永遠


 雨が降っている。

 机の上に散らかった書類を横目で眺めながら、窓を開く。聖地はいつも晴れ渡っているが、今日は朝からそぼ降るような霧雨が降り続けていた。窓枠に腰かけながら、見るとはなしに濡れた花に視線を落とす。

 白く小さなその花は、雨に打たれてこうべを垂れていた。儚げで今にも消えてしまいそうな姿に、胸が痛む。
 あれからどれくらいの時が経ったのだろう。涙をたたえた瞳で、それでも微笑っていた、遠い面影。
『どんなに離れていても想いは通じているから』
 そう言って、手を離した。それが間違いだったとは思わない。
 でも、それでも……

 雨が、花をしおれさせていく。

「ゼフェル!」
 バタン、と勢い良く開けられたドアの向こうからさわやかな笑顔を浮かべた青年が姿を現した。
「……なんだよ、ルヴァの茶会なら行かねーぞ。オレは忙しーんだ」 
 満面に笑みを浮かべたランディを不機嫌そうに一瞥して、ゼフェルは窓の外に視線を戻す。
「お茶会? ああ、違うよ。オスカー様がさ、私邸のビリヤード場を改装したらしいんだ。で、オレたちを誘って下さってさ」
 茶会と同じ様なもんじゃねぇか、と心の中で呟きゼフェルはげんなりした表情を浮かべた。
「そのオスカーのせいで、見ろよこの書類の山! 私邸の改装なんてするヒマがあんだったらてめーで片づけろってんだ! ったく冗談じゃねーぜ」
「それだけお前に期待してるってことじゃないか。お前、ここ数年仕事も真面目にやってるし、聖地を抜け出すこともなくなったって、この間ジュリアス様も感心してたんだぜ」
「別にアイツに感心してもらうためにやってんじゃねーぞ」
 そう言ってドカっと椅子に腰を下ろした弾みで、机の上に山と置かれた書類がバサリ、と床に落ちた。
「まったく乱暴なヤツだな、ホラ。……ん? なんだ、これ」
 拾い上げた書類を戻そうとしたランディは、机の上にそっと置かれた物に目を留めた。
「……指輪? へぇ、お前こういうのも作れるのか」
「なっ、勝手に触ってんじゃねーよ!!」
 ランディの手から指輪を奪ったゼフェルは、それを乱暴にポケットに突っ込んだ。
「なんだよ、大事なものならキチンとしまっとけよな」
「あーったく、いちいちうるせーな……とにかく、見てのとおりオレは今マジで忙しいんだ。今日中にコレ片づけちまわねーとなんねーんだからよ」
 そう言って、ランディを扉の方へと追いやった。
「わかったよ。じゃあ、気が向いたら来いよな」
 風の守護聖は、そう告げると足早に去っていった。

 繰り返される忙しなくも平和な日常。

 穏やかに過ぎていく毎日に、何の不満があるわけではない。それでも、どうしても心がざわめく日もある。

 雨に打たれた花へと視線を戻したゼフェルは、耐えきれなくなり、執務室を飛び出した。

                    ◆
                    ◆
                    ◆

 何年かぶりで、降りた外界。
 聖地や守護聖としての仕事に煮詰まっても、ゼフェルは外界に足を運ぶことをぱったりと止めていた。あの日、大切な少女と離れたときから。

 どこへ行こうと思ったわけではない。気がついたらこの場所へと足を運んでいた。白い雪に包まれたその街は、記憶の中のそれとあまり変わらない。
「あれから、こっちではどれ位経ったんだろうな」
 思い出を辿るように、街並みを歩いて行く。あの頃出会った人々はもういないけれど、そこに息づく営みは確かに続いている。行き交う人々の間を通り抜けながら見回した視線の先に懐かしいものを見つけ、ゼフェルは思わず立ち止まった。

