近況レポート:


そこにいるだけで。〜I'm glad 'couse you're here〜

21世紀の幕開けを飾った2001年。驚くべきことが起こりました。現役復帰

以前から咲村は「厩舎の方針の違いで彼の実力を十分に発揮できていない」と、ことあるごとにこのページや『ANNEX!』誌上で言っていたので、彼の引退は非常に残念なことだと思っていました。一言で言うなら「もったいない」です。

やはり加用先生は、自身が乗っていたサーペンフロ産駒、マルブツサーペンの印象が強すぎたのではないか、と思うんです。こちらはゲイルの父、ランニングフリーとは違って典型的なマイラーで、後に障害に転向し、ソコソコ活躍した馬です。サーペンフロの血を父系から受け継いだ馬がほとんどいない(っていうか、ランニングフリーがほぼ唯一の後継種牡馬)状況では、血統的特徴を探れといっても無茶な話ですが、もう少し父・ランニングフリーの特徴を見て欲しかったなぁ、と思っていた訳です。走り方とか、親父にソックリでしたもの。気性難的なものも、ランニングフリー4歳時の高松宮杯で発馬時に枠内駐立不良(立ち上がる)をやらかし、出走停止&調教再審査になったことがあったので、多少は推測できたし……。ランニングフリーは関東馬だったので、関西の加用先生にはあまりデータがなかったのかもしれません。

そういう不満があったので、なんか不完全燃焼的感情が引退時にあったのですが。どうもその感情は、オーナーの高橋さんも同じだったようです。やはり、このまま終わってしまうのは忍びない……と思っていたのでしょうね。

復帰した先は、南関東公営の川崎競馬。復帰の話題が、このサイトのBBSに出た時に「ダートは向かない」と断言した(中央時代、ダートでは5着が最高)通り、大苦戦中です。最高が8着(14頭立て)。なかなかゆるくないモンです(^^;

しかも、特徴としては、前半割りといい位置にいながら、勝負どころから急に手応えがなくなってズルズル……といったパターン。調教師の先生の言によれば「かつてやった大怪我(京都金杯でトモを骨折)の記憶から、勝負どころで全力疾走するのをためらっているのではないか」とのこと。故障した後のナリタブライアンのような症状のようです。精神的なものなので、こればっかりは彼が克服するのを見守るしかなさそうです。

しかし、それにしても咲村にとっては無事で姿を見せてくれる、ということが一番ですね。成績はともかく、元気にしていてくれれば十分です。2001年シーズンは、ちょうどナイター競馬を避けるようなローテーションで使われていましたが、2002年も同様の方針なんでしょうか。何にせよ、無理しないで頑張って欲しいですね。


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