御 馳 走 姫 





長い睫がゆっくりと降りていく。
黒い髪の毛が軽く顔に掛かって鬱陶しかったけれど、払う気にもなれなかった。
----眠い。
其れだけの感情が、光子を支配していた。
ああ、最近寝てないからかしら。
何時も考え事してるだけで時間が過ぎていくから。
時間なんていくらあったって足りないのよ。
女の平均寿命が約80歳位でも、考え事は尽きないし、1日が24時間なんて
倍以上欲しいくらいなのに。
眠気ではっきりしない脳を働かせ、光子はぼんやりとそんなことを考えていた。
「相馬サン。何寝てんの?」
「…みむら?」
突然目の前に現れた、整っている顔立ちに、思わず顔を顰める。
「そんなことわかんないくらい寝惚けちゃってる?」
「五月蝿いわよ、気障ったらしい顔をどけなさい」
「ひっでえ。」
「あら其れは御免なさい。お気に召さなかったかしら、相馬光子の最っ高の褒め言葉」
「褒め言葉じゃないって、其れ」
苦笑して、また光子の顔を覗く。
其れはもう、瞬きの音さえ聞こえるのではないかと思うほどの距離で。
「…三村。あたしの不愉快の元になりたいの?」
「いや、最近寝てるか?相馬」
「寝てないわよ」
「寝ろよ」
「考え事してると1日ってあっという間なのよ。呑気な三村にはわからないだろうけど」
「わかる」
其れは何時ものおどけた調子ではなく、真剣な響きを持った声だった。
其の雰囲気に圧倒されて、思わず光子は後退した。
「…あんたなんかに何がわかるっていうのよ」
其れもまた、恐ろしいほど低く静かな声だった。
思わず叫びだしてしまいそうな、そんな感情の波が光子を襲った。
叫んで暴れだしてしまいたい。
何もかも忘れるほどに。
「相馬のことはわからない。でも、人生ってのは悩んで終わるんだ、笑いながら死ねる奴
 なんか100万分の1も居やしないさ。勿論、このクソみたいな国の中でだけどな。
 勿論他の国とか、合衆国とかじゃ笑って死ねる奴なんか腐るほどいるのかも知れない。
 でもこの国じゃ無理な話だ。其れは美しくありたいと思うのと同じように」
此れも叔父の受け売りだ、と三村は付け足した。
父親なんざ役にたたないさ、俺は叔父から全てを学んだんだ、と。
他の家じゃ父親が教えるのかも知れないけれど、俺の家は違うな、父親はこのクソみたいな国に忠実に仕えてるからな、と。
「成る程。其れがあんたの持論って訳」
「別に持論なんて大げさなもんじゃない。一種の非難だな、其れに似てる」
国家はんたーいとか大げさに騒ぐよりはいいだろ?騒いだって騒いだだけ殺されるんだし。
三村はそう云った。
「胸クソ悪い話だろ?」
「…そうね」
やっと精神も落ち着いたようで、光子は何時ものようにそう返事を返した。
「別にあたしは笑って死にたいとか思ってないわ。別に悩んでたっていいのよ、誰かに胸を包丁で
 ひとつきにされようが、マシンガンで撃たれようが、内臓を抉りだされようが、普通に老衰だろうが
 どんな死に方だっていいわ。…ただ、直前まで生きてたという証が欲しいだけよ」
じゃあ帰るわ、と云って光子は立ち上がった。
そして、どちらかとも無くキスをした。


早く帰って寝よう、と足を速める。
先ほどの唇の温度がまだ余韻として残っている。










少なくとも、ザ・サード・マン三村信史と意見を交わせたのはなかなかの収穫だったと思う。





光子はそう、1人で微笑んだ。


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自分がスランプだと気づかせてくれました。
本当は裏が書きたかったのに。
なんで人生論に。