未来を見つめる力

2000/4/29
By ぴーこ


(貴方は…私達を残して一人で消えてしまいはしませんよね)


かつて、直江は景虎を見ているとふとした瞬間に何故か不安に襲われる事があった。
これと言った理由は見当たらないのだが、突然湧いてくる不安感に足をとめられたり、思わず景虎がそこにいる事を確認して胸をなで下ろしていた。
これまで何故そんな感情に悩まされるのか分からなかったが、仰木高耶となった景虎を見てやっとその感情が何所からやってくるものなのか分かった気がした。



その日も数日前の雨を忘れるかの様にとても良く晴れていた。
「晴家、景虎様を見かけなかったか?」
部屋に入ってきた直江はのんびりと寛いでいる晴家に声を掛ける。
ここの処怨将騒ぎも無く平和な日が続いているので、夜叉衆の五人も気侭な日々を過ごしていた。
「景虎〜?見てないわね。きっとでまた散歩にでも行ってるんでしょ、このところ晴れてるから桜の蕾が膨らんできたとか何とか行ってたから」
「そうか」
この家の庭にも一本桜の木が植えられている。枝が遠目にも色付き今にも咲き始めるかと思われる程たくさんの蕾をつけていた。
その木を眺めながら直江は何やら考えているような素振りをみせた。
「なに?またどっかで怨将が出たの?」
身体を直江の方に向け直して問いかけてきた。
「いや、そうではないのだが…」
言葉を濁す直江を晴家は見上げている。
「分かってるわよ。心配してるんでしょ、この頃景虎が気が付くと何所か歩き回ってるから」
何日前からだったかは覚えていないがこのところ景虎は気が付くとこの家の中から姿を消している事が多くなっていた。
本人はただ散歩に出かけているだけのようなのだが…
しかし、直江が気にしている事は景虎が一人で散歩に出かけると言う事ではない。
散歩に出かける景虎に誰も気が付かない事にあるのだ。
…この自分さえも。
最近ではそれとなく景虎の事を見ているようにしているのだが、それでも今日のようにほんの一瞬気が逸れた所を狙っているかのように姿が見えなくなってしまう。
大方はこの家の近くで景色を眺めていたり、ふらふらと気が向くままに散歩をしているので時間がある程度立ってしまえば帰ってきている。
けれども直江はそんな景虎をしばしば捜しに出ていた。
「少しその辺りを見てくる」
直江はそれだけ言うと晴家に背を向けて部屋をあとにした。



河原の側の桜並木はもうところどころ咲いている様だ。
桜並木の下を歩きながら景虎は今年の花見の事を考えていた。
昨年は何かと忙しかったので花見はしたのだが、ほとんど散ってしまってからとなってしまっていた。
今年は怨将の動きも静かなので満開の桜の下で花見ができそうだ。
昨年文句を言っていた晴家などは大喜びだろう。
フッと口元に笑みが浮かぶ、晴家は酒が飲めれば何でも良いのではないかと思うのだが…それを言うときっとで雰囲気の問題だと言う返事が帰ってくるのだろう。
そこまで考えたところで後ろの方から自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
ここまで自分を捜しにくる者は一人しか思い浮かばない。
景虎はゆっくりとその人物を振り返った。
「どうしたんだ、直江」
自分の元へ早足で近付いてきた直江に向かって景虎は何事もないかの様に話しかけた。
どうしたんだではないと、直江は少し苦い顔をする。
「まったく、貴方はいつ出かけられたんですか。せめて出かけるなら出かけると一言断るくらいできないのですか」
直江はこれまでもそうしたようにまた同じ言葉を口にするのだった。
「分かってはいるのだが…」
景虎もまた何度めかで言葉を濁す。
「この頃特に酷くなった気がしますよ。まったく貴方は…」
「お前の小言も聞き飽きたな」
「心配しているんですっ!」
それを聞いていないかのように、景虎はまた視線を桜の花に移した。
「今年は満開の花の下で花見ができそうだな」
つられて桜を見上げた直江に景虎が先ほど思った事を言ってみる。
「そうですね。晴家などは庭の桜の花を毎日見上げているようですよ」
その言葉に景虎は微笑した。
微笑に目一瞬目を奪われていた時直江はまたふいに不安に駆られる。
その時、景虎は直江の眸を覗くようにすると小さく呟く。
「直江何かあったか?」
またこの人の瞳に心を見すかされた気がした。
何所か景虎の存在を確かめるような直江の視線が気に掛かったのかもも知れない。
「いいえ、何でもないですよ」
落ち着いた声で景虎に答えると納得したのかそれ以上は聞いては来なかった。



