「逢いたかったのに…」  

彼女はそう小さく受話器に向かって呟くように告げた。
声がわずかに震えた。
なんとか普通の声で話したかったが、
それは今の彼女には無理な注文だった。

「なのに…」  

そこで、一度言葉を切る。  
受話器の向こうの彼は今、どんな想いで私の言葉を聞いているのだろう?  

「ねぇ、もう、私達会わないほうが良いのかな?」  

そう彼に尋ねてみる。
言ってしまってから唇が震える。
それをぎゅっと唇をかむことでこらえた。
しかし、彼からの返事は返ってこない。  

「もう、私はあなたにとって重荷なのかな?」  

「あなたを信じて待っていては駄目なの?」  

そう問いかけても、聞こえてくるのは、かすかなノイズだけ。
彼の呼吸も何も聞こえてこない。
そこから感じられるのは・・・拒絶だけ。
彼女は小さくため息をついた。
そうなのか。
今、はっきりとわかった。
もう終わっていたのだと。
あの時、私と彼が離れてしまった時に全て終わってしまったのだと。  
だから、彼女はその言葉を口に出すことにした。

「もう、あなたのこと忘れることにします。いままで、ありがとう。」

頬を伝う涙の感触を感じながら、その言葉を。

「さよなら。」

 
 
 
 
 
 
 
 

EDEN
The end of COSMOS

Episode 8 「その刹那」
 
 
 
 
 



いよいよ始まるのね。


後悔しているのかい?


いいえ。そんなもの当の昔に済ませているわ。


そう、なら覚悟は良いかい?


もちろん、いつでもよくってよ。


了解。では型どおりの言葉だが。


なに?


「君の武運を祈る。」


・・・・ありがとう。

生きて帰って来いよ。


もちろん。あなたのもとに必ず帰るわ。


では、また後で。


ええ。また後で。


秘匿回線が切れ、彼女の耳に管制官の声が響く。


「03、射出位置につけ!」


「03了解。」


そして強烈な加速G。





 

「ほう・・・模擬戦闘による評価試験か。」

データパッドを片手に彼は、小さく呟いた。
豪華な椅子に座り、目の前に浮かんでいる地球に視線を向ける。
ちょうど、地球の右側に大きく輝く物体が浮かんでいる。
彼の背後に立っている青年が、咳払いをして言葉を続ける。

「はい。本日1400より120分の予定です。
今回の評価結果を分析し、二次増加試作SPB-04、05に反映させます。
といっても、04,05は機体制御用OS等のソフトウェアの改良が主体になると思われますが。」

「試験に使う機体は?」

「ライカー大佐のシリアルSPA-02です。
現在、SPA-01は分解整備中、
SPA-03-M07は1500より月軌道上にて新型反応炉SPEC07のテストと
新型のリニアアクチュレータの試験を行います。」

彼は小さくうなずいて、椅子を半回転させて、データパッドを返した。

「やはり、光子反応炉の制御に相当てこずっているようだな。」

「はい、高負荷時の反応制御を一ミリ秒単位に設定しても
望むレスポンスが得られない場合があるらしく。
現状では、01の場合、当初予定の70%の出力が限界との判断が下されています。
新型の07は出力は爆散事故を起こした05の三割減ですが、
それでも01の二割増しですから、そこで帳尻をあわすという話もあります。」

「そうか・・・ところで、MSDFのF14が全力生産に入ったという噂を耳にしたが・・・」

軽く肩をすくめて彼は答える。

「えぇ、月のとある商社経由の情報ですので、信憑性は高くないとの判断ですが。」

「もし、本当だとすると、軍令部の予想よりも早く、
彼らが仕掛けてくる可能性も否定できないな。」

その青年はその言葉に、少し驚いた表情を浮かべた。

「そうでしょうか。いくら全力生産に入ったとしても、
今の火星の生産拠点数、能力から考えても月50機が精一杯かと。
光子結晶の精製に関してのみ考えても、
エンジン一基分を精製するのに一週間は・・・」

「たしかに、君の言っていることは正しい。
だが、どうも胸騒ぎがするんだよ。
我々は敵の力を見誤っているんじゃないか・・とね。」

そう告げて彼は椅子をまた半回転させて、地球に振り向いた。




彼らは右手にアルテミスを眺めつつ巡航していた。
イカロスの前席に座っていた彼は、宇宙空間からコロニーを眺めるのが好きだった。
人類の英知の結晶であるそれを眺めていると、自分たちにできないことは何もないと思えるから。