 小さな露天。可愛らしいアクセサリーが並べられたその店は、この地に滞在していた時、よく2人で訪れた。「戦いの最中に、不謹慎って怒られちゃうかもしれないんですけど」そう言ってバツが悪そうに首をすくめながらも、並べられた小さなアクセサリーから目が離せなかった少女。そんな姿に、女王でもなく天使でもない、年相応の少女を見た気がして、ガラにもなく、お揃いの指輪をプレゼントした。
「まだ、あったんだな」
 呟くゼフェルの目前では、カップルだろうか、肩を寄せ合って品物を見ている男女の姿があった。幸せそうなその姿に、あの日の自分たちが重なったような気がして、ゼフェルは一瞬遠い目をした。

 思い出は、そこかしこに。短い日々だったけれど、同じ空の下、同じ時間を過ごした。
「あの、ゼフェル様。今日の夜、オーロラが見えるらしいんです。それで、あの……よかったら一緒に見に行ってもらえませんか? オーロラがよく見えるっていう場所を教えてもらったんです」
 頬を赤らめながらそう言う姿に、自分は渋々といった表情で、でも内心は嬉しさでいっぱいで頷いた。オーロラを一緒に見た2人は、永遠。そんな言い伝えがあることを、ゼフェルも聞いたことがあったから。結局、その日オーロラは現れず、しょげてしまった少女を必死で慰めた。
「アレが見られなかったから、離ればなれになっちまったなんてことはねーよな?」
 思わず浮かんだ疑問に、そんなことあるわけねーか、と心の中で呟き空を見上げた。暮れかかる空には気の早い星が浮かんでいる。あの日も、こんな風に澄んだ空が広がっていた。どうせなら、もうちょっとゆっくりしていこう。そう思い、ゼフェルは岬へと足を向けた。

 海からの風を受けて、キンと冷たい空気が身を包む。白い息を吐きながらその場所にたどり着いたとき、夕暮れは既に夜空へと変わっていた。
「すっげー……」
 見上げた空には、満天の星。聖地の夜空も美しいものだが、冷たく冴えた空気が広がるこの場所では、星々の瞬きがより一層輝いて見える。降るようなそれに、ゼフェルはしばし言葉を忘れた。
『いつか、また見に来ようぜ』
 そう言って、どれ位の時が経ったのか。見上げる空は変わらないけれど、確実に流れてゆく時間。逢いたい気持ちでいっぱいで、でも、次元回廊を開く許可など出るはずもなく。必ず迎えに行く、と告げた言葉に嘘はないけれど、自身のサクリアが尽きるまでは恐らくはムリに違いない。離れていても心は繋がっている。そう信じてはいる。それでも、時折、全てを捨ててでも逢いに行きたい衝動に駆られる。
「ちゃんと、やってんのか? おめー笑ってるよな?」
 届くはずのない問いを、空に放った。

 その時、背後から雪を踏みしめる足音が聞こえ、ゼフェルは後ろを振り返った。

 近づいてくる人影は、全身白いフードに包み込まれ、辺りの雪景色にとけ込んでいる。
 ゆっくりとこちらに歩いてくるその姿を確かめようと目を凝らしたとき、夜空に壮大なオーロラが浮かび上がった。
 光に照らされたその姿に、ゼフェルは瞬間、息をのんだ。
「……アンジェリーク……?」
「ゼフェル、様……?」
 薄明かりの中、こちらを見つめて呆然と立ち尽くす小柄な少女。
 オーロラの光に彩られた幻想的なその姿は、ずっと心に抱き続けた大切な面影そのもの。互いに一歩を踏み出せず、その場で固まってしまったかのように動けない。
「……幻じゃねーよな? アンジェリーク、おめーだよな……?」
 オーロラが見せた都合のいい夢のような気がして
「動くんじゃねーぞ! そこにいろよ!!」
 そう怒鳴り、駆けだした。次の瞬間には、腕の中に閉じこめていた。
「ゼフェル様、私……」
 言いかけたアンジェリークの言葉を遮り、壊れるくらい強く抱きしめた。

