それは、始まり                        目眩

       

       

 自分とアメリアの関係はゼルガディスにはうまく言い表せない。ただの友達と、そう呼ぶにはゼルガディスの中にある彼女を失うことに対するあまりにも深いおそれが説明出来ない。
 ゼルガディスはアメリアを失うことを、心の奥底で、本気でおそれている。
 そんなことを思うようになった自分自身にもまた、どこかおそれに似た感情を持っている。
 やはり、
 ・・・・恋、
 なのだろうか。
(まるで子供だな)
 薄紅色に煙る桜の並木道を歩きながら、ゼルガディスはそんなことを思った。
 とても年相応の恋とは言えない。
 もちろん安易な愛とは程遠い。
 まるでおままごとである。 
 ひたむきなあのまなざしの意味を捉えきれないでいるせいもあるだろう。
 午後の日射しがゼルガディスの瞳を軽く細めさせる。
 アメリアを思った。
 あの日溜まりのような笑顔に、時にリナをも唖然とさせるパワフルさに、癒され、救われ、巻き込まれ、振り回され、そのくせ惹かれている自分がいる。自分の気持のありどころが自分でもわからない。
 アメリアはいつか教えてくれるのだろうか。
 無償で彼に向けられるあの微笑みが、良き相棒としてのゼルガディスへの物なのか、憧れの異性としてのゼルガディスへの物なのか、あるいは・・・一人の男としてのゼルガディスへの物なのか。
 ゼルガディスが・・・・なぜアメリアに、こんなにも心惹かれているのかも−−−−。
   
   
「春と言えば桜!桜と言えば花見!花見と言えば!!花見酒ーーー!!!」
「花見べんとー(弁当)もですよリナさんっ。はいガウリイさん、花びらです♪」
「お、サンキュ。こーゆー風流なのもいいもんだなー。ごくごく。ふぐっはぐっ・・・ぱくぱくぱくぱく」
「ああっっ!ちょっとガウリイっその卵焼きあたしのだって言ったでしょ−ー−!!」
 さっそく食物の奪い合いを始めた二人をよそに、アメリアはほのぼのと空を見上げた。
 遠く霞がかった青い空。彼方にたなびく白い雲。日射しはうらうらと程よい具合にあたたかで、まさしく絵に描いたようなお花見日和である。
「ゼルガディスさんも早く来てくれるといいんですけど」
「どうだかねえ」
 猛烈な勢いで弁当の中身をかっ攫いながらリナが周囲を見渡す。この辺りは桜の名所だ。今日の天気も相まって、彼らよろしく春の風物を楽しんでいる人影は少なくない。「桜の下を埋め尽くす」と言うほどではないにしろ、人目を嫌うゼルガディスなら足を止めたくなるだけの量の見物客が、程よく距離を保ちながらもそこかしこにたむろしている。
「気が向いたらってんでしょ。来たくなったら来るんじゃない?ほら、あんたこそ早くしないと食いっぱぐれちゃうわよ」
「わ!?なんでもうこんなに減ってるんですか〜っ?!」
   
   
 これがリナかガウリイだったら言下に断っていただろう。
 聞きに来たのがアメリアだったから、行く気なぞなかったのに気が向いたらなどと自分でも不思議な答えをしてしまったのだ。
 毎度毎度のうるうる攻撃をもろに受けてしまったというのもある。
 去りぎわ、アメリアはこう言った。
「わたし、ゼルガディスさんと一緒にお花見がしたいです」
 窓の下を、リナとガウリイ、そして少し遅れてアメリアが走っていくのが見えた。
 断ったのにはそれなりに理由がある。こちらも毎度の古書が手に入ったので、その解読を試みようと思っていたのだ。
 アメリアの白いマントが、風を孕んで優しく裾をはためかせつつ、道を抜け、桜並木の中へと消えていく。
 ゼルガディスは机に戻った。しばらくは静かにページをめくっていく音だけが続いた。やがてそれがふいに止まった。
 桜の花びらが舞い込んで来る。
 ふわりと机に落ちた、やわらかな白。
 ・・・ゼルガディスさんと、
 ・・・一緒に。
 いつも独りだった自分がそんな呼ばれ方をするようになったのは−−−−そしてそれを当たり前のことのように受け入れられるようになったのは−−−−いつからだろう。
 花びらは再び風に流れ、窓の外へ飛んでいった。それを見送ったその時、ゼルガディスは初めて桜が咲いているということを自分の中ではっきりと認識した。
 部屋に漂う幽かなアメリアの名残り。
 逢いたいと、この時ゼルガディスはなぜだかひどく素直にそう思えた。
 彼女はこの薄紅の海にいる。
      
