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2006年4月5日 (水) 飲尿療法!
これは、栄子先生にも尋ねてみたが、あまり良い返事ではなかったです。災害にあってどうしようもなかったら飲むかもしれないが、・・・・という返事でした。(ビートたけしに至っては、人間として品性の問題としてできないと、・・・・。まあ彼は頭が良いからしょうがないのだろうけど)
「一遍と尿療法」
念仏賦算の遊行僧として後世に「捨聖」と謳われた一遍上人ですが、上人についての資料は甚だ少なく、修行の跡を辿るのも容易ではありませんが、一つには自らの死期を悟った一遍上人が、所持していた全ての書籍類を焼き捨て、「一代聖教みな尽きて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」と述懐していることからも分かりますように、修行の足跡を記した資料等を自らの手で葬り去ったことがその大きな原因と申せましょう。
しかし、一遍上人の没後七年に書かれた『天狗草紙』などを探り求めてみますと、その中の第三場面に於きましては一遍上人の尿を薬とするため、尼僧達が尿筒(しとづつ)に採っている所が描かれており、
「あれみよ尿を乞う者の多さよ」
「これは上人の御しとにて候。よろづの病ひの薬にて候」
と尼僧達が口々に唱えながら、上人の尿を求めて集い寄る民衆たちに分け与えていたようであります。
この尿療法が何時頃から行われていたかを調べてみますと、印度では今から4000年前、支那でも1500年前、そして我が国ではおよそ750年前の鎌倉時代には前述の通り一遍上人によって行われていたことが分かっております。しかし、その後仏教の各種宗派の勃興や漢方ならびに蘭医(西洋医学)の普及により、次第に表舞台から姿を消して行ったのであります。しかし、支那や印度、そしてカナダ・インディアンの間では脈々とこれが受け継がれてきており、それを飲用する人たち、或いは部族には病で臥せる人は殆どおらず、たとえ病に罹っても比較的短期間のうちに平癒している事例が、数多く報告されております。
これを毎日飲用すれば腹中の病は悉く退散し、これで目を洗えば眼病は治り、治らざる病なし、と一遍上人の当時から重宝がられ、上人も拒むことなく民衆に分け与えており、「踊り念仏」も尿療法で病が治ったことへの歓喜の現れかもしれません。
斯様に効験著しい尿療法が何故これまで忘れられてきたかと申しますと、これが屎尿と呼ばれて便と一緒くたにされ、汚物の代表みたような扱いをされてきたことに起因しており、これが人体に良いと言われてもその「常識」が邪魔をして、すんなりとは受容れ難いということかも知れません。そしてその傾向は所謂頭のいい、科学万能を唱える人ほど強いようです。尿は抑々血液として体内を循環し、その血液が一定の濃度と成分に調節された余剰分が腎臓で濾過され排泄されたものですから、尿は全く血液そのものと言っても過言でなく、それを信じ虚心に飲用できる人のみがその恩恵に浴し得るのであります。

参考書物として「朝一杯のおしっこから 秘伝・口伝・尿療法」宮松宏至著現代企画社¥1,260 これは読んでいて面白かったです。
「生命の水 奇跡の尿療法」J.W.アームストロング著 論創社 ¥1,575
これは、イギリスで書かれた断食と尿療法をミックスさせた治療法です。

これら以外にもお医者さんが書かれた本がありますが、読んでいてあまり面白くない!!
2006年4月1日 (土) 夜回り先生
最近というか、ちょっと前から水谷修さん?だったか、夜回り先生がよくテレビに出ている。最初は、うわ〜と感動したのだが、最近は見るとなぜが嫌な気持ちになる。眉間、印堂に深く刻まれた立て皺、世の中の不幸を一身に背負ったようで、・・・なんとも言えない。最近、気づいたが、しゃべっている時に舌がちょっと出る、なんか嫌な気持ちになる。(栄子先生に尋ねたら、心臓がかなり弱っているとのこと、ちょっと可哀想にもなる、・・・・)
子供達を褒めてあげて下さい!確かにそうだろうけど、しっかり叱れない人は褒めることも考え物だと最近思う。陰と陽は拮抗しないとねっ。
2006年3月17日 (金) お喋舌りについての考察
“しゃべる”ということは、簡単のようでも実際はからだにとっては大変なことである。私たちが何かひと言しゃべるにしても、72個のそれぞれ異なった筋肉が動く。エネルギーに換算すると、囁き程度で1,000ワットの電気をつける力を要し、普通にしゃべる場合はその10倍、大声で怒鳴ると更にその10倍のエネルギーを消耗することになり、1分間のお喋舌りでなんと2億8千万個の赤血球が消えるという。
道家の養生法として『言少』を重視し、常に気を養うよう努めたいものである。
2006年2月14日 (火) 老化現象
イギリスの雑誌「家庭医学」によると、成人は20年毎に3ミリの割合で小さくなり、人は10才頃から弾力を失いはじめ、20才に聴覚が鈍りはじめ、40才からは暗い所での視覚が衰えはじめる。50才では微妙な味が分からなくなり、60才になると臭覚が鈍る、そして70才では体力の三分の二を失う、とある。
以上は、唯物医学の統計的結果であり、気の医学である導引はこれらの老化現象を防止するように仕組まれている。
大陸の道観には80才を過ぎていながら、20才位のような容姿と体力を備えた玉女が何人もいるとのこと、これらの玉女たちは10才頃から導引の行法をやりはじめたという。
できれば導引との縁は小学生の頃に結ぶことができれば理想的と云えよう。
2006年1月19日 (木) 陰徳には陽報あり
「先生は過食を戒められますが、他人に招待された場合、膳部のものは全部戴かねば食徳を損なうことになると思いますが、如何でしょう」
「それは大変な間違いである。客に招かれて膳部が沢山ある場合、既に満腹していながら、食べなければ捨てられてしまうことを悲しんで無理して食べると、その分はお腹に入って屎となるだけである。それを知らないで、ただ眼の前の廃棄ということだけを惜しみ悲しむことは大間違いで、自重自愛の士はこれを食べないで惜し気なく捨てる。これはその時の陰徳で大いなる慈悲である。何故なら屎では命を養うことはできないから、屎になる分を棄てることは、それで他の生き物の命を養うことになるからである。」
2006年1月18日 (水) 南北慎食論
水野南北は、徳川時代の宝暦から天保年間へかけて一家をなした相士である。
彼が他の相士と異なった点は相道の極意を「食」においたことで、百病の苦しみを飲食におく医家の見から更進一歩して、寿の長短はもとより人事百般の吉凶、運勢の消長、一切合財を食におき、これを慎むことで除災招福できることを実験によって証信し、「慎食論四巻」を著して相道の極意とし、これを後世に遺した。
彼の見解は道家の食少法や避穀法とも一脈と二脈も相通ずるものがあるので、ここに江戸調の文語体を現代風に書き改め同修諸士の修行の資に供する。
南北の慎食論は全四巻に分けてあるが、どの巻のどの頁から読んでも抱朴子同様独立して意味があるから、同修諸士は再読三読して自家薬籠中に入れられたい。尚お本書は徳川の天保年間に書かれたものであるから、本編中には武士に係るものが説かれており、これは現代生活とは無関係のようだが、同修はこういうことも他山の石として自己完成のため用立てて戴きたい。
なお本編の中には江戸時代には通用したが、現代には通用しないもの或いは存在しないものがあるが、一応そのままにしておいた。なお編中に肉食云々の文字がでてくるが、これは魚鳥の肉であって現代人の肉食とは違うことを頭において三読して戴きたい。
南北の生きた徳川の封建時代は士農工商の階級的差別が厳しく定められていた時代だから本編の中には終戦後生まれた人には理解のつかない不合理と思われる箇所、例えば庶民が精米を食べるなど分不相応だとか、最下層の者は豆腐の糟を食べるのが当然だとか、といったような文章が多々出てくる、勿論そういうことのあっていい筈はないのだが、「そんな考え方の通用した時代もあったのか」といった気持ちで、本編の書かれた時代的背景を考慮に入れて読んで戴きたい。
2006年1月16日 (月) 導引の見直し。
昨日、平成18年1月15日の導引見直しで、栄子先生にまたも肝臓が疲れている(腫れている)と指摘され、ちょっと凹んでいました。足の親指を反らして土踏まずの上の辺りを押すと攣りそうになり、栄子先生に相当悪いと言われてしましました。確かにここ最近、肝臓が肥大して硬くなっているかな〜と自分でも思っていたので、あ〜ぁやっぱりと言ったところでした。毎日、按腹だけ抜いて行法をしていたからかもしれませんね。
実は、先週の土曜日に久々に台風のような大雨が降った日にずぶ濡れになっていたのです。その時は大丈夫と思っていても後から症状がでるものなのですね。用心に用心を重ねないと何処に鬼がいるか分からないものですね。今、ちょっと風邪ぎみで体調がよくないのですが、早く回復して導引に励みたいと思う今日この頃です。
2006年1月12日 (木) 十二支
人間の道を悟らしめるためのたとえ事である十二支。動物を当てたのは、昔文盲の者にも憶え易くしようという老婆心からだそうである。
子(ね)は根、種、人間としての根。丑(うし)は潤す。そうすれば扉が開く。それが寅(とら)。扉が開けば生まれ出る。生まれ出ることが卯(う)。生まれ出たものは育つ。育つのが辰(たつ)。育てば実がなる。実がなるのが巳(み)。実が熟せばうまくなる。これが午(うま)。うまくなるには陽が照る。陽が照るのが未(ひつじ)。そうしてうまくなった実は枝から去る。これが申(さる)。去った実は取り入れる。取り入れるのが酉(とり)。取り入れたものは倉の方へ去(い)ぬる、収まる、これが戌(いぬ)。収まったものは又地に入れて芽吹きを待つ。これが亥(い)。
人間は一生この順序で人生を輪廻する。
2006年1月5日 (木) 謹賀新年!
