アメリアなものもの 

                           
小野のイメージから見たアメリアなものものなどを
独断と偏見で御紹介します(笑)

                           
                                     
         
マドレデウス
御存じの方も多いかと思いますが、ポルトガルのユニットです。
海を謳うためにあるというポルトガルの伝統音楽の流れを汲んだ深みのあるメロディーと、ボーカル・テレーザの透明な歌声が、優しく、美しく、そして切なく胸を打ちます。
そして歌詞。
これがまた素敵なのですよ。
お気に入りの一節を御紹介します。
      

来て
一切の孤独を超えて
貴方の命の光を失った私は
地平線を失ったに同じ
 
いいでしょう
気が済むまで進んでいって
だが その後には
この悩む心を癒しに来て欲しい
   

        VEM(願い)

たとえ何があっても
私はここにいる
たとえ何があっても
貴方を待っている
 
私は知っている
貴方が私にとって誰なのか
たとえ何があっても
私は貴方を待っている

       Haja o que Houver
       (たとえ何があっても)
                 
石垣りん「風景」
石垣りんさんの風景というタイトルの詩の一つ。
「生きる」とは「時間」とは、何かを待つことにとても似ていると感じてこの詩を綴ったのだ、というようなことをたしかエッセイで言っておられて(すみませんうろおぼえです)、そういう詩なのですけれど、私はこの詩を読む度にアメリアの姿を重ねてしまうです。
短い詩なのですが、少しだけ御紹介しますね。

      

あなたと呼ぶには遠すぎる
もう後姿も見せてはいない人が
水平線の向こうから
潮のように寄せてくる
     
寄せてきても
けっして私をぬらさない
はるか下の方の波打際に
もどかしくたゆたうばかり

    
           「石垣りん詩集」(思潮社)  

     

                  

       

遊佐未森
遊佐さんの歌は私の中ではとてもゼルアメチックなのです。「大きな靴」とか「緑の絵」とか「海のように青い」とか、何となくアメリアだなと思ってしまいます。パロディの「大きな靴」は同名の遊佐さんの歌からイメージしたものだったりします(笑)
「大きな靴」の一節を御紹介しますね。

                  

    

あなたとわたしは違うのね
はっきり感じた この瞬間
胸につかえてた 角砂糖
やっと 溶け出した フフ

それから ひっそり 足踏みしていたら
あなたに 包まれて いるみたいで

二人でわがままいいあっていたいな
ときには 水たまりに入っても

          

                 大きな靴 

       

            

                       

ヒーロー物のアクションショー
お約束と思いつつやはり連想しますねー。真剣に見入ってる子供たちのきらきら輝く瞳とか、舞台にもいるのになぜか広場にも(記念撮影用に)うろうろしているヒーローとかみると、その辺りにアメリアの姿が見えてくる気がして、そんなこと考えてる自分がまた可笑しかったりする(笑)                      
              

 姫はあんなにパワフルで元気で明るいのに、こうやって見ると私のなかでは静かなイメージのほうが強いみたいです。自分が女なのでアメリアの気持ちのほうが判る気になれる、と言うだけかもしれないけれど、ゼルガディスだって辛いとわかっているけれど、でもどうしても、アメリアの方が大変だろうな、なんておもっちゃうんですよね。ひいきなのは十分わかってます!けど、だから、その優しさと強さが、悲しいくらい愛しすぎて、私には静けさとして感じられてるのかもしれません。でもヒーローはやっぱりはずせないですけれど(笑)         

                           

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