1                            真昼の庭

 ここ数日、ゼルガディスの機嫌はよろしくない。
 不機嫌というほどではないが、いつも以上に不愛想で冷ややかな態度を、ついとってしまう。
 アメリアはそれにむろん気づいていて、気にかけてくれてもいるようなのだが、どうしたんですかなどと聞かれたところで答えられるはずがない。

−−−−お前が傍に居ないからだ。

 喉元まで込み上げるその一言を飲み込み、何でもない、気にするななどとそっぽを向いてしまう。するとアメリアは、ためらいがちながらも「じゃあ後でまた来ますね」だの「ごはんができたら呼びに来ますね」だのいかにも彼女らしい物わかりの良い言葉を残して去っていく。そんな気配を背中で見送りながら、自分で自分に嫌気がさし、ついでにアメリアの優しさにも八つ当たりして、ますます機嫌が悪くなる。
(俺らしくもない)
 陣取っていた自室の机に向かって、ゼルガディスは軽くため息をつき、もう一度手元の古書に目をやった。
 よく知っている古代文字である。解読するのは容易い。なのに、いくら眺めていてもただの記号の羅列にしか見えてこないのだ。集中力が著しく不足している証拠である。
 ゼルガディスはベッド脇から飲みかけのボトルを持ち出した。この手のイライラは酒でも飲まねば誤魔化しきれるものではない。
 実のところ原因はいやになるほどはっきりしていた。
 相手が子供、
 すなわち、ゼルガディスといえどもある意味絶対に勝てない種類の人間だからなのである。

   

 宿屋の息子のお守という依頼は例のごとくリナが引き受けてきた。
「ちょっと離れた森なんだけどさ、最近盗賊が出るんだって。結構いい稼ぎしてるみたいなのよ。でもまあ四人がかりでぞろぞろ行くよーな相手でもないじゃない?あたしとガウリイでこっちは行って来ようと思ってるの。だから御留守番ついでに、ね?」
「でも「お守」って、何をすればいいんですか?」
「お守ってゆーかお勉強、かなあ」
 宿屋の主には子供がいる。これがどうやら魔道の才能があるらしい。その教育係にとリナたちが目をつけられたというわけなのだ。
「さっきちょこっと会ってきたんだけどね。教え甲斐はありそうよ。なかなか可愛い男の子♪」
「くだらん」
「んふー。ゼルなら絶対そーゆーと思ったわ。実はおまけがあるんだな−。いい友達をもって感謝しなさいっ」
 ばさばさばさっ。
 リナがテーブルに広げたのは、何冊かの古い本。
「とりあえずこれは前払い分。息子が魔法を覚えられたら他のも見せてくれるってさ。あ、これはオリジナル魔法の本らしいからあたしのも書き写しといてね」
「・・・」
「なにイヤそーな顔してんのよ。ちょうどいいじゃない。あんたは精霊魔法を教えてアメリアは白魔法を教える。んでぇ、帰ってからあたしがちょこちょこーっと黒魔法のデモンストレーションすれば一通りちゃんと済んじゃうっしょ。時間があったらついでにガウリイに剣の手ほどきなんかしてもらってさ。そうすりゃボーナスも弾むってもんよ。物事は効率良くやらなきゃねえ」
 じゃあよろしくう!とあっさりリナたちが出発したのが数日前。
 そしてゼルガディスの憂鬱な日々は幕を開けた。
   