明けまして、おめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
昨日、ですか?○本道観、本部があるいわき市の泉辺りを丁度通ったので、寄って覗いてみました。建替えをすると「TAO」という機関紙に書いてあったのでどうなっているかなと思っていたのですが、建物自体は以前のままありました。裏の方に鉄筋コンクリート建ての建物が造られる模様でした。
気にしなければいいのに、気にしてしまう辺り、まだ呪縛は解けていないのか、とさえ思ってしまいます。この思いも放下して、放下して無為になりたいものです。
2005年12月27日 (火) ヨガとの相違点
ゲストブックでも「ヨガ」もいいですよ、という意見を頂いたので、別に反論するわけではないのですが、「ヨガ」をやりたい人は「ヨガ」をやればいいと思うし、中華思想ではないが、僕は導引が素晴らしいと思うので「導引」を薦めますというだけのことであります。いろんな意見があっていいと思う。それを取捨選択する能力が今の時代、必要なのではないかと、つくづくそう思います。

それから、これまでヨガをやった方に申し上げておくが、ヨガ論というものは、日本には弘法大師の昔に支那から渡来している。真言宗にマントラヨーガというものがあるが、これは密教の一項目になっていて、普通の俗人には教えず、高野山の奥の院で修法一路の真言の僧だけに教える秘法である。火渡りの術や火煙に飛び込んだりする術は皆このマントラヨガの火遁の術の一種である。
ところで今、日本に入って流行しているヨガは、最初英語で入って来て、英語学者がこれを翻訳しところから始まっている。だから、イギリスの塵をかぶり、アメリカの埃をかぶって日本に来ているので、大変西洋化されたヨガだということである。勿論これは枝葉の問題で、実質的に仙道と違う所がある。
 
以前の文章の前にはこれが付くのである。ご参考まで。
2005年12月22日 (木) 服気の神様。
道家において導引はもちろんのこと服気をその大宗としている。「息」は生きであり、息を離れて生命はなく、私たちの祖先は気を服する「息」を尊んで、これを神に祭って一度は参りたい『お伊勢さん』と呼んで親しまれる日本の総氏神、伊勢神宮の内宮、外宮に奉斎されている。
内宮には皇太神宮の別宮として風日祈宮があり、その祭神として級長津彦神(しなつひこのかみ)「陽」と級長戸辺神(しなとべのかみ)「陰」の二柱が祀られてあり、私たちが陰陽の気を服していることの象徴である。また外宮には豊受大神宮の別宮として風宮があり、祭神は内宮と同じように二柱の神である。
日本建国の時、祖先が息(服気)こそ万有生命の根源であるとして貴んだればこそ、日本人の魂のふる里ともいうべき伊勢神宮に服気の神様を祀ったのである。
2005年12月14日 (水) 不争!
「不争」ということも「無為」と同じように老子経の主要な眼目で、老子経全編を通じてこの文字が数多く現れている。
『夫れただ争わず、故に尤なし』『不争の徳』『聖人の道は為して争わず』など繰り返し繰り返し不争が説かれてある。
不争という意味の究極する所は思考が物心一如の全一観に立つこと、つまり心が神智圏に常置されている状態を云うので、仙道修行の畢竟ということになるが、ここに到達するには争いの本元たる現身を解脱し切って真人の法身に再生しなければ不可能なことであるが、ではまだ法身に再生していない修行途中の行者は、この不争の教えをどのように実生活に取り入れてゆくべきかということに就いて私の体験を述べて参考に供しよう。
半俗半仙、在俗修仙時代には、いくら不争の生活を信奉していても、場合によっては、どうしても争わなければならないような破目に投げ出されることがあり、ここで争うて黒白をはっきりつけなければ自分の生活が成り立たなくなったり、汚名を蒙ったままで世間から葬られたりする場合がある。こういう時、大抵は修行途上で不争の二字を破ってしまう。これをじつと我慢し歯を喰いしばって耐え忍ぶのは「我」を解脱し切っていない修行途上では苦痛この上ないことである。就中最も辛いのは自分が少しも腹にないことを他人から邪推され攻撃されるような場合、その相手が自分より目上、年上であると、どうしても弁解せずにをられなくなる。私の青壮時代は大東亜戦争のさ中で、特殊任務を負わされた私はよくこのような破目に陥った。こういう場合、それが多くの人々苦痛をもたらすことが明白である時など、自分、階級を忘れて争った。しかしこれも結局は我の偏見であったと気づいたのは戦争が済んでしまってからであった。老子は『天の道は争わずして勝つ』と云い、『その不争を以ってす、故に天下能くこれと争わず』と教えている。現身を解脱し切れば天下無敵である。
地球を挙げての争い、どちらが勝っても誰も得する人はいない。得したと思う人がいたら、それは偏見による誤解である。
近代史上、この不争の徳を実生活に最も完璧に近い状態で躬行された人は印度の聖(マハトラ)ガンヂーでなかったろうかと思う。当時の世間は「無抵抗主義に依るガンヂーの独立運動」という言葉を用いたが、無抵抗が主義である間は真人の不争ではない。ガンヂーは主義を越えていたのである。
2005年12月8日 (木) 原担山の逸話。
なんと原担山は磐城の出身の人みたいです。ちょっとびっくりです。

出家した原担山がある日、同僚の僧とふたりで川を渡ろうとした時、昨夜の雨で増水したため川を渡れないで困っているひとりの若い娘がいました。担山はその娘を背負って川を渡りました。向こう岸に渡ってからふたりの僧は沈黙のまま歩いていましたが、暫くたって連れの僧が担山に言いました。
「貴僧が戒律を破って女性と接したことは許せない」と。
すると担山は大笑いして言いました。
「私は川を渡って直ぐ女性を下ろして来たが、お前さんはまだ女をおんぶしていたのかい」
これは担山の洒脱な風格を語るための逸話ですが、この話は同時にふたりの僧の住む世界が違うということを物語っています。連れの僧は戒律の世界に住んでいたから、その世界から善悪を判断したのですが、担山は戒律を超越した世界に住んでいたから、戒律にこだわらなかったのです。
善は人生にとって必要なことは言うまでもありませんが、善にこだわると善が人を縛るから悪に転ずるのです。担山の連れの僧は戒律の善悪に縛られていたから、無用の悩みに心を閉ざしたのです。
是非善悪などというものは始めから無かったのです。それは人間が勝手に作った基準にすぎません。自分で作った基準に縛られて自分を不幸にする、それを自縄自縛といいます。
仙道による心身の改革−心のやすらぎを得る生活法−、小野田大蔵著、白揚社のP219より。
2005年12月6日 (火) 仕合せ者!
この世で最高の仕合せ者とは、毎日を誰にも何事にも支配されず、こちらもまた誰をも何事をも支配しないで、自分の好きなように生きている人の謂いであるとこの欄で述べたことがある。ところでそのような人が現在この世に存在するのであろうか?
今から八十年ばかり前、霧島山麓に二十町歩ぐらいに亘って拡がっていた伯父の所有林に、一人の樟脳炊が住んでいた。従兄(伯父の長男)は鉄砲撃が好きだったので、私を連れてよく伯父の山林に雉撃に出かけたが、その時はいつもこの樟脳炊の小屋へ立寄り小憩するのが常であった。小学校四年生の夏、従兄に連れられて雉撃に行った折、例の如く狩を済ませて樟脳炊の小屋に立寄った時、小屋の板壁に一枚の紙が挟んであるのを見付け、仮名も読めない文盲の樟脳炊の所に印刷された紙が挟んで置かれているのを不審に思い、従兄が抜き取って読んでから樟脳炊に向い、「○○斤で○○円○銭か、馬鹿にならぬ商売だな」と云うと、樟脳炊は「私が頂いた金はその半分です」と答えた。そこで従兄がどういうわけかと聞きただすと、つまり専売局の役人が、相手は字の読めない文盲だから、領収書の半分は自分が騙取していることがわかった。それでそのことを樟脳炊に説明して「おれが掛け合って領収書通りの金を貰ってあげるから、今から専売局へ一緒に行こう」と云うと、何時もニコニコして人当たりの柔らかいこの片仮名も読めない四十男は「それはいけません。役所からこの山奥まで三里あるんですから、半分は足代に取られたのでしょう、ありがたいことです」と云ってニコニコ顔を変えなかった。帰途、従兄は「専売の役人はけしからんが、あの樟脳炊のお人好しにも腹が立つ」とブツブツ云っていた。当時、小学校四年生で、しかも早上がりの劣等児だった私には、どちらが尤もなのか理解ができなかったが、八十年経った今日往時を回顧してみると、この樟脳炊こそ腹が空けば山中の自然薯を掘り、山果山草を食べ、訪ねる人があれば誰でも笑顔で迎へ、求められるものは惜気もなく与えてしまい、ピンはねされても「足代で当然のことだ」と受取り、無抵抗に徹し切った、所謂る「無為而為」「騰々任運」の老荘の道を地で行く無支配、無被支配の真の仕合せ者(真人)だと悟った次第である。
2005年12月2日 (金) 「自律神経失調症を治すDOIN」
購入した「自律神経失調症を治すDOIN」を楽しく読ませて頂きました。
洗心の時って、ちょっとイった人も多いので、文章を読んでいると???内容が分からなく時がありましたが、昔は本音が一杯あったんだな〜と感心しました。
P284に信者はやせる、教団はふとる とあり、まさに!と膝を叩きました。
「宗教でも同じようなことを言う。あんたの持っているものは、あんたのものではない、神からの預かりもので幻みたいなものだ、だからあんたの持っているものすべて、ここに奉納しなさいと。それで宗教団体はふとる、信者はやせる。これがね、すべてであるというものは、一つもない。」古き良き時代があったのですね〜。
2005年11月29日 (火) 大阪近辺の方、募集!