「そろそろ加速してもいいわよ、正人。
目標座標は今からそっちに送るわ。
模擬戦闘開始まで30分あるから、このままの速度で巡航しても十分に間に合うけど・・・」

「いや、少し早めに着いておいた方がいいだろう。
相手は戦略研だから、たぶんもう着いてるよ。
何せ奴等はなんでも二時間前行動だしね。
オートクルーズを設定してくれ。」

「了解。」

入力デバイスからに目標座標を設定して、自動巡航を指示する。
機体は若干速度を上げて、右側に見えていたコロニーが後ろに遠ざかっていく。
今の速度で大体五分程度で到着できそうだ。
それを確認した後、彼女は大きく背伸びをしてオペレータコンソール
(後席を取り囲む円形の制御卓)に寄りかかるように前席の彼に顔を近づける。
顔の右側に現れた彼女の銀色の瞳を見て、彼は不思議そうにたずねる。

「ん?どうかしたのか?ライア。」

「いや、今日の試験ってどうしてイカロスで行うのかしらね?
装備の内容的にはプロメテウス向きだと思うんだけど。」

小さく首を振りながらそう告げる彼女の言葉を受けて、彼は視線を宙に泳がせる。

「そうだな・・・・それに性能評価試験なら開発局で検証機を用意してるし、
俺たちより優秀なテストパイロットもたくさんいるはずだ。
それにそもそも俺達は二機でのロッテ行動が基本のはずなのに、なぜ一機だけなんだろ?」

「さらにこういう兵器の性能評価って月でやることが多いじゃない?
それなのに今回はわざわざアルテミス近傍の宙域で実施。
何かわからないことだらけね・・・」

腕を組んで彼は首をかしげた。
彼女も黙ったまま彼を見つめる。
自動操縦中であることを伝えるために電子音が一定時間毎にコクピットの中に響く。

「ということは、通常の評価スケジュールに入っていないようなイレギュラーなものなのか、
それともこの性能評価自体をあまり公開したくないようなものなのか。」

「そうよね・・・そんなところだと思うんだけど。
なんて言うか、すごく嫌な予感がするのよ。」

二人はじっと見詰め合う。
彼女のいつになく深刻そうな表情を見て、彼は小さくうなずいた。

「じゃあ、言動には極力注意したほうがいいな。
それにあまり深追いしたりはしない方向で。」

「うん、それがいいと思う。
必要最低限の関わりに留めておくほうがいいと思うわ。」
 





 




二人は並んでその座席に座っていた。  
電車の振動が心地よい。  
窓から見える風景は真っ赤に染まっており、 
今しも太陽がビルの谷間に沈んで行こうとしている。  
ふと彼の右肩に彼女が頭を乗せる。  
頬がくすぐったい。  
彼女の方を見ると、すうすうと安らかな寝息を立てている。  
今日は一日歩き回ったから…  
ふと彼女が何かをつぶやく。  
彼には何を言ったかははっきりとは聞き取れなかった。  
と、彼の右手に何かが触れる。  
見てみると彼女の手が絡まってきていた。  
彼は驚いて彼女の顔を覗きこむ。  
彼女はむにゃむにゃ何かを言っていたようだが、息をつくと、また寝息を立て始める。  
彼はくすりと笑うと視線を彼女から向かいの窓に向ける。  
太陽はもう見えなくなっていた。

 



彼女は眠りの海からふわりと浮き上がり意識を取り戻した。
そこには見慣れた天井と照明器具。
右側をむくと、遮光カーテンの隙間から光が漏れさしている。

時計を見て、彼女は驚いた。

「あー、もう11時なの・・・」

ゆっくりと頭を振って起き上がる。
そしてくすりと微笑む。

「もう、信吾ったら、あんな顔するなんてね・・・」

それも正しいのかもしれない。
それまでずっと血の繋がっている双子だと思っていた姉が、そうではないと知ったのだから・・・
でも、もうそろそろ告げる時期だと思ったから。
お父さんにも相談して決めたことだったし。
もう二人とも大学生になったわけだし、もう自分たちでどうするのか決めるべきだと言ってくれたから。
まだ拙速だったかしら。
もう少し言い方とか伝え方があったのかも。
私は・・・
彼女はじっと自分の右手を見つめる。
昨日、あの時彼の頬に触れた手。
暖かかった。
そう・・・
そうして彼をずっとそばに感じていたかったから。
もう、我慢できなかった。
これまでずっと言いたくて。
どんなに本当のことを告げたかったか。
そうすれば私達の間の障害はなくなるって。
何もかもうまくいくと思っていたから。
だから・・
私は・・・

