SAGA                                 2

     

             

 そんなこんなではや五日目。
 俺達はリナと旦那のいる街の山一つ手前まで辿り着いていた。天気が崩れなかったおかげで遺跡の調査が思いのほかはかどったのだ。雨などの天候条件によって状態や防御機構が変化する遺跡というのはけっこう多い。自分ではどうにもならないという意味で一番やっかいなポイントだっただけに、予定していた最後の遺跡を出、街道が木立の向こうに見えてきた時、俺は胸をなで下ろした。空はどんよりと雲に覆われているが、今から降られる分にはいっこうに構わない。かぶった埃を洗い流してもらえるなら、むしろすぐにでも降って来て欲しいくらいだ。
「明日にはあいつらと合流できそうだな」
 雲が沸き出しているあの峰の裾野に、リナ達のいる、美食博スペシャルなぞという得体の知れない博覧会を開いていた街があるはずである。
 アメリアも俺の視線を追って、
「そうですね」
 それから心底残念そうに、
「あーあ。リナさん達、きっとおいしい物たくさん食べたんだろうなー」
「お前も行けば良かったじゃないか」
「ダメですよそんなの。だって危険でしょう?」
「何がだ?」
 本気で聞いてしまった。
「危険すぎます。この辺って旅人が行方不明になるって有名なところなんですよ。きっとゼルガディスさんみたいにクレアバイブルを探して一人で遺跡に入ったりして、うっかり罠にはまってしまい無惨にもそのまま・・・・。あああ、なんて恐ろしいっっ!」
 俺の見た限りそこまで精巧なトラップは仕掛けられていなかったが。
「そんなに有名なのか」
「何年か前、セイルーンの貴族の娘さんがこの辺りで行方不明になったんです。街道の先の国で開かれていた白魔術学会に出席するのに急いで一人旅をしていたとかで・・・。父さんも方々手を尽くしたんですけど結局見つからなくて、今もまだ・・・・」
 アメリアは顔を曇らせ、そっと俯いた。
「その時情報があったそうなんです。この辺りは行方不明になる人が多いから、土地の人間も一人歩きはしないようにしてるんだ、って。調べてみたらここ20年だけでも7・8人行方がわからなくなってて・・・。たぶん今はもっと増えてるんじゃないでしょうか」
「別に多くないだろう、そのくらいの数なら」
「多いですよ。うーんと人里離れた所とかならともかく、こんな大きい街道ぞいのこの辺りだけに限られてて、しかも全員何の手がかりも残ってないんですよ。目撃情報とか遺留品とか・・・その・・・、遺体、とか、そんなものも含めて・・・・。そんなの絶対おかしすぎです!」
 そう言われればそうかも知れない。裏の稼業に手を染めていた頃には「手がかり一つ残さず人が行方不明になる」ことなど身近で頻繁にあったから、どうもいまいちピンと来ないが。
 俺の顔を見上げていたアメリアが、覚めたように空へ目をやった。
 ぽつ。
 ぽつ。
 ぽつ、ぽつぽつぽつぽつ・・・・
 サー−ーー−−−−−−−−−−−
 周囲の木々がみるみる白い雨煙に覆われていく。
「降ってきたな」
「あ、あそこ!大きな木陰がありますよ!」
 冷たーい、などと言いながらいきなり俺の腕をとって走り出すアメリア。
「気をつけろ。すべるぞ」
「大丈夫で・・・・わ!?」
 ばしゃ。
 言った先からこれだからな・・・・。
「ふえええ」
「行くぞ」
 ため息一つ。
 さっそく頭から泥まみれになった思いのほか軽い体を抱きかかえて、俺は走り出した。
 気づかなかったふりをした。
 俺を見上げたあいつが、頬を真っ赤に染めてそっと瞳を伏せたことには。

          

 雨はなかなか止まない。
 幹に体を持たせかけて街道を眺めている俺の隣で、アメリアは暇を持て余し、魔法をごく小さく発動させては、「ほら、きれいですよゼルガディスさん!」などと無邪気な歓声を上げつつ雨の滴を蒸発させたり氷の砂のように煌めかせたりして遊んでいる。
 先を急いでいるのだろう。一人、また一人と、白い靄に閉ざされた細い道を旅人が足早に行き過ぎていく。
 そして、また一人。 
 中年の男がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
 雑貨屋然とした服装を見ると近隣の住人なのだろう。なにやらあたりを見回しているのは、俺達のように雨宿りする場所を探しているのかも知れない。漂っていた男の視線が、俺を、それからアメリアを捉えた。
「た・・・・助かった」
 男のつぶやきは俺の耳にも届いた。合成獣の聴力ゆえにどうでもいいことまで聞き取れてしまう。因果なものだ。だが一瞬、何かが引っ掛かった・・・・気がした。
 何だ?
 雨に降られたところへ木陰を見つけて安堵する。助かったと、そう思うのは別におかしなことではないはずだ。
 男が近づいてきた。足音に気づいてアメリアが顔を上げる。
「雨、止みませんね」
 人見知りと言う言葉を知らない娘である。何のへだてもなくニコニコと話し掛ける彼女に、男は肩の滴を払いながら、
「・・・・本当に助かりました。お二人だけで旅をされているのですか?」
 アメリアは一瞬ちらりと恥ずかしげに俺を見上げ、
「はい」
 大きく首を縦に振った。まるで子供である。もう少し色気のある首の振り方もあるだろうに・・・・。
「それは良かった。・・・・助かりました・・・・本当に・・・・」
「アメリア!」
 瞬間、俺はアメリアの肩を引いていた。何故なのか自分でも掴めきれぬまま、確かに俺の勘がアメリアが危険だと告げている。
 が。
 その肩が崩れ落ちた。
 コマおとしのように。
 男の手にはいつのまにか一本の角のようなものが握られていた。手幅程度の大きさの、一見して年代物と知れる飴色がかったつやを帯びた代物だったが、男が何の前動作もなくいきなりそれをアメリアの胸に突き刺したのだ。
 アメリアが振り返った。声は出なかった。俺を映した瞳はそのまま光を失い、アメリアはぬかるみの中に倒れ込んで−−−−−−
 ・・・俺の耳に雨音が蘇った。
「ふはははははっ!!たた、助かった、た、助かった・・・・・・!助かった助かった・・・・。は、はははははっっっ」
 あいつの豊かな黒髪が水たまりにはっとするほど柔らかく揺れていたのだけは覚えている。
 実際にはアメリアが刺されてからものの5秒も経たない間の出来事だったろう。余りの展開に俺は一瞬ではあったが自分を失ってしまっていた。背後をとられ、後頭部にド素人の一撃を食らった程度で伸びてしまうほど。
 複数の足音に気づいた時は遅かった。中年男が踊り狂うその横で、鈍い打撃音と共に、俺の意識は唐突に闇に沈んだ。

      

          

次のページへ トップへ 小説トップへ