ちょっと前にメールを頂いた方が、大阪在住で近くで「道家合気術」の稽古をしている所はありませんか?という内容のメールを頂いた。やはり、大阪から東京へは距離的に無理とみえる。
僕の道家仲間に神戸に住んでいるご夫婦がいて、たまに公民館みたいな所を借りて稽古しているみたいだが、それに参加できればいいなあ〜と思いついたけど、どうせならもう少し人数が集まった方が楽しいという考えもあり、もしこのHPを見て知り合いが大阪、神戸辺りにいたら、是非連絡を頂けたらと思います。以前、メールを頂いた方(鳥取在住)も大東流もあるけど、やるなら道家合気術(動功術)をやりたいとおしゃっていたので、潜在的に稽古したと思っている人は結構、いると思われるので、是非メールでご連絡を頂きたいと思います。宜しくお願い致します。動功の気持ち良さは、導引の裏づけがあるから、武術というより健康法としては最高なのではないかと僕個人は思うのですが、・・・・。
2005年11月28日 (月) 自律神経失調症を治すDOIN
先日、神保町の古本屋で「自律神経失調症を治すDOIN」という本を見つけました。松武館本部で発行していましたが、非売品となっていて定価1,500円でした。パラパラ見て高いか?とも思ったのですが、まああまりお目にかかれそうにもないので衝動買いしてしまいました。中身は洗心の講話録といったところ。これと同じような本で「ノイローゼを治すDOIN」という本もあるみたいですね。是非こちらも読んでみたいものです。楽天とかにでないだろうなぁ〜。
2005年11月24日 (木) 五臓六腑の導引
昨日も合気の特訓稽古があった。まず、一ヶ条をやって体を解してから実践武術の半身、入身と稽古し、女子武術、五ヶ条と進みました。段々、皆要領を覚えてきてスムーズに進むようになりました。ただ順番がイマイチ、記憶してないので他の人に順番を教えてもらいながら進めました。女子武術の後に、五ヶ条を稽古したのですが、女子武術は相手を倒して、その力を利用して反対に逃げていくというふうに稽古するので、どうしても体が逆の方に向いてしまい、苦笑いしてしまう場面が何度もありました。
「五臓六腑の導引」は前回、初めて教えて頂いたのですが、実際家に帰ってやろうとすると、足は?手は?と疑問だらけになり、もう一度見直しして頂けませんか?とお願いしたところ、すんなりOKしてもらえて助かりました。本来、六臓六腑なので、一つの臓器に1〜2個の導引なので全部で20個くらいやることになると思うのですが、流石に前回よりはやり易かったですね。でも栄子先生に腎臓を入れてと言われて手を添えて頂くと今まで優しくやっていたなぁ〜と実感しました。
2005年11月21日 (月) 導引の凄さ改めて!
昨日は、日曜日でいわき市にある自宅で合気の稽古を行ないました。
日立から50代の男性が来たのですが、電車でウトウト揺られてきた為か、稽古始めは顔が皺ぽかったのであります(本人には、悪いですが、正直に伝えました。)
一ヶ条が終了しても、顔はあまり変わらず、疲れているんだろうな〜ぁと勝手に思っておりました。二ヶ条を終えてから基本行を見直しし、三ヶ条をやる頃には見違えていました。鏡で見せてあげたいと本人に言いましたら、自分の感触で分かるという話でした。若い人がやっても、こういう効果があると直ぐには判断ができませんが、ある程度年齢を重ねた方がやると「導引」の素晴らしさを実感してもらえるのだと思いました。
最後に「味噌灸」をやったのですが、右目は7個乗せて鈍感でしたが、左目は3個で熱さを感じたみたです。
毎日、何気なくやっている導引ですが、今日改めてその凄さに感動しました。他人に教えるということは、こういう利益もあるんだなぁ〜と思いました。
2005年11月20日 (日) ベストセラーについて!
「故人の糟糠」という言葉がある。文字や言葉で伝えられるものは、この糟糠であって、そのことの深奥ではない。深奥微妙の所は曰く言い難し、文字や言葉は役に立たない。このことは道を修した先人の誰もが経験したことで、凡そ修行と名のつくことにおいては総て同じことである。蝶々の言辞を弄したり、美文を綴ったりして道を説く者は大抵がハッタリか、独善であって、云わば「道の賊」である。
この頃、出版界の用語にベストセラー(最高売行)という言葉がある。そしてベストセラーになったことをもって、その本の内容まで最高のもののように宣伝する。ところがその年のベストセラーなるものは実はその年の最悪の書物なのである。最もよく売れたということは最もよく俗受けがした、ということで、それはその本の内容が如何に下劣であるかの証拠である。
必要なものは必需者しか買わない。人間の向上に必要なものは向上を希う人達だけが求めるのであって、俗受けはしない。
2005年11月19日 (土) 無題玄語①
説法を聞いたり、教典や聖書類を読んだりしただけでは、不死の生命の体認はもとより肉体の老化さへも防ぐことはできない。
或る教団では、そこの教主の書いたものを読んでさへをれば救われると云ってゐるさうだが、救ひにもピンからキリまであり、現世利益もさうであらうし、安心立命もさうである。病気が治ったとか、お金が儲かったとかいふ程度の救ひなら、まことに憐れむべきお救ひであり、それは殆どの場合、却って依存心といふ独立不羈の意気を失はせ、人間を半端者にしてしまふのが落ちで、結局は救ひにならないのである。
また若し安心立命といふ高度な救ひを得るには、生命の不死が体認されない限り得られるものではないから、この体認を得るには説教を聞いたり教典を読んだりしただけで、自ら行ずることを度外視したら、殆ど絶対と云っていいぐらゐ不可能な相談である。
2005年11月16日 (水) 薬草茶の飲み方
喫茶養生記によると茶は延命の上薬と記され、源実朝が栄西禅師の茶によって難病が治ってから全国に植茶を勧めたので、それが都合よく我が邦の風土によく合ったため私たちの食生活に必須不可欠の飲み物となって、その薬効など気づかないぐらい一般化してしまった。
中国大陸の道観で常用されている薬草茶(仙人茶)は18種類もの仙薬の粉末になってそれを煎じて服用していると云われている。
現在私たちが体の毒素を追い出す手段として服している薬草茶はせいぜい10種類位、ましてや粉末でなく少々手抜きされている。
そこで薬草茶の服用には、先ず抹茶を立てそれに煎じた薬草茶を8倍近く混じて服用すると道観で飲まれている仙人茶にほぼ近づけるのである。
茶の薬効は利尿、強心、興奮剤と同時にビタミンA・Cの沃度、抗糖尿性物質も含まれ、特に抹茶、緑茶、玉露などはCが多いから冬籠りしなければならない北国の人には最適である。
2005年11月10日 (木) 女子護身術
女子護身術は本来、女性が稽古すべきものではあるが、受身も大変気持ちいいものなので坐り技だけ稽古しました。なんせ、女性は栄子先生しかいないものですから、・・・。また受身は導引術になるから受身が気持ち良いと実感出来るようになったら進歩した証拠だ、みたいなことを以前、大先生が何かに書かれていたような気がします。
女子武術は、女性の特徴を活かした技で成り立っています。股を締める力や肘鉄が男性より強いとか、女という象形文字が示すように男性より柔軟だという利点を利用した技で成り立っています。なので受身が本ヶ条よりもキツめであるのは事実です。片手持ち回りという技は女子武術の一つであります。「道家合気術」という本の中には、三ヶ条で襟首を引いて相手を倒すという風に紹介されていましたが、今はそんな風に稽古していませんね。きっと稽古中に危険なことがあったのでしょう。女子武術では、襟首を引っぱって相手(男性)を倒す力を利用して、倒した方と反対方向に逃げるという風に稽古します。
また両手小葉投げという技では、相手を右側に投げて、それを杖にして左側に逃げるのですが必ず股を見せないように右足から一歩踏み出します。コツというか訓練なのでしょうが、咄嗟にそういう風に出来なければ自分のものになったとは言えないのでしょうか?!