「もう考え込むのやめ!」

もう彼に告げてしまったのだから、過去のことを公開してもしかたない。
これからのことを考えよう。
あんなことしちゃって正直恥ずかしいんだけど、
でも、それよりもやっと彼のことをちゃんとまっすぐ見つめることができるんだと思うと、すごく嬉しい。
これまでは、どこか遠慮や自制をしていた気がする。
私の彼を見つめる目を誰かに気づかれるとそれはそれで困ったことになるし。
彼自身にそれを感ずかれても困るし・・ってことだったんだけど。
これからはそんな心配しないでいいし、
それに彼も私のことをちゃんと見てくれる・・はず。
ベッドから降りて部屋のドアを開ける彼女。
ところが目の前に誰かが立っていて、驚き声を上げる。

「きゃ!」

相手も驚いて後ずさる。

「え・・・信吾じゃない、どしたの?」

と言いながら頬が赤く染まるのを感じる。
あ・・わたしまだパジャマ姿じゃない・・・
もう、なんだか恥ずかしい。
どうしてのなのかな。
これまでそんな風に思ったことなかったのに。

「あ・・あのさ、ちょっと聞きたいことがあって、
ずっと起きてくるの待ってたんだけど、一向に起きてこなくて、その・・」

どぎまぎしながらそう告げる彼を見て、彼女はなぜか心が弾むのように感じた。
なんだろ・・・なぜかとっても嬉しくなってきた。

「んじゃ、ちょっとリビングで待ってて、すぐ行くから。」

「あ、うん。わかった。」

そういって踵を返して廊下を歩いていく彼を見て、彼女はドアを閉める。
そしてドアにもたれる。
何私緊張してるのかな?
昨日はあんなに普通でいられたのに。
今日は何か違う。
いつもの私じゃないみたい。
まだ鼓動が早くなってる。
それにいつもならそのままリビングにいったのに。
自分の胸元を見下ろしてあわてて両腕で肩を抱く。
どうしてこんなに胸元開いてる寝間着を着てるのかな、私。
 
 



「どんぴしゃね。」

彼等の目の前にいる機体を見て、二人は直前に感じたいやな予感が正しかったことを認識した。
フル加速のGに耐えながら、彼女は左側に備え付けられているコンソールを操る。
操作結果を確認して、彼女は小さく呟いた。

「やっぱり・・・コード識別表にない新型ね。」

「あぁ、しかも偽装だらけだ。
大半がセンサーと意味をなさないハリボテだな。」

敵機の背後に回りこもうと機体を急旋回させ、インメルマルターンを行いながら、彼も小さく呟く。
ある程度軽減されているとはいえ、かなりの加速重力が体中にかかっているため、大きな声を出すことが難しい。
しかし、敵機の操縦者は彼の意図を予測していたらしく、バレルロールで射線をはずしてしまった。

「ちっ、それにしてもあの加速力はなんだ?
こっちの二倍以上の速度は出てるぞ。
このままだとその速度で圧倒される。」

正面のコンソールが表示してるサンプリング情報を見て、彼女が告げる。

「あれは・・・光子反応炉だと思うわ。」

彼は、その言葉に驚いたようにすっとんきょうな声を上げる。

「何?こいつらに積めるほど小型化できているのか?」

「たぶん、無理やりにでもそうしたんでしょうね。
光子波紋が盛大に出てるわ。かなり無茶なチューニングね。
コントロールが大変そうだわ。」

機体を左旋回に入れて、相手機の予想進路に射線を持っていこうとするが、
それを察知したのか、相手機は、いきなり旋回半径を急激に変えて、
急降下ぎみに進路を調整してまたしても射線ははずす。

「って、自動空戦フラップでも付いてるのかよ、今の動きは宙間機動ではありえないだろ!」

そして、相手機はするりと彼の機体の背後につける。

「どうしてこんな狙撃用途のライフルを持たされたのかわかったわね。」

「あぁ、中近接装備なんて使い物にならないな。
向こうがその気にならない限り、速度差を生かして逃げられるだけだ。」

「どうする?」

「って、こうなったらアレをやるしかないか?」

必死に相手機から射線を外す機動を取りながら、彼は答える。

「なんとなーく、あなたがこの試験に呼ばれた理由がわかったわ。」

くすりと笑い声をもらして彼女はそう答えた。

「あぁ、俺もそう思う。ってことで、ここはやはりご期待にこたえるしかないわな。」

「そうね。では、いつもの手順で。」

「あぁ、よろしく頼むわ。」
 
 



