始りの朝に



2002/11/2
By ぴーこ





時空の歪み、いわゆる亜空間には時が無い。
ただ有るがままに、何も始まる事もなく終わる事もない。
樹は仙水の体を抱いたまま、そんな景色を見つめていた。
一体どれほどの間、そうしていただろう。
時のないこの世界では、一瞬とも永遠とも思える。
実際、一瞬であり、永遠なのだが。


いつ終わるともない時の中で、自分の命の続く限り腕に抱いた者の魂を守り続けると約束した。
永遠に動かない体。
裁かれることを望まない魂。

最初から、勝算など無かった。
死ぬ為に始めたゲームだった。
決幕は、彼の予想通りであり、彼の望み通りであった。
忍は満足していたのだろうか。
霊界を裏切り、魔界に於いて妖怪に殺されて。
静かなその表情は、現実を有りのままに語っているが。
樹はなんとも言えない気分だった。
本当は、納得できなかったのかも知れない。
所詮自分は彼等に対抗する術を持たないのだが。
それでも、心静かに受け入れるには時間が掛かりそうだった。
爆弾と恋人を同時に手に入れた気分。
そう、以前彼等の前で語った。
けれども、それは言い換えてみれば、忍を救えない自分に付いた言い訳だった。
見ているだけしか出来なかった自分に言い聞かせた言葉。
浦飯が叫んだように、本当は忍を止めたかった。
慰めたかった。
でも、自分では役不足。
忍の心の中には、既に誰かが住んでいたのだから。


入魔洞窟で初めて彼を見た時に、気付いてしまった。
あぁ、こいつが忍の心に住んでいたのだと。
だから、忍は霊界を攻撃する事をしなかったのだと。
普通なら、自分に真実を隠し罪を犯させていた霊界を第一に憎むだろうに。
そうしなかった事を、俺はずっと不思議に思っていた。
霊界から黒の書を盗み出した時も、一矢報いる事くらい忍になら簡単に出来ただろうにと。
なのにそれをしなかったのは、あの場に彼が居たかも知れなかったからだ。
何をおいても、最終的に最大の壁となって立ち塞がるだろう彼を暗殺しなかったのは……大切だったから。
わざわざ小細工までして彼の魔封環を浪費させたのは、ただ障害を取り除くのでは無く、彼を殺さなくても良い状況を作る為だった。
ある意味、最も人間臭い感情。
知ってしまえば、何の事は無い。
この自分から見れば、瞬き程とも言える時間の全てを掛けて忍は恋をしていたのだ。
だから、狂った。
憎むべき者を、愛してしまったから。
どうしようもない事実の前に、憎む対象を他に摺り替えなければならなくなったから。
そして、憎んだのは自分自身。
何の感慨も無く、次々と妖怪を狩った自分を忍は憎んだ。
いつしかそれは懺悔のようなものに形を変え、妖怪に殺されたいと思い始めるようになる。


樹は、初めて彼を見た時、直感した。
この目の前にいる、閻魔大王の息子が事の発端だと。
そして、忍が彼に向けた思いの強さにも。
確かに、彼は美しかった。
外見もそうだが、その魂から滲み出す透明な光が目を引いた。
それは全ての罪を許すかのように温かな光。
思わず手を差し出したいような。
何よりあの忍にも似た、澄みきった瞳の持ち主に自分は勝てなかったのだ。
いや、忍に似たではない。
忍が彼に似たと言うべきなのだろう。
忍は、彼のように成りたかったのかも知れない。
全てを悟ったかのような最期の方の忍の瞳は、本当に彼によく似ていた。
それなら彼は知っていたのだろうか。
人間の幸福は、多くの犠牲の上に築き上げられたものである事を。
時折、彼等は妖怪よりも遥かに残虐な行為を犯す事を。
人間が、どれ程罪深い生き物であるかを。
知っていたのだろうか?
いや、知っていたはずだ。
知らないはずが無い、知っていてもなお彼はその罪を許したのだ。
だから結果として、忍の敵に回った。
しかし、忍はそれさえも当たり前のように受け入れていた。