2005年10月13日 (木) 10月9日(日)の養生法
その前に、テレビを見ていていつも疑問に思っていた事を栄子先生に尋ねてみました。細木数子はテレビでアップになってしゃべる時、顔が揺れますよね?どうしてですか?先生即答、「血圧が相当高いからよ!」なぁ〜るほど、納得しました。
正座の時、親指を重ねますが右左どちらが上ですか?自然なのは右が上だそうです。右が上、左が下。それは右は水、左は太陽を表すからだそうです。太陽は下から上に上がるし、水は低きへ流れる。
顔も左側が陽で右側が陰、だから左の耳目の方が右の耳目よりも聞きやすいし、見えるのが自然だそうです。それが首から下にさがると陰が陽になり、陽が陰になるので右きき(陽)で自然なのだそうです。よく倒れた方が不随になりますが、左側が不随になるのは(陰)だから自然、右が不随になるのは若い頃、精を出し過ぎたと道家では見るとおしゃってました(笑)。長島監督は右が不随なので、若いとき遊び過ぎた?!のでしょうか。
それから秋は肺ですが、月の行法もいいみたいです。10月いっぱいは陰の気を入れていいみたいです。それ以後は寒いし、陰の気もあまり必要ないとのこと。太陽の行に精進しましょうとのことでした。新しく月の行の後に月想観のやり方について説明を受けました。そこで自分が無になってくると月が段々大きくなって迫ってくるような感じになるそうです。誰かと対話していても相手が大きく感じたら自分は無になっていると思っていいそうな〜、凄いね。まあ、秋は水月観音ともいうくらい水と月は関係が深いから、月から清涼な気をいっぱい受け取って下さいな、ということでした。
2005年10月11日 (火) 導引の心構え。
導引を云う前に北辰一刀流の極意について紹介したい。それは勝つために最善を尽くすというのではなく、既に心の世界、観念の世界で相手に勝っていて、然る後に剣を揮うのである。負けるかもしれないがやれる迄やってみる、と云うのでは必勝は得られない。勝負だけではなく、事業に於いて同様である。
成功する者は、先ず観念の世界でその事を成就せしめ、その後に見える世界にそれを具体化する為あらゆる困苦を惜しまない。成敗は時の運、やるだけのことをやって敗れても、それは運がなかったと諦めほかないというのでは、絶対的な成功は望めない。先ず心の世界でそのことに成功していなければならない。
導引も心の世界で病気をつかんでいたのでは無病道は歩けない。心の中から一切の病念を追い出し、健体康心を常に観念してこそ、健体康心は形成化するのである。
2005年9月15日 (木) 9月10日(土)身心養生法
栄子先生の講演録を僕が纏めて書き綴ろうかと思います。
8月7日が暦の上では立秋なのでもう秋になります。8、9、10月は秋の季節であります。しかしまだ秋とは言っても台風はある、残暑はあるという状態なので、憂いが多いですね。憂いが多いということは陰が多くなるというとこで風邪をひきやすくなります。良く男性は陽で女性は陰と申しますが、陰と陽がはっきりと区別されている訳ではなくて、陽が男性では51%女性では49%、陰が男性では49%女性では51%だそうです。陰陽のバランスを調整する方法として陰陽服気法があります。
秋は肺(大腸)の機能が活発になります。陽の邪熱を追い出す為に辛味を食べると大腸が大便として排泄してくれるそうです。具体的に辛味とは、レンコン、白ゴマ、玉ネギ、ニンニク、わさびだとのことです(以前、○○道観では五辛の戒め、といってニンニク、韮、ネギ、などの薬味はあまり食べ過ぎてはいけないと教わりました。薬味はあくまで薬味であると、・・・・)
また肺は呼吸を司っていて、吐く息の変化したものが、イビキ、咳、欠伸、クシャミ、ゲップ、シャックリだそうです。通常、肺活量は2,500〜3,000(一升だとすると)だそうですが、我々が日常で使用しているのは2合から3合だそうです。残りの残気(7合〜8合)は炭酸の毒ガスだそうです。この毒ガスを排泄して新鮮な気(真玄の気)を取り入れる方法が服気法である。今まで習ったのは弱肺(両手を引く)強肺(両手を広げる)でしたが、その前に陰陽服気法があるそうです。
また、人間は肺呼吸だけでなく、皮膚呼吸もしているので灌水行(日本手拭いで摩擦する)で毛穴、気孔を研くのであるだそうです。
また寝方の話、うつ伏せで眠っても大丈夫だそうです(顔を曲げた方の足の膝をまげる)。また仰向けの時は首を左右どちらかにちょっと曲げるそうです。
枕の話になり、本来は山薬がいいがこれは無理。そば殻か小豆(小豆なら災害にあった時に非常食になると聞いて成る程と頷きました)で6寸のものがいいそうです。
2005年9月14日 (水) 最近思うこと。
最近、嘗て○○道観の会員だったという方からメールを頂くことが多くなりました。人との出会いというのは誠に不思議なものである。一通の簡単なメールから出会いが始まるのである。でも出会っただけではダメなのだと思う、本当はその出会い(縁)を育てて行かなければならないのだ。今の時代、情報だけは、山のようにあるが、それを取捨選択したり本物かどうか見分ける力が必要になってくるのだと思う。そして自分の体を使うことが大事だと思う。ネットとかで知識だけは這入ってきて何でも物知りになったような気持ちになってしまう。行動が伴って初めて自分のものになったということだと思います。
前置きが長くなりましたが、僕の日記を読んでいてくれる人がいると分かったので、少しずつでも書いた方がいいな〜と思い直しました。
2005年9月13日 (火) 陰陽和合の秘訣
既に陰陽服気法を習った人達は、陰陽の気が人体内に入って生命の源となっていくことが自ずと解ってくることと思う。
陰陽和合の秘訣は有無相通ずることで、お互いに持たぬものを相手から補ってもらう所に牽引の限りない妙味がある。
陰陽服気は陰陽和合の根本である。男女が和合する所に一層の妙薬があり、月の行法は男性にとっては一面陰情との和合法、地想観も陰情との交合法、男女和合は内気の陰陽和合となる。
それには、もちろんのこと女性は陰を研いてこそ、初めて和合の秘訣。
これにより生命拡大の基礎が築かれていくのである。
2005年8月20日 (土) ヨガと導引の相違点
ヨガも導引も清浄身に達するという最終目標では同じかも知れぬ。が、行法のやり方、つまり登山方法が異なる。
ヨガは真人に到達するのに清浄身を保つために女は男を避け、男は女を避けるという手段をとり、色恋というもので身心を汚さない方法を選ぶ。この影響を受けたのが仏教である。
導引はこれと正反対、どこまでも陰陽徳を合することで登山口を見つけ、夫婦合体して昇華する方法をとる。
一元は陰陽に現れ、陰陽は合することによって次の生命を産むという自然の法則を基本とし、そしてその交わりが下劣に陥らないよう清浄交合の法が工夫されている。
ここがヨガと導引の本質的な相違点である。
2005年7月22日 (金) 第六感由来
「大脳下垂体と松果腺とが連絡すれば第六感が早くできる」とフランスの生理解剖学者リシエの説である。
第六感とは大脳下垂体、視神経床の這入っている第三脳質であるが、ヨガでいうチャ毫クラ(眉間の内側)大脳下垂体が発達すると釈尊のような白毫が現れてくる。この大脳下垂体の下の方に砂があり、脳砂と云っている。
大脳下垂体と松果腺が連絡するのは、この脳砂で繋がるのであって、これは初期の無線装置と酷似している。
日露戦争当時、イタリアから無電の機械に皿があり、その中に砂があった。その砂を入れないで打電すると上手く通ぜず、入れると発信受信とも具合が良かった、という話がある。
その砂と同じような役割を演じているのが脳砂、道家でいう「*泥丸」なのである。これに一つの作用が及んでくると泥丸が活動を始め、三次元と四次元の繋がりが早くなる。そこで肉体と精神のバランスが保たれるようになる。
*(泥丸−道門秘伝内経図参照)
2005年7月12日 (火) 脚は葦!
4年程前、葦原に魅かれて近江八幡まで行ったことがあった。
古事記によれば「太古天地が別れて形を成すに当り、葦が伸びて神となり国となった」とある。
葦は脚に通じ、生命の本源であるので、脚の健不康はそのまま全身の健不康を現わし、人は脚から成長し、そしてまた脚から衰えていく。
このことから導引法はまず、臥功の脚足からゆっくり静かに行ない、再び臥功の脚足で終わるのである。
2005年7月4日 (月) 「掃除に学ぶ会」
昨日、僕は「会津掃除に学ぶ会」に参加しました。会津若松市立第一中学校のトイレ掃除をしました。運良く?僕の担当は、大便器となりました。もう見るからに黄ばんでいて「これを僕が掃除するの?」という心境でした。でも少しずつやっていくうちに段々綺麗になってもっと綺麗にしたいという気持ちになったのが不思議でした。見かけだけは綺麗になった後、裏側とか奥の方とか目に見えない所を丁寧に掃除していると悪臭がしてきてこれが汚れの元だったのか?!と思えることがありました。やる前を写真に撮っておけば良かったと思うくらい見違えるように綺麗になった大便器でした。
同じく掃除仲間に、在校生の野球部の生徒が強制参加でいました。皆、最初は嫌々だったのが、僕と同じように段々貪欲に綺麗にしょうという気持ちになっていたのにとても安心しまいた。今、問題の多い世代だけど、子供は社会の鏡、子供を批判する前に大人は自分の行動に目を向けるべきだと思います。
最後に、トイレットペーパーを三角折にしたのですが、リーダーの方が「これで自分が最初だなと思うだよ」と中学生に話かけているのを聞いて悟りました。自分が一番最初と気づくことは、汚れたらそれは自分が汚したと気づくことだ。そうしたら汚したままトイレからは出られないのではないか?!汚さないように気をつけることも大事かも知れないが、汚したら綺麗に拭き取るとかが大切なのではないかと・・・。正しく「掃除を学ぶ会」ではなくて「掃除に学ぶ会」なのだと思い知らされました。
会津や原町や田村には、こういう会がある、その風土が素敵である!と思い知らされました。また、こうやってトイレ掃除に参加することは、「ただやればいい」ということで簡単なことである。本当に大変な人は、この準備をすることだよね、ちょっと年をとったおじさんは、少年達に言ってあげたくなりました。
2005年6月25日 (土) よみがえる気の健康法
ここに、潮文社の「よみがえる気の健康法」−早島正雄著−がある。これは15年くらい前に東京の神保町にある書泉グランデで購入したものだ。スワイソウ運動と易筋経について書かれたものである。昔の本は読んでいて楽しい!読み返しても楽しいのである。今は、いろんな所からの寄せ集めで、脈絡もなく一冊に纏められた感じがしないでもない。
P205〜206には導引術で、もし他の人を指導するなら、当然合気術を修得しなければならぬと常に言っている。合気術の活法が、導引術でいうところの邪気を追い出すのに適しているからである。
問い合わせ先は松武館本部となっている、そんな時代の松武館へ行ってみたいと思うのは僕だけだろうか?!