「か〜げ〜と〜ら〜も、もっと飲みなさいよねぇ。ほらほら〜」
晴家はそう言いながらどんどん景虎の盃に酒を注いでいる。
始めたばかりなのに既に出来上がっているようだ。
「晴家、飲み過ぎだぞ…ってそんなに勝手に俺のに注ぐんじゃないっ!」
晴家は早速景虎に絡んでいる。
「なによぉ〜、このあたしの酒が飲めないって言うのぉ〜?」
「そうだぞ景虎、そのぐらい飲めなくてどうする!男がすたるぞ!!」
長秀も調子にのって晴家を景虎にけしかけている。
こっちはこっちで既にかなりの量を飲んでいるようだ。
景虎は困った顔でそんな二人に付合っている。
直江はその様子を見ながら隣に座る色部に話し掛けた。
「今年は平和な年になりそうですね」
「そうだな、このままこの日々が続いてくれれば良いがな」
直江の言葉に頷き返しながら色部も賑やかな3人の様子を眺めていた。
「ところで、景虎殿の奇妙な癖は治ったのか?」
「それがさっぱり治ってないんですよ、気が付くと既に姿が見えない有り様で。何度も注意はしているんですが一向に効果がありません」
直江は肩を竦めるように色部に返した。
色部はそれを聞いて少し考えるような仕草をしたが、直江が何か心当たりがあるのか聞くと気のせいだろうとこたえて目の前にある料理にまた手をつけ始めた。



飲み過ぎた晴家と長秀の二人は既に深い夢の中にいた。
ここでは風邪を引くだろうと色部が二人を家の中に運び込んでいったので、ここにいるのは景虎と直江の二人きりとなった。
景虎はさっきから庭の桜をじっと見上げている。
「景虎様もそろそろ家の中に入らないと風邪を引いてしまいますよ」
少し寒そうに見える背中に声を掛けた。
肩が揺れ景虎が振り返る。
風がぴたりと止み桜の花びらが雪のように景虎に降り注ぐ。
その様子はまるで時を止めた一枚の絵のようだった。
直江は強い不安に襲われる。
気が付いた時には景虎を強く抱き締めていた。
「直江…?」
景虎は意味が分からないように直江の顔を見上げてくる。
直江の腕の中に捕われたまま静かに直江の眸を見つめていた。
夜の静けさをまとった黒曜石の瞳、
思わず景虎を抱き締める腕に力が籠る。
景虎が何か言おうとして口を開きかけたがそれより一瞬早く直江は告げていた。
「私達を…私達を残して、どこかに行ってしまわないで下さい…」
口を付いて出た言葉は思ってもみないほど弱々しいものだった。
「何を言っているんだ、お前は…」
直江の言葉を即座に否定してから景虎は直江の耳もとで囁いた。
(オ前達ヲ残シテ、逝クキナド無イ)



この数年後、信長との戦いに置いて景虎の行方が知れなくなる。



「なぁ〜に一人で桜なんかじっと見てんだよ、直江」
すぐ側で高耶の声が聞こえる。
視線を高耶に戻すと不思議そうな顔で直江を見上げている瞳に出会った。
その瞳は明るい輝きを宿している。
「昔の事を考えていたんです」
「昔の事?」
ええと頷き返しながら直江は歩き始める。
「良い思い出なのか?」
「どうでしょうね、でも今少しだけ分かった気がします」
ふうん、と高耶は気のない返事を返した。
「それより!ねえさん達とせっかく花見に来たんだからよけいな事考えてんなよな」
そう言うと直江に背を向け数歩先に出る。
向こうの方で晴家達が自分達に手を振っているのが見えた。
先に行っちまうぞ、と直江を急かしているのだが一人で走っていこうとはしていない。
直江はその高耶の気使いを嬉しく思いながら歩く速度を速めて高耶の隣に立った。

あの時の景虎が持っていなかったものを今の高耶は持っている。
…それは、未来を見つめる力だったのかも知れない。

あっ、あいつらもう酔ってんじゃないか!!
突然高耶が声をあげる。
久ぶりに顔を合わせた五人全員と譲と美弥を交えた花見が始まろうとしていた。

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コメント:ミラージュをやっと書きました。ずいぶん長い間書いていなかったので上手く書けているか疑問です。お話って思い付かないと書けない物なんですよね。(書きかけはいっぱいあるんだけどどれも話につまってすすんでいません)次は頑張ります。
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