記憶のかけら 3 |
---|
陽も沈み、星が街灯の向こうにさやけく輝き始めた街の大通りを、二人はリナとガウリイの待つ宿屋へと歩いていた。家々の暖炉から煙がいい香りを漂わせながら夜空へと立ち上っている。若い男女が腕をからめ、肩を寄せて何か言葉を交わしてはクスクスと笑いあって、アメリアの横を通り過ぎていった。
アメリアは両手を後ろで組んでゼルガディスの少し後ろを歩いていたが、とことことゼルガディスの横に並んで、
「あのですね、ゼルガディスさん」
ゼルガディスが目をやると、アメリアがこちらを見上げている。真剣そのものの眼差しだが、やはりどこかお子さまっぽさがぬけきれておらず、どちらかといえば微笑ましく映るのはゼルガディスの気のせいだろうか。
「もし・・・・もしもの話ですけど」
アメリアはそう前置きして、おもむろに、
「ゼルガディスさんが記憶を無くしてしまって、リナさんやガウリイさんやわたしのことや、何もかも全部忘れてしまったとするでしょう?」
ゼルガディスが目で続きを促すと、
「それで、わたしは姿が変わってるかもしれないんです。魔物とか・・・人でないそういうものに。そんなわたしとどこかで会ったとしたら・・・わたしのこと、ゼルガディスさんは気づいてくれますか?」
「無理だろう」
ゼルガディスは前を向いたまま、
「記憶がないうえ外見も違うんじゃ判りようがない」
それはそう、だけど・・・・
そういう単刀直入な答えを期待したわけでは・・・・。
かくん。
アメリアの肩が落ちる。
もっとも、それを視界の隅で追っているゼルガディスの口元には淡い微笑。
何を真剣に読んでいたのかと思っていたら、お姫さんは変身譚に夢中になっていたらしい。その手の物語ではたいていの場合主人公が「愛と正義と真実」ゆえに変身の憂き目にあう、ということぐらいは、おとぎ話なぞに興味のないゼルガディスも知っていた。サーガおたくのアメリア姫はどうやらその主人公に思いを重ねているようだ。
(変身、か)
他者の憎悪と己の私欲ゆえに変身してしまった存在をいやというほど肌身で知っているだけに、ゼルガディスにすれば笑止千万な話である。彼の常識ぶりと相まってあっさり答えてしまったが、姫はたいそう御落胆の様子だ。少しフォローを入れておいたほうがいいかもしれない。
「判りようがないが・・・・妙だとは思うだろう」
「妙って?」
顔を上げたアメリアの瞳に明々と期待の星が輝いているのを認め、ゼルガディスは口をへの字に結んだ。それから呆れ口調で、
「おまえが何かに変身させられて俺の前に出てくる。そうだな?」
「はい」
「ということは、ゴブリンやらオーガやらの癖にやたら高いところにのぼって正義を唱えだしたりするわけだ。そんな奴はめったにいないからな。思い出さないまでも、これは何かある、ぐらいは気付くんじゃないか?」
はう。
密かにからかい半分とはいえ、冷静な指摘にアメリア硬直。
確かに、姿を変えられたくらいでこの胸に宿る正義の炎が消えることはないだろうけれど・・・・。
でも、そういうことなのかもしれない。
ゼルガディスには、自分はやっぱり、そういう姿にしか見えていないのだろう。
再びうつむいてしまったアメリアを何気なく見やって、ゼルガディスは足を止めた。アメリアはしょんぼりと歩いていく。
その瞳ににじんでいるのは、涙。
「ゼルガディスさんのいじわる!」とかなんとか言ってむくれるかなとは思いはしたが、・・・・なぜ泣いているのだろう、と思った。気づかぬふりでそのまま横に並びながら、ゼルガディスはサーガの続きを思い出す。
主人公の呪いは解かれる。
その魔法を「愛と真実」で解くのはその恋人で・・・・
変身。
魔法。
真実。
記憶。
・・・・愛しあうということ。
アメリアの辿った思考をゼルガディスはようやく理解した。
その頬を伝う、きれいな滴の意味も。
姫君はサーガに憧れていたのではなかった。「変身」という運命に負けることのない、記憶などにも縛られることのない、強い絆で結ばれた古の恋人達の物語を思い描いていたのだ。その瞳にゼルガディスを映して。
「・・・・まあ、お前次第だな」
ゼルガディスはしばらく黙って歩いていたが、
「俺は自分自身のことで精一杯だ。この体が元に戻らない限り、な。それでも何かを強く願う、信じることは、力になる。おまえが本気でそう願ってくれるなら・・・・願い続けてくれるなら、俺が気づける日も来るさ。・・・・おまえを憶えていようといまいと、な」
言いながら内心ひどくうろたえている。
これではまるで・・・・聞きようによっては・・・・
ちょっとした告白、ではないか。
が、聞き手は直球娘。アメリアは神妙な面持ちでゼルガディスの言葉に耳を傾けていたが、まだ涙を浮かべたまま、満面の笑顔でポンと大きく胸を叩いたかと思うと、
「まかせてください!」
「・・・・」
「だいじょうぶです。わたし、絶対あきらめたりしませんから。何年かかったって何十年かかったって、ゼルガディスさんが振り向いてくれるまでお願いし続けますから。ゼルガディスさんがわたしのこと、気づいてくれますように、って!」
頼もしくて結構なことだ。
・・・・全く、人の気も知らないで、こいつは。
アメリアが怪訝そうに足をとめる。
「ゼルガディスさん、どうかしたんですか?」
「?」
「なんだか顔が赤いよーな・・・・」
「これのせいだろう」
ゼルガディスは街灯を見上げ、なにげなさそうにマスクを引き上げた。アメリアは気づかなかったらしいが、実はもちろんエルフ耳まで紫色に染まっていることは言う間でもない。
街灯の向こうのきらめきは、いっそう鮮やかさをましている。
そこの十字路を曲がれば宿屋は目の前だ。
「星がきれいだな」
「そうですね」
「もう少し・・・・歩いて帰るか」
アメリアはまじまじとゼルガディスを見上げた。
今、ものすごく聞き慣れないことをゼルガディスが言い出したような気がしたのだけれど。
・・・・空耳だろうか?
「嫌か?」
空耳ではなかったらしい。
ぶんぶんぶん。
おかっぱ頭が大きく横に振られる。
「少しだけだぞ。夜風は障るし、あいつらも心配する」
「はい!」
ゼルガディスが歩き始める。アメリアも横に並ぶ。
少しだけ上気した顔で微笑みあって、同じ空の下で、二人で・・・・
忘れられるわけがない。
たとえ記憶も想いも失ったとしても、さり気ない思いやりに満ちたこのあたたかな優しさを。
「だから。・・・・気づいて下さい。ね(ぼそり)」
「それはこっちのセリフだ」
「え?」
「・・・・」
「こっち、って?」
「・・・・」
「どう言う意味ですかゼルガディスさん」
「さあな」
「え〜?教えて下さいよう」
「自分で考えろ」
「・・・・ぷー(頬ぱんぱん)」
トップへ | 小説トップへ |
---|