2005年6月21日 (火) 道家合気術について!
合気術とは主人と客が相対し、優雅に舞を舞うように行う事が基本であります。
合気術の心得
①掛け手、受け手共に力を抜く。
②技を掛けた時、受け手に力が入っていたら技を掛けてはならない。
③合気術は、相手が押してきたら自分は引く、又相手が引っ張ったらついて行く事が基本である。
④合気術の技は、全部急所(灸所)の技である。
(注)受け手が力を入れている時に技を掛ければ、手が折れたり足が折れたりする。
⑤合気術は他人に強くなる為の稽古ではない。自分に強くなる為の稽古である。
上記のように合気術は、護身術ではありますが、対立のない武術であります。
私たち人間が、いつの時代でも如何に強く生きていくかが、技の中に説かれていると、大先生から教えられています。
2005年6月14日 (火) 枇杷の葉コンニャク湿布
枇杷の木はお釈迦様が「大薬王樹」と絶賛するほどのものですし、漢方では枇杷の葉を「無憂扇」と呼ぶそうです、またコンニャクは「腸の砂おろし」と言われているくらいですから、合体させれば相乗効果が期待できると思います。
コンニャクは黒いもの(できれは蒟蒻芋からできたもの)を水から茹でます。10分くらいはやった方がいいかと思います。僕の先生は、お玉一杯の塩を入れて茹でるといいと教えてくれたのですが、実際やってみると吹き零れが酷くて辟易してしまいました。まあ、時間を掛けて温めればいいかなぁ〜と勝手に解釈して今はやっています(汗)。先生は、コンニャクの温かさがジンワリ枇杷の葉に伝わってそれが体にいいから、昔はお寺や神社ではそれを利用して檀家の体を治していたが、今は昔でそんなことしているところはなくなってしまった、お寺が葬式仏教になってしまったと嘆いておられました。
茹でたコンニャクは物凄く熱いので、必ず両手でパンパン叩いて熱を冷ましてから使用しないと火傷をしてしまうので注意が必要です。
お腹、枇杷の葉(ツルツルの面を肌に直接)、茹でコンニャク、タオル、掛け布団の順です。「自然療法」という本では脾臓の辺りは温めないようにと書いてありますが、僕の先生は盲腸の辺りと腰(腎臓)の辺りは温めない方がいいと言っていたのでご参考まで。肝臓の辺りに置くと疲れが取れるし、お臍や膀胱の辺りに置くと便通がよくなります。機会があったらお試し下さい。
枇杷の葉が無い時は、コンニャクだけでもいいらしいです。その時も本当は直接、コンニャクを肌に当てた方がいいみたいですが、火傷をする人がいるので、熱くないくらいにタオルに巻いてお腹に当てるといいそうです。お試しあれ〜!!!
2005年5月25日 (水) 次郎長と鉄舟との話
清水の次郎長が真剣勝負の体験を山岡鉄舟(*無刀流の創始者)に語った。
「自分の刀で相手の刀を押してみて、押し返してくる相手には必ず勝てる。しかし、押してもそのまま押されている相手は恐ろしい」と。
鉄舟がそんな場合はどうするのかと聞いたら、次郎長は「刀を引いて逃げる!」と答え、鉄舟もまたそれより他に方法はあるまいと笑った。
*無刀流→相手の動きに従い自在に変化する意
2005年4月19日 (火) 孔子の食事
林悟堂著「孔子論」によれば、孔子は食事について次のような考えを持っていたと述べている。
「御飯は搗いて白くしたものでも構わない。酒は取り乱さぬ程度にし、店に売っているものを買っては食べない。料理には野菜がなければ食べない。あっても食べ過ぎることはしない。」と述べている。この中で「店屋物は食べない」というところが大切で、孔子の生きた春秋時代と現代とでは店屋物にも、種類の上から加工度の点から共に大変な差異があり、今日とは比べられぬ程のものだったに違いないが、それでも店屋物は一切口にせず、自家で料理したものだけを食し、また野菜の混じらない料理も食べなかった云うことは、食事による健康法に細心且つ厳格に従っていたものと推察される。
仙道の素食法では、その季節に自分が住んでいる十里四方に生産されるものをできるだけ自然のまま腹八分目以下食べ、最小限半天法(12時間不食)を守れと訓えてある。食事の面における健康法にはこのことが第一の基礎条件でなければならない。
この他に何を食い、何を飲まんと大脳智を働かせて思い煩うことはない。そんなことより、他の健康の四要素(空気・陽光・水・土)をいかに有効に取り入れるかについて考える方が無病健体、長生久視の必須条件である。
仙道は悠久五千年、孔子の生まれない前から、求道者たちが健体硬肢から法身固成の道を訪ねて、その方法を研究体験した集積の上に、この四要素の摂取法が完成している。それは今日我々が頭脳智でとやかく批判したり疑ってみたりする必要など全くない迄に完璧なもので、我々は唯黙ってそれを踏み行ないさえすればいいのである。
この後、五千言坊玄通子老師は以下のように結論付けている。
しかし健康も長生も仙道の本来の目的ではなく、本来の目的である法身固成を達成するための準備条件なのである。だから孔子の食事法の程度は修仙の準備行に過ぎず、更に進んで五穀を断ち、火食を少なくしなければ現身(肉体)は法身(仙体)固成の煉場とはなり得ない。仙道の本格行に入った丹士にとっては、現身は法身固成の煉場としてのみその価値を発揮するのだから、物心両面にわずか欠陥もあってはならないのである。
2005年4月13日 (水) 下坐行について
以前、神渡良平氏の著書「下坐に生きる」を読んだ。その時はあまり、下坐という言葉に思いは至らなかったが、最近いろいろなことがあり、本当は下坐ってとても大切なのではないかと思っていました。鍵山秀三郎先生の凡事徹底もそうだし、一灯園の掃除もそうかなと思いますね。最近の傾向として自分のことしか頭ない人が多いので、いろいろな事件が多いのではないかと思う。それから金、金、金。利益至上主義という奴ね。勝ち組っていう言葉も嫌い。一体誰と比べて勝ち組なんだと思う。
そんな中、最近読み始めた本に森信三著書の「修身教授録」がありまして、その本のP416に下坐行についてが載っていました。目から鱗が落ちるように分かりやすく書かれていましたので、興味のある方は是非読んで見てください。
受身的な下坐行の方が進んでやる下坐行より素晴らしいと書いてあったのには、ちょっとびっくりしました。
2005年4月1日 (金) 星野富弘さんについて
かなり前の話だが、星野富弘さんの著書「愛、深き淵より」を読んで感動して美術館のある、群馬県の東村まで出かけて行ったことがありました。先日、会社の人から思いかけず「風の旅」という本を渡された。改めて読んで見ると日々の生活の中で以前読んだことも忘れていることが多かったのにびっくりしました。でもってそうだな、そうだよなと感慨深いものが、また胸を巡りました。
とりあえず、星野富弘さんの略歴を説明します。群馬県勢多郡東村生まれ、高崎市の中学校に体育教師として赴任。わずか二ヵ月後、クラブ活動の指導中誤って墜落。以後、手足の自由を失う。九年間の病院生活ののち、不治のままに退院。雑誌や新聞に詩画を連載執筆している。
以前、NHKでも特集されたことがあり、美術館ではそのビデオが流されていた。その中で感動したのが、事故前と事故後でどちらが幸せかと言えば今の方が幸せだと語っていたことですね。もちろんそういう結果を出すまでには紆余曲折があったと思うけど、そう言い切れるところが凄い、そして素敵だと思いましたね。
そして今回の「風の旅」の中では、少年時代に渡良瀬川で溺れた時のことが書いてあり、流れに身を任せて助かったこと。それは事故前に戻らなくてもいいのではないか?そうも思えば、闘病という意識が薄れ、動かない体から教えられながら生活しようと言う気持ちになったとありました。これぞ正しく「合気」の哲学と一致すると思いました。相手の技を丹田で受ける、何事もまず受け入れていくという姿勢と一致すると思いました。
もし星野さんについて興味を持たれた方がいらしたら、僕はとっても嬉しいです。上を見ればきりがないし、下を見てもきりがないとつくづくそう思います。
2005年3月21日 (月) 桃源境<郷>
先生から戴いた予定表に次の記事がありましたので掲載致します。
今から約1700年前、武陵(湖南省)に黄道真という漁師が魚を求めて川を上っていくうち見慣れない所へ出てしまった。四辺を見渡すと一面に桃の花が拡がり、甘美な香りが漂い、花びらが風に舞っていた。
漁師は暫く見惚れていたが、もっと奥まで見たい気持ちに駆られ舟を進めると山に突き当たり、洞口があったため、舟を降りて入って行った。すると辺りがパッと開け、そこには田畑が拓け住まいが建ち並び、桑や竹、鶏や犬そして畑仕事をする人びと、老人も子供も皆楽しそうに微笑み合っていた。
漁師に気づいた人々は、何処から来たのかと尋ね、家に案内して大いに歓待、そして云うには「我々の祖先が秦の世の戦乱を逃げてこの絶境に住みついて以来、他所との係わり合いがなくなってしまった。今は一体どういう時世なのでしょう」と。
漁師は秦が漢に滅ぼされ、漢もまた滅び、今は晋の時代であることを村人に話すと感に堪えぬふうであったが、漁師を家から家へと連れて行ってはご馳走を振舞ってくれた。素朴で争いのない平和な生活に長逗留してしまったが、自分の家のことも気になり、村人たちに別れを告げることにすると「この里のことは、世間に言わないで下さい」と村人たちは頼むのであった。
しかし、漁師は目印を所々に残し、家に帰り着くや長官にこの話を言上してしまった。役人と共に再び向かったが、帰途に残した目印も洞口も見つけることはできなかった。
この話から「武陵桃源」「桃源境」は仙境の意に使われるようになった。
                          —陶淵明著、桃花源記—
2005年3月14日 (月) 怒りを抑える呪文!
