THANKS GIVING 

「アニキ、今までサンキュ・・・な。」
最も尊敬し、愛した兄に、啓介は告げた。
海岸を歩く二人に、冷たい風が吹きつける。
悲痛な顔をした涼介が、よろけた啓介の体を支えた。
「啓介・・・・・・」
涼介は2ヶ月前のことを思い出していた。



 それは突然のことだった。


涼介はいつものように、自室でパソコンに向かっていた。
(今日は雨か・・・・)
どんよりとした空が、窓の外に広がっていた。
ぱらぱらと、不快な雨粒が窓ガラスを叩いている。
(ひと休みするか・・・)
・・と、涼介が、窓際に立って、外の様子を見ようとしたとき、

その電話は来た。

「涼介、大変だ。啓介が事故に遭った。
急いでお前の家の病院に行ってくれ。
・・・おい!聞いてるか?涼介!・・大丈夫か?」
切羽詰まった史浩の声が聞こえてきた。
「・・・あ、ああ。分かった。すぐ行く。」
そう答えたものの、涼介は、突然のことに、信じられなかった。
(・・・俺は・・・夢でもみてるのか?啓介が事故・・・?)
(・・・そんな訳ないだろう・・?)



 白い布を被せられた弟の顔を見たとき、

これは、自分の愛した弟ではないと思った。

 病院で、手術中の啓介を待っている時間も、

啓介の死を告げる医者の声も、

周りから聞こえるすすり泣きも、

何もかもが、涼介には現実の出来事に思えなかった。


(・・・これは夢なんだろ?)

そんな風に自問自答する涼介に、誰も、再び真実を告げることは
出来なかった。
お葬式も済み、家の中が落ち着いた頃、
母親が言った。

「涼介。しっかりしなさい。啓介はもういないのよ?」

「・・・・・・・・・・・」
(何を言ってるんだ?啓介が死ぬはずないじゃないか・・?)

「涼介・・・。」

母親は、涼介の頭を抱えると、・・泣いた。悲鳴を押し殺すように、
肩を震わせて。



涼介は、いつものように、朝起きると、自分の分と
啓介の分のコーヒーを煎れた。
いつものように、寝癖で頭がぐしゃぐしゃになっている、
そんな弟の姿が涼介は好きだった。

なのに、いつまでたっても、啓介は起きてこない。

がらくただらけで、足の踏み場もない啓介の部屋を覗いても、
啓介がいない。

車庫にある黄色のFDも、ピクリとも動かない。

何もかもが、以前と全然変わらないのに、啓介だけが

・・・いない。



「啓介・・・。」
小さく、弟の名前をFDに向かって呟いた。

「アニキ、俺、アニキみてーに速くなりてぇんだ。」

少し照れながら涼介に向かって笑っていた啓介。

「お前なら、俺よりもずっと早くなる。啓介。」

(・・・そう言ってただろ? 速くなるんじゃなかったのか?)

涼介は、FDに寄りかかり、声を押し殺して、涙を流した。




 啓介の死を受け止めてから、涼介は、異常なほど
研究に打ち込むようになった。
周りの人間の心配をよそに、毎日、毎日、涼介は研究室に閉じこもった。
両親は、以前に増して家に寄りつかなくなっていたため、
涼介は思う存分、研究に打ち込むことができた。


 「・・・・完成だ・・。」
涼介は、啓介を失ってからゆるむことのなかった顔の筋肉を、
初めて緩ませた。

「啓介・・・。会いたかった・・・・。」
と、呟くと、ガラスケースを愛しげに抱きしめた。

涼介がささやいた特殊なケースの中には、無垢な胎児が眠っていた。


胎児の成長を見守るために、涼介は、自分の家に研究室を作った。

涼介は、クローンによって、再び啓介を誕生させたのだ。

 不思議なことに、その胎児はあっという間に21歳まで成長し、
以前と変わらぬ啓介になった。
あの事故以前の記憶も間違いなく存在していた。
けれど、そんなことは涼介にはどうでもよかった。
ただ、啓介が初めて「アニキ」という言葉を口にしたとき、
涼介は、啓介を、強く抱きしめた。


「啓介、けして、家の外に出てはいけない。」

と、涼介は、啓介に、何度も言い聞かせていた。
「何でだよ?アニキ?走りに行ってもいけねェのかよ?」
「駄目だ。」
有無を言わせぬ兄の口調に、啓介は訝りながらも、しばらくは、
おとなしく言うことを聞いていた。


しかし、元来活動的な啓介がそう何日も家に籠もって
じっとしていられるわけがなかった。


何日経った頃だろうか・・・・・。

言いつけを破って、啓介はこっそり、
夜中に走りに出かけてしまった。

涼介が気づいたときには、既に啓介が赤城へ着いた頃だった。


「啓介っ!!」
「・・・・・・・・・・アニキ・・・・・・・」
そこには、周りの人間から奇異な目で見られ、
困惑した表情の啓介がいた。
「・・・・帰るぞ。啓介。」
氷のように冷たい目で、周りの人間を牽制すると、
涼介は、啓介の腕を引っ張り、FDに乗せた。
「・・・ちょ!!アニキ!何なんだよ??」
ワケの分からない啓介が抵抗しようとする。
「・・・とにかく、家へ帰ってから説明する。」
「何だよ?それ?」
なおも、抵抗しようとする啓介に、涼介は、
怒り・・・、と言うよりも、悲しみの籠もった目で
啓介を見つめた。
「お願いだから、早く家に戻ってくれ・・・」
気圧されたように、啓介は、おとなしくなると、
黙って、運転席へと座ってエンジンをかけた。


