テーブル

             

 誰かを愛したからこそ得られる優しさというものが確かにある。今となってはそれを愛と呼んでいいものかどうかよくわからないが、たとえ刹那の思いであったとしても腕の中の存在に灼けつくような執着と欲望を叩き付けた記憶が彼にはある。
 誘われて立ち寄った雑貨屋の店先に道化の人形がおいてあった。それを視界に入れたのは周囲を見渡したごく自然な仕種の中のほんの数瞬に過ぎなかったが、アメリアは何かを感じたらしい。お前には関係のない話だとゼルガディスは答えた。それは彼にとっては事実を告げただけの言葉だったが、アメリアにはそうは聞こえなかった様子で、ひどく落ち込んでいる。
 冷静沈着な判断でパーティの頭脳を担う彼らしくない大失敗だ。顔をあわせるたび見せるぎこちない笑顔、窓辺から見える、宿の軒先のベンチに腰掛け往来を眺めている沈んだ眼差し、そのどれもが自分と自分を透かして感じたのであろう誰かと他ならぬアメリア自身と、その3つの見えない影を追っている。
 そんな彼女を見る自分もまた、そう−−−−傷ついているのも確かだった。
 彼女に聞かれた時、他愛のないその理由を告げればよかったのかもしれない。道化の好きな女を知っていたと、今となってはそれだけでしかない過去をアメリアがどう思い感じるのか、彼はあの時考えた。それ故の言葉だった。そのはずなのに。
 今、テーブルの向こうでアメリアは笑顔を見せている。
 世界に何百人と称するものがいるであろう彼女の親戚筋の娘の話をしている。その言葉がふいに途切れた。
「手紙が届いて。・・・恋人と別れたって。すっごく仲良くて、ほんとに長くおつきあいしてたんですけど・・・」
 アメリアはティーカップとそれに添えた自分の手を見つめている。
 小さな白い手が白いティーカップを包んでいる。
 騒がしいほどではない店内のざわめきが周囲にゆったりと流れている。
 やがて、
「人を好きになるって、むずかしいですね」
 独り言のように呟いた。
「そうでもないさ」
 アメリアが顔を上げ、ゼルガディスをまじまじと見やった。
「意外そうだな」
「・・・・」
 再び蒼い視線が落ちる。
「その・・・・。・・・・ゼルガディスさんは・・・・そうなんですか?」
「たぶんな」
 アメリアはまっすぐゼルガディスを見、それから視線を手元のティーカップに戻し、しばらくしてそうですねそうですよねと呟いた。
 ゼルガディスが一つ言えるとすれば、道化好きの女とこうして午後のひとときをただ一緒に茶を飲んですごすなどということはなかったし、したいとも思わなかった。アメリアとも思うとは言えない。しかしそんな時間をすごすことが苦痛ではない。
 苦痛だとすればそれは彼女の眼差しに差す影が消えるまでそばにいることだけが自分が彼女にできる唯一の事だということだ。
「お腹空いてきちゃいました」
 テーブルの向こうでアメリアが少しだけ笑う。
「ね、このままごはん食べて行きませんか?」
 ゼルガディスはうなずいた。それからコーヒーカップを見やった。
「お前もかえてもらうといい。冷めただろう」
「はい!」
 中身の減っていないティーカップを両手で包み込んで、アメリアも大きくうなずいた。
      
   
  

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