先日、細木数子がテレビで言っていた呪文は確か、「おんにこにこ、笑顔でそわか」だったが、本来は安岡正篤先生の百朝集という本に出ているが「おんにこにこ、腹立つまいぞ、そはか」である。別にどっちでもいいのだろうが、正確に伝えてもらいたものだ。以前「道教」という文字も「導教」になっていたし、中学の宗教教育の話も丸っきり違っていた。まるで宗教概論でも教えなさいといいたげ。安岡先生は、宗教教育では、必ず一宗一派になってしまうから、その中で正しく宗教教育をすれば言いと書いてあったはずなのだが、・・・・。例え話として、立派な木になると言っても、抽象的な木は実際には存在しないわけで必ず、松や梅や桜であるわけであると。国際人もしかり、立派な日本人になることが立派な国際人になることである。英語が話せれば国際人という認識は捨てたほうがいいですね。つまり、キリスト教でも仏教でも、またその中のいろいろな宗派でも良いわけで、要は根本を抑えていれば良いということです。
2005年3月7日 (月) 健康を取り戻すには?
健康とは本来、健体康心の略であります。これは日本での言葉で、中国では双命性修と言います。つまりどちらも心だけでもダメだし、体だけでもダメだと言っているのです。心と体、両方一緒に修めなければ健康にはなりませんよ、という意味であります。
①一番大事な呼吸について、間違ってはいませんか?口呼吸をしている人は直ちに鼻呼吸に変えてください。吐くのは口からでもいいのですが、吸うのは鼻からがいいでしょう。鼻毛がゴミを選別してくれます。
②食事は大丈夫でしょうか?食べ過ぎてはいませんか?腹八分目にすれば医者知らずと言います。現代は栄養不足ではなくて、栄養過剰で病気になっています。栄養を取ることよりも、消化していかに吸収するか、そしてそのカスをいかに排泄するかの方が重要です。電車も先に下りる人を出さなければ、新しく乗る人が困ります。また栄養剤としてビタミン剤などを錠剤で飲むなどはもってのほかであります。体が怠慢になって、通常の食事からは栄養を吸収しなくなります。それから道家が守ることは、十二時間は何も食べない時間を作ることです。その時間には睡眠時間も含まれますので、そんなに難しいことでもないと思います。これで内臓を休めてあげるのです。体は週休二日と言って休みますが、内蔵は四六時中働いていたら内臓が悲鳴を上げるのも無理はありません。
③一番手っ取り速く、調子を良くするには、自分の手足を良く揉むことです。時間があったら、良く揉んで擦って動かしてあげて下さい。気血の流れが良くなるので疲れも取れることでしょう!導引を知らない人は、兎に角四つんばい歩行を心がけてみるといいでしょう。これが一番簡単な、初歩の導引だからです。ですから、昔の拭き掃除が本当は一番健康に良くて、綺麗にもなるという一石二鳥な訳です。 
2005年2月22日 (火) 基本的心得、その3
う〜ん、ここまでいろいろ書いてきましたが、動きを言葉で表現するのは大変難しいもんですね。やっぱり実際体験してもらうのが一番だな〜ぁと思いましたが、頑張って書きたいと思います。
① 手は、おもいっきり開く(掌を開く)これが合気だと教わりました(佐川先生の所では別に掌をおもいっきは開かなかったけど)掌を開くとは、親指と小指を広げることであり、そうすることによって肩の力を抜くのであり、また今まで持っているあらゆるものを捨てる、放下すのである。勿論、知識や常識もである。また必要だったら掴めばいいのである。
これは本当に個人的な意見だが、手を閉じたり開いたすることによって手相も変わるのではないかと思う。病弱な人という者は掌をおもいっきり開けないものである。
② 気合は動きと一緒にかけること。また丹田から出すようにしたものである。エイッと尻切れトンボのような気合ではなく、エイッ〜と余韻を持たせるとよい。気合をかけることによって口の相も変わる。
③ 合気術の技は円と直線でできていると習った。直線で突き進んでいると思っても地球は丸いので結局、元に戻り円になっているものという風に解釈してました。
また、「曲は直なり」と言って曲がっていることが直でもあると教わりました。けどこれだけ読んでいるときっと???ってな気分でしょうね。
④ はっきり断ることが、護身術の第一歩である。また最終段階であるのかもしれませんね。なかなか断ることは難しいですよね。先生は、毎回断れないときは、何回かに一回は断りないさいと言ってくれました。そうしないと本当に断れなくなるからだそうです。僕が以前通っていた道観も週末ごとに行事があって、参加費が数万円もしていました。これがなかなか断れなかったんですよね。合気の稽古の後、この講習の誘いを如何に断ろうといつも苦心していましたね。錦糸町にあったころは良かったのに、代々木に合併した辺りから酷くなったんですよね。断れない理由は、ここでしか習えないんだという勝手な思い、妄想があったから、・・・・。今思えば、はっきり断っておけば良かったかな〜なんて思ってしまうほど、懐かしい思い出ですね。
⑤ 護身術を習っているということを公言しないということです。道着も陰干しするくらいじゃないと何のために護身術を習っているかわからないと教わりました。
2005年2月17日 (木) 基本的心得、その2
立ち技の時の注意事項。
重心は、足の指の親指(鼻緒のあたり)に置く。また手と足は同じに動く。これは農耕民族の特性らしい。お能、歌舞伎など日本の伝統芸能は、右手と右足、左手と左足が一緒に動く。それから足裁きは必ず摺り足で行うこと。以前テレビで自分の先祖が農耕民族か狩猟民族か判断する方法として、鍬をもって土を耕すと仮定してやった場合に、同じ手と足が出ていれば農耕民族とやっていたが試されると面白いと思う。
正座から立ち上がる時には必ず、片膝を立ててスッと立ち上がる。スッと立ち上がれない時は床や畳、壁を手で押してその反動を利用して立ち上がれば良い。間違っても膝の上に手を置いてはいけない。膝を痛めてしまうからです。そして立ち上がった時に出ている前足を必ず後ろ足に揃えること。
立っている状態から正座に戻るときは、両膝を一緒に畳につくようにしながら、畳に着くちょっと前で片膝ずつ着くようにすること。両膝が一緒に畳に着くと腰を痛めてしまうので要注意です。
前に立ち技の時は、重心は鼻緒の所に置くと説明しましたが、これがなかなか難しいものです。相手を押さえ込む時に横向きになりますが、重心が鼻緒の所にあるはずなのに、いつの間にか踵にあって、踵で方向転換している場合が多々ありますので注意しましょう。
以上、これは稽古の時の注意事項でもありますが、日常生活でも活かされなければ稽古している意味がありません。是非、日常の立ち居振る舞いに応用して、日常が稽古になられることを望んでおります。
2005年2月15日 (火) 動功術とは合気術のこと
動功術とは道家合気術とも呼ばれていました。同じものです。なぜ名称が変わったのか、詳しく分かりません。確か以前「松武館事件」というものがあったらしいです。松武とは、松田敏美の松と武田惣角の武の頭文字を組み合わせて作ったと考えられます。詳しくは知りません。知っている方がいたら教えてほしいものです。
動功術は八光流柔術とも似ています。当たり前です、八光流柔術の奥山龍峰先生と同じ師匠である松田敏美先生の系統の大東流合気術だから、・・・多分群馬にいた前田なんとかという先生の技もきっと同じようなものだと推測されるものであります。
他の松田敏美先生の系統と何が違うのかと言われれば、それは仙人の健康法たる「導引」という裏打ちがあるか、どうかではないだろうか。仙人の健康法であるくらいですから、道家合気術もそれだけでも十分な健康法になり得るものであります。
今まで、結構この日記を書くに当たっていろいろ躊躇していた部分もありますが、これからはあまり、怖がらず臆することなくできる限り書いていきたいと思います。そして少しでも読んでいる皆さんが自分もやってみたいと思えるようになれば、嬉しい限りです。質問とかありましたら、メールでもゲストブックでも書いて頂ければ、できる限り回答したいと思っています。
2005年2月15日 (火) 基本的心得、その1
道家合気術には、座り技と立ち技があります。まず座り技を終えてから立ち技に移りますが、基本的に足裁きが加わるだけで同じ動きになります。(例外は一か条の立ち技に内小葉がないなどあります)EX.小葉とは手のひらのことです。
正座の仕方ですが、いろいろ流派によってもあると思いますが、我々が稽古しているやり方を紹介したいと思います。
足の指は親指だけ重ね合わせます。どちらが上でも下でも構いません。姿勢は鼻の頭が臍の上に、耳たぶが肩の上にくるようにしますが、かといって背筋をピンと真っ直ぐにするわけではありません。脊髄は軽いS字を描いているのが正常です。そうでないと足の刺激が直接脳に伝わって好ましくありません。但し、腎臓と丹田を一つにします。
両膝は女性はピッタリと閉めます。男性は拳一個分くらい開けます。まあ、普通はこれが自然でしょうが、拳一個分位は男女とも余裕をもっても良いみたいです。
両手は親指を掌の中に入れて軽く握って(これを握固といいますが、元になっているのは赤ちゃんです)、腿の上に置きます。
口は軽く閉じ、できれは舌先は前歯の裏に当てているといいでしょう。そして唾液が溜まったら、3回に分けて丹田に帰してあげます。唾液は清津といわれてとても大事なものです。間違っても路上に吐き捨てることなどないように気をつけたいものです。
この状態から挨拶に移ります。相手の目を見て、親指だけ立てて挨拶をします。相手の目を見るというで全てを知るといいます。
2005年2月14日 (月) 日曜日の稽古!