 宇宙から見ると、流星ってこんな風に見えるんだ・・・
彼女は新鮮な驚きを感じつつ、その光景を見ていた。
展望台の双眼鏡からで夜の地球が見下ろしているのだが、
ちょうど今はとある流星群の極大の日で多くの流星が見れる日だった。
コロニー自体は流星からその身を守るための装備を持っており、
今日一日最大出力でデブリバンパーを稼動させ、今のとこ被害をこうむってはない状態だった。
そして流星たちは地球の大気圏に突入し一筋の閃光を発して、地球の表面上を滑っていく。
地球からは夜空を飛んでいるように見える流星は、地球からはその表面上をすべる光線に見える。
きらきらと輝く地球はまるで、まるで線香花火のような・・・
そして彼女は次の瞬間、何かの輝きを発見した。

うん?

なんだろ・・・今、何か光ったような・・・

たしか・・・あの辺で・・・






放課後、蒼太と美月は二人並んで歩いていた。
夕方の時間帯で夜時間に変わるまで、まだ一時間ほどあった。
コロニー内では夜時間に切り替わる前の一時間半を夕方として空を赤く染めるようにしている。
その後人工太陽はいったん消滅し夜時間になる。

「ねぇ、来週の訓練室の利用スケジュールって、昨日話したとおりで良い?」

「あぁ、そうだね。特に異論はないよ。」

そんな彼の答えを聞いて、彼女はくすりと笑い声をもらした。

「うん?どうしたの?」

彼が美月の顔を覗き込むように尋ねると、彼女は首を左右にふるふると振って答えた。

「ううん、なんでもないよ。なんでも。」

「そんなこと言われると逆にすごく気になるなぁ。」

「なんでもないってば。」

「むむむ?」

「もう、しつこいなぁ。そんなんじゃ女の子にモテないわよ。」

「それとこれとは話は別だよ。」

むっとした表情で答える彼ににこにこと微笑みながら答える彼女。
その頬が夕焼けで赤く染まっていた。

「そんなことないよ?女の子にはいろいろと答えたくないことあるんだから。」

そうよ。
蒼太が気づいていないことってたくさんあるんだから。
たとえば・・・

「へぇ、そんなこと考えてたんだ?」

「いや、そんなことはないけど。」

「けど?」

そこで、彼女は降参とばかりに両手を挙げてこう告げた。

「いや、たいしたことじゃないのよ。どうして、「異存はない。」なんて難しい言葉使ったのかなぁって。」

「なんだ、そんなことか。」

蒼太がそう答えると、彼女は不思議そうに、今度は彼の顔を覗き込んでくる。

「って、なんだと思っていたの?」

「いや、別になかったんだけどね。」

小さく首を振る彼をじっと見つめる美月。

やっぱり・・・
そうなのかなぁ。
この想い。
そうなのかなぁ。
そういうことは多いって聞くけど。
でも、その後すぐにダメになることも多いって。
だから、その想いが本当なのかどうかは慎重に見極めなさいって。
先輩達が言われているけど。
やっぱり、そういう一時の気の迷い、なのかなぁ。
それともこの想いは本物で。
私はこの人のことを・・・



彼はそんな彼女の視線に気づかずに、追憶にふけっていた。
車道を走っているトラックの影に入り、そこから出た時になぜか思い出したこと。
あの夏の日の夕方。
二人で手をつないで見た夕陽。
そして、交わした約束。
でも、その約束は果たされなかった。
僕はまだ、こんなところにいる。
彼女は今、どこにいるのだろう?



彼はぼんやりとそんなことを考えながら、赤い空を見上げた。
その彼の視線につられるように彼女も視線を上げた。
 
 
 
 

そして、彼と彼女は見た。
 

 

 

その空が壊れた瞬間を。
 
 
 
 

一瞬のことだったが、二人にはそれがまるでスローモーションのように見えた。
小さな振動。
そして、人工太陽が消える。
普段なら見えないはずの空の向こう側にある街並みが消えて。
そこに大きないびつな破口が開く。
 
 

二人は唖然として、変わっていくその風景をただ眺めているだけだった。




2006/4/14公開

Ver1.01