スレキャラの生き方、その形      魔剣士だって寅さん論(違)

相も変わらずいまさら話を
まとまらぬままたらたらとです・・・。
少しネタバレが入っております。御注意下さいね。

            
 どちらのHPだったか忘れましたが、アニメ関係者の方だったかどなたかが、スレイヤーズのことをアニメ界の「寅さん」だか「釣りバカ日誌」だかだと言っていたというような話を読んだことがあって、たいそう納得したものでした。
 才能に恵まれていて(おかげで魔族に付け狙われたりもするけど)、
 ついでに美貌にも恵まれていて(とある部分は小さいともっぱらの噂だけど)、
 それを活かして自由気ままに(別の意味で破壊者の二つ名が広がる原因にもなってるけど)、
 誰に文句を言われるでもなく(ねーちゃんは怖いしたまにお尋ね者になるけど)、
 大好きな人と二人で、世界中を旅してまわる。
 そんなリナの姿には、我々が心の裡で密かに憧れてやまない一種の理想の生き方のようなものが投影されてると思います。セイルーンの爆裂姉妹にしても、母親を目前で殺されるというつらい過去を持っているのは事実らしいと聞きますけれど、彼女達のみに目を向ければやはり、大国の見目麗しき王女姉妹という畏れ多くもかしこき身分だというのに、かたや敵討ちの旅に出たまま道に迷って(?)、かたや愛と正義と友情のため、思い立ったが吉日とゆかいな仲間たちとともに諸国をパワフルに漫遊してまわり、そんな彼女達が帰ってくれば、文字通り大きく強い世界一の(笑)父と暖かい祖国が必ず優しく出迎えてくれる。それはやはり、我々の憧れの形の一つだと思うわけです。
 ガウリイは・・・・ある意味並ぶ者のないほど多くの謎を秘めている彼ですが、少なくとも今のガウリイは我々の理想を生きている、といってもいいんじゃないかと。確信犯かどうかはおいておいて「昨日のことは覚えちゃいない、明日のことは考えられない」くらげな感覚の持ち主とはいいながら、万人が美しいと認めるルックスと比類ない剣の腕を兼ね備えているというのは、・・・そんでもって何より大切に思っている女性のそばにずっといられるというのは、小野はやはりとてつもなく幸せな生き方だと思うんです。もちろん彼の過去によって幸せの意味は微妙に違ってくることは承知していますけれども。
    
 で、残る魔剣士は。
      
 こんなメンバーとパーティを組む立場にありながら、まさしく不運と受難と三人四脚の人生(笑)
 強くなりたいと願ったがためにひいじいさんにキメラにされるという、見ようによってはギャグを地でいくようなエピソードの持ち主。ギャグというのは決して彼をバカにしているわけではありませんので念のため。そうでもなければ耐えられないようなある意味壮絶なエピソードなんじゃないか、と。
 思うわけです。
 ゼルガディスがどういう動機で、どの程度の熱意をもって願っていたか知りませんが、「強くなりたい」という夢は、ローティーンかそこら(アニメと噂から勝手に推定)の年頃の少年なら誰しも、どういう形であれ胸に描いているものだと思うのですよ。それを巧みについたレゾじーさんの一言、いろんな意味でさすがです(笑)しかしそんな感じでうっかり(という言い方には語弊があるでしょうが)願ってしまったがために人間でなくなってしまったという悲劇のヒーローばりの過去を持っているわりには、リナ達と出会ったゼルガディスは、酒にクスリになどと精神を崩壊させるでもなく裏街道方面限定ながらごくふつう?に社会生活を営んでいました。ばっちり犯罪者ではありましたけど、それは何より賢者の石を探すという目的があったからで・・・。
 ということはですね、リナたちと出会った頃には、彼はすでに自分の運命に 対して彼なりの答えを出していたのだと思うのです。それはまあ考えようによっては、キメラになったために精神崩壊した結果ちょうど良いまっすぐさになるくらい、ゼルガディスの心がもともとすさまじくねじくれまくっていたという可能性もないわけではありませんが・・・うーむ(笑)
       
 ゼルガディスの生き方の特徴は、劇中人物であるにもかかわらず彼の悲劇の中身があくまでも彼一人の中に集約されてしまうところじゃないかと思います。本来、人と異形の者との運命を合わせもつ(人間と異界の者の間に生れた子など)とかいうのは主人公格のキャラの特質だと小野は思うです。しかしゼルガディスの場合、彼にとってどれほど重い宿命だとしても、「岩人間と邪妖精のキメラ」という実用性に富んでいるぶん微妙に(物語の中において)劇的な要素にかける彼の特質は、客観的に見れば本人の言葉そのものズバリ「俺個人の問題」でしかありませんのですね。
 でも一般的な個人のレベルで考えてみれば、ゼルガディスが背負っている状況がどれほど過酷なものかよくわかりますし、そこが他のスレキャラにはない(一見わかりにくい)ゼルガディス独特のリアルさの要因にもなっている気がします。何かしらのほんとに深い重荷って、誰だって持っているものだと小野は思うです。それは例えば社会的な重みかも知れないし、夢のこと、人間関係のことだったりするかもしれない。でもみんなそういうのを背負って自分なりに毎日を生きている、そういうごく身近な「本人だけの重荷」の部分に、ゼルガディスの場合はキメラという性質をどっぷりと抱え込んでいるわけです。これは言ってみれば病に近いイメージかもしれません。罹ったきっかけは彼自身の願いでした。世界で患者は彼しか居らず、治る見込みもなく治療法もなし。そう、彼が自分で奇跡を起こさぬ限りは。
 小野の周囲におけるゼルガディスの評判はよろしくなくて、
「さびしがりや」「いじけてる」
 ついには、
「人生の敗者」
 なんて言われ方までされてたりするのですが(汗)確かに原作では人嫌いが高じてあまりストーリーに絡んで来なかったりするし、アニメではシリアスを逆手にとられてギャグやツッコミに回ってたりすることも多いことを思えばそういう見方もありえますけれど、でもそれだけだったら彼がスレイヤーズに登場することは絶対なかったと思うですよ。
 彼は決してあきらめることをしない。時にはお気楽なメンバーとのんきに旅も楽しみつつ(笑)文字通り奇跡としか呼べぬような一縷の希望をどこまでも追い続けていく。小説ではしばしば「キメラ」の一言で瞬間沸騰してますけれど、怒りはマイナスの感情ではありますが、気力が充実してなければ人間怒ることなんてできないわけで、これだけ過酷な個人的運命を背負わされていながら、彼は生き抜く意志を強く、強く持って旅をしているのですね。
     
 そんな彼の生き方は、ただ「ドライでクール」と言ってしまうにはあまりにもしたたかで力強くて、リナたちのそれとはまた違った意味で、でも同じくらいやはり我々が心に描いている、憧れの一つの形と言っていいのではないかと、小野は思ったりするのです。
        
      
 彼の行く手には、まず非常に高い確率でアンハッピーエンドが待ち構えていることでしょう。
 ゼルガディスの背負わされた運命、もとい設定は、必然的にそういう要素も確実に含んでいるわけで、だからこそ。
 自称ゼルアメな管理人としては何より、その心の中にぜひアメリアというほんわかあったかで決して消えることのない永遠の道標を点してもらって、スレイヤーズ的にハッピーエンドへ猛ダッシュで(笑)ゴールインして欲しいな、と・・・
      
 思ったりなんか、してしまうのでした(笑)
              
      

               

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