ここ最近、メールでの問い合わせがあり、何人かの人が無事に半蔵門での稽古に参加されるようになりました。私としても多少、ホッとしている部分もあります。ただこの小さな出会い、正しく縁だなとは思うのですが、栄子先生と知り合いになれた方は幸せだな〜ぁ、とつくづく思います。合気術の本来の姿も知らずに、ただ高額な稽古料だけ取られ、会員同士で稽古させている所もあるのでしょうからね。まあ、多少の勇気をもって重い扉をこじ開ければ、別の世界が待っていますよ、きっと。
あと、良いことばかり書くのもなんなので、折角、勇気を出してメールを下さり、半蔵門の稽古場所を紹介し栄子先生と巡り合った方の中には、その後全く練習に来てない人もいます。それは正しく個人の自由だと思うのです。まあ、そういう人もいるんだと理解していただければ、こちらの稽古場がパラダイスや天国だなんて錯覚する人もいなくなるでしょうね。
2005年2月4日 (金) 平成17年1月30日「真向法」と再会
松任谷由実が東京FMで夕方5時からやっている番組で、ゲストにやってきたファッション雑誌の編集長らしき人、女性名前は忘れた。車で聞いていたのだが、洋服の流行の話がテーマみたいな感じで、興味のない僕は軽く聞き流していて、今日のゲストは詰まらないと勝手に思っていたのですが、最後の方でユーミンがそのゲストに何か日課にしているものはありますか?と質問したらその女性は「毎朝、マッコウホウを15分ほどやっています」と答えたんです。ユーミンは知らないらしく「マッコウホウ?」それは何ですか?と尋ねていました。僕はびっくりして、車のラジオの方を見てしまいました(笑)この女性、「真向法」をやっているんだ、恐るべしと思った次第です。簡単な4つの動作で全身を柔軟に保つ体操、これが意外にやると大変。もし興味のある方は是非チャレンジしてみて下さい。
2005年1月28日 (金) 研究行−仙人の洗顔法について−
仙家では「研究」という文字を分解して九つの穴を研くという意味にとります。直接、自分と宇宙を繋ぐ最も大切なものであると解釈します。その穴の内、七つは顔にあります。洗顔と言えば普通の方は水で顔の表面をただ洗うだけですが、あまり意味はないように思います。まあ、顔の表面の汚れは取ることができるのでしょうが、・・・・・。
また日本人は洗顔の時、手を動かして洗いますが、中国人は顔を動かして洗うそうです。たまには中国人と同じように洗顔して首を動かしてあげる(=首の導引になる)ことも気持ちいいかもしれません。
ここで仙家の洗顔法を紹介しましょう。
①塩で歯茎をマッサージする。
②舌苔を落とす。
③嗽をする。
④鼻を洗う。
⑤目を洗う。
⑥耳を洗う。
⑦首筋と足の裏を濡れタオルで拭く。
本来は、起床してまず基本行法(早晨修法)を行った後に洗顔に入ります。ポイントは目を洗うときは必ず底を見つめること。これはあらゆることの根本を見つめることに繋がります。世の中は表面だけが目まぐるしくコロコロ変わりますが、根本はあまり変わりません。その根本を見つめることが大切です。また首筋と足の裏を拭いたタオルは必ず綺麗に洗うこと。何事もそうですが、後始末が大事であります。遣りっ放し、使いっ放しではお話になりません。自分でできる範囲で後始末は必ずするようにしましょう!
この他、詳しく洗顔法を知りたければメールでも頂ければご紹介いたします。
2005年1月27日 (木) 伊達政宗の家訓
家訓といえば徳川家康の家訓も有名ですが、伊達政宗の家訓も良いので紹介しましょう。
「仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐれば諂いとなる。智に過ぐれば嘘をつく。信に過ぐれば損をする。気長く心穏かにして万に倹約を用いて金銭を備ふべし。倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり。此の世に客に来たと思へば何の苦もなし。朝夕の食事美味からずとも褒めて食ふべし。元来客の身なれば好き嫌いは申されまじ。今日の行をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、しやばの御暇申すがよし。」−百朝集より−
いかがだったでしょうか?こういう精神の鍛錬がなければ、戦国時代からは生き残れなったものなのでしょう。
2005年1月25日 (火) 観相について!
観相について、仙道連を主宰していた五千言坊玄通子先生は、「相道」という著述の最初にこう記入されています。
「学相に当たりては、最初に相法、相術、相道の夫々の意義を明確にしておくこと。即ち相法とは己を修め、相術とは人に施し、相道とは道と一体化すること。将に仙法、仙術、仙道の意義に異なる所なし」とあります。これは言うまでもなく、導引法、導引術、導引道にも当てはまることでしょう!仙道連では導引術とは言わないで導引法と言っているのは、まさしく己を修めるためのもので、人に施すためのものではないということからなのでしょう。肝に銘じなければいけませんね。
2005年1月20日 (木) 「遵生八牋」の序文
「遵生八牋」、とある所では「道家の人びと」という題で出版していますが、その序文です。
天地に生命が存在するようになったそもそもの始まりから私たちの生きている現在に至るまで、その仕組みは霊妙であって、しかも私たちより後も消滅することはない。私たちが生命活動を営み、私たちの後を継承させる仕組みもまた霊妙であって私たちの後永遠に存続するのである。それは天地を運行させる神であり、造化を霊妙にする竅である。
父母が私たちを産んでくれた恩恵、私たちが自ら受け持っている重責、その意義は大きい。だから生命を大切にする事は天地を大切にすることである。父母が私たちを産むのは太古から繰り返されてきたことであり、後世の人が私たちを継承するのは現在に始まるのである。だから生命を大切にする事は単に自分を大切にするだけではなく、取りも直さずこの天地の運行をも大切にすることにもなるのである。生命を大切にすることに気付かなければ生命を粗末にすることになる。生命を粗末にする者は天地、父母に対する罪人であって、生きていたとて何の意味があろうか?