それでは、忍の心はどこへ行くのか?
どこへ行ったらいいのか?
愛したからこそ、その者と敵対する事になってしまった。
そして命を落とした。
彼は忍の気持ちに気付いていたのだろうか。
それとも、気付いていなかったのだろうか。




答える者すら居ない世界で、ゆらゆらと思考する意識に触れるものがあった。
この空間への侵入者を裏男は告げていた。
樹はそれが誰なのか、瞬時に察知する。
そう、今の今まで考えていた人物。
閻魔大王の息子だった。
「邪魔するぞ」
彼は樹を見つけると、軽く手を上げた。
相変わらず、あまり似合っていないおしゃぶりをしている。
「何故、お前がここにいる?」
明らかに不審なその登場の仕方に、樹は低く問いを返した。
「企業秘密じゃ」
彼は小さく笑ってから、樹の腕の中に視線を投げかける。
樹は知らず、腕に力を込めていた。
コエンマはその反応に首を横に振る。
「忍の魂を取りに来たのではない」
樹は益々不信を募らせた。
「なら、何の為に来た」
「お主と、ちと話をしようと思ってな」
コエンマは樹の側で座り込んだ。
「話す事など、何もない」
樹はそっけなくコエンマに言い捨てる。
「まぁそう角を立てるな」
小さく笑いながら、コエンマは樹の目を見つめていた。


コエンマはそれから何度となくこの空間を訪れるようになった。
時間が開く時もあれば、短期間に何度か来る時もある。
一瞬で時間も場所も変わってしまうここに、飽きること無くやってくる。
以前として、どうしてこの場を探り当てられるのかは謎のままだったが。
暫く樹の側に座り、取り留めの無い話をして帰ってゆく。
いつしか樹もコエンマを敬遠する事も無くなていた。



現世では、既に百年単位で時が流れた。
コエンマは、相変わらず樹の元を訪れている。
しかしある時。
「そろそろ……忍を弔ったらどうだ?」
その言葉に、樹は気が付いた。
コエンマが樹の元を訪れる理由に。
「やはり、それが目的か……」
落胆。
そう表現することが妥当だと言える感情が心を過った。
結局、目の前の彼も霊界関係者だと言うことか。
いや、彼こそが霊界そのものなのだ。
鋭く返した視線の先きで、コエンマは困ったような顔をしている。
「いや……何と言うか……」
暫く躊躇するような仕草をしていたが、一つ息を吐いて何かを決意したようだった。
「そろそろ……お前は自分を赦しても良いのではないかと」
……思うのだが。
樹はそのコエンマの言葉に目を見張った。
そしてようやく気付く。
先程の言葉が、樹に向けられたものであることに。
彼の行動が、仙水の魂とは無関係だったと言う事実に。
そしてなんとも言えない感情に捕われる。
笑いたいような、泣きたいような。


そう、コエンマは自分の為にここへ訪れていたのだ。
何もない亜空間で、自分が狂ってしまわないようにと。
そこまで考えてはいなかったにしても、大切な者の骸を抱き続けるのは辛いだろうと。


彼は優し過ぎる。
忍が彼に恋した理由が分かった気がした。


そして、彼の瞳に映る自分の姿を認めた時。
自分も、この優しすぎる閻魔大王の息子に好意を抱き始めていることに気付く。
それは恋と呼ばれる感情。

どうやら自分も、忍と同じ人物に恋をしてしまったらしい。



FIN.





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コメント:いきなりのUPです。
しかも、ジャンルが違います!
幽白読み直したときに、はまってしまったので……
実は、これをUPするためだけに読み物部屋を分けたりしました。(ハハハ……)
この作品はかなり前のものなのですが、私自身は今でも結構好きです。  
しかし、ネット上でも見たことの無いカップリングですね。
(誰か賛同者の方が居たら声掛けて下さい!!)     

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