まだ、うっすらと霧がかかった、午前5時。



午前5時






船の進む音だけを耳にしながら、
一人の剣士がトレーニングに勤しんでいた。
昼間寝てばかりの彼は、
クルーが寝静まった真夜中や早朝にそうすることが多い。
静けさが、気を引き締めるからだ。

—強くならなければ。もっと、もっと、強く。

カタン。
靴が木の床に触れる音。
トレーニングの腕は休ませずに、目線だけをやる。
「お早う」
思った通りの、人物。
別に、だからといってよくあることではなく。
ただ、こんな早朝に目を覚まし、
わざわざ彼のところまで足を運ぶには、
彼女しか思いつかなかった。
長い髪を潮風に揺らし、微笑を浮かべながら。
朝日を背負っているせいか、少し眩しくて、彼は目を細めた。

「朝早くから、起きてるのね。いつも、こうしてるの?」
当たり前のように、隣に腰掛ける。
「まァ、な」
やや得意げに胸を張って答える彼に、
彼女はすっと腕を伸ばす。
その腕は、
とあるコックに、"マリモ"と称された頭をくしゅくしゅと撫でる。
「偉いわね」
「ばッ・・・!子供扱いすんじゃねェ!!」
途端、顔を真っ赤にし、手を振り払って怒りを露わにするが、
彼女は楽しそうにくすくすと笑う。

彼はどういう言葉を用いればいいのか、
どんな顔をしたら彼女に勝てるのか、
そんなことを頭でぐるぐる考えて。
けれど考えることは得意ではなくて。
その隙に、払われた彼女の手はしなやかに彼の両頬を捉えて、
彼の思考回路はあっという間に遮断される。

トレーニングで熱くなった体を、一瞬で冷ますかのようなひんやりとした手。
視界も彼女に覆われて、
そして、唇も。
また、熱が戻ってくる。
唇から、足の先まで、熱が行き渡る。
不思議な感覚。
小さな一部分から、
こんな簡単に体は変わってゆくのかと。

離れてやっと視界も戻り、
瞳に映るのは朝日の中の彼女の笑顔。
彼は右手で顔を覆い、短い溜息を漏らした。
「不意打ちは・・・ヤメロって、言ってンだろ」
抗議の声も、弱々しい。
それは、
彼が手で隠したいくらい照れてしまっているからだということも、
彼女はよく分かっている。
「ふふ、ごめんなさい」
反省をするわけではなく。
また、この人のこんな表情を見たいという理由で、
私は同じ事をするのだろうということも、
よく分かっている。

—本当、楽しませてくれる人。

「じゃあ。・・・キス、してもいいかしら」
「・・・ん、なっ!!!」
「許可、取ればいいのでしょう?」
敵わない、という意味か、
構わない、という意味か。
彼は不敵に笑いながら、
腕を広げた。
彼女は風に乗って、
波のように穏やかにするりと腕を回し、
唇を重ねる。

お互いの背中を、強く抱きしめながら。
広い海の上、優しい風と波に包まれて。
その中で、お互いの存在だけを刻むかのように。
そして、それを決して失わないように、強く。
時に自然が厳しくとも、決して離さないように。

「朝って・・・意外と、寒くないのね」
「・・・あァ」