          
 花見におけるこの国特有の慣習とかで、まだ陽も高いというのにバカをやっている人間がおおぜいふらついており、ゼルガディスの覆面姿はあたりの酔景に溶け込んでしまっている。
「ったく・・・何処にいるんだ」
 あからさまに舌打ちをしつつ、ゼルガディスは頭をめぐらせた。
 華やかに騒ぐ人の群れ、群れ、群れ。
 視界を埋め尽くす淡い紅、紅、紅。
 風にあおられ、それらは時折薄紅の風そのものとなって、息苦しくなるほどにゼルガディスを覆い包み込んでは鮮やかに消えてゆく。
 右、
 左、
 後ろ、
 ・・・そして再び視界を戻した時、ゼルガディスはそこに女神を見た。
  
  
「終わったわよーう。次つぎ−−♪」
「はーーい。19番!アメリア行きまーーすっ♪♪」
 せっかくのお花見だからとほんの一口含んだ酒のために、アメリアは白い肌を全身うっすらと薄紅色に染めすっかりほろ酔い気分である。一発芸?大会も回りに回って7周目。いいかげんもちネタも尽きて来た頃合だ。
「じゃあ踊りを踊りまーーす。名付けて!喜びの踊りーーー!!!」
 ぶっはっはっはっ、なんなのそれぇと野次が飛ぶ。
「巫女の舞ですよう。ほんとはちゃーんとした名前があるんですけど、喜ばしいことがあった時に踊るからみんなそう呼んでるんですー」
「まーねー。楽しまなくっちゃ花見じゃないしねー。ほっほっ」
「わたし、とーーってもうれしいんです。こーやってリナさんたちと出会えて、今年も一緒にお花見ができたってこと!」
 弾んだ口調とは裏腹に瞳がほんの少し淋しげに伏せられたのはこの場にいない彼のため。そう、アメリアはほんとは誰より彼と来たかったのだ。あいたいと思った。アメリアにとっては彼といることそのものが喜びだった。だから彼がいない今、本当は「とてもうれしい」気持にも春霞のごとくおぼろな影が差している。それでもあまりに香しい花の香とアルコールの解放感に誘われて、アメリアはゆらりとゆっくり前に出た。
 ぱちん。
 マントだけを器用に外すと生地の余裕を残して両端を握り、ついでにブーツも脱ぎそろえる。
「ブーツじゃ踊りにくいですからね」
 よおぉぉしっ、などと少々場違いな気合いまで入れ、聖王国セイルーンの巫女頭は満開の桜の下に立った。
 風が奔り抜けていく。
 あたりは一面桜吹雪。
 アメリアはすうと小さな手を天に差し伸べると、軽やかに足を踏み出した。
 
 
「・・・アメリア・・・?」
 自分1人にしか聞こえないほどの声で、ゼルガディスはようやくそう口にしていた。
 花嵐に護られて踊る女神は、紛れもない、自分の良く知るあの少女。
 しなやかな腕が、細い足が、なめらかに弧を描いて宙を舞う。
 いつもの元気溌溂・・・を通り越して大爆発、なそれではない、どこか悲しみにさえ似た透き通るような微笑を浮かべて−−−−
 女という生きものがみせるこの笑顔の意味を、ゼルガディスは知らないでいる。
 男には永遠にわからないのではないか。
 そう思いつつ、またそんなものを探るのは不粋だと知りつつも、ゼルガディスは言い様のない焦りを感じずにはいられない。
 あの瞳に映っているものを知りたいと思った。
 アメリアにあんな笑みを浮かばせている自分には見えぬそれに、ゼルガディスは自覚せぬまま体中が沸き立つほどに嫉妬した。
 風が吹く。
 桜が薄紅の大気そのものとなって何もかもを包み込む。
 立ち眩みに似た衝撃がゼルガディスを走り抜けた。
 ゼルガディスは独り、その場に立ち尽くした。
  

 
「ゼルガディスさん!来てくれたんですねーー!!」
 アメリアがはだしのまま駆け寄ってくる。
 頬を上気させ、満面にいつもの笑顔を浮かべて。
 クルクルと変わる表情。あどけない仕種。
 こんな子供のような女など欲しいと思ったことはなかった。だから何故惹かれるのか自分でもわからない。わからないまま純粋に、ただ惹かれ、そばにいたいと思い続けている。
 たとえ彼女を傷つけても、
 叶わぬ、     
 赦されぬものだとわかっていたとしても−−−−−
     
「よかったーー。もう来てくれないのかなって・・・わっ!?」
 木の根に躓いた小柄な体を、ゼルガディスはそのままかき抱いた。
「アメリア」
「ゼルガディスさん・・・?」
「・・・俺だけを見てくれ−−−−」
 耳朶をくすぐる吐息。
 重なる鼓動。
 胸を満たす甘い香。
 ゼルガディスの女神は、ここにいる。
 
  
             

                

トップへ 小説トップへ