しかし天地は人間に生命を与えるに当たって、無心に窮と達、寿と妖とを均しいものとし、万人それぞれの凛(うまれつ)きを得させ、君子は天命のままに富貴貧賤を受け入れ、しかるべき在り方に従ってその生命を安全ならしめる。富貴となるように生まれついた者は繁栄の有難さを享受すべきであり、貧賤となるように生まれついた者は閑寂の有難さを忘れてはならない。
こういう訳でこの「遵生八牋」の書においては窮する事は問題にしておらず肝要なのは足るを知ることを自分で体得し、それによって生命を大切にすることである。
修行する人の行いに欠陥がなくなれば仙人となる、と言われているが一念を持てば誰でもこれを成し遂げることができると道家の奥儀に説かれている。私たちは五臓五腑を合わせて十臓器の精気を天から授かり、四肢という体躯を形成している。暮らしが高貴な人たちは養生の道理を学ぼうとせず、生を守るのに処方があることを知ろうしない。それに比べまた貧窮の人たちは生活を計るのに追われて保身など全く知ろうはずがない。
学徳の高い人は空を飛ぶ神僊術を虚構と決め付け、道家の説くところをまやかしであると見ているが彼らにしても六欲七情による影響は免れる事は出来ない。泣いたり、笑ったりする中で精神を消耗し日に日に身体が枯衰していく。髪は藁のようになり自ら疼痛、病苦を味わうようになって初めて草根樹皮を捜し求め、精神命脈を活かそうとするが、なんと悲しい限りではないか、・・・・・・・。
と結んであります。これを読めば自殺なって出来ないし、鬱病などになってなんかいられないと思うのですが、今の世の中なんと自殺、鬱病の多いことでしょうか?!少しでも導引をして元気に暮らしたいものであります。
2005年1月19日 (水) 小事と人格について
斉家の箴の③番目にある、小信について参考になるかどうかわかりませんが、安岡正篤先生がこんな文章を書いています。
「小事と人格」
人間の真実の正しさは礼節と同様、小事における行いに表れる。小事における正しさは道徳の根底から生ずるのである。これに反して大袈裟な正義は単に習慣的であるか、或いは巧智に過ぎぬことがあり、人の性格について未だ判明を与えぬことがある。−ヒルティ(スイス)−
選挙演説会で国民大衆に大袈裟な正義を主張したり、時局に便乗して巧みに事新しく筆陣を張るものがあったとて、ゆめゆめ偉い人かと迷わされてはならぬ。その人の何でもない日用尋常の言動によく注意をしよう。案外化け猫や古狸の正体が何でもない事にチラチラばれるものである。偉大な修行などというと、どんな奇抜な人間離れしたことをするのかなどと思う間は、まだ何もわかっておらぬのである。尋常日用の工夫に徹するのが大修行なのである。
大いに悟りを開こうと思って、先ず仏という偉大な者の秘儀を掴もうあせっている僧に趙州和尚は答えた。「朝飯は食ったか?」「はい頂きました。」「食器をよく片付けなさい。」と
どうでしょうか?「世界平和」とはなんと便利な言葉でしょう?!実際何も出来なくても、何もしなくても批判されることもありません。小信とは小事において信用を得ることだと僕は考えます。ご参考までに。
2005年1月14日 (金) 斉家の箴(一家をなす上での戒め)
1.和顔愛語を旨とし、駑馬相辱むるをなさず。
2.簡素清浄を守り、怠惰放漫を戒む。
3.小信を忽せにせず、有事相済う。
4.親朋には事無くして偶訪し、時有ってか季物を贈る。
5.平生、書を読み、道を開くを楽しむ。
この言葉を目指して、生きていけたらと思います。 
2005年1月10日 (月) 和式トイレと洋式トイレ
今、世の中はアメリカナイズされています。トイレもご多分に漏れず、です。僕が子供の頃は学校のトイレは和式ばっかりでした。今は綺麗な洋式トイレだそうです。
以前、会津の武家屋敷に行ったとき、トイレはやはり和式でした。当たり前ですね(笑)でもどうして日本人はしゃがんでトイレをすることを変えないでず〜とやってきたのでしょうか?意味があるとは思いませんか?
その回答は僕の先生が教えてくれました。それは、和式のトイレの格好のほうが排泄能力が高いということでした。導引にはあの姿勢(和式トイレ)のまま行う行法があるみたいです。邪気を排泄する、宿便を出す。万病の元は宿便です。お腹が綺麗になれば病気も治る。なんと単純明快ではありませんか?ただし、和式洋式に関係なく力むのは止めましょう。体にとって良いことはありません。目が悪くなるし、血圧も高くなりますから、・・・・。
2005年1月4日 (火) 明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。
去年もいろいろありましたが、今年もいろいろあるのかな〜、何もないことが無事ということなんでしょうね。
去年の年末に「白い巨塔」のアンコール版をはまって見ていました。
良い医者と悪い医者の構図、ドラマは善対悪でないとわかりづらいし、面白くないものですね。死んでしまった被害者の弁当屋の主人、間抜けな顔が被害者というイメージに拍車をかける。冷静になって考えると誰が一番悪いって、病気になった張本人だろって思うはずなのに、ドラマに夢中だとそうは思わない。かたせ梨乃の演技に感情移入してしまう。
くれぐれも、マスコミに騙されませんように。テレビってば、やらせがおおいのでしょうね。脚本があるんだもんね。映画ならフィクションと思えるのになぁ〜テレビでニュースなんかやるから紛らわしいんだよ。ちゃんちゃん。
2004年12月25日 (土) 「現代仙道百科」について
「現代仙道百科」−心身改革の秘法体系−は小野田大蔵先生が白揚社から出版された本であります。小野田先生は過去にもいろいろな本を出されていますが、まあだいたいこの本が集大成というか、一番コンパクトに纏まっているのではないか!と思います。定価も3,675円とリーズナブルかと思います。なぜなら、どこかの道観では、基本行法として10万円で教えて頂いた(20年近く前の話なので、今は、・・・・)技が早晨修法として掲載されているからです。まあ、本で読むのと実際教えてもらうのは違うかもしれませんが、・・・・。その他にも服気法や研究行、導引について書かれているので参考になるのではないかと思います。
その本の中で小野田先生はこう言い切っています。「良師などというものはいくら捜しても見つかるものではありません。すぐ見つかるような「師」は、たいていは金儲けのために弟子を集めるサギ師です。」「仙道は独習できる、というよりも仙道は独習すべきものと言うべきでしょう。なぜなら仙道は自己開発の技術であり、自己開発はひとりひとりが自分でやるべきことだからです」
先生や師はいないより居た方が良いに決まっているし、仲間も居た方がいいに決まっていると思うのですが、独りで慎みながら修行をすることが基本なのにそれを忘れて、会員からいかに集金するかとか、心の悩みを解決するといいながら自分で考える力を無くしてしまうという本末転倒なことをしている輩には必ず天罰が下るものと思われます。
2004年12月15日 (水) 風邪の治し方について!
風邪の治し方について個人的な意見を述べてみたいと思います。何でもそうだと思うのですが、ひきはじめの頃の対処が大事なのではないでしょうか?老子も小事のうちに処理していれば大事には至らないということを言っていますから、・・・・。
①具合が悪いなと思ったら、その日の晩御飯は抜く←野生動物は具合が悪くなると食事を抜くといいます。お医者さんとかいませんから、自分のことは自分で処理しないといけないのですね。
できれは唾液をたくさん飲んであげる。もし痰が絡んだら痰だけティッシュにとって唾液は体内に返す。
②熱がある時は、キャベツか白菜の葉をおでこと後頭部に当てて日本手ぬぐいなどで固定する。熱を吸い取ってあげる。東洋医学は排泄が基本である。葉っぱがしなったら何度も交換する。気持ちがいいものである。間違ってもしなった葉っぱは食べないように、邪気を吸い取っているので。
もし、38℃以上の高熱が出たときは、お豆腐で熱取りをします。
③今日は冷えたなぁ〜と思った日は、必ず「腰湯」をする。一般的には「足浴」「足湯」といいますか?道家では腰まで暖まるお湯という意味らしいです。ポイントは濡れた足は必ず水滴や水分が残らないように拭き取る。腰湯をする格好は寒くない服装で。汗を掻いたら必ず着替えて、汗を拭き取ること。
大抵、これを実行すれば治ると思うですが、悪化した場合には安静にして、お医者さんにかかることをお勧めします。ただし、何でもそうだと思いますが、病気は自分の中にある自然治癒力が治すのであって、医師ではありません。
それから、これはまだ試してないのですが、感染症の風邪には地竜(ミミズを乾燥させた漢方薬)が効くらしいです。だだし、風邪のときに飲める代物であって健康なときは臭くて飲めないらしいです。
もしこれ以外に風邪の治し方について知っている事があったら、是非教えて下さい。お願いいたします。
2004年12月14日 (火) 早島栄子先生!
以前、新しいHPになる前に栄子先生のことを日記に書いたら、Yahoo!の検索で早島栄子と入れるとヒットしたはずなのに今同じようにやっても検索先、該当なしとなるのはどうしてなのだろうか?嫌がらせってことはないと思うけど、・・・・・。
僕のこんなちっちゃぁなHPを見てくれてメールをくれて知り合いになって、栄子先生を紹介できるというのは嬉しいことである。
本来は、先生の名前を記憶している人が検索してメールしてくれるかな?なんて思っていたが、結構あまり「導引」を知らない人達から問い合わせが多いので、ネットの凄さ、怖さを改めて感じる次第であります。
早島栄子って誰?と思っている人も、そうでない人も、もし「導引」を健康法として考えているのであれば、一度会ってみても損はないと思う。以前は早島妙青という名前で本(尼さんの知恵袋など)も書いていたが、そんなこと知らない人の方が多いのかも知れない。ここでこれだけ記入すれば、また検索でヒットしてもらえるようになれば有り難いものである。
どこかで「導引」を習っていて、続けたいけどお金がなくなって続けられないとか、破門にさせられたとかそういう方達が、そういえばこんなHPあったなぁ〜なんて思い出してくれるだけでもいいと思ってます。
2004年12月14日 (火) 今日はめっきり寒くなりました。
やっと、新しいHPが始動し出します。今までの部分と重なることもあるかもしれませんが、コツコツ書いていきたいと思ってますので、ご意見などありましたら、ゲストブックにご記入お願いします。直接メールを下さってもOKです。