこまで手が回らないといったところだ。今日は、フェンスのネット張りが行われた。そちらも気にはなったが、自分たちの居場所を綺麗にしたかった。小石を拾っていたので、潤の打撃練習の様子はわからんかった。しかし、午後からのマシンを使った紅白戦では、活躍したようであった。守備は、久しぶりのセカンドで、連携がわからずトンチンカンだった。試合が中断し、監督に呼ばれて怒鳴られていた。打撃では、5打席、ライトと右中間に柵越え2本、送りバント成功、レフトフライ、センターフライだった。うちのグランドはライトが短いので、直ぐに柵を越えてしまう。潤はリトルのクセで悠々と走塁した。監督から激が飛んだ。エンタイトルツーベースだが、何のことはない普通の球場ならライトフライか、ライトオーバーである。しかし、右中間にはよく飛んだ。後で聞いたが、詰まった当たりだったという。まぁ、何れにせよ、福岡遠征から、今日までは、打撃は調子が良いようである。練習後、一度家に帰り、着替えて再びバッティングセンターで練習した。
2004年05月19日 23時16分07秒

  • 2004年5月10日
    会社から帰るとやっぱ潤は2階の部屋で寝ていた。部活と体育が疲れたと言う。バッティングセンターに向かう車の中で久しぶりにファミリーマートでフライドチキンを間食をした。今日は、駐車場に車が無かった。何だか淋しいなぁ。まぁ貸切になるのでワシらにとっては良いが。暫く打っていると、二人の若者が登場。如何にも肉体労働者風だった。威勢の良いアンちゃんたち。潤を見ると、おっ?瀬戸内か?と聞かれていた。そのアンちゃんたちのスイングもしっかりしていた。如何にも野球部OBっぽかった。潤は、瀬戸内ってことは高校生?高校生に間違われたことを、凄く喜んでいた。笑ってしまう、その後は、なりきって打ち込んでいた。この兄ちゃんの勘違いが潤にやる気をくれた。有難う、族っポイあんちゃん。ニッカーをはいていて、眉毛そっていたけど、ケージの中で目が輝いていたよ。
2004年05月11日 00時55分36秒

  • 2004年5月9日
    朝は6時に起きた。昨日に続いて、手作り弁当を作ってやろうと思ったからだ。潤はいつも買い弁だから、可哀想だと思って、昨日は頑張った。今日もっと思ったが、朝から予報通り雨だった。暫くうとうとしていると、練習中止のメールが入ってきた。やっぱ中止かぁ。と思ったら急に気が抜けてきた。なななんとこのまま午後5時まで寝ていた。潤は2階で大人しく、歌を歌ったり、CD聞いたりしていて、疲れて寝ているわしを起こさんで居てくれた。有難うな潤。結局この日は、起きても頭痛がして一歩も外に出なかった。バッティングセンターも行かなかった。こんなに寝たのは何年ぶりだろう。ひょっとすると10年ぶり以上かも?
2004年05月11日 00時46分52秒

  • 2004年5月8日
    チーム練習が終わってから、いつもならバッティングセンター直行なのだが、今日はワシも何だか疲れていたので、久しぶりに、一旦家に戻った。いつもは、疲れていると、バッティングセンターの駐車場に車を止め、間食しながら小一時間休むのだが、今日はワシがダウン。潤も家に着く頃には眠ってしまった。メイを車から降ろして、先に洗い場で足と腹を洗った。その後車で寝ている潤を起こして、風呂に入れた。二人と1匹で午後8時まで仮眠した。結局、潤にとってみれば、いつものライフスタイル。学校の部活(柔道)を終えてワシが帰ってくる午後8時頃まで仮眠だからなぁ。まぁ、この方が、調子が良いのかも知れない。潤とバッティングセンターに行って練習した。今日、練習で嬉しいことがあって、俄然張り切っていた。バッティング練習の打順が上がったこと。コーチにちょっとばかり褒められたこと。アメリカンノックの特練に呼ばれたことらしい。外野守備は、久しぶりで、大そう楽しかったとのことだった。バッティングケージで140キロの打席を防球板から撮影した、昨日より、更に正面に入った。これ、おっかないけれど、おもろい。失敗するとカメラ壊れるけど、なんか、止められない。何だか撮影の目的が違って来ているかも?まぁええかぁ。
2004年05月11日 00時38分04秒

  • 2004年5月7日
    午後8時半に帰宅、相変わらず、帰りが遅い。遠征でバッティングが良かったので、バッティングセンターでも調子が良い。久しぶりに、カメラで撮影した。一球一球を大事に、瞬発力を意識してスイングするようにしていた。
2004年05月11日 00時27分55秒

