第85回全国高等学校野球大会開催記念中日選手の甲子園

中日の選手の中には多くの元高校球児がいますがその中でも憧れの甲子園
グランドに立てた人はごくわずか。
あのH元監督でさえ甲子園は憧れのままだったらしい。
そんな中、あの甲子園で脚光を浴びた中日の選手達を当時の写真と共に改め
クローズアップしてみようというのが企画の趣旨です。

谷繁元信捕手
「山陰の怪童」といわれ、島根・江の川高校を2年連続で夏の甲子園に導いた。強肩・強打の捕手として87年夏の大会(2年生)では初戦で横浜商と対戦したが涙を呑んだ。88年夏も連続で甲子園に行ったのだが、島根大会で5本塁打を放ち、「島根県大会NO1の強打者」として甲子園に望んだものの期待のHRは出ずに終わった。しかし、この大会では江の川高校を夏の甲子園ベスト8まで押し上げた原動力となったことは間違いないのだが、本人は甲子園通算成績「2割6分7厘」の成績に物足りなかったようで「どうせ俺の力はこんなもの」という言葉を残して甲子園を後にした・・・。


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