 いつか、夢に見た。再会のときを。
 だけど、目が覚めるとそこに姿はなくて。
 あのとき初めて後悔した。その手を離したことを。
「……幻でもいい。おめー、あったけーな……」
 栗色の髪に顔を埋め、呟く。
「幻じゃ、ありません。……逢いたかった」
 そっと背中に回された腕の感触が、これが夢でも幻でもないということをゼフェルに実感させた。
「ずっと、ずっと逢いたかった。ゼフェル様のこと、信じてたけど逢いたくて、どうしようもなくて……」
 回された腕にぎゅっと力がこもる。
「1日だけ、こちらに来ることを許してもらったんです。だけど、聖地にいらっしゃらないから、逢えないかと思った……!」
 そう言って、アンジェリークはゼフェルの胸に顔を埋めた。
「泣くなよ……。おめーに泣かれるとどーしていいかわかんねーんだ」
 こぼれ落ちる涙を拭ってやる。
 再会したら、言いたいことがたくさんあった。
 だけど、今は。だた触れていたくて。
 記憶にあるより幾分小柄になったような気のする柔らかな体を抱きしめ、ゼフェルは瞳を閉じた。

 どれくらい、そうしていたのか。
 抱きしめていた腕をゆるめ、アンジェリークの瞳を見つめる。

 深い湖の色。懐かしさと愛しさで、胸が苦しくなる。
「ゼフェル様、背が伸びた……?」
「…あー? 伸びたっておめー…当たり前だろ。あれから何年経ったと思ってんだよ」
 突然思いがけないことを言われ、ゼフェルは苦笑した。そんなゼフェルを見て、クスっと笑顔を零しアンジェリークは言う。
「なんだか、随分大人っぽくなられたみたい」
「おめーは、変わんねーな。あの頃のままだ。髪も、声も、全部」
 そう言ってアンジェリークを胸に抱き寄せる。
「オレ、おめーと離れても大丈夫だって思ってた。気持ちさえ繋がってれば、怖いことなんてねーんだって。だけどよ。やっとわかった。オレはおめーがいねぇとダメだ。もう離したくねー。傍に、いろよ」
「ゼフェル様……」
 アンジェリークの瞳が揺れる。
「ゼフェル様、私は……」
「宇宙を捨てれねぇっつーんだろ。……んなコトわかってる。」
 そうじゃなければ、あのとき離れたりしなかったから。
「帰るぜ」
 そう短く告げ、アンジェリークの手を引いて歩き出そうとしたゼフェルの背中を、アンジェリークは不安げに見つめた。
(怒らせちゃった……? だけど、一緒にはいられない。宇宙を捨てられない。どんなにゼフェル様が好きでも……)
 こみ上げてくる涙を必死に堪える。
(どうしたらいい? どうすればいい? せっかく逢えたのに、次にいつ逢えるか、わからないのに……)
「……聖地に帰って、陛下に許可もらうぜ」
 歩みを止めないまま、振り返らずにゼフェルは言った。
「次元回廊の、自由通行許可。ま、オレもここんトコ真面目に仕事してるしよ。それぐらいは認めてもらうぜ」
 そう言いながら、ヤベ、忘れるとこだったぜ、とアンジェリークの手を離し、ポケットを探った。
「ホントは、おめーの宇宙に行って言うつもりだったんだけどよ」
 ゼフェルの手には、プラチナの指輪が握られていた。
「結婚しようぜ、アンジェリーク。一緒には暮らせなくても、こっちとあっちを行き来できれば、問題ねーだろ?」
 アンジェリークは、瞳をいっぱいに見開いてゼフェルを見つめた。

 夜空には、オーロラが広がっていた。
 あのとき見られなかった、恋人たちの永遠を約束する荘厳な光が。
「……ずっと、ゼフェル様だけです。今までも、これからも。私はずっと、ゼフェル様だけが、好きです」
 ゼフェルの胸に飛び込んで、アンジェリークは涙を零した。

 どれだけの夜を過ごしただろう。空を見上げて名前を呼んだ。そうして“いつか”を待ち続けた。

 栗色の髪の間に差し込まれたゼフェルの手が、アンジェリークを強く引き寄せる。
「オレもずっと、おめーだけだ。他には何にもいらねぇ。おめーさえいればそれでいい」

 抱きしめあう2人の頭上で、オーロラは七色の光りを放つ。
 それは、永遠を誓う恋人たちを祝福するかのように、いつまでも、いつまでも輝き続けていた。


〜fin〜