  • 2004年5月6日
    兄ちゃんは6時にはバナナ一本持って家を出た。潤は朝練することなく、学校に行った。帰って見ると、家庭教師の先生が来ていた。既に8時半だった。急いでお茶菓子を出した。兄ちゃんがUSJの土産に買ってきた、生八橋をだした。授業を30分切り上げてもらい、8時56分で終了。急いで二人でバッティングセンターに向かった。久しぶりにデジカメで撮影した。最近は、ボールを叩く音が以前とは違う。今後も違っていくと思うが、ここは閉鎖まで秒読みに入っている。受付の事務所内で、支配人と解体業者らしき二人と話を詰めているようだった。皮肉なことに、閉鎖と決まってから、駆け込み需要がある。午後10時近くまで、お客さんが数名居た。以前は9時半を過ぎれば、貸切状態だった。今日は10時5分まで時間延長したが、最後まで気持ちよく打たしてくれた。家に帰り、晩飯の仕度をした。カルボナーラを作ろうと思ったが、夕べの鶏肉があったので、ベーコンの代わりに鶏肉を炒めて、バターチーズ牛乳、ニンニク、ブラックペッパーピンクペッパーで味付けした。最後にタマゴを2個落として、固まらないうちに、かき混ぜて麺と絡めて出来上がり。出たとこ勝負だったが、気に入ってもらえた。また、今日から暫くは、二人だなぁ。
2004年05月07日 13時25分51秒

  • 2004年5月5日
    夕べ、長男の友達が、遊びに来て、そのまま、潤の部屋で3人で夜を明かした。今朝は、わしを含め4人分の朝食を作った。4人居ると、なんか楽しい。普通の家はこうなんだろうなぁ。兄ちゃんらは、もう自立しているし、煩く言うことも無くなった。怪我をしないで、元気にやっていれば良い。朝飯を食ったら、兄ちゃんら二人は、どこかに遊びに行った。潤は、久しぶりに友達のところに遊びに行った。わしは、家で草むしり。メイと二人きりだ。2年後には、毎日がこうなる等と考えながら、昨年秋以来、伸びきった雑草を刈った。そんなわしをメイは、コニファーの木陰で寝そべっている。考えて見れば、この木も、わしの背丈ぐらいしかなかったが、今は3mを越す。日差しが強くて頭痛がしてきた頃、潤が帰ってきた。兄ちゃんから貰ったベースの4弦が切れているので、買いに行きたいという。友達と潤をエスティマに乗せ、楽器屋に行った。バッティングセンターにも勿論寄って、練習した。携帯に兄ちゃんから電話が入り、今晩も泊まって行くという。潤は、兄ちゃんにずっと居て欲しいとわしの電話口で言った。今晩のおかずを考えながら、帰宅した。潤は、友達と二階の部屋でフォークギターとベースでなにやら、ジャラジャラやっていた。まだ弾けないのであるが、楽器を持つことが嬉しいのだと思う。教本とcdで練習しているようだった。暫く、わしは仮眠した。目が覚めると夜で、友達は帰宅した後だった。夕食を作っていると、兄ちゃんがソファーを担いで帰ってきた。潤にやるのだという。後から聞いた話では、潤は兄ちゃんにTシャツを買ってもらっていた。3人で、フライドチキン&フィッシュと野菜サラダや、フルーツを食べた。食事が楽しいのだろう、潤の箸がすすんだ。流しで洗い物をしていると、兄ちゃんは玄関で、仕事道具の手入れを始めた。安全ベルトと命綱のフックのようなものを手入れしていた。工具に落下防止のわっかをナイロン製の紐で作っていた。危険な仕事をしているのだと、想像するに難しくない。コンパウンドで、滑車のようなものを磨いていた。今は、自分の好きなことをやらせてくれという。助けが要るときは、言えとしか言えなかった。
2004年05月07日 13時13分04秒

  • 2004年5月4日
    恨めしい雨である。昨日の雨が今日も降っていた。ホテル8階の窓から飯塚の町を見下ろした。路面は濡れ遠くに霞む山は墨絵のようだった。朝食の時に試合が中止になったことを告げられた。ホテルを8時に出て、広島に向かった。途中関門海峡で休憩したが、昨夜、親父会が居酒屋で盛り上がった所為もあって、殆ど道中は寝ていた。広島経済大学に午後1時に到着した。ここで解散になり、エスティマで家に帰った。愛犬のメイは、この遠征の間、一人でお留守番だった。一泊二日は大丈夫なのだが、二泊三日のお留守番は、初めてだった。大丈夫かなぁ。しかし、昨晩から、潤の兄ちゃんが、家に戻って、メイを見てくれていた。携帯で兄ちゃんは、メイが喜んで飛びついて離れなかったと話していた。有難うな、兄ちゃん。家に着くと、メイも兄ちゃんも居なかった。散歩に出ていた。私と潤は、長旅の疲れで、数時間そのまま寝てしまった。メイにぺろぺろ舐められて、漸く、目が覚めた。兄ちゃんは、見ないうちに大分大人っぽくなっていた。会社の車を借りて、もう一人前に運転していた。このゴールデンウイークの間、USJに行ってきたと言う。一人暮らしで、手間の掛かるものを食ったことがないというので、ケララカレーを作ってやった。焼肉とか寿司は、外食でよく食べるので、家のカレーが食いたいのだそうだ。兄ちゃんの車で買い物に出た。運転は安全運転で上手かった。買い物を終え、飯を食った後は、練習に出た。潤は、未だ遠征帰りのアンダーシャツのままだった。バッティングセンターに行く途中、ライト前ヒットの感想を聞かせてやった。あの走塁は、本当に良かった。打つので精一杯かと思っていたが、いつの間にか、成長していたんだと、改めて気がついた。左中間もあそこしかないと思って、少し遅らせ気味にバットを出したのだという。お疲れモードでコイン6枚で終了。
2004年05月05日 23時19分29秒