同じく、自分のFCへ向かおうとした涼介に向かって、

「涼介。どういうことなんだ?説明してくれ。」
周囲の人間の疑問を代表するかのように、史浩が訊ねた。
「涼介さん・・。どうして啓介さんが・・・?」
史浩の隣にいたケンタも、おそるおそる訊ねる。

「後で説明する。」

だから、今は聞くな、・・という無言の思いを、
史浩は、敏感に感じ取った。
「・・・分かった。落ち着いたらでいいから、話してくれよ。」
さりげなく、気を遣ってくれる史浩に、今までどれほど
助けられてきたことか・・・。

涼介は、初めてそれを実感して、
穏やかな顔で、ゆっくり頷いた。


「アニキ。・・・・・俺、死んだのか?」
家に着くなり、啓介は単刀直入に訊いてきた。

「・・・・・・・・・・・・・そうだ」
涼介の無慈悲な声に、啓介は動揺した。
「・・・マジかよ・・?・・・じゃあ、何で俺生きてンだよ?」
「何で俺ここにいンだよ?・・・答えろよ!!アニキ!!!」
啓介は一人で、興奮して、何が何だか分からなくなっていた。

だから、そのとき、涼介の肩が震えていたことに、
気付けなかった。

「・・・確かに、お前は俺がDNAで蘇らせた啓介だ。」
震える声で、涼介が告げる。
啓介は断罪を下されたかのように、立ち尽くすしかなかった・・。
「・・だからと行って、お前が啓介以外の何者でもないだろう?」
背を向けたまま話す涼介の異変に、やっと啓介は気づいた。

「・・・アニキ・・?・・・・・・泣いてるのか?」

ふと、窓ガラスに映った涼介の顔が見えた。
涼介は、・・・・泣いていた。

どうしようもなく。

啓介は、何故あれほど外に出るなと、念をおして自分に言った理由を
初めて理解した。
「アニキ・・・。ごめん。俺、アニキとの約束破っちまって・・。」
啓介はうなだれた。
そのまま、啓介は自分の部屋へ黙って帰っていった。



翌々日・・・・。
部屋に閉じこもっていた啓介が、やっと顔を出した。

その日の天気も、あまり良くなかった。
小雨がぱらぱらと木の葉を揺らし、冷たい風が吹き始めていた。
「アニキ・・。俺、海に行きてェんだ。・・連れてってくれよ。」
穏やかな表情の啓介が、涼介に言った。
啓介の考えが読めなくて、涼介は戸惑ったが、
すぐに承諾すると、FCを出した。



「寒くないか?啓介。」
車を降りると、
海では、さらに強い風が吹いていた。
「大丈夫だぜ。」
啓介は、にっこりと柔らかい笑顔を涼介に向けた。
(・・・・・・・・・・・・・)
涼介は、何かを悟ったような啓介の表情が、
自分の何かを刺激するのを感じていた。

「・・・・・啓介?」

急に、啓介が砂浜に膝をついた。
顔色が悪い。

「車に戻るんだ。啓介。早く家に帰ろう。」
焦ったように、涼介は、啓介の肩を支えながら言った。

「・・・・・・・いいんだ。アニキ。」

「・・?」
涼介が何も言えずにいると、

「アニキ、俺、もうすぐ死ぬ。」

啓介は、さらっと、言った。続けて、

「俺の体、おかしいんだ。体の中味だけ、年とってるみてェな
気がすんだ。」

と、啓介は、悲しそうに笑った。
「いつからそうなったのか分かんねェんだけど、
たぶん、アニキとの約束破ったから罰が当たったんじゃねぇかな。」

「そんなはずはねェ!!」

涼介は、思わず叫んだ。
啓介の額から、脂汗が出始めた。
「啓介!!俺が直してやるから、早く・・・」
「いいんだ。」
涼介の言葉を遮ると、啓介は涼介の肩に預けていた自分の
腕を外した。

「啓介!!」
制止する声を振り切って、啓介は立ち上がった。
そして、涼介に向かって、
「今の俺って、本当に俺なのか?
・・・・・俺は違うと思う。そう思わねぇ?アニキ?」
急に大人びた表情をする啓介が、儚げに見えて、
涼介は目眩を感じた。

「そんなことはない。お前はお前だ。」
しかし、啓介はゆっくりと首を横に振った。
「俺はもう死んだんだ。だから、今の俺は本当の俺じゃない。」
「・・・・アニキだって、分かってンだろォ?」
涙の入り交じった声と共に、啓介の体がぐらついた。

「危ない!!」
砂浜に倒れ込みそうになった、啓介の体を、涼介が受け止めた。

涼介の膝に頭を乗せて、砂浜に寝転んだまま、啓介は
じっと、静かに涙を流していた。

どれぐらいそうしていただろうか。
啓介が力無く立ち上がって、言った。
「アニキ、今までサンキュ・・・な。」





長いようで短かった2ヶ月間、あまりにも
多くのことがありすぎた。

涼介に背を向けたまま、啓介はそのまま海へと向かっていった。
プライドも、何もかもを捨てて、涼介は、
「行くな」と、叫んだ。

・・・けれど、啓介は1度も振り返らなかった。
涼介は、啓介に、言えなかった禁忌の言葉を吐き出した。

「おまえを愛している」と。

啓介は、その時、少し、立ち止まっていたが、
すぐに、歩き出した。
涼介は、啓介が見えなくなるまで、
・・・・見えなくなってからも、

いつまでも

いつまでも

海岸から動こうとせず、ただ、啓介の消えた一点だけを

ずっと見ていた。



END
このあとの涼介は大丈夫
だったんだろうか・・・。なんて自分で
思ってしまいました・・。
本当は最初考えたのと大分変わってるんです・・。
これはあくまでフィクションです・・・。

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