江神さんのかたち1

                                      

江神二郎 えがみ・じろう(27)
有栖川有栖の推理小説、学生アリスシリーズに登場するキャラクター。
主人公の大学生有栖川有栖(同名だが作者とは別人)の先輩で、
英都大学推理小説研究会(EMC)の長。
シリーズの探偵役を務める。
主な登場作品:「月光パズル」「孤島パズル」「双頭の悪魔」(東京創元社)

 江神は一つの「定め」を持っている。

−−−−−お前は三十歳を迎えずに、父親より先に死ぬ。多分、学生のまま。

 彼の母親のお告げである。
 それが本当に定まった道なのかどうかはわからない。だが「定め」を告げられている、そのことを彼がはっきり認識していると言うことが、彼をただの「学生探偵」とは別次元の存在に押し上げてしまっている。
 犯罪そのものに対する個人の姿勢を彼は見せない。彼はいつも犯罪の存在したこの世界そのものを真摯な眼差しで客観的に眺めている。その視線においては、被害者も加害者も言わば推理を押し進めていくさいの登場人物でしかない。そうすることで彼は「真実」に辿り着く。犯罪を引き起こしたほどにそれは多くの場合やるせない現実である。その現実にも彼はあまり自分の姿勢を示さないが、犯罪者への対応を見ていると、真理を繙くことで加害者と心の闇を等しく分け合っているように見える。
 ・・・・それはどこか十字架を負うように、ひとつの愛にみちた行為だ。
 江神は「大学生」という肩書きの持ち主である。
 彼が七回生にしてなおただの学生という社会に対し基本的に個人の責任を持たない立場にあり続ける理由を、学生アリスは知らないでいる。我々も知らない。しかし江神を江神たらしめているその推理法を見ればその一端が伺えないでもない。
 卒業しなければ、彼は社会体制に完全に組み込まれていない。だから、反社会的行為である犯罪を、社会の外から、つまりよりニュートラルな「神に近い」立場から望むことができる。
 のではないか?

 しかしいくら虚構でも許されない部分がある。ゆえに、この限度を可能な限りオーバーできる環境に居ることが、江神には認められている。
 推理物の一つの形−−−−−−文字通りのクローズドサークル、閉鎖された空間に。
 この、社会の中にありながら日常性を超越した「異空間」に身を置くことで、江神は犯罪行為から推理によって真実を導き出す。そして警察機構ではなく彼江神自身により真実が導き出されたがために犯罪者が法によらず自らの道を選択することを、つまり彼らの死を、彼の意志で容認する。

                             

「殺人事件を扱った推理小説の不可能性というのは、換言すると、いくら問いかけても答えないものに語らせること、ではないかと思うんです。問いかけても答えないと確信しているものに、答えてくれないと確信しながらなお問いかけるというのは、切ない行為だと思いませんか?そして、これほど人間的な行為もないかもしれない。人は、答えてくれないと判っているものに必死で問い続けます。その相手は、例えば神です。またあるいは運命です。・・・・死者にも問う。私を本当に愛してくれていましたか?私を赦してくれますか?泣いても叫んでも、答えはありません。相手は決して語りません。それでも、また問うてしまう。そんな人間の想いを、推理小説は引き受けているのかもしれません」
「だから、人が死んで−−−−」
「謎は解け、真相が引きずり出されるんです」
「だから、推理小説は人を殺すんですか。・・・・探偵は巫女になって神の声で語り、象徴的に世界に意味を与えてくれるんですね?」
(有栖川有栖著「朱色の研究」(角川書店)より、一部省略)

                         

 江神の作者に設定されている作家アリスは、推理小説への思いを主観的なものだからと断った上でこのように表現している。
 つまり、これが江神の姿なのだ。
 「神の声で語り、象徴的に世界に意味を与えること」・・・・それが彼の神から彼に与えられた使命なのである。
 だがこれは、多くの人間がおさまった一つの社会の中では認められざる行為だ。
 ゆえに江神は社会の真の構成員たらざる学生のままであり、そして学生のまま、死なねばならない−−−−−のではないか。
 そしてそうすることで彼が出会った人々も赦されるのだ。
 肩にかかる長髪でEMCの長で関西弁でキャビンを喫って、そんな彼の属性をどれほど知っていたとしても、彼の本質にこれ以上私達は近付くことはない。そういう気がする。
 マリアが階下から後ろ姿を見送ることしかできなかったのは当然だった。
 マリアはこちらの岸の住人で、
 江神は向こうの岸の探偵なのだから。
 それでもマリアの声に江神が返事を返したのは・・・・
 彼が「人の子」だったから。
 だろうか。

                   

                            

                                 
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