  
 リナの言っていた通り見込みのある才能の持ち主ではあった。教育環境と本人のやる気が持続すればそれなりの魔道士になれるだろう。宿屋の親爺は「魔法を覚えたら」などと簡単に言ってくれたようだが、魔法の構造はそう単純なものではない。面白くもない基本理論ばかりの授業になったが、まだ10かそこらだというのに厭な顔一つせず聞き入っているところは、ゼルガディスから見てもなかなかのものだった。
 だが−−−−
 ゼルガディスには古文書を読み、必要とあらば書き写していくという作業が待っている。それは当然ゼルガディスが授業?を担当する時間外に振り当てられた。これがくせものだった。
 日が暮れて、アメリアが夕食が出来たと呼びにきた。
 四人組でいる時もそうだが、こういった作業に手を染めている場合、ゼルガディスは食事を自室でとることが多い。たいてい作業に夢中になっているし、何より時間が勿体無いのである。だからこの日もそう言った。
 ゼルガディスはアメリアも一緒に食べるものと思っていた。これは半ば習慣で、というより今回は特にリナとガウリイが居ない以上パーティが彼一人しか居ないからでもあるのだが、ゼルガディスが部屋にこもったりすると自分も近くに居たがるのが彼女の常であり、ゼルガディスもよほど邪魔でない限りそれを受け入れていたから、自然にそう思い込んでいたのである。
 ところが、
「じゃあゼルガディスさんの分持ってきますね」
「お前はどうする」
「ジョンに頼まれちゃったんです。ここにいる間は一緒に食事をして欲しいって」
 ジョンとは宿屋の息子の名前である。
「ジョンも連れてきていいですか?ゼルガディスさんが良かったらここで」
  ゼルガディスは苦笑した。子供を同席させての古文書の解読などやるだけおろかと言うものだ。
 食事を運んでくるとアメリアは笑顔で去っていった。なぜか苦い感触がゼルガディスの心に残った。
 ところが翌日、アメリアが雑談に、
「それで、ジョンの寝顔がとってもかわいくって−−−」
 ゼルガディスはちらりとアメリアを見やり、
「寝顔って、一緒に寝たわけじゃないだろう」
「寝ましたよ」
「・・・・・」
 ゼルガディスの微妙な表情の変化にアメリアは気づかない。にこにことさらに一言、
「あんまり寂しそうな顔するんですもの。一緒に寝てあげようかって言ったら「ほんとうに?」って!わたしのこと、おねーちゃんって呼んでくれるんですよ!男の子ってかわいーですね〜〜」
 仲良し四人組ではもっぱら末っ子お子ちゃま扱いのアメリアだ。お姉さん気分が味わえるのがうれしくてしょうがないらしい。
「背中流しっこもやったんですよ!この辺って温泉が湧いてるんですよね。すごくいいお湯で〜♪」
 ぷー。
 思わず飲みかけのコーヒーを盛大に吹き出すゼルガディス。自分の知らぬ間にこの二人はいったい何をやらかしているのだ。
「お前・・・風呂まで一緒に入ったのか・・・?」
「入りましたけど」
 それが何か?とでも言いたげにアメリアがを見上げる。心底不思議そうな顔で心底不思議そうに聞き返されてはもはや頭を抱えるしかない。
「・・・あいつは・・・その、・・・・男だろう・・・!」
 アメリアはゼルガディスを見上げた姿勢でそのままちょっと考えて、ようやくゼルガディスが言わんとしていることを−−−ある程度は−−−理解したらしい。
「なっ、何考えてるんですかゼルガディスさんっっ」
 頬を膨らませつつ真っ赤な顔でゼルガディスを軽く睨み、
「もううーーー。ジョンはまだ子供なんですよっ。それに大変みたいなんです。家の方がごたごたしているらしくて。自分からは何も話してくれませんれど・・・」 
「それとこれとは別だ。俺たちはただ魔法を教えるために雇われて、しかも後何日かで別れる。それだけの間柄なんだぞ」
「わかりました!今日はゼルガディスさんとわたしとジョンと3人で川の字になって寝ましょう!」
 ・・・やっぱりわかっていない・・・。
 断固として「川の字睡眠」の実行は拒否したものの、その夜ゼルガディスは久々に眠れぬ夜を過ごした。
 アメリアが好意を寄せてくれている。それは知っている。それがいわゆる恋に近い感触のものであるらしいということも、もちろんゼルガディスは承知している。
 そう思っていた。
 独りよがりなのかも知れないと思ったのだ。
・・・大変みたいなんです。自分からは何も話してくれませんけれど・・・
 まるで自分のことのようにジョンを気にかける、アメリアの沈んだ顔が脳裏を過る。
 ジョンは聡明な子供だ。魔道の才能もある。鼻筋の通った愛らしい顔だちはあと何年もしないうちに、この界隈の娘たちを騒がせるようになるだろう。
 ジョンは・・・いや、ジョンだけでなく、ゼルガディスを除く全ての人間は・・・確実に成長していくのだ。ほんの後何年かで、例えばアメリアと並んでも決しておかしくないほどに。
 数年後。
 その時ゼルガディス自身はどんな姿で、どこで、どんな時間をすごしているのだろうか−−−−。
   

    
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