  • 2004年5月3日
    天気予報では90%の降水確率だったが、以外にも陽が差していた。八幡イーグルスさんとの親善試合、昨年秋の大会でも対戦していた。勝敗は忘れた。第一試合、潤はベンチ、やっぱり、未だ信頼は得られていないようだ。試合開始15分もすると、ぽつぽつと空は泣き出した。困ったなぁ。しかし、素晴らしく整備されたグランドで締まっているが、水はけが良い。第一試合無事終了。続いて第二試合がはじまった。第二試合の選手は、3年生の一部と二年中心と、1年生3名が加わった。来期が近いことを感じた。考えて見れば8月には3年生は引退してしまう。潤は5番サードで背番号5だった。この試合、3回で雨天ノーゲームになってしまった。残念である。しかし、親ばかの私的には、ここ最近で一番うれしかった。潤が活躍してくれた。第一打席2アウト、ランナー二塁で先発左投手から痛烈なライト線一直線のシングル打を放った。一塁を駆け抜けるかと思いきや、ライトからカットに入った二塁手を見ながら、オーバーランして、二塁手の注意を引いた。その隙に、三塁を回った、ランナーが無事生還してくれた。これは、監督に褒められていたようだった。続いて、第二打席やはり2アウトからファールチップを交え2−1から、左中間真っ二つフェンスまで到達するゴロを放った。前の打席でライトに打ったため、外野は右方面にシフトされていた。ライトから、まぐれまぐれと声が飛んでいた。二番手の右投手から、3ベースヒットを放った。あわや、ランニングHRを期待したが、惜しかった。後で聞いたのだが、あそこに打とうと思ったとのことだった。第一打席は、ライトフェンスまで91m、センターまで100mの球場なので、一発を狙っていたと言う。雨で、バッティンググラブがぬれていて、片手に力が入らなかったといっていた。つまり、悪天候が予想される時は、バッティンググラブを二セットは用意した方が良いということだと思う。一打席目は、ゲームを読んで、三塁ランナー生還のための策を講じたこと、2打席目は、左中間狙ったところに打ったことが、私には、非常に嬉しかった。
2004年05月04日 23時00分36秒

  • 2004年5月2日
    第13回ゼット旗争奪福岡大会の開会式が始まった。今回は、大阪から沖縄まで53チームが出場する大きな大会となった。1回戦は両軍締まった試合展開で、ナイスゲーム我が軍が勝利を収めた。10休憩で地元ライジングスターズとの対戦になった。子供たちは、昼飯を半分程しか食わない子が殆どだった。1回戦の40分前に昼食を食わしたのだが、長旅と睡眠不足で殆どの子が飯を残していたのだった。案の定、2試合目は、スタミナ切れと集中力切れに陥り、結局先取点は取るものの、終わってみれば5点差の完全な負け試合だった。本日出番なし。しかし、2年生が二人、スタメンに食い込んでいた。強いチームは、遠征疲れや悪コンディション等、モノともせずに勝つチームのことを言うのだと思う。アウェーは確かに不利かも知れんが、根本的にはそんなことではないと思うな。のがみプレジデントホテルに宿泊した。潤は主将と数名の三年生に混じり、河原で素振りをしたと言う。皆、負けて悔しかったのだと思う。チャンスは、あったのに、たたみこめることが出来なかった。公式戦は1日で終わってしまった。明日は、地元イーグルスとの親善試合が予定されている。出番はあるかなぁ。
2004年05月04日 22時32分09秒

  • 2004年5月1日
    明日から遠征で、その練習をした。潤は第一班には、未だ入れない。班というか、打撃練習の順番なのだが、A,B,Cの3つのグループに分かれていて、3年生中心、2年生中心、1年生中心のグループ分けだ。Aのグループに2年生が2,3名入っているが、ここには未だ入れていない。このチームは、スタメン組みで、打撃練習も沢山行える。潤は彼らの半分の量の練習だ。いつも、悔しそうにしている。あすから遠征なのだが、おのずと、明日、出番が無いことを感じ取る。悔しそうだ。まぁしかし、3年生にしてみれば、最後の福岡大会でもある。試合には強いものが出ることが出来るのは、至って自然でフェアだと思う。力が足りないだけ。チーム練習の帰りに、バッティングセンターに寄って練習した。今の3年生や2年生スタメン組みより自主練習して、頑張らなければ、日の目は見ない。悔しさをボールにぶつけていた。コイン12枚行った。明日は午前2時半起きなので、スーパーで出来合いのオムライスと上カルビとブリの照り焼きを買って帰った。上カルビは潤の最近のお気に入り、今日は、しっかり夕食を食べた。最近、飯が美味いという。良いことだと思う。それにしても、後4時間しか眠れない。
2004年05月04日 22時18分38秒

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